乳癌

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乳癌(にゅうがん、テンプレート:Lang-en-short)は、乳房組織に発生する癌腫である。世界中でよく見られる癌で、西側諸国では女性のおよそ10%が一生涯の間に乳癌罹患する機会を有する。それゆえ、早期発見と効果的な治療法を達成すべく膨大な労力が費やされている。また乳癌女性患者のおよそ20%がこの疾患で死亡する。

疫学

乳がんに罹患するリスクは年齢と共に増加する。日本人女性の場合、生涯で乳がんに罹患する確率は16人に1人(欧米は8~10人に1人)である。極めて稀に男性も乳癌に罹患することがある。乳癌に罹患する確率は色々異なった要因で変わってくる。家系によっては、乳癌は遺伝的家系的なリスクが強い家系が存在する。人種によっては乳癌リスクの高いグループが存在し、アジア系に比べてヨーロッパ系とアフリカ系は乳癌リスクが高い。

他の明確になっているリスク要因としては以下の通り。

  • 妊娠出産歴がない。出産回数が少ない[2]
  • 第一子出産の後、母乳を与えない。なお、関連がないとする報告もあり[2]
  • 初経年齢(月経が始まった年齢)が低い[2]
  • 閉経年齢が高い[2]
  • ホルモン療法(エストロゲン製剤、ピル等)を受けている。なお、関連がないとする報告もあり[2]
  • 飲酒[3]
  • 喫煙[4]
  • 高脂肪の食事
  • 20歳時の体重が低いほど、乳がんになりやすい。閉経後の女性では、成人後の体重の増加が多いほど乳がんになりやすい[5]
  • シフトワークによる不規則な生活
  • 女性化乳房(男性の場合)

喫煙については、日本人を対象とした研究では、喫煙女性の乳癌リスクは、非喫煙者に比べて1.9倍となる[6]テンプレート:See also 年齢と共に乳癌の発生する確率は高まるが、若年齢で発生した乳癌は活動的である傾向が存在する。乳癌の一種の炎症性乳癌 (Inflammatory Breast Cancer) は特に活動的で、若い女性に偏って発生し、初診時のステージがIIIbまたはIVであることが多い。この癌は他とは変わっていて、乳癌のしこりが無いこともしばしば見受けられ、マンモグラフィー超音波検査で発見することが出来ない。乳腺炎 (Mastitis) のような乳房の炎症が症状として現れる。

乳癌の予防の可能性の要素として次のようなものがある。

  • 余暇運動への参加が多いほど、乳癌になりにくい。総身体活動量が高い女性は、閉経後においてホルモン受容体陽性の乳癌になりにくい。過体重の女性では、週1回以上の余暇運動に参加する人は、乳癌になりにくい[7]
  • 大豆イソフラボンであるゲニステインの血中濃度が高いグループの乳癌リスクは低い[8]味噌汁の摂取が多いほど、乳癌になりにくい。大豆イソフラボンは乳癌発生率減少と関連している[9]
  • 野菜・総果物摂取量全体では、乳がん発生との関連は観察されなかったが、閉経前の女性では、「アブラナ科野菜」の摂取量が高いほど、乳がんになりにくいとの報告がある[10]
  • 閉経前女性では、マメ科植物、家禽類、ナッツ、魚類の摂取合計が、獣肉(レッド・ミート)摂取に対して多いと、乳癌の相対リスク低下がみられた。[11]

病因

2つの遺伝子、BRCA1BRCA2は家族性の乳癌と関連している。この家系の女性でこれらの遺伝子が発現している者はそうでない女性に比べて乳癌に罹患するリスクが極めて高い。(p53遺伝子突然変異の)Li-Fraumenid症候群もまた同様で、全乳癌患者の5%にこの症候群が見られる。他の遺伝因子は乳癌では散発的に見られるだけである。

女性症状

  • 乳房のしこり、隆起(新たにできたもの)
  • 乳房の陥凹(新たにできた「えくぼ」)
  • 乳汁分泌、血性乳汁
  • 脇の下のリンパ節を触れる

など

男性症状

  • 男性の場合、胸の異常発達(女性化乳房)が見られることもある。
  • 男性の胸のしこりに関しては、雑菌の侵入による乳腺炎である場合も多く、乳癌の発症はレア・ケースである。
  • 英国での男性乳癌患者の発生は、年250人と報告されている。

検診

30歳代から高齢の女性ほど罹患率が高い為、今日では多くの国で検診を受けることが推奨されている。検診には胸部自己診断法 (breast self-examination) とマンモグラフィー (mammography) も含まれる。いくつかの国では、壮老年女性の全員の毎年のマンモグラフィー検診が実施され、早期乳癌の発見に効果を挙げている。 ただし、検診にもデメリットは存在する。乳癌患者発見の背後には、その10倍以上の乳癌でない被験者が精密検査へと回り、生検(乳房に針をさす)を受けていることも事実である。こういったことから、2009年にはアメリカの予防医学作業部会が40代の定期的なマンモグラフィ検診は推奨しないと発表し、大きな議論となった。

マンモグラフィーは早期乳癌を発見する為の選択肢のひとつであり、これひとつですべての年齢、すべての乳癌の、早期発見がカバーできるものではない。欧米では生涯乳癌リスクが20%以上の女性に対して造影剤を用いたMRIによるスクリーニングが推奨されている。日本では現在、40代における超音波検査の併用検診の効果について大規模な臨床研究が行われている。CTはX線被曝や費用の問題もあり、検診に用いられることは希である。

20歳代での検査は、マンモグラフィ(描出率43%)よりも乳房超音波検査(描出率86%)が診断に有用である可能性が示唆された[12]

検査

壮老年女性の検診は増加しているのにも関わらず、多くの女性が乳癌に最初に気づくのは、かかりつけ開業医などが乳房のしこりを発見することである。

一般的な乳癌のスクリーニング検査としては、問診、触診、軟X線乳房撮影(マンモグラフィー)、超音波検査等が実施される。臨床的に疑いが生じると、乳房MRI検査および細胞診や生検が実施され病理学的診断により癌であるかどうか判別される。細胞診は多くの場合、超音波装置の誘導で腫瘍内に細い針を挿入し腫瘍細胞を採取する。生検にはいくつかの種類があるが、超音波ガイド下にやや太目の針を挿入して腫瘍の一部を採取する針生検が最もスタンダードである。細胞診や針生検で診断が困難な場合には、超音波またはマンモグラフィーを取る機械を用いたマンモトーム生検、MRI検査でしか描出できない多発乳がんなどの場合は、MRI検査をしながら生検を行うMRIガイド下乳腺生検が行われることもある。

病理診断

病理医はふつう、腫瘍の組織型と、顕微鏡的なレベルの進行度合い(浸潤性であるか否か、など)を生検の報告に記述している。浸潤性乳癌の殆どは腺癌 (adenocarcinoma) であり、その中で最も普通の亜型は浸潤性乳管癌 (infiltrating ductal carcinoma ICD-O code 8500/3) である。他の亜型としては浸潤性小葉癌 (infiltrating lobular carcinoma ICD-O code 8520/3)、髄様癌(medullary carcinoma)、粘液癌(mucinous carcinoma)、管状癌(tubular carcinoma)、浸潤性微小乳頭癌(invasive micropapillary carcinoma)、化生癌(metaplastic carcinoma) などがある。稀に、腺癌以外の癌腫(あるいは癌腫以外の悪性腫瘍)がみられる[13]

また乳腺の増殖性病変の一部は乳癌と紛らわしい良性病変、良性と紛らわしい乳癌の顕微鏡像を呈することがあり、正しい診断に到達するためには、免疫染色という方法を用いることがある[14]。乳腺病理専門医にたいしてセカンドオピニオンを求めたり、針生検においては無理に最終診断を下さず切除生検を推奨することも、時に重要となってくる。

診断が付くと、次は癌の病期の判定に移る。腫瘍の広がり具合と、浸潤や転移の有無を、病期判定の尺度とする。

病期

乳癌の病期(ステージ)は腫瘍の乳房内での広がり、リンパ節への転移の有無、癌細胞の遠隔転移で決まってくる。腫瘍の乳房内での広がりには、腫瘍のサイズ、皮膚や胸壁への浸潤の有無、炎症性乳癌という病態かどうかが含まれる。浸潤・転移が疑われリスクが高い場合は、CTスキャン、骨(シンチグラフィー)、フルオロデオキシグルコース陽電子断層撮影(FDG-PET)、磁気共鳴画像(MRI)、血液検査等の追加の検査で、遠隔転移の発見が試みられる。

腫瘍医はTNM分類で区分を簡潔に表現し、推奨される治療法を決定する。癌の病期を分類する一つの方法としてもTNM分類が使われる。TNMとはTumour(腫瘍)、Nodes(リンパ節)そしてMetastasis(転移)の頭文字を取りを短くしたものである。あるいはエストロゲン受容体 (estrogen receptor) 、HER2/neu癌遺伝子、増殖マーカーであるKi-67 indexなど生物学的要因もまた、治療を選択する上での要点となる。



治療

乳癌の治療は原則的には外科的切除であり、抗がん剤や抗エストロゲン剤など化学療法と放射線療法が併用される。

外科手術

手術StageⅠ~ⅢAに対して適応となる。最近では、乳房温存術と乳房切除術とでは予後に差が無いことが報告されてきており、手術は拡大手術ではなく縮小手術が行われる傾向にある。

  • 乳房温存術(lumpectomy 腫瘤のみを摘出 乳腺腫瘤摘出術)
  • 乳房切除術(mastectomy 乳房を切除ないし完全に切除する)
    • 胸筋合併乳房切除術
    • 胸筋温存乳房切除術

腫瘤の大きさによって切除範囲が選択されるため、>3cm以上の大きな腫瘤や、胸壁や皮膚へ直接浸潤しているような進行している場合には広範囲切除となる。切除断端陽性(遺残)が再発の高リスクであるため出来る限りの腫瘤摘出が望まれる。

手術の際には、リンパ節郭清として、センチネルリンパ節生検(sentinel lymph node biopsy)が行われ、リンパ節転移のある場合に腋窩リンパ節郭清が行われる。

放射線療法

乳房温存術後の局所再発の予防を目的とした乳房全照射が行われる。 転移および再発における症状緩和を目的とした照射がある。

化学療法

術後化学療法は再発リスク評価に応じて適用され、内分泌薬・抗がん剤分子標的治療薬の3種類を用いて行われる。また術前化学療法も行われる。また再発・転移性乳癌においても化学療法が行われる。

内分泌薬
乳癌はエストロゲン依存性であることが多いことから、エストロゲン受容体(ER)・プロゲステロン受容体(PgR)の発現の高いものは内分泌薬が奏功する。
閉経前後で以下の通りに行われる。
  1. 閉経前女性:抗エストロゲン薬+LH-RH作用薬
  2. 閉経後女性:抗エストロゲン薬 or アロマターゼ阻害薬
抗がん剤
以下の通りに行われる。基本的にER/PgR発現の低いもの(陰性)の場合に行われる。
分子標的治療
ヒト上皮成長因子受容体2(HER-2)陽性の場合、分子標的治療薬が奏功する。
mTOR阻害剤

予後

長期治療成績は診断確定時の乳癌の病期(ステージ)と癌がどのように治療されたかに依存する。一般的に言って、早期発見されればされるほど予後は良い。早期であればほとんどの乳癌が手術によって根治する。男性乳癌では女性乳癌と比較して大胸筋浸潤を起こしやすく、進行癌で発見される確率が高いため、5年生存率40~50%と予後は不良であると考えられてきた。しかしながら、近年の例によると女性患者と比べても全生存率、無病生存率ともに変わらないことが指摘されている[1]。また、外科的手術を行った場合、主に審美的な観点、および、患者の精神的なケアの観点から、乳房再建術が行われることがある。

乳癌の歴史

乳癌は古代からあった病気で、古代エジプトにおいてはイムフォテプと言う医師による乳癌治療の記録が『パピルス』に残されている(紀元前3000年~紀元前5000年のこと)。

古代における乳癌の主な治療方法は、乳房の一部を切開することで悪性腫瘍を排膿し、残りの腫瘍は原始的に焼却したり腐敗させたりした。古代においては麻酔防腐も無い時代であるので、乳癌の手術には大変な苦痛が伴い、手に負えないものであれば軟膏を塗るといった姑息的な手法によるしか出来なかった。

それから長い時代において、乳癌治療の歴史[16] は停滞したままであったが、16世紀にアンブロワーズ・パレという外科医が、糸による結紮(けっさつ)で細胞を壊死(えし)させ、それによって癌を取り除くという手法を試みた。乳癌の手術技法を確立したのは、フランスの外科医、ジャン・ルイ・ペティ(1674年~1750年)である。その方法は、癌に周囲組織を大きく付けて一塊にして切り取り、更に転移を防ぐ為に腋窩(えきか)リンパ節を取るものであり、これは現代の外科の考えと一致するものである。彼の死後24年後にはその業績は出版され、1800年代に入ってからは多くの外科医が乳癌治療の腕を競うようになった。

今日の乳癌手術の術式を確立したのはハルステッドであり、1970年代まで彼の確立した術式は世界中で認められ、用いられるようになった。ハルステッドは1882年、最初の根治的乳房切断手術を行った。これまでの手術と違う所は、癌腫瘤から大きく離して正常皮膚乳腺組織を大きく癌の癌腫瘤の側に付けて切除し、更に大胸筋腋窩リンパ節を摘除していることである。

メイヤーは1894年、6例の根治的乳房切断術を行ったことを報告している。彼は大胸筋のみで無く、より安全を確保する為に小胸筋も切除した。こうして乳癌根治術方が確立されることとなった。乳癌は乳房を切除しても皮膚は腋窩に癌が再発することが多かったが、ハルステッドの療法によって、それまでの再発率60~70%が6%に劇的に抑えられるようになった。

脚注

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参考文献

関連項目

外部リンク

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  1. テンプレート:Cite web
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 生理・生殖要因と乳がん罹患の関連について | 現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 独立行政法人 国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部
  3. 飲酒と乳がん罹患との関係について | 現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 独立行政法人 国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部
  4. 喫煙・受動喫煙と乳がん発生率との関係について | 現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 独立行政法人 国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部
  5. 20歳時体重、成人後の体重の変化と乳がん | 現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 独立行政法人 国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部
  6. 喫煙・受動喫煙と乳がん発生率との関係について | 現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 独立行政法人 国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部
  7. 余暇運動と乳がん | 現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 独立行政法人 国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部
  8. 血中イソフラボン濃度と乳がん罹患との関係について | 現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 独立行政法人 国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部
  9. 大豆・イソフラボン摂取と乳がん発生率との関係について | 現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 独立行政法人 国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部
  10. 野菜・果物摂取と乳がん罹患との関連について| 現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 独立行政法人 国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部
  11. Dietary protein sources in early adulthood and breast cancer incidence: prospective cohort study BMJ 2014; 348 doi: http://dx.doi.org/10.1136/bmj.g3437
  12. 小倉拓也 他, 第19回日本乳癌学会学術総会, 2011
  13. Robbins and Cotran Pathologic Basis of Disease 8the edition p1079-1089
  14. http://ganjoho.ncc.go.jp/professional/med_info/surgical_pathology/breast_papillary_lesion.html
  15. mTOR阻害剤エベロリムスが乳癌に適応拡大 http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/search/cancer/news/201403/535490.html
  16. 参考書籍『癌の歴史』(著:P.ダルモン 版:新評論 刊:1997年)