中西準子

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中西 準子(なかにし じゅんこ、1938年 - )は、(独)産業技術総合研究所フェロー、専門は環境工学(環境リスク学)。工学博士。

人物・来歴

大連市生まれ。父は当時満鉄調査部中西功神奈川県立湘南高等学校卒業。1961年横浜国立大学工学部工業化学科卒業、1967年東京大学大学院工学系研究科合成化学専攻博士課程修了。東京大学工学部都市工学科(衛生工学コース)助手となり、汚水処理、下水道計画を研究する。国の当時の下水道行政の誤りを厳しく指摘し、その後の行政にも影響を与えたが、都市工学科内では疎外され、助手の地位にとどめられる(同じ時期、宇井純も都市工学科の万年助手であった)。

1990年、都市工学科を去り、東京大学環境安全センター助教授となる。1993年、東京大学環境安全研究センター教授となったが、東京大学工学系で女性が教授になるのは開学以来初めてのことであった。1995年、横浜国立大学環境情報研究院教授となり、環境リスク管理、リスク評価につき研究。2001年、産業技術総合研究所・化学物質リスク管理研究センターの発足に際しセンター長となった。 2003年4月29日、紫綬褒章を受章する。2004年、横浜国立大学を退任したが、その際の記念講演等をまとめた『環境リスク学-不安の海の羅針盤』(日本評論社 2004年)は毎日出版文化賞を受賞した。2008年4月1日より組織変更により、化学物質管理研究センター・ライフサイクルアセスメント研究センター・爆発安全コアの3センター・コアの合併により新しくできた安全科学研究部門の研究部門長となった[1]。2010年、文化功労者。2011年3月に部門長を退任し、4月よりフェローとして産総研に勤務している。

環境リスクについては、いたずらに危険性を騒ぎ立てるのではなく、リスクの程度を可能な限り定量的に評価・比較し、それをもとに合理的な対策をとるべきであると主張する。そのためのリスク評価手法の確立に尽力している。 2013年、瑞宝重光章受章。

名誉毀損訴訟

2005年3月、京都大学教授松井三郎(当時)は、中西がホームページ上のコメントで松井教授の名誉を毀損したとして、損害賠償を求める民事訴訟を提起した。2004年12月に行われた環境ホルモン関連のシンポジウムでの松井の発表について、中西がコメントした内容に抗議したのである。

本訴訟は、原告がプレスリリースで環境ホルモン問題に関する考え方の相違を訴訟理由に挙げていることなど、科学論争のありかたに関する面と、インターネット上での言論に名誉毀損訴訟で対抗するという、言論の自由に関する面の2つから、異例の訴訟として注目を集め、「環境ホルモン濫訴事件」とも呼ばれた。

この裁判では、言論の自由などに与える影響を憂慮した有志が「中西応援団」を結成し、原告・被告双方の提出したほとんどの資料を裁判進行と同時にインターネット上に公開し、議論するという活動を行った。

2007年3月30日、横浜地方裁判所は、問題のホームページ上のコメントは松井の名誉を毀損するものではないと判断し、松井の請求を棄却する判決を下した。松井はこれに控訴せず、一審判決で確定した。

社会的活動

主要著書

  • 都市の再生と下水道(日本評論社 1979年)
  • 下水道-水再生の哲学(朝日新聞社 1983年)
  • 飲み水があぶない(岩波書店 1989年)
  • いのちの水(読売新聞社 1990年)
  • 東海道 水の旅(岩波書店 1991年)
  • 水の環境戦略(岩波書店 1994年)
  • 環境リスク論(岩波書店 1995年)
  • 環境リスクマネジメントハンドブック(共編著 朝倉書店 2003年)
  • 環境リスク学-不安の海の羅針盤(日本評論社 2004年) 第5回日経BP・BizTech図書賞、第59回毎日出版文化賞受賞
  • 食のリスク学-氾濫する「安全・安心」をよみとく視点(日本評論社 2010年)
  • リスクと向き合う-福島原発事故以後(中央公論新社 2012年)

脚注

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外部リンク

  • 産総研:プレス・リリース - 「安全科学研究部門」を設立