中西学

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中西 学(なかにし まなぶ、男性、1967年1月22日 - )は、日本プロレスラー、元アマチュアレスリング選手(バルセロナオリンピックフリースタイル100kg級日本代表)。京都府京都市出身。血液型A型。新日本プロレス所属。宇治高等学校(現:立命館宇治高等学校)・専修大学卒業。

来歴

入門以前

宇治高等学校時代からレスリングを始める。専修大学に進学し、大学卒業後は和歌山県庁勤務を経て新日本プロレスのレスリング部門「闘魂クラブ」に入門。全日本レスリング選手権大会フリースタイル100kg級で1989年から4連覇を達成(前年まで同級で6連覇していたのは本田多聞)。1992年バルセロナオリンピックフリースタイル100kg級に出場し、2回戦敗退となった。

新日本プロレス入門

1992年、藤波辰爾のタッグパートナーという大抜擢を受け、新日本プロレスからプロデビュー。デビュー後しばらくはレスリング用のヘッドギアを着用していた。1995年3月、第6回ヤングライオン杯にて優勝。同年6月より米国武者修行へ旅立つ。若手時代は特にマサ斎藤にかわいがられ、修行先のWCWでは「世界に通用する男だから世界に通用するリングネームを使え」と、マサに命名された「クロサワ」の名で活躍した。

1996年9月に凱旋帰国。1997年には小島聡と組んで、第31代IWGPタッグ王座に就く。1999年にはG1 CLIMAXで初優勝。同年、永田裕志と組んで第39代IWGPタッグ王座にも就いた。

2000年3月28日、永田・ブライアン・ジョンストン吉江豊福田雅一と格闘ユニット「G-EGGS」を結成。本隊内の独立した軍団として、蝶野正洋率いるヒールチーム「TEAM 2000」と抗争を展開。この頃、「P-4M」というメッセージを発信。「問題(Problem)」に「耐える(Put up)」事により「願いが叶う(Possible)」事を「約束される(Promise)」という4つのPからなるもので、これを意味する手のポーズも有る。

2003年6月29日、FEG主催の「K-1 BEAST II」でK-1ルールに初挑戦。同じくK-1初参戦であり、アマチュア相撲出身のTOAと対戦するが、1R右フックでKO負け。試合後の会見で前日の練習中に脚に怪我を負っていたことを告白した。

2004年、「シングルをやるために」と本隊を離脱し反体制派へ。一匹狼となり、海賊(パイレーツ)を名乗って暴れる。短期間ながらウルティモ・ドラゴンとタッグ結成。その後は蝶野のチームに合流し、ニュー・ジュラシック・パワーズとしてスコット・ノートンともコンビを組む。短期間で、野人→海賊→ソルジャーへとギミックチェンジを繰り返した。

2005年からは、同じくレスリング出身であり犬猿の仲である永田、ケンドー・カシン藤田和之と「チーム・ジャパン(TJ軍)」を結成。翌年の新日本のユークス子会社化に伴う猪木事務所との提携解消による藤田の離脱まで活動する。

2006年5月31日、ZERO1-MAXでのタッグマッチで大森隆男との試合後、大森の実力を認め握手を求めた。大森も中西を認め握手を交わし、タッグチーム「ワイルド・チャイルド」を結成した。6月24日のディファ有明大会でNWAインターコンチネンタルタッグ王座に挑戦。合体技「ワシントン条約」で勝利、初タッグ結成でいきなり王者となり、2戦目の7月17日札幌月寒大会ではIWGPタッグ暫定王座も奪取。9月20日付けで、蝶野正洋天山広吉組の持つIWGPタッグ王座が剥奪され、同日付けで正式に第49代IWGPタッグ王者となった。しかし、2008年1月1日、ZERO1-MAXの後楽園大会で大森とリング上で大喧嘩し、タッグを解消した。

IWGP王座初戴冠

2009年5月6日、後楽園ホールにおいて、当初予定されてなかった棚橋弘至の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。特大☆中西ジャーマンで棚橋からピンフォールを奪い、第51代王者に就く。これまであと一歩のところで手が届かなかった同王座に、6度目の挑戦で悲願の初戴冠を果たしたことから、実況席で解説の山本小鉄も、人目を憚ることなく涙を流した。6月20日、「DOMINION6.20」にて、前王者である棚橋とリターンマッチを敢行したが、この試合で敗北。IWGP王座から陥落し、短命政権に終わった。

2010年10月に開幕したG1 TAG LEAGUEではストロングマンとのタッグチーム「日墨マッスルオーケストラ」で出場。優勝には至らなかったが、12月のプロレス大賞では、わずか結成二ヶ月という短期間のうちにプロレス大賞最優秀タッグチーム賞を受賞する。

2011年 - 2012年

2011年1月4日、レッスルキングダムVの舞台で、マッスルオーケストラとしてIWGPタッグ王座を保持するBAD INTENTIONSジャイアント・バーナードカール・アンダーソン組)と、もう一組の挑戦者チームであるビアマネー・インクジェームス・ストームロバート・ルード組)を交えた3WAYマッチで対戦。試合はアンダーソンがルードからピンフォールを奪い、王座奪取には至らず。2月20日仙台大会で、再び同タッグ王座に挑戦したが、パートナーのストロングマンがピンフォール負けを喫してしまい、またしても奪還失敗に終わる。

6月4日、タッグマッチにて試合中、井上亘の放ったジャーマン・スープレックスを受けて首からマットに突き刺さり、リング上で動けなくなり、病院へ搬送[1]。検査の結果、「中心性脊髄損傷」と診断され、長期欠場に追い込まれる。10月7日に手術を行なった。12月24日、6ヶ月振りに新日本のリングに上がり、ファンに向けて挨拶を行った。その後、バックステージで坂口征二と共にインタビューを行い、同年のG1出場を焦るあまり、癒えないうちに練習を再開し却って悪化し、療養が長引いていることを打ち明けていた[2]

2012年9月23日、再び新日本のリングに上がり、復帰戦を行うことを発表する[3]。10月8日、両国大会で492日ぶりに復帰。盟友・永田裕志ストロングマンと組み、CHAOS矢野通飯塚高史石井智宏組と対戦。矢野にフォールを喫するも、大きな感動をファンに与えた。その後、復帰戦で敗北を喫したCHAOSの矢野、飯塚と抗争を繰り広げる。

2013年

2013年1月4日、レッスルキングダム7にて、抗争を展開していた矢野・飯塚組に一矢を報いるべく、ストロングマン、MVPとタッグ組み、矢野、飯塚、高橋裕二郎ボブ・サップ組と対戦し、飯塚をアルゼンチンバックブリーカーでギブアップ勝ちを収めて、抗争に終止符を打つ。

その後、4月よりスポット参戦しているNWAに目をつけ、6月9日、再び新日本マットに上陸するNWAを迎え撃つことをアピール。22日、NWA世界ヘビー級王座を保持するロブ・コンウェイに挑戦。試合終盤でNWA社長のブルース・サープによる妨害工作に気を取られ、最後はコンウェイからピンフォール負けを喫した。

2014年

2014年より中西ランド出身の覆面レスラーマスカラ・ドンがデビューする。

得意技

小細工無しのパワーファイトが信条だが、最近ではその体躯から繰り出す迫力ある飛び技など、対戦相手やファンを驚かせる技も使うことが多い。時事ネタを技名に用いて新たな技を使い始めることが多いが、短期間で使われなくなることも多い。

フィニッシュ・ホールド

ファイル:Nakanishi Argentine Backbreaker Rack.JPG
桜庭和志にアルゼンチンバックブリーカーを極める中西
アルゼンチン・バックブリーカー
中西の最も得意とする技で下記のように派生技、バリエーションに富む。また、タッグマッチの際に救出に入った相手パートナーに投げつけることもある。最近では、ジャーマンをフィニッシュとして使うことが多くなったため、この技で終わることが少なくなったが、それでも、フィニッシュとして、絶大な力を発揮する。
派生技
アルゼンチン・ストマック・ブロック
アルゼンチン・バックブリーカーの体勢から上部に放り投げ、自身の立てた膝に相手の腹を打ち据える。
アルゼンチン・バックフリップ
アルゼンチン・バックブリーカーの体勢から後方に倒れ込む。
2段階式アルゼンチン・バックブリーカー
アルゼンチン・バックブリーカーの体勢から上部に放り投げ、自身の立てた膝に相手の腰を打ち据える。
ヘラクレスカッター
ウルティモ・ドラゴンとのタッグ時に開発された技。アルゼンチン・バックブリーカーの体勢から数回振り回して相手の後頭部を叩きつける。いわゆるスピニング・パンケーキと同型。
マナバウアー
アルゼンチン・バックブリーカーから数回振り回してジャーマン・スープレックスを放つ。命名の由来は荒川静香により有名となった、フィギュアスケートの技「イナバウアー」。通常のジャーマン・スープレックスの5倍の威力とのこと。
ジャーマン・スープレックス・ホールド
開発者のカール・ゴッチに直伝されたというアングル(実際にはフロリダのゴッチ宅を訪問して少しアドバイスをもらっただけ)を経て、再度使い始めた。アルゼンチン・バックブリーカーに次ぐフィニッシュ・ホールドである。
高山善廣の同技が"エベレスト"ジャーマンと呼ばれていたことに対し、自ら"富士山"ジャーマンと命名したが、定着しなかった。高山は富士山ジャーマン命名の報をマスコミから聞くと「エベレストより低いじゃん」と一笑に付した。
大☆中西ジャーマン
中西が2008年1月4日に行われた東京ドーム大会でのアビス戦に向けて開発したジャーマンである。右手を天空にかざして技の発動を予告した後、相手の身体をロープに振って、その反動でジャーマン・スープレックスを決める。さらにグロッギーになった相手を通常のジャーマン・スープレックスでフォールする二段構えの技。
特大☆中西ジャーマン
IWGPヘビー級王座に初載冠した際に放った技。リフトアップ・スラムの体勢からトップロープに強引に投げつけ、その跳ね返ってきた反動でジャーマン・スープレックス・ホールドを極める。試合中とっさに出た技で公式サイト内でも「ジャーマン・スープレックス・ホールド」と表記されていたが(リングアナウンサーは大☆中西ジャーマンとコールしていた)、翌日の記者会見で自ら「特大☆中西ジャーマン」と命名。
上からドン!
中西ランドで作った新技でコーナー2段目からの旋回式ブレーンチョップ。2013年4月7日で初披露しYOSHI-HASHIからフォール勝ちを収めている。技の名付け親は高橋広夢。同じくこの技でフォール負けを喫した邪道からは「身長が2cm縮まった」と言わしめた。

打撃技

逆水平チョップ
現在の日本マット界一の使い手の呼び声も高い。非常に説得力のある激しい音が会場に響き渡る。2009年10月12日の蝶野25周年両国大会では、小橋建太と激しいチョップ合戦を繰り広げた。
クロスチョップ
両手を、手のひらを下にした状態で、胸の前でバツの字に重ねて、相手ののどを突く。軽く地獄突きを繰り出した後に手をグルグル回し、タメを作ってこの技を繰り出すことが多い。
野人ハンマー
両手の指を組み、両腕を相手の胸元に叩きつける。中西流のダブルアックスハンドル、他の選手が使うのとの違いは一本足打法で放つ。
一本足野人ハンマー
野球日本代表が第1回WBC優勝後に開発。チームの監督である王貞治の打撃フォームに似せて一本足で野人ハンマーを放つ。カウンターでも使用される。
野人ダンスラリアット
中西の独特のアピールである野人ダンスを行い、立ち上がった相手をラリアットで攻撃する。
マッケンロー
同名のテニス選手のフォームにヒントを得て開発した、膝裏への低空ラリアット。
スピアー

投げ技

カナディアン・バックブリーカー
現在ではほとんど使用していない。
ハイジャック・バックブリーカー
世界三大バックブリーカーと呼ばれる技全てをこの技の使用で網羅したことになるが、ほとんど使用されていない。
パワーボム
時々使用しており、投げ捨て式で投げさる事が多い。
野人ブルドッギング・ヘッドロック
通常はヘッドロックに捉えた後、助走を付けて繰り出すが、中西流は助走を付けず繰り出す。
投げっ放しノーザンライト・スープレックス
主に1990年代頃に使用していた。
ブレーンバスター・スラム
ここからリングを対角線上に走ってジャンピング・ニー・ドロップを仕掛けることが多い。
雪崩式ブレーンバスター
トップロープ上から繰り出すこともあり、リングがバウンドするほどの威力と迫力を持つ。
水車落とし
相手へのカウンターで使用する。雪崩式も稀に使用。

飛び技

フライング・ボディシザーズ・ドロップ
勢いよく相手に飛びついて極める。
ミサイルキック
これも正面飛び式で放つが、超ヘビー級の中西が放つミサイルキックの威力は高い。
ダイビング・ブレーンチョップ
コーナー上でグルグルと腕を回してから放つ。
フロッグ式ヘッドバット
倒れている相手へ蛙飛びでヘッドバットを見舞う技。
ドロップキック
大抵は正面飛び式で放つ。リープ・フロッグで相手を飛び越えてからの一連の流れは「ゴリラのルチャリブレ」と形容された。なおフォームは非常に綺麗で、その場飛びで相手の顔面に直接ヒットできるほどの跳躍力があり、中西の身体能力の高さを表す技として定評がある。
ジャンピング・ニーパット
一時期多用していたが、近年ではほとんど使用されなくなった。
ジャンピング・ニー・ドロップ
ダウンしている相手の頭部めがけて、助走をつけてからジャンピング・ニーを落とす。ブルーザー・ブロディのフォームを意識している。

絞め・関節技

アイアンクロー(ブレーンクロー)
二人同時に掴んだり、そのまま大外刈り(ブキャナンのアイアン・バスターと同型)で相手を倒すこともある。
マフラーホールド
アルゼンチン・バックブリーカーの要領で相手の足を肩に担ぎ極める技。中西がサブミッション系の技を持っていなかったために開発された技。G1公式戦では橋本 真也からギブアップを奪ったこともある。
マムシの生殺し
2007年のG1用に開発した技であり、キャメルクラッチから相手の首を強引に曲げる技。
ベアハッグ
ネックハンギングツリー
荒鷲掴み
対中邑真輔戦において坂口征二と共に開発した通称「ボマイェ返し」。相手を持ち上げ豪快に叩きつけた後に腕ひしぎ逆十字固めを極める。しかし、実際の試合では、まず片手で相手の片足を掴み、もう片方の手で背中当たりを支えてから、強引に持ち上げて、そのまま高いところからフェイスバスターの要領で叩きつけるという技であった。

合体技

ワシントン条約
大森隆男の合体技。大森がアックスボンバー、中西がマッケンローを同時に繰り出す。同タッグではフィニッシュ・ホールドとして使用していた。
京都岐定書
山本尚史の合体技。一本足野人ハンマーと水面蹴りを同時に繰り出す。技名はそれぞれの出身地から。

野人アピール

中西は一部の技に行く前に特定のアピールをすることがある。ただし、それはずっとしているわけでなく、しばらくすると新しいアピールをしだす。

  • 両手の肘から先を振る:スピアーに行く前に両手の肘から先を振り回す。相手が寝転がっているときや片膝状態の時に行う。
  • 両手をばたつかせジャンプ:アルゼンチン・バックブリーカーに行く前に、両手をばたつかせながらジャンプする。
  • 片手を突き上げる:特定の技ということはない。右手を突き上げ、「ホーッ!」と叫ぶ。
  • 地団駄を踏む:ラリアットに行く前に地団駄を踏み、右手を振り回しながら左手で相手を誘うように動かす。
  • 試合後マイクアピールをする際にマイクの音源を確認するために数回マイクを叩いたら観客からそれに合わせて手拍子されたので、地団駄を踏みながらマイクをテンポ良く叩き出す(最初は観客の声援からのアドリブで行なったことだが、現在はマイクアピール前の定番となっている)。
  • また、G-EGGS時代における永田とのタッグ戦では、劣勢の中西の髪(当時はパーマをかけたセミロングヘアー)を永田がコーナー際でもじゃもじゃと掻き中西が復活するというパフォーマンス(通称・野人パワー注入)が見られた。
  • 2010年のG1 CLIMAX XXのリーグ戦でストロングマンとの対決で片手を突き上げ、地団駄を踏んだ後、闘牛の暴れ牛が突進する前に前足で地面を数回ひっかくような動きを行った。この時、観客たちも初めて見る動きだったため、笑い声と拍手で会場が湧いた。

入場テーマ曲

Seize The Tactticz
現在使用中のテーマ曲。
WAR(黒い戦争)(エドウィン・スター
2008年のG1タッグで吉江豊とのタッグチーム「ビックマウンテンズ」の時に使用したテーマ曲。
NO-PROBLEM
1999年 - 2002年まで使用したテーマ曲。
HARD SHUFFLE
1996年 - 1999年まで使用したテーマ曲。
NAVAL GUN
1993年 - 1995年まで使用していたテーマ曲。
Zeptune / Bruce Kulick
新人時代のテーマ曲。1992年 - 1993年まで使用した。

芸能活動

新日本プロレスの選手では、蝶野正洋に次いでメディア出演が多い。蝶野が教養番組等に出ているのに対し、中西は天然ボケキャラとしてバラエティ番組に出演しているのがほとんどである。

  • さんまのSUPERからくりTV』のコーナーの一つである「熱血プロレスラー中西学のお悩み相談バーベキュー相談亭」ではおぎやはぎ駒田健吾アナとともに相談者の相談に乗っているが、結局は解決には至らず中西の珍発言に注目が集まっている。初めの主張とはまったく逆になっていることも少なくない。
  • 上記の『さんまのSUPERからくりTV』の特番で、子供に勇気を与えるためと題して、705kgのキャンピングカーを50m引っ張るギネスブック記録に挑戦。持ち前の怪力をいかんなく発揮し、計測タイムはギネス記録を更新した(成功した際、明石家さんまに「これから兄さんと呼ばせてもらいます、これからは明石家学と名乗ります」と言い、さんまにチョット引かれていた)。
  • 2007年、新垣結衣主演映画「恋するマドリ」にレスラー・サタン護国寺役として出演する。
  • 2007年5月、「美味紳助」(テレビ朝日)で、健啖家と見られる4人の「ある一日のカロリー摂取量」を栄養士同伴で徹底調査するという企画に、フードレポーターの彦摩呂、女子シンクロナイズドスイミング日本代表の原田早穂、大食いタレントの三宅智子らと共に出演。「競争」ではなく、栄養士がいるという以外は極めて普通の日常状態の食事での測定であったが、当初「レスラーは意外と食わんよ」と言っていた島田紳助の予想を覆す約8,500kカロリーを摂取。しかし1位の三宅が約8,600kカロリーとなり、中西は僅差の2位であった。
  • 2010年6月3日放送の「全種類。」での企画「大食いチャレンジ」にて「ステーキハウス・リベラ」で大学時代に挑戦して完食出来なかったチャレンジメニュー30分で500gステーキ&大盛りライスのセットを3セットをみごと完食し、約20年ぶりのリベンジを果たした。
  • テレビ朝日系「シルシルミシル」2010年4月7日放送分のコーナー「すぐ調べる課」に出演。クロマグロを手づかみで捕らえるという企画に挑戦するも、カナヅチであることが判明した。同番組では、2011年2月23日放送分の鳥貴族特集においても、焼き鳥食べ放題に天山ら新日本プロレス所属選手と挑み、酔ってテーブルにストローを並べる奇行を見せるなど、たびたび出演している。
  • 2010年NHK大河ドラマ龍馬伝』で当時の力士である彦右衛門役を演じる。
  • 2012年TBSATARU』CASE5で本人役で出演する(2013年公開の劇場版にも登場)。また同じ木村ひさし監督作である「警部補 矢部謙三」第1シリーズepisode1において「中西学」役で登場している。
  • 2013年テレ朝動画にて冠番組「人類プロレスラー計画『中西ランド』」が配信開始。2014年7月18日には初の監督、脚本作「中西ランド・ザ・ムービー ~大江戸プロレスラー計画~ 」(主演・棚橋弘至)をDVD2枚組で発売。
  • 2014年「金田一少年の事件簿N(neo)」(日テレ)に体育教師役で出演。

その他

  • 同時期にデビューした選手(永田裕志天山広吉小島聡など)は「第三世代」(第一世代=藤波、長州力など、第二世代=闘魂三銃士佐々木健介など)と呼ばれる。そのため、デビューの遅かった中西は健介と同年齢ながら第三世代扱いとなった。
  • 同期のケンドー・カシンが一時期、メディアの取材に聞かれてもいない中西の悪口を言ったり、勝手に「カシン対中西」戦をアピールするなどして中西を弄ってきたが、これは中西本人の述懐によると「新日本プロレスに入門したばかりの頃、雑用をしなければいけない日に遅刻して(中西はレスリングオリンピック出場者として特待生扱いを受けており、寮生活ではなかった)、生真面目な石澤(カシン)が激怒した」ことに端を発するという。
  • 大一番の前には対戦相手に「小細工はいらない」と言うことが多いが、中西本人は前述の通り新技開発を好む。
  • WCWでクロサワを名乗っていた頃、試合中のアクシデントで対戦相手のホーク・ウォリアーの腕を折ってしまい、しばらく試合を干されたことがある(もっとも、ホークはアクシデントと言うことで特に怒ってもいなかった上、『ホーク・ウォリアーの腕を折った男』という肩書きも出来たので、当時は結果的にはプラスになったと思われる)。
  • メガネをかけてインテリギミックを使おうとしたことがあるが、すぐやめてしまった。
  • 体育科の教員免許を持っており上述の通り元公務員でもある。
  • 元夫人は、元プロ野球選手近藤昭仁の次女で元女優近藤典子
  • 在京団体では数少ない関西弁で喋るレスラー(当時、メジャー団体では大相撲の慣例にならい方言禁止の風習があった)だったが、2002年にカール・ゴッチ宅を訪問してからはたどたどしい標準語を話すようになった(対照的に同じ第三世代で同郷の天山広吉は以前より関西弁を話す機会が増えた)。現在は元の関西弁に戻りつつあるようである(前田日明金本浩二はそれ以前に関西弁で喋ってはいた)。
  • デビュー時は元アマレス五輪代表という肩書きもあり、アマレスタイツにヘッドギアという出で立ちであったが、ブルパワーズ時代の白いアマレスタイツ、白ショートタイツを経て、1998年頃からはいわゆるストロングスタイルコスチューム(黒ショートタイツ、サポーターなし)を一貫して使用している。
  • 2003年3月に「中西政権が始まるぞ」と試合後コメントしたが、長い間実現しなかった。これに関しては当時新日本の社長だった藤波も「中西は会社がプッシュしてあげようとした時にいつも波に乗れない」と雑誌のインタビューに答えていた。しかし、2009年5月に王者に就き、初の政権が誕生した。
  • 実家は京都では有名な茶農家である。
  • レスリングの技術はかなりのものであるはずが、同年代であり同じくレスリング経験のある永田の妬みにより、野獣キャラを押しつけられることとなり、得意のレスリングのうまさをアピールすることはできなくなってしまった。
  • 専修大学時代、寮で洋物のアダルトビデオを見つつ「オーイェー!!」などと叫びながら何やらやっていたところを後輩で寮の同室だった秋山準に何度か目撃されている。なお、お互いがプロになってから2009年現在で二度対戦しており、どちらも秋山が勝利している。
  • 新日本プロレスのエンターテインメント系興行「WRESTLE LAND」ではそのキャラクターを余すところ無く発揮し、ファンに受け入れられている。後楽園ホールにて行われた「WRESTLE LAND 9th」では時間無制限1本勝負“権力の象徴”争奪3WAYラダーマッチ『棚橋弘至 vs TARU vs 中西学』に勝利し、ナカニシ・ランド開催の権利を得た。なお、権力の象徴とは、天井から吊るされた白の捻りハチマキ
  • 趣味はデビュー時から、現在に至るまで「食べ歩き」。ちなみに、好物は毎年変わっている(週刊プロレス選手名鑑より)。巡業先のホテルでは朝食ブッフェを大量に、ゆっくり時間をかけて食べることがしばしば話題となる。
  • 2007年7月、週刊プロレスの記事によると、身体から脂肪を省いた除脂肪量が99.5kgであり、いまだ筋肉を増やし続けている。
  • 最近はワールドプロレスリングの実況で「ゴリラ」と呼ばれている。特に吉野アナには「霊長類最後のゴリラ」「進化を忘れた類人猿」「ゴリラはやっぱり空を飛べるんですっ!!」とゴリラネタを多数叫ばれている。ほかにもアルゼンチン・バックブリーカーを繰り出したとき、ミサイルキックを繰り出したときなどにお決まりのゴリラネタを叫ばれることが多い。『中西ランド』に吉野アナがゲスト出演した際に中西と3本勝負を行い、吉野アナが勝ったためゴリラネタが公認された。
  • 現在は、横浜市鶴見区に在住。その縁から、鶴見区区制80周年記念事業に出席した。

獲得タイトル

新日本プロレス
ZERO1
プロレス大賞
  • 2010年度最優秀タッグチーム賞(w / ストロングマン)

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 中西 試合で頸椎損傷…全治までの期間は不明 - スポニチ Sponichi Annex 格闘技 2011年6月5日
  2. 中西学が登場!復帰に向けてファンに挨拶! - 新日本プロレス公式ウェブサイト
  3. 中西学が待望の復活!10月8日両国で復帰戦! - 新日本プロレス公式ウェブサイト