中井浩

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中井 浩(なかい ひろし、1927年1月23日 - 1992年2月19日)は日本情報科学者図書館学者今猿人(こんさると)の筆名もある。美学者国立国会図書館初代副館長の中井正一の長男。

経歴

名古屋大学理学部卒。理論物理学素粒子論)を専攻。広島大学理論物理学研究所助手を経て、副館長をしていた父・正一の逝去の翌年から、国立国会図書館に勤める。
工業技術院科学技術庁に出向。高度経済成長を支えた多くの技術移転にかかわった。
日本科学技術情報センター(現、科学技術振興機構)の設立に参加。日本の情報検索データベース分野の草分けとなる。同センター監事。
東京大学教育学部慶應義塾大学文学部産業能率短期大学(現、産業能率大学)講師(兼任)。常磐大学人間科学部教授。

1992年2月19日、肝細胞癌により逝去。

略歴

  • 1927年1月23日、京都府で誕生。
  • 1947年、宮崎県立工業専門学校(現宮崎大学工学部)を卒業。
  • 1951年、名古屋大学理学部物理学科を卒業。広島大学理論物理学研究所助手に就任。
  • 1953年、国立国会図書館一般考査部に勤務。
  • 1954年、国立国会図書館司書に就任。工業技術院調査部に出向。
  • 1956年、科学技術庁調査普及局に出向。
  • 1957年、日本科学技術情報センターに出向。
  • 1983年、日本科学技術情報センター監事に就任。
  • 1985年、常磐大学人間科学部教授に就任。
  • 1992年2月19日、肝細胞癌により逝去。

業績

中井が国会図書館から工業技術院に出向した当時、日本は戦後復興から高度経済成長への転換期を迎えていた。工業界、科学技術界はすでに戦前の水準まで復興していたが、さらなる成長のためには海外からの技術移転が不可欠であった。中井は土木工学レーザー技術をはじめ多くの最新技術の導入、普及にかかわった。

技術移転を成功させるため、知識や情報の体系的な蓄積と提供が強く望まれるようになり、当時、一般利用が始まっていたコンピュータを用いた科学技術情報の情報検索サービスの構築が計画され、その母体となる日本科学技術情報センター(JICST)が設立された。中井はその設立メンバーとなり、システム構築に必要なデータベース技術を得るため単身米国に派遣され調査、導入にあたった(渡米中の激務と心労から中井は急性胃潰瘍から胃穿孔・大出血を起こし緊急手術を受けている。この時の輸血から肝炎ウィルスに感染し、後年の肝細胞癌の原因となった)。中井らの努力は1976年、日本初の本格的な科学技術情報検索サービスJOIS(JICST Online Information System)として結実した。

日本規格協会規格情報管理委員会委員長をはじめ、通商産業省産業構造審議会データベース振興協会日本電子工業振興協会日本情報科学技術協会などで要職を務めた。

学術面での業績は、データベース、情報検索、通信系に関する基礎的研究、意味分析知識構造の記述法研究、自然言語解析、図書館における資料の主題分析と抄録標準化の研究、オペレーションズ・リサーチ思考工学テクニカル・コンサルテーションに関する著作など多岐にわたる。また、情報政策情報社会論に関する先駆的な業績もある。

勲四等瑞宝章受章。

著書

  • 思考工学入門(ダイヤモンド社、1964年)
  • コンピュータ経営(河出書房、1968年、共著)
  • 情報検索システム(日本経営出版会、1971年、共著)
  • 論理と情報の世界(ダイヤモンド社、1970年、共著)
  • 中井正一 論理とその実践(てんびん社、1972年、編著)
  • コミュニケーションの構造(ダイヤモンド社、1974年)