与那国町

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最西端之地碑の裏側

与那国町(よなぐにちょう)は、沖縄県八重山郡与那国島の全部からなる。日本最西端の市町村であり、カジキ釣りやダイビングスポットとして知られている。島の南側には石でできた不明な人工物が遺跡として残っているが、特に近年では海底にも神殿のような人工建造物と思われる巨石群(与那国島海底地形)が発見され、海底遺跡の可能性があるとして注目を集めている。与那国方言(与那国語)という特殊な方言が話されている。

高校未設置が元凶となり、進学者の流出、同時にその家族も流出するなどの過疎化が起きており、近年は人口減対策への取り組みとして、台湾との直接交易推進に依る活性化案を模索している[1]

台湾花蓮市姉妹都市の関係を締結しており、2007年5月29日、花蓮市にて与那国町役場在花蓮事務所が開設された。日本の市町村では初の、単独による国外事務所設立の事例となった。

地勢

  • 日本最西端の地にあり、石垣島台湾島との中間点にある。島の西端の西崎(いりざき)には「日本最西端の地」の碑がある。
  • 台湾花蓮市との距離は111キロメートルで石垣島(118キロメートル)よりも近い。
  • 島の西側1/3は長いあいだ日本の防空識別圏飛行情報区に組み込まれず、台湾の防空識別圏・飛行情報区であった。詳しくは、与那国空港の項目を参照のこと。

人口

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特筆すべき動物

  • 与那国馬 - 日本に8種残る在来馬のひとつで、日本最小の馬。与那国島でしか見られない。
  • ヨナグニサン - 世界最大の蛾。日本では、八重山・与那国にのみ分布。

歴史

現在、確認されるもっとも古い遺跡は縄文時代にあたる時期のトゥグル浜遺跡である。南方系の石器が見つかることから、ポリネシア文明圏や東南アジアの影響を受けた文化が存在したと考えられる。

その後、与那国の歴史は判然としないが、グスク時代には台地上に集落が形成される。島仲村跡遺跡がその一つで、サンアイ・イソバの生まれた村として知られる。

琉球王国時代より台湾との交易拠点であったが、特に台湾が日本統治時代に入ると、中継拠点として栄える。第二次世界大戦後に琉球列島米国民政府の支配下となった直後は、台湾との間に国境が発生し、台湾からの帰還者対策事業の増大等があり、1947年には人口は1万2000人に増加し、その後村から町へ昇格。しかしながら公式定期航路が閉じられたこと、その後の非公式交易(密貿易)の取り締りが強化されたことにより、その後人口が激減した[2]。近年は辺境に依る衰退からの脱却を念頭に、台湾との直接地域交流を目指している。詳しくは台湾花蓮市交流事業歴史を参照。

平成の大合併に関しては、当初石垣市など周辺市町村との合併も検討したが、最終的には自主独立を選択した。

  • 年表
    • 1522年、琉球軍の侵攻を受け、以降琉球王国領となる。
    • 1609年、薩摩藩が琉球王国に侵攻、琉球王国領ではあるが、薩摩藩、中国からの3重の支配下に置かれる。
    • 1872年、琉球王国が廃止され、代わりに琉球藩が設置され、藩領に属す。(明治4年)
    • 1879年、琉球藩が廃止され、沖縄県に属す。
    • 1908年島嶼町村制により間切制が廃止され、石垣間切・大浜間切・宮良間切の3間切が与那国島と併せて八重山村が成立する。
    • 1914年、八重山一円を領域としていた八重山村が分村し、与那国村が成立する。
    • 1948年、町制に移行し、与那国町が成立する。

台湾花蓮市交流事業歴史

河川

行政

交通

空港

与那国空港
ファイル:Ferry-yonakuni,JAPAN.jpg
フェリーよなくに
ファイル:Sonai yonaguni.jpg
祖内集落と祖内港

港湾

久部良港
祖内港

道路

路線バス

地域

教育

島内に高校はないため、中学校を卒業した生徒は全員が沖縄本島や石垣島の高校へ進学し、高校進学率は100%である[3]

町内にある小中学校は、全て公立学校(町立)である。

  • 与那国小学校
  • 久部良小学校
  • 比川小学校
  • 与那国中学校
  • 久部良中学校 - 日本最西端の学校。

名所・旧跡

情報・通信

日本郵政グループ

町内の郵便番号は「907-18xx」である。

  • 与那国郵便局(与那国)
    土曜も郵便窓口の業務が行われている。また、局内設置のゆうちょ銀行ATMはホリデーサービスを実施している(2013年10月時点)。
  • 与那国郵便局久部良(くぶら)分室(与那国) - 日本最西端の郵便局。

放送

中継局周波数一覧

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テレビ(単位はch)
所在地
リモコンキーID
総合
(1)
教育
(2)
RBC
(3)
OTV
(8)
QAB
(5)
与那国(出力1W) 36 45 17 35 47
内道(出力10mW) 19 18 20 21 22
ラジオ(周波数単位はMHz)
所在地 NHK1 NHK2 NHKFM RBCi ROK
与那国(出力10W) 83.5 80.3 85.8 84.7 79.5

警察・海上保安庁・自衛隊

沖縄県警八重山警察署石垣市)の駐在所が二つ置かれている。警察官は合計2名である。

  • 与那国駐在所(与那国町字与那国4022)
  • 久部良駐在所(与那国町字与那国4841)

第十一管区海上保安本部石垣保安部与那国駐在所が置かれている。

  • 与那国駐在所(与那国町字与那国999-1)

自衛隊の施設は存在しない。先島諸島は防衛上の空白域となっており、防衛省では100人規模の陸上自衛隊沿岸監視部隊航空自衛隊の移動警戒レーダー部隊を与那国島に設置する方針を固めている。このほかに初動担任部隊が宮古島石垣島などに配置される予定である。防衛上の必要性の他に経済振興にもなるとして以前から自衛隊誘致を行ってきた町長が賛成する一方で、反対派の住民は与那国改革会議を結成して反対運動を展開している。[4]

2013年3月17日、防衛省は与那国町に対し島内にある南牧場の20ヘクタールを年間500万円の借地料を提示して交渉していることが判明する。これに対し町側は年間1,200万円と迷惑料など10億円を要求し、交渉は難航する。防衛省側は提示した借地料で義務教育関連と出産費用の補助ができると見積もっているが、与那国町側は自衛隊誘致による経済効果を挙げており、町民の理解を得るために上積みした模様。防衛省は現況調査、敷地造成、移転補償費などが含まれた用地取得費10億円を計上している。取得予定用地は南牧場20ヘクタールを含む約26ヘクタールあるとされる。住民説明会で2012年度で用地取得し工事を開始、2015年度までに部隊配置を完了するとしていた[5]

2014年3月31日、国と与那国町との間で町有地の賃貸借契約が正式に結ばれた。2014年4月19日には、沿岸監視部隊配備のための駐屯地着工式典が行われ、完成は2015年度末を目指しており、沿岸監視部隊と後方支援部隊を併せ150名程度が配備される。[6]

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脚注

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外部リンク

テンプレート:Sister

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  1. 「構造改革特区に関する提案」 沖縄県与那国町 2006年10月30日
  2. テンプレート:PDFlink
  3. 『日本の島ガイド SHIMADAS(シマダス)』財団法人日本離島センター 2004年
  4. 与那国町長「大歓迎」 反対住民は大会検討、沖縄タイムス、2011年5月13日
  5. 琉球新報 国、賃借料年500万円 与那国自衛隊用地 2013年3月18日
  6. 読売新聞 与那国島の陸自配備、町有地を賃貸借契約2014年4月1日