下市口駅

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テンプレート:駅情報

ファイル:Shimoichiguchi stn 2.jpg
駅東方の踏切から構内を望む
ファイル:Kintetsu16000 Shimoichiguchi.jpg
停車中の16000系(2002年2月)

下市口駅(しもいちぐちえき)は、奈良県吉野郡大淀町下渕にある、近畿日本鉄道(近鉄)吉野線

駅名は吉野川(紀の川)を挟んだ下市町に由来する(詳しくは後述した#駅名由来を参照)。大淀町、下市町はもとより、その南に位置する黒滝村天川村へのバスが発着し、公共交通機関における、黒滝・天川村への玄関口ともなっている。

駅構造

島式・単式の複合型2面3線の行違可能な地平駅。ホーム有効長は4両長。駅舎は南側(上り用の単式3番ホーム側)にあり、島式の下りホーム(1・2番ホーム)とは構内踏切で連絡している。便所は改札内および駅前に公衆便所がある。

自動改札機はなく、PiTaPaICOCAは専用の簡易改札機による対応である。

駅長が置かれ、吉野口駅 - 吉野駅間の各駅を管理している[1]

のりば

1・2 テンプレート:Color吉野線(下り) 吉野方面
3 テンプレート:Color吉野線(上り) 橿原神宮前大阪阿部野橋方面

下り本線は2番線、上り本線は3番線である。待避線である1番線は滅多に使われていない。2010年3月19日ダイヤ変更より当駅始終着の定期列車が平日に1本あったが、2011年3月16日のダイヤ変更で廃止された。また、下市口駅 - 吉野駅間で保守点検による運休時には、当駅発着で運転される。この際、橿原方面から来た電車は1番線または2番線に入り降車を行ったあと一旦、橿原方面にバックで戻り、3番線に改めて入ってから乗車を行う。

利用状況

  • 主として通学・通勤用に利用される。
  • 下市口駅の利用状況の変遷は下表の通り。
    • 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す[2]。年度間の比較に適したデータである。
    • 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
      • 2012年11月13日の調査結果によると、1日の乗降人員は3,177人[3]
      • 2010年11月9日の調査結果によると、1日の乗降人員は3,203人[4]
        • 近鉄の全調査対象駅(287駅)中、153位。
        • 南大阪線・吉野線の駅(43駅、他線接続駅含む)の中では、20位。
        • 奈良県内の近鉄の駅(93駅)の中では、49位。
      • 2008年11月18日の調査結果では、1日の乗降人員は3,493人。2005年11月8日の調査では3,989人。
    • 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

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年 度 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 乗降人員調査結果
人/日
特 記 事 項
通勤定期 通学定期 定期外 合 計 調査日 調査結果
1954年(昭和29年) 493,140 ←←←← 486,543 979,983      
1955年(昭和30年) 515,640 ←←←← 497,604 1,013,244      
1956年(昭和31年) 561,180 ←←←← 488,755 1,049,935      
1957年(昭和32年) 611,700 ←←←← 526,134 1,137,834      
1958年(昭和33年) 641,340 ←←←← 550,938 1,192,278      
1959年(昭和34年) 666,330 ←←←← 528,851 1,195,181      
1960年(昭和35年) 761,760 ←←←← 557,212 1,318,972      
1961年(昭和36年) 789,600 ←←←← 575,088 1,364,688      
1962年(昭和37年) 879,000 ←←←← 609,343 1,488,343      
1963年(昭和38年) 924,120 ←←←← 570,414 1,494,534      
1964年(昭和39年) 1,022,940 ←←←← 596,903 1,619,843      
1965年(昭和40年) 954,030 ←←←← 553,176 1,507,206      
1966年(昭和41年) 1,160,730 ←←←← 519,078 1,679,808      
1967年(昭和42年) 1,119,840 ←←←← 510,141 1,629,981      
1968年(昭和43年) 1,096,830 ←←←← 454,995 1,551,825      
1969年(昭和44年) 1,061,850 ←←←← 465,325 1,527,175      
1970年(昭和45年) 1,029,390 ←←←← 451,836 1,481,226      
1971年(昭和46年) 972,690 ←←←← 433,202 1,405,892      
1972年(昭和47年) 960,090 ←←←← 435,039 1,395,129      
1973年(昭和48年) 963,540 ←←←← 475,692 1,439,232      
1974年(昭和49年) 1,014,840 ←←←← 499,279 1,514,119      
1975年(昭和50年) 999,360 ←←←← 506,878 1,508,238      
1976年(昭和51年) 977,940 ←←←← 490,281 1,468,221      
1977年(昭和52年) 932,880 ←←←← 494,503 1,427,383      
1978年(昭和53年) 967,590 ←←←← 492,646 1,460,236      
1979年(昭和54年) 982,500 ←←←← 488,712 1,471,212      
1980年(昭和55年) 976,170 ←←←← 485,290 1,461,460      
1981年(昭和56年) 963,360 ←←←← 466,732 1,430,092      
1982年(昭和57年) 921,990 ←←←← 450,531 1,372,521 11月16日 6,568  
1983年(昭和58年) 919,800 ←←←← 458,248 1,378,048 11月8日 6,586  
1984年(昭和59年) 900,900 ←←←← 427,514 1,328,414 11月6日 6,864  
1985年(昭和60年) 893,730 ←←←← 410,603 1,304,333 11月12日 6,295  
1986年(昭和61年) 890,100 ←←←← 407,408 1,297,508 11月11日 6,035  
1987年(昭和62年) 900,480 ←←←← 387,154 1,287,634 11月10日 5,884  
1988年(昭和63年) 871,230 ←←←← 372,720 1,243,950 11月8日 5,619  
1989年(平成元年) 859,500 ←←←← 384,815 1,244,315 11月14日 6,005  
1990年(平成2年) 847,590 ←←←← 379,661 1,227,251 11月6日 6,050  
1991年(平成3年) 852,990 ←←←← 383,129 1,236,119      
1992年(平成4年) 818,820 ←←←← 368,542 1,187,362 11月10日 5,524  
1993年(平成5年) 809,370 ←←←← 365,121 1,174,491      
1994年(平成6年) 807,810 ←←←← 356,765 1,164,575      
1995年(平成7年) 777,510 ←←←← 339,060 1,116,570 12月5日 4,897  
1996年(平成8年) 733,680 ←←←← 325,437 1,059,117      
1997年(平成9年) 694,050 ←←←← 304,180 998,230      
1998年(平成10年) 701,760 ←←←← 288,538 990,298      
1999年(平成11年) 677,670 ←←←← 280,511 958,181      
2000年(平成12年) 677,310 ←←←← 266,689 943,999      
2001年(平成13年) 645,540 ←←←← 259,936 905,476      
2002年(平成14年) 627,600 ←←←← 242,941 870,541      
2003年(平成15年) 612,180 ←←←← 229,268 841,448      
2004年(平成16年) 608,760 ←←←← 209,369 818,129      
2005年(平成17年) 598,500 ←←←← 199,079 797,579 11月8日 3,989  
2006年(平成18年) 587,010 ←←←← 182,316 769,326      
2007年(平成19年) 582,450 ←←←← 176,923 759,373      
2008年(平成20年) 561,090 ←←←← 173,064 734,154 11月18日 3,493  
2009年(平成21年) 535,110 ←←←← 159,730 694,840      
2010年(平成22年) 518,280 ←←←← 155,037 673,317 11月9日 3,203  
2011年(平成23年) 521,730 ←←←← 148,273 670,003      
2012年(平成24年)   ←←←←     11月13日 3,177  

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駅周辺

駅前

周辺

バス

最寄停留所は、駅前および駅前を通る道路を挟んだ反対側にある下市口駅となる。以下の路線が乗り入れ奈良交通により運行されている。

  • 駅前乗り場
    • [急行]:洞川温泉行
    • [2]:洞川温泉
    • [7]:中庵住行
    • [4]:笠木行

歴史

駅名由来

駅名は吉野川(紀の川)をはさんで南の対岸に位置する下市町に由来する。下市は古くから奥吉野への入口として商業が発達しており、吉野における商業の中心地でもあった。現在、当駅と下市町とを結ぶ千石橋は、江戸時代から木造の橋が架けられ、一日千石ともいわれる物資が行き交っていた(千石橋の由来)。明治時代には堅牢なトラス鉄橋が架けられていた。一方で、当駅のある大淀町は当時は村で、鉄道が通るまで農業が主体であった。駅が開設されると当駅から千石橋にかけて、今の下渕商店街が形成され大いに賑わい、下市をも凌ぐようになった。その後、林業の衰退などで下市町の人口が減少の一途を辿ったのに対して、大淀町内では住宅開発が行われ人口が増加し、今日では大淀町の方が規模が大きくなっている。一方で、下渕商店街は、自動車の普及と、また大型店舗が大淀町内でも駅より離れた場所に作られるなどして衰退している。なお、今のところ駅名変更の運動などはない。

隣の駅

近畿日本鉄道
吉野線
テンプレート:Color急行・テンプレート:Color準急・テンプレート:Color普通
大阿太駅 - 下市口駅 - 越部駅

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 『HAND BOOK 2010』、近畿日本鉄道総合企画部編、2010年9月
  2. 奈良県統計年鑑
  3. 近畿日本鉄道 駅別乗降人員
  4. 近畿日本鉄道 駅別乗降人員

関連項目

外部リンク

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