上泉雄一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 アナウンサー 上泉 雄一(うわいずみ ゆういち、1969年2月9日 - )は、毎日放送(MBS)アナウンスセンター所属のアナウンサー(役職はアナウンス副部長)。愛称『うわちゃん』。JNNJRN系列局の優秀なアナウンサーに贈られるアノンシスト賞で、2008年度のグランダ・プレミオ(大賞)を受賞。

来歴

兵庫県尼崎市生まれの宝塚市育ち。[1]兵庫県立宝塚西高等学校から早稲田大学教育学部へ進学。卒業後の1992年に、アナウンサーとしてMBSへ入社。同期には、武川智美(アナウンサー)や新堂裕彦(後述、テレビ・ラジオ番組のプロデューサー)、井口岳洋(東京支社制作副部長・テレビ番組のプロデューサー)など。

入社後は、アナウンサーとして『あどりぶランド』、『おかえりワイド』、『ちちんぷいぷい』、『せやねん!』など、多数の番組に司会やリポーターで出演している。

『ちちんぷいぷい』では、主に金曜中継のリポーターとして出演(後述)。2004年4月に、『あん!』(MBSローカルの情報番組)のメインパーソナリティに起用された。これが、自身初の単独司会番組である。番組編成上の事情[2]で『あん!』が終了した2005年4月以降は、平日14時台に始まった『っちゅ〜ねん!』で総合司会を務めた。

2006年10月以降は、『ちちんぷいぷい』、『せやねん!』などに出演しながら、ラジオでナイターオフ期間限定の生放送番組『上泉雄一の発信!UWAらじお』でパーソナリティを担当。2009年の春まで、3期にわたって、ナイターオフの平日夜間に冠番組を続けた(後述)。

2009年の4月からは、前述の『せやねん!』に加えて、ラジオの帯番組『上泉雄一のええなぁ!』でメインパーソナリティを担当。週に6日、生放送番組にレギュラーで出演している。[3]2012年10月1日から2013年3月15日までは、『プリプリ』(MBSテレビで平日の10時台に生放送中の帯番組)に「けさのニュース 知っときまSHOW」(同年11月から「朝刊!記事からぼたもち」に改称)のナビゲーターとして出演してから、『上泉雄一のええなぁ!』の生放送へ臨んでいた。

2010年7月には、MBSの「地デジキャプテン」に任命。同社の番組やラジオCMを通じて、視聴者に地上デジタル放送切り替えへの準備を呼び掛けている。また、同年8月31日~9月1日にラジオで放送された開局60周年記念番組『31.5時間(サイコー)ラジオ MBS史上最大のラジオ祭り』では、総合司会として31時間30分にのぼる生放送を取り仕切った。2011年にも、9月2日~3日に生放送の開局60周年記念番組『31.5時間ラジオ ラジオの力(ちから)!~対話が日本を元気にする!~』で総合司会を務めている。

スポーツ取材

入社から数年間は、スポーツ中継の実況やリポートも担当。テレビ・ラジオを通じて、プロ野球阪神タイガース大阪近鉄バファローズオリックス・ブルーウェーブの公式戦)、選抜高等学校野球大会全国高等学校ラグビーフットボール大会アメリカン・フットボールプロボクシングなどの中継に出演していた。[4]。オリックス・ブルーウェーブ担当として、パシフィック・リーグでの優勝(1995年)、1996年の日本シリーズ制覇、当時同球団で頭角を表していたイチローなどを取材したこともある。[5]

スポーツ中継の担当から離れた現在でも、『ちちんぷいぷい』、『せやねん!』やラジオの生放送番組向けに、不定期でスポーツ関連の取材・中継に出ることがある。

  • 2006年6月には、2006 FIFAワールドカップサッカー日本代表の観戦取材でドイツに滞在[6]。日本代表の全試合(グループ Fの3試合)を観戦するとともに、FOMAを使って、『ちちんぷいぷい』向けに連日中継リポートを送っていた(後述)。
  • 2007年には、4月から半年間、ラジオで『上泉雄一の日曜スポーツ宣言!』のパーソナリティを担当していた。さらに、8月下旬から9月上旬にかけて、当時MBSの野球解説者だった八木裕とアメリカ合衆国の野球事情を幅広く取材。同国の独立リーグに属する球団で、日本の元プロ野球選手(岡本晃など)が在籍していたナシュア・プライドを訪れたほか、松井稼頭央への単独インタビューなどを敢行した。この取材の模様は、『せやねん!』の特別番組として、帰国後にMBSテレビで放送されている。
  • 2008年の北京オリンピックでは、取材・中継リポーターとして、開会式前日(8月7日)から閉会式(同月25日)まで現地に滞在[7]。男子・女子両マラソンでは、全国向けのラジオ実況中継において、中間地点のリポーターを務めた。
    • マラソン実況での中継リポーターは、NHK・在京民放各局からジャパンコンソーシアム(JC)に参加していたスポーツアナウンサーが、他競技の中継との兼ね合いで不足したことによる起用であった[8]
全国ネット番組への出演

「ちちんぷいぷい」での活動

  • 1999年から2004年3月まで、金曜中継のリポーターを担当。2006年4月10日の放送で同番組へ復帰してから[10]、1年間金曜日のパーソナリティ(総合司会)などを務めた。[11]さらに、2008年の4月から半年間、隔週出演の形で金曜中継のリポーターに復帰した。同年10月以降も、出演番組や「MBSラジオ スペシャルウィーク」(聴取率調査週間に設定されるリスナー感謝週間)のPRを兼ねて、ゲストやリポーターとして不定期で出演している。
  • 同番組の金曜中継では、2000年頃から、近畿地方各地の滝を目指して山登りに挑戦。「山登り中継」シリーズとして番組の名物になる[12]
  • 山登り中継は2004年以降、対象を近畿地方以外にも拡大。上泉が同番組にレギュラーで出演しなかった時期にも、オーサカキングなどと連動したシリーズや、上泉が担当する新番組の成功祈願企画などの形で続けられた。
    • この中継でのリポートを評価された上泉は、2001年度のアノンシスト賞でテレビ「フリートーク」部門の優秀賞を受賞。2004年度には、禅林寺 (京都市)からの生中継(2003年11月7日放送分)で最優秀賞を授与された。
    • レギュラーではなかった2007年には、オーサカキング期間中に放送された『ちちんぷいぷい夏休み 西から南からアツアツオーサカキングSP』で、西日本各地からの名瀑中継を担当。8月1日放送の犬飼の滝(鹿児島県霧島市)からの生中継が評価されて、2008年度のアノンシスト賞でグランダ・プレミオ(大賞)を受賞した。[13]
    • MBSテレビ発で2009年4月から1年間放送された全国ネット番組『バンバンバン』では、この中継のノウハウを継承。開始当初は、上泉が過去に訪れた滝を中継地に選んでいた。ただし上泉は、同番組の放送1時間半前まで『上泉雄一のええなぁ!』の生放送を担当しているため、事前番組『祝!バンバンバン来週開幕 こんな中継してきましたSP』(2009年3月27日、MBSテレビ発TBS系列11社ネット、14:00~14:55に生放送)以外出演していない。
  • 上泉は、山登り中継がシリーズとして放送され始めた頃から、中継に備えてスポーツジムで体力の増強に励んできた[14]。『上泉雄一のええなぁ!』の開始を機に、『ちちんぷいぷい』の中継担当を退いたものの、現在でも毎日放送のテレビ・ラジオ番組で実況を披露することがある。
    • 2011年からは、毎日放送代表で大阪マラソンに出場。フルマラソンを走りながら、テレビ・ラジオ・インターネット中継に向けて沿道の模様を実況している。
      • 人生初のフルマラソンになった第1回大阪マラソン(2011年10月30日開催)では、『日曜出勤生ラジオ』(MBSラジオ)向けに随時実況しながら、4時間30分13秒で完走した。
      • 2012年第2回大阪マラソン(同年11月25日開催)では、「上泉雄一の42.195kmつぶやきマラソン」という企画で、フルマラソンを走りながら35km地点付近まで実況。MBSラジオでは、公式サイト内の特設ページを通じてその音声をリアルタイムで配信したほか、『日曜出勤生ラジオ』でも一部を放送した。さらに、上記の中継を終えてからも、MBSテレビで放送の特別番組『eo光スポーツスペシャル 大阪マラソン2012』でトミーズ雅に密着しながら実況を継続。4時間56分01秒というタイムで、2年連続の完走を果たした[15]。ちなみに翌日(11月26日月曜日)には、午前中からレギュラーの生放送(『プリプリ』『上泉雄一のええなぁ!』)へ出演している。
      • 2013年の第3回大阪マラソンには、『せやねん!』のレギュラー出演者から唯一参加。フルマラソン中に『日曜出勤生ラジオ』向けの実況や、小型カメラによるUstream向けの動画中継を実施した関係で、放送・配信用機材の入ったリュックサックを背負いながら5時間6分35秒で3年連続の完走を果たした[16]
    • 毎日放送本社屋(M館)の北隣に完成した新館(B館)が本格的に運用を開始した2014年4月4日には、『ちちんぷいぷい』がベースの特別番組『茶屋町 春の4まつり』で、ヘリコプターからの空撮による生中継の実況を担当した。『ちちんぷいぷい』の中継担当を退いてから、テレビの生放送番組で実況を披露したのは、この番組が初めてである。
  • 前述の活躍にも拘らず2011年10月から『ちちんぷいぷい』の司会が西靖に変わった時には流石に嫉妬していた。(『痛快!明石家電視台』MBSアナウンサー大集合SPより)

ラジオパーソナリティとしての活動

  • 1997年10月~99年9月に放送された深夜番組『ヤンタン MUSIC MAX』で、aikoとともに火曜日のパーソナリティを務めた。[17]
    • aikoは、当番組の放送終了後も、アルバムの発売時などに上泉の出演番組へメッセージを寄せている。2009年3月8日の『MBSサンデースペシャル』で放送された特別番組『MUSIC EDGE aikoスペシャル』では、久々に上泉とのスタジオ共演を果たした。『31.5時間ラジオ ラジオの力(ちから)!~対話が日本を元気にする!~』(前述)でも、一部のパートにおいて、『ヤンタン MUSIC MAX』終了以来12年振りに生放送でaikoと対談している。
  • 2006年のナイターオフシーズンには、テレビ・ラジオを通じて、入社以来初めての冠番組『上泉雄一の発信!UWAらじお』を担当。
    • 2007年のナイターオフシーズンは、『MBSどっと!アナ』の火・金曜日として、『上泉雄一のUWAらじお シーズン2』を担当。当番組までは、『ヤンタン MUSIC MAX』にも参加していたバーバラよねが、ディレクターや金曜日のコーナー進行などを務めた。
    • 2008年のナイターオフシーズンは、『上泉雄一のFANFANレディオ』で、ワンマンDJスタイルによる生放送に初めて挑戦。同番組では、同期入社の新堂がプロデューサーを務めた。
  • 2009年4月からは、『上泉雄一のFANFANレディオ』を引き継ぐ形で、新堂とともに『上泉雄一のええなぁ!』を担当。入社してから初めて、平日午前の帯番組でメインパーソナリティを務めている。ちなみに、『上泉雄一のええなぁ!』は、放送1年目の2009年度に第47回ギャラクシー賞のラジオ部門で優秀賞を受けている[18]
    • 2009年度のナイターオフシーズンには、『上泉雄一のええなぁ!』と並行して、金曜日のみ『FANFANレディオ』の後番組『MBSたびぐみ とっておき旅ラジオ』(以下『たびぐみ』)でも後輩アナウンサー・金山泉とともにパーソナリティを担当していた。2010年度にも、同様のパターンで、『MBS開局60周年アワー 音楽の時間ですょ 目指せ1179曲てアンタ!?』(火曜日のみ放送)のパーソナリティを担当。5シーズン連続で、平日夜間のナイターオフ限定番組へのレギュラー出演を果たした。2011年度にも、月に1回のペースで、『たびぐみ』土曜日に出演している。
    • 2012年7月27日(金曜日)には、『子守康範 朝からてんコモリ!』(平日早朝の3時間生ワイド番組)のメインパーソナリティ・子守康範(元MBSアナウンサー、上泉の若手時代の上司)が体調不良で同番組を休んだため、急遽全編に出演。さらに、同番組の終了2時間半後からは、本来の担当番組『上泉雄一のええなぁ!』へ出演。午前中だけで、両番組合わせて5時間の生放送を取り仕切った。
  • 2009年8月から2010年9月までは、AMラジオ災害問題協議会の統一防災キャンペーンに、MBS代表で参加(野村啓司の後任)。関西のAMラジオ全局(NHK第1放送を含む)で放送されるキャンペーンCMや、NHK第1放送制作の特別番組(後述)に登場していた。また、唐渡吉則がレギュラー番組を休む場合に、代役でパーソナリティや進行役を務めることが多い。
  • 2014年4月4日には、『茶屋町 春の4まつり』でのヘリコプター実況(前述)を担当する前に、『MBSグランドオープンスペシャル 上泉雄一のええなぁ!公開生放送』で毎日放送「B館」グランドオープン(午前11時7分9秒)の瞬間を伝えた。

人物

  • アナウンサーを志したのは、小学校5年生の頃から。道上洋三ABCアナウンサー)に憧れていた。[19]
  • 早稲田大学時代には、スポーツアナウンサーを志しながら、学内のアナウンス研究会で活動していた。同会での直接の後輩に、土井敏之初田啓介などがいる。
  • 『ちちんぷいぷい』で山登り中継のリポートを担当した時期に、アナウンサー室内で写真部を結成。当時毎日放送のアナウンサーだった八木早希が会計係、西靖が部員を務めたが、1回活動しただけで休部した[20]。その一方で、『ちちんぷいぷい秋のフェスティバル』(前述)では、同番組の山登り中継で訪れた滝のスチール写真が展示された[21]
  • 大の読書家で、戦国時代を中心に、日本の歴史に関する知識・物語・小説を出演番組で披露。[22]2011年7月11日深夜(12日未明)にMBSテレビで放送された『MUSIC EDGE + Osaka Style』には、読書好きであるゲストのJUJUをMARUZEN&ジュンク堂書店梅田店(毎日放送の本社に隣接)に案内すべく、同店の店員役で特別に出演していた。
  • 近年では、新作映画の試写会で司会を務めたり、映画へ出演したりすることが多い。
    • 2005年には、アニメ映画あらしのよるに」(MBSが製作出資)に、声優として1シーンのみ出演。[23]
    • 2006年には、MBSが製作出資した「日本沈没」(2006年版)で、初めて実写映画に出演した。[24]
    • 2009年には、安土城の築城をテーマにした時代劇映画「火天の城」(東映配給)にも出演。1シーンだけの登場ながら、西田敏行笹野高史との共演を果たした。また、その関係で、期間限定ながら滋賀県安土町(現在の近江八幡市)から安土城観光大使に任命された[25]
    • 2011年3月18日(金曜日)には、MBSラジオでレギュラー番組『上泉雄一のええなぁ!』『MBSたびぐみ とっておき旅ラジオ』に出演後、自身の名を冠した生放送の特別番組『上泉雄一プレゼンツ 映画音楽2時間特集』(東北地方太平洋沖地震の発生に伴う『笑い飯の金曜お楽しみアワー』の代替番組)でもパーソナリティを務めた。
    • 2011年には、香港映画1911」の日本語版で、軍人・新聞記者役の吹き替えを担当した。
  • 先輩アナウンサーの来栖正之とは、自宅が近所で仲も良い。また、森武史読売テレビ)や三代澤康司朝日放送)など、在阪民放他局に勤務する同年代のアナウンサーとも盛んに交流。森は、『上泉雄一のええなぁ!』でゲストや上泉のパートナーとして出演したことがある。フリーアナウンサー山本浩之も、関西テレビのアナウンサー時代から、上泉がパーソナリティを務めるラジオ番組(『上泉雄一のええなぁ!』など)にスペシャルゲストとして不定期で登場している。
  • 2012年12月26日(水曜日)の『上泉雄一のええなぁ!』放送終了後には、なんばグランド花月での舞台公演「吉本百年物語 日本全国テレビで遊ぼ!」に出演。1シーンへのゲスト出演ながら、舞台公演デビューを果たした[26]

放送でのエピソード

  • 入社1年目に、MBSアナウンサー総出演のテレビ番組『あどりぶランド』の企画で、同期入社の武川とコンビ漫才に挑戦。横山たかし・ひろしから稽古を付けられた末に、当時松竹芸能の演芸場であった浪花座(大阪市中央区、現存せず)で、一般客を前に漫才を披露した。この模様は、同番組でも放送された。
  • ラジオでナイターオフシーズンの生番組を担当していた頃は、金曜日に当時レギュラーでリポーターを務めていた『ちちんぷいぷい』の生中継を終えた直後に、中継先付近や移動中の車からの電話で冠番組を進行したことが何度もある。その場合には、前日まで通常どおり冠番組に出演してから中継先へ出発。中継の翌朝までに帰阪すると、MBSスタジオ in USJで『せやねん!』の生放送に臨んでいた。
  • 2005年3月22日に、月亭八光の結婚披露宴で司会を務めた際に、その模様を中継していた『ごきげん!ブランニュ』(ABCテレビ、八光がレギュラー出演)の映像に登場。会社の垣根を越えて、高野直子(当時ABCアナウンサー)など、同番組のレギュラー出演者との共演を果たした(放送は同年3月29日)。
  • あん!』の企画でピアノ、『上泉雄一のFANFANレディオ』の企画でギターや鍵盤ハーモニカなどの楽器を演奏(いずれも未経験からの挑戦)。2014年3月21日奈良市内で開催の「第33回ラジオウォーク」では、野村啓司子守康範(いずれも毎日放送出身のフリーアナウンサー・上泉の元上司で、上泉と同じく平日にMBSラジオで生ワイド番組のパーソナリティを担当)と共に、「ギターおやじの夕べ」というステージ企画でアコースティック・ギターの弾き語りを披露した。
  • 2009年9月1日防災の日)には、『上泉雄一のええなぁ!』のオープニング中に、同番組のスタジオからNHK第1放送の『関西発 命のラジオ』(NHK大阪放送局制作の全国向け特別番組)に出演。司会の上田早苗を相手に、関西AMラジオ7局のアナウンサーによる統一防災キャンペーンの内容を紹介したほか、災害時における近隣の協力の必要性を訴えた[27]東日本大震災の発生直後(同年3月11日・12日)には、MBSラジオが深夜帯で急遽編成した報道特別番組のキャスターを1人で務めている。

現在の出演番組

テレビ

ラジオ

  • 上泉雄一のええなぁ!(メインパーソナリティ)
    • 2010年1月1日には、特別番組『上泉雄一のええなぁ!お正月スペシャル 元旦からええ話を聞きタイガー!!』(10:30~22:00)で、11時間半に及ぶ生放送を取り仕切った。
  • 星野仙一の熱血・仙一夜(レギュラー放送時代の2010年12月20日12月27日放送分から出演)
    • 阪神タイガースの監督時代から星野と親交が深い縁で、レギュラー放送版には、体調を崩した本来のパートナー・唐渡吉則に代わって出演。レギュラー放送を終了した後も、プロ野球のオフシーズンに特別番組として放送されるたびに、進行役を務めている。
  • 毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク
    • 『上泉雄一のええなぁ!』との連動企画で、第29回(2010年)の放送に"写真特派員"として出演。第30回(2011年)には、入社後初めて、ゲストウォーカー扱いで本編に登場した。第31回(2012年)以降は、MBSラジオのパーソナリティ代表として、主にステージ企画へ出演。
  • MBSニュース(不定期、近年は緊急時を除いてほとんど担当していない)

過去の出演番組・作品

テレビ

ラジオ

映画

舞台公演

関連人物

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:毎日放送アナウンサー
  1. 2010年1月29日放送の『上泉雄一のええなぁ!』で、尼崎市出身の千堂あきほをゲストに迎えた際に、5歳まで同市で暮らしていたことを明かしていた。
  2. 「平日ワイド大改編・朝の変」による
  3. 『あさやん!』『あさトラ!』『あん!』でパーソナリティを務めた時期には、コーナー担当の『せやねん!』を含めて、週に6日テレビの生放送に出演したことがあった。
  4. 亀田興毅をゲストに迎えた2010年1月25日放送の『上泉雄一のええなぁ!』では、プロボクシングの西日本新人戦の取材・実況を担当した際のエピソードを披露している。
  5. 『上泉雄一の日曜スポーツ宣言!』、『上泉雄一のFANFANレディオ』での発言より。現在でも、主に『せやねん!』でオリックス・バファローズの春季キャンプなどを取材することがある。
  6. 【MBS】上泉雄一アナウンサー 2006年6月
  7. 【MBS】上泉雄一アナウンサー 2008年8月
  8. 【MBS】上泉雄一アナウンサー 2008年8月18日
  9. 放送当日の『上泉雄一のええなぁ!』での本人による番組紹介より。
  10. 復帰への経緯は同番組の項を参照
  11. 他の曜日でも、『っちゅ〜ねん!』が放送されていた14時台に、芸能・スポーツ情報コーナーの進行役としてレギュラーで出演していた(当初は月~木曜、2006年8月頃からは月曜日のみ)。角が大型クラブのママに対し上泉はチーママ扱い。
  12. 2002年に山と渓谷社から刊行された番組本「ちちんぷいぷいの山登りブック」では、刊行直前まで上泉が中継で踏破した23コースを紹介。上泉自身も登場している。
  13. 2008年10月に大阪市北区の阪急百貨店阪急うめだ本店で開催された『ちちんぷいぷい秋のフェスティバル』会場での紹介映像より。ちなみに上泉は、8月3日徳島県雨乞の滝で上記の中継を終えると、翌4日にテレビ『せやねん!』、5日にラジオ『上泉雄一の日曜スポーツ宣言!』へそれぞれ出演。さらに、6日~9日放送のラジオ『ノムラでノムラだ♪』では、夏季休暇中の野村啓司に代わってパーソナリティを務めた。同中継の初日(7月30日)から、テレビ・ラジオを通じて、11日連続で生放送番組へ出演したことになる。
  14. 『上泉雄一のUWAらじお シーズン2』では、ゴールドジムに通い詰めたことが縁で、上泉と懇意のインストラクター(通称「井上師匠」)が隔週火曜日に出演していた。
  15. トミーズ雅&上泉アナ 走りながら大阪マラソン実況生中継(『スポーツニッポン』2012年11月26日付記事)
  16. 毎日放送アナ3人とも完走(『スポーツニッポン』2013年10月28日付記事)
  17. 番組開始当初のaikoは、FM大阪の『COUNTDOWN KANSAI TOP40』にもレギュラーで出演するなど、関西のインディーズシーンで活躍。当番組放送中の1998年7月17日に、「あした」でメジャーデビューを果たした。
  18. 【MBS】上泉雄一アナウンサー 2010年6月
  19. 「マイクもたずにあどりぶランド」(シンコーミュージック)での自己紹介より。
  20. 2014年1月に放送された『上泉雄一のええなぁ!』の「週刊ええなぁフライデー」(金曜日11時台のコーナー)で、「wikipediaの信憑性」をテーマに当ページの記述内容が話題になった際に上泉自身が発言。
  21. MBS公式サイト内にある自身のブログで、中継先などで撮影したデジタルカメラの画像を公開。2009年11月には、『上泉雄一のええなぁ!』の企画の一環で、NTTドコモ主催の「ケータイフォトコンテスト」へ参加した([1])
  22. 『上泉雄一の発信!UWAらじお』『UWAらじおシーズン2』『上泉雄一のFANFANレディオ』では、上泉お勧めの新刊書を紹介するコーナーを定期的に放送していた。2010年1月からは、『上泉雄一のええなぁ!』でも、不定期で同様の企画を始めている。
  23. 上泉の役柄は、その他大勢のヤギの中の1匹。ポロポロが丘の狩の報告シーンで、おばさんヤギの「じっと見ちまったよ」というセリフの後に、「え、ホントカヨ」とだけ言っていた。ちなみに、当作品には、先輩アナウンサーの加藤康裕も出演している。
  24. 当作品には、先輩アナウンサーの高井美紀も出演している。
  25. 任期は同年7月27日から、同作品の劇場公開が終了した10月16日まで。
  26. 『吉本百年物語』のゲストコーナーに毎日放送 上泉雄一アナウンサーと近藤夏子さんが出演!よしもとニュースセンター2012年12月26日付記事)を参照。当日の『上泉雄一のええなぁ!』では、放送終了後にリスナー参加の同公演観劇ツアーを実施していた。
  27. 上泉の出演パート(約3分)は、NHK第1放送とMBSラジオで同時に放送(NHK第1放送では特別番組『防災の日スペシャル』、MBSラジオでは『上泉雄一のええなぁ!』に内包)。ちなみに上泉は、阪神・淡路大震災1995年1月17日)の発生直後に、報道特別番組の中継アナウンサーとして神戸市の災害対策本部や避難所を取材している。(『阪神大震災の被災者にラジオ報道は何ができたか』MBS・編、同朋舎出版・刊より)
  28. 2001年4月の番組開始から、「今週の気になるお金」コーナーの進行役として出演。2004年4月からの半年間は、『あん!』との掛け持ちで、当番組を含めて週に6日生放送へ出演していた。2004年9月末をもって、いったん番組を卒業。2007年4月から、大月勇に代わって、「せやねん!スポーツ」コーナー担当として復帰している。2009年の中盤からは、「今週の気になるお金」にもパネリストとして復帰するなど、午前パートの全編に出演。スポーツ関連の取材・中継リポートや、「午後の特集!」の進行を務めることもある。
  29. 2007~2008年のプロ野球シーズン中には、泊まり勤務で水曜深夜~木曜早朝のニュース(『みのもんたの朝ズバッ!』内ローカルニュースなど)を担当することが多かった。
  30. 阪神タイガースが18年振りにセントラル・リーグで優勝するまで、『ウォッチ!』の一部パート(『あさやん!』と同じ時間帯)を差し替えた期間限定の生放送番組。
  31. 2009年12月20日に開催された同番組の企画「第1回よゐこ部カッコブラス選手権」では、会場の御堂会館で司会を務めた(テレビでは2010年1月12日・19日に放送)。
  32. 2009年11月6日から不定期で放送。第1回は、「熱血授業、竹中直人VS未来の映画人180人!」とのサブタイトルで、竹中が監督・主演した映画『僕らのワンダフルデイズ』の公開と連動させていた。[2]
  33. 後輩アナウンサーの河田も、中森が出演していた架空のワイドショー番組の司会者役で出演。
  34. 『あさやん!』に続いて、月・火曜日に原田とスタジオで共演した。
  35. 同期の武川とともに、ばんばひろふみのパートナーを務めた。
  36. 【MBS】上泉雄一アナウンサー 2008年8月14日