三遊亭歌之介

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テンプレート:落語家 三遊亭 歌之介(さんゆうてい うたのすけ、1959年昭和34年〉4月8日 - )は、日本落語家。本名、野間 賢(のま さとし)。落語協会所属。故郷の鹿児島弁の落語で注目を集めている。出囃子は『われは海の子』。

来歴・人物

鹿児島県肝属郡錦江町(旧:大根占町)神川字皆倉出身。末っ子で、兄と姉がいる。

小学校1年生の頃に両親が離婚し、母・ノキ子[1]と共に、夜行バスで、当時住んでいた京都府から鹿児島に帰った[2]。ノキ子は大阪の紡績工場に出稼ぎに行ったため、7年間、祖母に預けられたと明かしている。小学生の頃は冷え性で、6年生の時まで夜尿症が治らず、ノキ子が電気あんかを買って送ったという逸話がある。

大阪市立汎愛高等学校卒業後、1978年(昭和53年)3月、3代目三遊亭圓歌に弟子入りし、前座名は「三遊亭歌吾」となる。1982年(昭和57年)5月、二つ目に昇進し、「三遊亭きん歌」となる。当時住んでいたアパートの家賃を滞納していたが、アパートの廊下で落語会を催して滞納分を支払った。1985年(昭和60年)、若手演芸大賞最優秀二つ目賞を受賞するとともに、NHK新人落語コンクールに入賞。1987年(昭和62年)5月、落語協会真打昇進試験を受験し、新作落語『寿の春』で合格する。同年10月、18人抜きの大抜擢で真打昇進し、初代「三遊亭歌之介」となる。

1988年(昭和63年)、鹿児島県にてミニ独演会(1回30分)を1日14か所で行う。1990年(平成2年)、鹿児島県より「さつま大使」を拝命。1991年(平成3年)、国立演芸場主催花形演劇大賞で金賞を受賞する。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災の際には、落語のCDを制作、売上金を全額寄付した。妻は歌之介と同じ鹿児島県出身(枕崎市出身)で、娘と息子がいる。

現在、「世界の桜島に植えよう」という活動を行っている。

芸風

古典落語新作落語の両方をこなす。

故郷では鹿児島弁の落語を披露する芸達者な落語家であり、新作落語では自分の少年時代や母親のことを題材にする。また、噺に時事問題を取り入れたり、健康に関することも題材としている。地方公演が多く、マスメディアへの露出は少ない。しかし、鹿児島県では年に一度、鹿児島弁の落語がテレビで放映され、販売されているCD・テープ・ビデオは鹿児島弁のものが多い。

また、スーツ姿で漫談をすることもある。

主な新作落語

  • お父さんのハンディ
  • 寿の春
  • 爆笑龍馬伝
  • B型人間

など

主な出演

テレビ番組

CM

以上、3本は鹿児島ローカルCM。

映画

雑誌

著書

  • 月ば撃つぞ! ― 落語家歌之介がゆく(2009年、うなぎ書房) ISBN 978-4901174275

弟子

脚注

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外部リンク

  1. 名前は高座で明かしている。
  2. 2008年(平成20年)4月7日放送のNHKラジオ真打ち競演』での落語『かあちゃんのあんか』にて。