三無事件

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三無事件(さんむじけん・さんゆうじけん)は、1961年12月12日日本で発覚したクーデター未遂事件。旧日本軍の元将校らが画策した事件で、初めて破壊活動防止法の適用により、有罪判決が下された[1]。三無とは無税・無失業・無戦争の「三無」という主張である。発生当時は国史会事件と称された[2]

1961年12月12日警視庁等が32箇所を一斉捜索、川南豊作他13人を逮捕し、日本刀、ライフル銃、防毒マスクなどを押収した[3]

関与者

年齢は全て当時 直接の容疑は川南らは殺人予備、川下は銃刀法違反[3]

首謀者・主犯格者は揃って九州の出身とりわけ北部の者が多かった。このことは護国団で独自のクーデター論を展開した小島玄之の論評などにおいて注目に値する点として捉えられた。

三無塾の他、右翼団体の「菊旗同志会」が決起に参加する予定だった。

自衛隊の一部部隊にも参画するよう工作されていた[4]。三無塾塾生が自衛隊の射撃訓練場で射撃訓練を行っていた事が判明しているテンプレート:要出典

池口恵観の法廷での証言

事件への関与を認めた池口は検察側証人として出廷し、事件発覚の二ヶ月前の10月はじめに川南の紹介で衆議院議員・馬場元治の秘書になり、国会議事堂内の電源・通信機器の配置や警備員の数の調査を依頼されたこと、200人で国会を襲撃するに際しては議員秘書の池口が国会内部から突入のタイミングの合図を送る役割だった、と証言している。池口本人は関与の度合いが薄いとして不起訴、釈放されている。

三無事件を題材とした作品

  • 大野芳『革命』(祥伝社、2001年) ISBN 4396631863

出典

  1. テンプレート:Citeweb
  2. テンプレート:Citeweb
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 テンプレート:Citeweb
  4. テンプレート:Citeweb

関連項目

外部リンク