三平汁

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三平汁(さんぺいじる)は、北海道郷土料理昆布出汁をとり、サケ(鮭)、ニシンタラホッケなどの魚の塩引きまたは糠漬け糠ニシン)をダイコンニンジンなどの根菜類やジャガイモと一緒に煮た塩汁で、冬の名物料理である。

同じくサケを用いた石狩鍋と混同されることが多いが、三平汁の特色は魚自体が含む塩味である。

解説

サケの切り身の他、サケのあらを入れることもある。地域または家庭によっては上記以外の野菜を入れたり、酒粕味噌を入れることもある。檀一雄「檀流クッキング」で紹介されている調理法は酒粕と味噌を加えた粕汁仕立てである。

明治時代北海道からタラの身を本州へ運んでおり、残った白子を三平汁という郷土料理に入れて食べられていた。 昭和初期、味噌が北海道で一般的に流通するようになって以来、味噌汁にも白子を入れるようになったと言われている。

地域色

北海道の道央地方や道東では塩鮭が、道北では塩ダラが用いられる。檜山支庁管内では、味噌仕立てを「味噌三平」、塩仕立てを「塩三平」と呼ぶ。味噌三平はサケ、塩三平はスケソウダラを使うことが多い。なお、醤油仕立てはない。

名称の由来

「三平」という名の由来は定かではないが、18世紀末の文書には「サンヘイ」「サンペ汁」という記述がある。ただしこのころの三平汁は魚の内臓から作った魚醤で山菜を煮たものであり、現在の三平汁とはかなり異なる。[1]

三平汁の『名前の由来』については

  • 松前藩の殿様が狩りに出てお腹が空き、漁師の斉藤三平の家で食事を頼んだところ、ありあわせのもので仕立てた汁が、お気に召したところから三平汁と呼ばれるようになったという説[2]
  • 蝦夷地の開拓に渡った南部藩家臣の斉藤三平[3]が、後に津軽の海を超えてやってきた人たちに対して、奥尻島で振舞った汁を元祖とする説。
  • 有田焼伊万里焼)の陶祖、李三平の三平皿に盛ることに由来するとされる説[4]
  • 北海道開墾に当たった屯田兵や人足達が、当時安価で入手出来る材料を用い、賄い料理として供され、そこから北海道各地へと広まったとする説。

等、様々な説が存在している。

歴史

記録では、平秩東作の東遊記(1784年)に「サンヘイ」という名で紹介されている記述が最古とされている。また、松浦武四郎の西蝦夷日記(1803年)にも「三平汁」として記述されている[5]

出典

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外部リンク

  • 農産漁村文化協会「聞き書 北海道の食事」
  • 吟醸百選2007-2008(佐藤水産パンフレットp78)
  • 子孫に高島忠夫がいる。
  • 吟醸百選2007-2008(佐藤水産パンフレットp78)
  • 吟醸百選2007-2008(佐藤水産パンフレットp78)