三井浩二

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テンプレート:Infobox baseball player 三井 浩二(みつい こうじ、1973年9月15日 - )は、北海道足寄郡足寄町出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

プロ入り前

北海道足寄郡足寄町出身。北海道足寄高等学校3年時のテンプレート:Byプロ野球ドラフト会議阪神タイガース福岡ダイエーホークスが4位指名で競合し、抽選の結果ダイエーが交渉権を獲得したが入団を拒否し、社会人野球の新日本製鐵室蘭へ進んだ(テンプレート:要出典範囲)。

テンプレート:Byに新日鐵グループの野球部の統廃合に伴って新日本製鐵広畑へ転籍し、チームのエースとして活躍した。テンプレート:Byのプロ野球ドラフト会議前に西武ライオンズを逆指名することを表明[1]。ドラフトでは西武が2位指名で交渉権を獲得し契約金1億円、出来高払い5000万円、年俸1300万円(金額は推定)で入団合意した[2]

プロ入り後

テンプレート:By、プロ初勝利を含む3勝を記録、二軍でも活躍しイースタン・リーグ優勝や自身がMVP選出のファーム日本選手権制覇などに貢献。テンプレート:Byスクリューボールを習得。10勝を挙げ、初めて規定投球回に達して防御率リーグ5位の成績を残し、チームの優勝に貢献した。同年はオールスターゲームに出場。テンプレート:Byは2年連続となる10勝以上を挙げたものの、防御率は5点台に低下。翌テンプレート:Byは9試合に登板して2勝に終わった。テンプレート:Byシーズン後半からリリーフ転向。

テンプレート:By石井貴に次ぐチーム2位のホールドを挙げた。45試合に登板し、防御率は年間通じて1点台、被本塁打は1本だった。テンプレート:By、自己最多の47試合に登板し、リーグ3位の27ホールドポイント、防御率2.22。テンプレート:By、4月26日の対オリックス戦においては、8回表4点リードの場面で登板して1イニングで5失点し、コーチの大久保博元がその裏の攻撃前の円陣で「三井が死んでしまう、みんなで助けよう」と発破をかける、その回の裏にチームは逆転し勝ち投手となった。その後一旦二軍落ちしたあと、8月26日の日本ハム戦で復帰し1イニング無失点とし、オリックス戦以外では無失点だった。

テンプレート:Byシーズン終了後、ポスティングシステムを利用する[3]。西武でのポスティングシステム利用は3人目で[4]、35歳での利用は史上最高齢であった。しかし期限までに入札を行う球団は現れず、2009年1月5日に再申請を申し出るが、入札を行う球団は無く、西武と再契約する。「入札されなかった選手が同一年度内に再度ポスティングシステムを利用すること」や、「2回続けて応札が無かったこと」は、共に史上初である。

テンプレート:By10月2日に戦力外通告を受ける。シーズン終了後、12球団合同トライアウトに参加した。

テンプレート:By東北楽天ゴールデンイーグルスの春季キャンプにテスト生として参加、3月4日には福岡ソフトバンクホークスの入団テストを受けたが、いずれも不合格となった。3月30日現役引退を表明した。

2011年7月、埼玉県入間市に「入間野球道場」を開講し、指導を行なっている[5]。その野球道場は西武の大友進加世田美智久が講師を務めている[5]。また、J SPORTSメジャーリーグ中継で解説者を務めている。

人物

テンプレート:スポーツ選手の出典明記 石川知裕は小中学校の同級生や野球部のチームメイト。地元足寄町の出身の松山千春と交流が深く、自身のシンカー系の変化球に「チハルボール」と名づける[6]。当初は後援会長を務めていた政治家の鈴木宗男にあやかり「ムネオボール」と名づけていたが、鈴木の不祥事により名称を変更した。文化放送ライオンズナイターでは「大空と大地の申し子」と呼ばれる。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 西武 29 15 0 0 0 3 3 0 -- .500 406 88.0 100 9 46 0 3 70 2 0 55 51 5.22 1.66
テンプレート:By2 41 17 1 1 0 10 2 0 -- .833 574 140.0 128 17 34 2 4 94 1 0 51 49 3.15 1.16
テンプレート:By2 41 15 1 0 1 11 5 0 -- .688 542 120.2 128 16 59 2 7 84 2 0 76 70 5.22 1.55
テンプレート:By2 9 8 0 0 0 2 3 0 -- .400 224 45.2 67 8 15 0 4 27 2 0 42 39 7.69 1.80
テンプレート:By2 28 2 0 0 0 1 2 0 2 .333 174 40.0 43 5 13 0 3 42 1 0 22 22 4.95 1.40
テンプレート:By2 45 0 0 0 0 4 1 1 21 .800 223 52.0 47 1 17 2 1 42 0 0 16 10 1.73 1.23
テンプレート:By2 47 0 0 0 0 4 2 0 23 .667 180 44.2 40 3 12 1 0 35 2 0 12 11 2.22 1.16
テンプレート:By2 23 0 0 0 0 1 1 0 3 .500 116 24.0 33 2 10 0 4 12 0 0 20 20 7.50 1.79
テンプレート:By2 19 0 0 0 0 0 1 0 5 .000 55 13.0 12 4 3 0 0 7 0 0 9 9 6.23 1.15
通算:9年 282 57 2 1 1 36 20 1 54 .643 2494 568.0 598 65 209 7 26 413 10 0 303 281 4.45 1.42
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

  • 初登板:2001年3月25日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(西武ドーム)、4回表1死に2番手として救援登板、2回2/3を2失点
  • 初奪三振:同上、5回表に諸積兼司から
  • 初先発:2001年3月31日、対大阪近鉄バファローズ2回戦(西武ドーム)、5回5失点
  • 初勝利・初先発勝利:2001年5月10日、対大阪近鉄バファローズ8回戦(西武ドーム)、5回1/3を3失点
  • 初完投勝利・初完封勝利:2002年3月31日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(札幌ドーム
  • 初ホールド:2005年7月12日、対千葉ロッテマリーンズ11回戦(インボイスSEIBUドーム)、4回表2死に2番手として救援登板、2回1/3を1失点
  • 初セーブ:2006年9月5日、対千葉ロッテマリーンズ17回戦(千葉マリンスタジアム)、8回裏に5番手として救援登板・完了、2回無失点
  • オールスターゲーム出場:1回 (2002年)

背番号

  • 29 (2001年 - 2009年)

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 朝日新聞、2000年11月14日付朝刊 (14版、14面)
  2. 朝日新聞、2000年11月25日付朝刊 (14版、18面)
  3. 会見で三井は、2006年の日米野球で好投したことが自信となり、今回のメジャー挑戦に繋がったと語る。2007年オフの契約更改の際も今回同様ポスティングシステムを利用してのメジャーリーグ挑戦を希望したが、その時は球団の了承が得られなかったことも公表した。
  4. 他の2人は森慎二松坂大輔
  5. 5.0 5.1 週刊ベースボール2011年10月31日号 セカンドキャリアの「球人力」P92
  6. プロ野球スピリッツでは「ミツイボール」と名づけられている。