一里塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

一里塚(いちりづか)とは、大きな道路の側に1(約3.927キロメートル)毎に旅行者の目印として設置した塚(土盛り)である。塚の側にの木を植えたり標識を立てたりしていた[1]

マイルポスト・キロポストと同様であり、一里塚は中国にも存在する[2]

日本では、平安時代末期に、奥州藤原氏白河の関から陸奥湾までの道に里程標を立てたのが最初と言われている。室町時代一休(或いは一休に近しい遊女・地獄太夫)が「門松冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」との歌を詠んでいる。

一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代である。慶長9年2月4日グレゴリオ暦1604年3月4日)、江戸幕府は日本橋起点として全国の街道に一里塚を設置するよう指令を出した。一里塚の設置は、大久保長安の指揮の元に行われ、10年ほどで完了した。一里塚には榎などの木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていた。また現存する一里塚の多くは道の片側にのみ存在するが街道の両側に対で設置されるのが本来の姿である。

一里塚の樹種

一般的に榎を植えた一里塚が多い。19世紀末の天保年間の調査による「宿村大概帳」によると、榎が一番多く、過半数を占める。次にが4分の1強、ついでが1割弱で他のは数本程度しか植えられていない。

五街道の一里塚一覧

出典

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:Sister

テンプレート:Asbox
  1. テンプレート:PDFlink - 国土交通省 国土技術政策総合研究所
  2. ただし、当時の中国での1里は約500mであった