ヴィルヘルム・フォン・フンボルト

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カール・ヴィルヘルム・フォン・フンボルト

カール・ヴィルヘルム・フォン・フンボルトFriedrich Wilhelm Christian Karl Ferdinand Freiherr von Humboldt1767年 6月22日 - 1835年 4月8日)はドイツ言語学者政治家貴族。フンボルト大学(ベルリン大学)の創設者。

弟は自然科学の分野で貢献したアレクサンダー・フォン・フンボルトである。兄弟共に、当時のドイツでは知識人階層の代表として知られている、両者は混同されやすい。近年は弟の方が研究評価されている。

言語学にも大きな貢献をしたが、その姿勢は、インド・ヨーロッパ語族主義に立った差別的なものだった。プロイセン王国政府の外交官としても活躍。ゲーテシラーなどとも親交があったことでも知られている。ヨーロッパの知識人にバスク語を普及させた功績も有名。

ベルリン郊外のテーゲル(Tegel)にはSchloss Tegel(別名・ Humboldt-Schloss)と呼ばれる、彼が弟とともに住んでいた家が存在する。近くの公園には墓がある。

著作活動

ヴィルヘルム・フォン・フンボルト『国家活動の限界を決定するための試論』(1851年、刊行)は、ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』にも大きな影響を与えた。ミルは自由論を政府がどの程度まで国民の自由を制限できるか。国民はどの程度の客観的証拠による注意によって、自らの自由な注意によってどの程度まで政府に干渉されずに、自由な意思決定がすべきなのかについて自由論において考察を行った。例として毒薬の薬品の注意書きは政府によって命令されるべきか、自らの自由な意思によって注意すべきかを挙げて考察している。もし自らの意思によって注意すべきであるならば、政府は注意書きをつけるように強制すべきではないが、それが不可能ならば政府は注意書きを強制すべきであるというのである。ここに国民の能力の問題をも取り上げることとなった。そのため、ボローニャ、パリ大学に始まるそれまでの専門職業教育志向の大学スタイルとは違う教養志向の大学スタイル理念を提唱した。それを具現したのがベルリン大学である。

これは酒や、タバコの注意書きや、それと類似に経済学的に意味がある酒税や、タバコ税の意味についても同じことがいえることになる。もし注意すべきではないということになれば警察国家となるであろうし、一方リバタリアンのように経済的なことのみに注意すべきであるということも可能であろうし、またスウェーデンのような福祉国家論を主張することも可能であるということになる。

日本語文献

近年刊行の文献のみ。 

著作

  • ヴィルヘルム・フンボルト 岡田隆平訳 『言語と人間』 ゆまに書房, 1998、(初版1950)創元社の復刻
  • ヴィルヘルム・フォン・フンボルト 村岡晋一訳・解説 『双数について』 新書館, 2006
  • フンボルト、クラウス・ルーメルほか訳 『人間形成と言語』 以文社, 1989
  • フンボルト、亀山健吉訳 『言語と精神 カヴィ語研究序説』 法政大学出版局, 1984

伝記・研究

  • 亀山健吉 『言葉と世界 ヴィルヘルム・フォン・フンボルト研究』 法政大学出版局, 2000
    • 亀山健吉 『フンボルト 文人・政治家・言語学者』 中公新書, 1978
  • 西村貞二 『フンボルト』 清水書院[新書Century books], 1990-入門書  
  • ユルゲン・トラバント 村井則夫訳 『フンボルトの言語思想』 平凡社[テオリア叢書], 2001 
  • 斉藤渉 『フンボルトの言語研究―有機体としての言語』 京都大学学術出版会, 2001
  • 江島正子 『フンボルトの人間形成論』 ドン・ボスコ社, 1996
  • 福本喜之助 『フンボルトの言語思想とその後世への影響』 関西大学出版部, 1982
  • 泉井久之助 『言語研究とフンボルト』 弘文堂, 1976
  • 吉永圭 『リバタリアニズムの人間観―ヴィルヘルム・フォン・フンボルトに見るドイツ的教養の法哲学的展開』 風行社, 2009

外部リンク

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