ロッキー山脈

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ロッキー山脈(ロッキーさんみゃく、英語Rocky Mountainsフランス語Montagnes Rocheuses )は、北アメリカ大陸西部を北西から南東に走る山脈

一口に「ロッキー山脈」と言っても実際は複数の山地を連ねた山系で、北は北緯60度に近いカナダブリティッシュコロンビア州最北部から、南は東京23区とほぼ同緯度に位置するアメリカ合衆国ニューメキシコ州州都サンタフェの近くまで、その長さは4,800kmを超える。

地質学的には、この山脈は褶曲運動により形成された褶曲山脈である。同山脈はアンデス山脈日本列島などと共に環太平洋火山帯に属している。

山脈の最高峰はアメリカ合衆国コロラド州エルバート山(4401m)である。「カナディアン・ロッキー」(Canadian Rocky)と呼ばれるカナダ領内では、ブリティッシュコロンビア州とアルバータ州の州境にそびえるロブソン山(3954m)が最も高い。

全域にわたって植生生態系が豊かで、手つかずの自然が残されている地帯も多く、国立公園世界遺産に登録されている自然遺産も多い。

地理と地質学的見地

ロッキー山脈は一般的にはカナダブリティッシュコロンビア州リアード川からアメリカ合衆国ニューメキシコ州リオグランデ川までと定義されている。リアード川よりも北のユーコン準州アラスカ州、リオグランデ川よりも南のメキシコにも環太平洋火山帯に属する山脈は続くが、それらの山脈はロッキー山脈とは別個のものとして考えられている。このほか、アメリカ合衆国における定義ではロッキー山系に含まれる山地もカナダにおける定義では含まれないなど、両国の間で定義に若干の差がある。

ロッキー山系の中でも比較的若い山地は白亜紀後期、約6500万年-1億年前に形成された。一方、古い山地になると6億年以上前の先カンブリア時代に既に形成されていたものもある。地学的には、この山脈は火成岩変成岩から成っている。山脈の南部では堆積岩も見られる。コロラド州南西部のサンフアン山地などでは第三紀に形成された火山岩の地層もある。ワイオミング盆地では何万年にもわたって著しい浸食作用が起こり、それにより山間盆地が比較的平坦な地形に変わった。ティトン山地をはじめとする北部・中部の山地は古生代から中生代の地層が褶曲断層を受けて、原生代ないし始生代(12億-33億年前)のロッキー山脈の核とも言える火成岩・変成岩に被さったものである。

氷河期が180万年前の更新世から1万年ほど前の完新世初期にかけて繰り返し生じ、ロッキー山脈は度々氷河に覆われ、最終氷期にはイエローストーン国立公園の90%は氷に覆われていた。また1550年頃から1860年頃までの小氷期にも氷河の発達がみられ、グレイシャー国立公園内にある氷河は1860年頃に最も前進していた。

ファイル:Reservoir in the Rocky Mountains.jpg
ロッキー山脈からの雪解け水は山脈を水源とする河川や近隣の湖沼・人造湖を潤す。写真はコロラド州ディロン近くの人造湖。

は様々な形で現在のロッキー山脈に谷を刻んでいる。山から流れ出した水は河川湖沼を形成し、アメリカ合衆国内の水源の1/4を占めている。ロッキー山脈から流れ出す河川太平洋大西洋北極海の3つの大洋に注ぐ。ロッキー山脈を水源とする主な河川には次のようなものがある。

ロッキー山脈の気候は中緯度・高緯度の高山性で、気温の年較差・日較差がともに大きい。北部や頂上付近では寒帯ツンドラ気候に似た気候を示す。山麓では乾燥帯ステップ気候に属する地域がほとんどを占め、カナダ領内では亜寒帯亜寒帯湿潤気候に属する地域がある。

人類の歴史

最終氷期の終わりごろ、ロッキー山脈の周辺にはパレオ・インディアン(Paleo-Indians)と呼ばれる原始のネイティブ・アメリカンが住んでいた。パレオ・インディアンは後にアパッチアラパホクーテナイクロウシャイアンショショーニスーセカニデュネザバノックブラックフットフラットヘッドユートなどの各部族に分化していった。パレオ・インディアンは山麓や谷でマンモスや古代バイソン(現代のアメリカバイソンより20%ほど大きかった)を狩って生活していた。また、彼らはその後分化した子孫たちと同様に、秋や冬には山麓や谷に下りてバイソンを追い、春や夏には山に上って魚を釣ったり、シカアメリカアカシカを狩ったり、根菜漿果を採ったりして生活していたとする説もある。コロラド州の大陸分水嶺沿いには、5,400-5,800年ほど前にネイティブ・アメリカンが狩猟に用いるために建てた岩の壁が残っている。ネイティブ・アメリカンはこの地で行った狩りによって哺乳類の生息状況に、また焼畑によって植物の生息状況に影響を及ぼしたとする科学的証拠もある。

ファイル:Coronado-Remington.jpg
北進するコロナドの探検隊

その後長くロッキー山脈周辺は未開の地であったが、アメリカ大陸にヨーロッパ人の入植者が入ると山脈の周辺にも探検家が足を踏み入れるようになった。スペイン人探検家フランシスコ・バスケス・デ・コロナド1540年から1542年にかけて、戦士、使節、アフリカ奴隷を連れてメキシコからカンザスへと探検を行った。コロナドとその一行はその道中にロッキー山脈の南端、現在のニューメキシコ州の北部を通っていった。コロナド一行はこの地域に金属製の道具、ライフルなど、ネイティブ・アメリカンがそれまで使用していなかった道具を持ち込んだ。また、ヨーロッパ文化も持ち込み、それまでのネイティブ・アメリカンの文化を大きく変えた。一方で、ヨーロッパ人たちはネイティブ・アメリカンたちと戦争を起こし、それまでこの地には見られなかった病気も持ち込んだため、この地域のネイティブ・アメリカンの人口は激減した。

アレグザンダー・マッケンジー1793年にロッキー山脈を越えた初めてのヨーロッパ人であった。マッケンジーは山中でフレーザー川の上流域を探検し、同年7月20日にカナダ太平洋岸、現在のブリティッシュコロンビア州ベラクーラBella Coola)にたどり着いた。

ロッキー山脈地域で初めて科学的な調査を行ったのはルイス・クラーク探検隊であった。ルイスとクラークの一行は1804年から1806年にわたって行ったその探検の道中、近代植物学者、動物学者、地学者の研究の参考となる標本を多数採取した。ルイスとクラークの探検は「東からのヨーロッパ人にロッキー山脈へ、そしてその先への道を開いた」とされているが、実際には、ルイスとクラークはその探検の最中に少なくとも11人のヨーロッパ人に会っていた。

これらの探検隊のほか、18世紀のロッキー山脈には毛皮鉱物を求めて山を渡り歩いたヨーロッパ人が多数いた。ノースウェスト会社1799年、現在のアルバータ州ロッキー・マウンテン・ハウスRocky Mountain House)という毛皮取引所を開設した。ライバルであったハドソン湾会社もまた、ロッキー・マウンテン・ハウスの近くにアクトン・ハウス(Acton House)を開設した。これらの取引所は19世紀初頭におけるロッキー山脈地域の探検の基地ともなった。毛皮取引商から探検家・地図製作家に転身したデイビッド・トンプソンは、ヨーロッパ人としては初めてコロンビア川太平洋まで下る探検を行った。

19世紀を下るとさらに急速に変化が進んだ。19世紀初頭の段階で、北緯49度線より南、現在のアメリカ合衆国領内では白人が既に趨勢を占めるほどになっていた。1832年には、比較的平坦なワイオミングの南部を通る馬車鉄道がロッキー山脈を越えて走った。1847年ブリガム・ヤング率いるモルモン教徒の一行がロッキー山脈を越えてグレートソルト湖のほとりにたどり着き、ワサッチ山脈西麓の砂漠の中に総本山となるソルトレイク神殿ソルトレイクシティを建設した。1859年コロラド州クリップルクリークCripple Creek)の近くでの鉱脈が見つかると、以後はゴールドラッシュに沸き、地域経済の姿を完全に変えた。1869年にはロッキー山脈を越える大陸横断鉄道が完成した。

一方、19世紀も後半に入ると、ロッキー山脈地域では自然環境の保護への取り組みがなされてきた。1872年には世界初の国立公園となったイエローストーン国立公園が設立された。1891年から1892年にかけては、時のアメリカ合衆国大統領ベンジャミン・ハリソンがロッキー山脈に森林保護区域をいくつも設置した。1905年セオドア・ルーズベルトはメディスン・ボウ森林保護区域の指定地域をさらに拡大し、現在のロッキーマウンテン国立公園の領域をそこに含めた。

こうした19世紀中の動きによって、ロッキー山脈地域では経済開発が始まり、鉱業林業農業に加え、サービス業観光業、リクリエーションも含む複合的な経済成長が進んでいった。探検家や毛皮取引商たちが張ったテントキャンプは牧場や農場に姿を変え、砦や鉄道の駅を中心として町が建設されていった。デンバーやソルトレイクシティをはじめとしたいくつかの町はその後も成長を続け、都市を形成していった。

地域の産業

ファイル:Train in Rockies.jpg
ロッキー山脈を走る列車。長距離列車や観光列車を走らせるのみならず、山脈の豊富な鉱物資源を運搬する重要な交通手段である。

ロッキー山脈は豊富な天然資源を有している。山中で見つかる鉱物にはモリブデンタングステン亜鉛などがある。ワイオミング盆地などでは石炭天然ガスオイルシェール原油も埋蔵されている。コロラド州中央部に位置するかつての鉱山町クライマックスには世界最大のモリブデン鉱山がある(ただし町自体はゴーストタウンになっている)。モリブデンは自動車航空機耐熱鋼モリブデン鋼)生産に用いられるほか、銅との合金がハイブリッドカーロケットの電子基板に使われたり、機械の潤滑油に添加されて使われたりと、使途が広い鉱物である。クライマックスのモリブデン鉱山は約3,000人を雇っていた。近年では避暑地としても発展してきているアイダホ州の鉱業都市コー・ダリーンの周辺には銀、鉛、亜鉛の鉱山がある。カナダ領内では、ロッキー山脈沿いに多数の炭田が見られる。

しかし、鉱業はロッキー山脈に環境汚染ももたらした。コロラド州北部を流れるイーグル川(Eagle River)は、80年におよぶ鉛鉱山の操業の結果、水質が悪化し、土手までもが汚染されてしまった。鉱山の近くからの春の雪解け水に含まれていた高濃度の金属は、藻類蘚類マスの生息環境を脅かした。鉱業のために周辺の地価も下がり、飲料水の水質も悪く、リクリエーションの機会も減っていた。ある分析結果では、鉱業によって汚染された川の浄化には23億ドルを要するとはじき出された。1983年、コロラド州のある鉛鉱山のかつての所有者は川の浄化費用48億ドルをめぐって、コロラド州法務長官から訴訟を起こされた。その5年後、川の環境は大きく改善されていた。

ロッキー山脈周辺の地域では農業林業も盛んである。この地域の主な農業形態は灌漑農業や放牧である。特に高度差を利用した移牧が盛んである。これは夏には標高の高い、涼しいところで家畜を飼育し、冬には山を下りて比較的暖かいところに移ってくるというものである。

ワイオミング州が全米50州で最も人口の少ない州であるなど、ロッキー山脈周辺の人口は概して希薄である。しかし、1950年代から1990年代にかけて、ロッキー山脈周辺の州ではサンベルト諸州同様、高い人口増加率を記録した。とくに人口増加率が高かったのがコロラド州とユタ州で、40年間の人口増加率は150%を記録した。この2州にはそれぞれフロント・レンジ都市回廊(Front Range Urban Corridor)、ワサッチ・フロント(Wasatch Front)と呼ばれる都市群がある。前者はデンバーを中心に北はワイオミング州の州都シャイアンから南はコロラド州プエブロまで山脈の東麓に連なる都市群で、人口400万人に達する。後者はソルトレイクシティを中心として、ロッキー山脈の西縁をなすワサッチ山脈西麓に連なる都市群で、人口はユタ州の総人口の8割以上にあたる200万人を数える。カナダ領内には「ロデオの町」として名高く、1988年冬季オリンピック開催地としても知られる、カルガリーという人口100万人に迫る大都市がある。これらの都市では商業やサービス業、ハイテク産業が発達している。

観光

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ロッキーマウンテン国立公園

天然資源のみならず自然環境にも恵まれたロッキー山脈は風光明媚な場所や余暇のための施設もあり、毎年数百万人単位の観光客が訪れる。ハイキングやキャンプ、その他の野外スポーツなども人気である。日本人にとっては新婚旅行の人気旅行先のひとつでもある。

山脈内には以下の国立公園がある。

グレイシャー国立公園(アメリカ合衆国)とウォータートン・レイク国立公園(カナダ)は国境を隔てて接しており、併せてウォータートン・グレイシャー国際平和自然公園と呼ばれている。

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冬のレイク・ルイーズ

冬季にはスキーで賑わう。山脈内のスキーリゾートには以下のようなものがある。

ロッキーで見られる動物達

ロッキー山脈の北部カナディアン・ロッキーには、数多くの野生動物が生息しており、エルクバンフジャスパーなどでは人里にも現れる。 珍しい動物としてはグリズリー、高山の高みに生息しているシロイワヤギなどがいる。 シロイワヤギはそれこそ外敵や人がこれないような険しい崖の壁の間などにいるので、この心配などはなく、他の動物とは違う何か一種超越した感じのする生き物である。 その姿は名前のように白く、清浄な雰囲気をまとった美しさがある。

外部リンク

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