ロスアラモス国立研究所

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テンプレート:Infobox 研究所 ロスアラモス国立研究所(ロスアラモスこくりつけんきゅうじょ、Los Alamos National Laboratory、LANL)は、アメリカ合衆国ニューメキシコ州ロスアラモスに、第二次世界大戦中の1943年に、マンハッタン計画の中で原子爆弾の開発を目的として創設されたアメリカの国立研究機関である。現所長は、チャールズ・マクミラン(Charles McMillan)。

ロッキー山脈の南端の美しい森林に囲まれた広大な敷地(約110平方km)に2100棟もの施設が立ち並び、科学者・エンジニア2500名を含む1万人もの所員が勤務している。現在でも核兵器開発やテロ対策など合衆国の軍事・機密研究の中核となる研究所であるが、同時に生命科学、ナノテクノロジー、コンピュータ科学、情報通信、環境、レーザー、材料工学、加速器科学、高エネルギー物理、中性子科学、核不拡散、安全保障、核テロを抑止する核緊急支援隊の育成など、様々な先端科学技術について広範な研究を行う総合研究所でもある。アメリカ国内外の研究機関との共同研究も盛んで、多くの外国人研究者を受け入れている。年間予算は21億ドルで(2013年度)[1]、合衆国の頭脳が集まる名実ともに世界最高の研究機関であり、「合衆国の至宝」 と称される。研究所は「The world's greatest science protecting America(アメリカを守る世界で最も偉大な科学)」を標榜する。

1943年に設立、当時は「プロジェクトY」というコードネームで呼ばれていた。初代所長はロバート・オッペンハイマー。21名ものノーベル賞受賞者を擁するマンハッタンプロジェクトで開発・製造された原爆が、広島に投下された「リトルボーイ」、および長崎に投下された「ファットマン」である(詳細:広島市への原子爆弾投下長崎市への原子爆弾投下)。マンハッタン計画にあたり、機密保持のため徹底的な管理を求めた軍上層部に対し、自由な気風で研究を進めようとした科学者たちは反発し、科学者の主張は概ね認められた。ロスアラモスは原爆開発の中心地であると同時に、レオ・シラードら68名の科学者が日本への原爆投下に反対して大統領へ請願書を送り、世界で最初の反原爆運動の舞台ともなった。第二次大戦後はソ連の脅威に対抗するためエドワード・テラーらが水素爆弾の開発を行ったが、一方でオッペンハイマーらは原子爆弾の廃絶を訴え、マンハッタン計画を推進した科学者たちはテラー派とオッペンハイマー派に別れ激しく対立した。テラー派はローレンス・リバモア国立研究所を設立し、また赤狩りを利用してオッペンハイマーを失脚させた。ロスアラモスは冷戦期においても核開発競争や戦略防衛構想の中心であり続け、軍事研究におけるロスアラモスの圧倒的優位が東側陣営の軍事費増大を通じて経済基盤の疲弊を引き起こし、冷戦終結の一因となったと言われている。

サンディア国立研究所はロスアラモス国立研究所のエンジニア部門(Z部門)が独立したものであり、またローレンス・リバモア国立研究所はロスアラモスと競合させることを目的に1952年に設立された。複雑系の研究で有名なサンタフェ研究所もロスアラモスの科学者らによって設立された。

放射性物質の厳重な管理を怠ったり、機密情報を収めたディスクを紛失したりするなどの不祥事を続けざまに引き起こし、2004年7月16日に活動を一時停止した。

ロスアラモス国立研究所は、政府が所有し大学などが運営を行うGOCO形式(Government Owned Contractor Operated)の研究所で、エネルギー省の委託でカリフォルニア大学システムが60年以上に亘り管理・運営を行ってきた。2005年に行われた競争入札の結果、2006年6月からはカリフォルニア大学システム、ニューメキシコ大学ニューメキシコ州立大学ベクテル社(Bechtel)、BWX Technologies、Washington Group Internationalらで構成するLos Alamos National Security(LANS)という連合組織による運営体制に移行した。

脚注

  1. Facts, Figures, LANL, 2013年10月28日閲覧

関連項目

外部リンク

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