ラース・フォン・トリアー

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テンプレート:ActorActress ラース・フォン・トリアーLars von Trier, 本名はラース・トリアー、Lars Trier, 1956年4月30日 - )は、デンマーク映画監督コペンハーゲン出身。ドグマ95という映画の方法論に大きく関与しているが、その他にも様々なスタイルの映画で知られ、1980年代以降デンマークの映画界に対する他国の関心を高めた中心人物だと見なされている。

1991年に『ヨーロッパ』で第24回シッチェス・カタロニア国際映画祭グランプリを獲得。また、カンヌ国際映画祭に於いて1996年に『奇跡の海』でグランプリを、2000年に『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でパルムドールを受賞した。

生い立ちと初期のキャリア

ラース・トリアーはアルフ・トリアーとインゲル・トリアーの息子として(実際にはインゲルの上司が実の父親だった)コペンハーゲンで生まれた。公務員であった両親は進歩主義的な左派で、家庭内ではヌーディスト的生活を実践してもいた。子供時代のラースは休日をヌーディストキャンプで過ごすこともあったし、躾を反動的なことだと考えた両親によって様々なことを自分で決めるようまかされていた[1][2]。トリアー家は無神論の立場を取っており、「感情・宗教・楽しみ」を排し、子供には規則を作らないという家庭にしていたことが人格形成に大きな影響を与えたとラースは語っている[2][3][4][5]。11歳のときに母親の買った8ミリカメラをもらって以来、中等教育の間トリアーは自主製作の映画を撮り続けた。トリアーにとって映画は外界と関わり学ぶための手段でもあった[6]

コペンハーゲン大学映画学科卒業後、1979年にトリアーはデンマーク映画学校に入学して映画演出を学んだ[7]。映画学校在学中にトリアーはNocturne (1980) とImage of Liberation (Befrielsesbilleder 1982、卒業制作) との2本の短編映画を監督し、どちらもミュンヘン映画祭で短編賞を取っている。「フォン・トリアー」はこの時期の同級生に付けられたあだ名で、デンマークでは平凡な名の「ラース」と平凡な姓の「トリアー」の間にドイツ語圏の貴族の姓に多い「フォンvon)」をつけた仲間内のジョークであったが、トリアーは過去の偉大な映画監督であるエリッヒ・フォン・シュトロハイムジョセフ・フォン・スタンバーグ(どちらも後から「フォン」を付け加えた)へのオマージュから「フォン」を入れたままにしていると語っている。トリアーは1983年に映画学校を卒業している。

ヨーロッパ三部作

映画学校卒業後トリアーは、頭脳派連続殺人犯を描いた『エレメント・オブ・クライム』(1984) に始まる、未来に対するヨーロッパのトラウマを描いた「ヨーロッパ三部作」プロジェクトを始めた。カンヌ映画祭で技術賞を受賞した『エレメント』は色調の操作を極め、普通のデンマーク映画とは全く異なるものだった。

続いてトリアーは『エピデミック』(1987) を製作し、この映画もカンヌ映画祭のプログラムの一部として上映されている。『エピデミック』は未来世界の伝染病を描いたダークSFのパートと、その話を準備している2人の映画作家(トリアーと、友人で『エレメント』の脚本を共同執筆した Niels Vørselが演じている)を描いているパートからなっており、2つの物語は最後に融合することになる。

次にトリアーは、カール・テオドア・ドライヤーの脚本に基づきウド・キアーを主演にしたテレビ映画『メディア』を製作し、フランスでジャン・ダーシー賞を受賞している。

ヨーロッパ三部作の最後は1991年の『ヨーロッパ』(アメリカ合衆国では Zentropa (ツェントローパ)として公開された)で、カンヌ映画祭の審査員賞[8] など各地の映画祭において受賞している。

1990年にはレイド・バックによる世界的ヒット曲 "Bakerman" のミュージックビデオも監督している。このビデオは2006年のShaun Bakerによる同曲のリメイクの際にも使われている。

ツェントローパと『キングダム』

1992年にトリアーはプロデューサーのピーター・アールベーク・ジェンセンとともに映画製作会社ツェントローパ(当時最新作であった『ヨーロッパ』にちなんでいる)を作っている[7]。この会社の目的は経済的な自立を達成し、芸術的な面を完全にコントロールできるようにするためだった。この会社はトリアーの映画の他にもおおくの映画やテレビシリーズを制作している。また、ツェントローパは主流の映画製作会社としてハードコアポルノを制作しているという意味でも世界唯一のものになっている。

この会社のための資金を稼ぐためにトリアーはデンマークの国立病院(「王国病院」'Rigshospitalet' と呼ばれていた)で撮影されたテレビシリーズ『キングダム』『キングダムII』を監督した。このシリーズは第3部も予定されていたが、メインキャラクターの一人であるHelmerを演じたエルンスト・フーゴ・イエアゴーが死去したことにより暗礁に乗り上げている。

ドグマ95

1995年にトリアーの母親が死去したが、その際に遺言としてトリアーの遺伝上の父は彼女の夫ではなく、元上司でカトリックの音楽家の家系のフリッツ・ミカエル・ハートマンという男性 --彼女は「芸術家の遺伝子のため」ハートマンを選んだ--であったことを明かした。その後何度かの気まずい会見の後でハートマンはトリアーに会うことを拒否するようになってしまった[9]。この暴露の後トリアーは育ての父との関係を「消去」しようとし、カトリックに入信したり(現在はカトリックに破門されてはいないものの、神の存在は否定している)「正直さ」を大きく扱った映画作りをするようになった[6] [2]

同年にトリアーはトマス・ヴィンターベアとともに、技術的なミニマリズムの原則であるドグマ95を発表した。この時点では多くの批評家がこの方法論は急進的すぎて成功しないだろうと考えていたし、実際にこのドグマに従った映画が発表されるまでにはしばらくかかった。

トリアーはその後1996年に『奇跡の海』を発表してカンヌ映画祭でグランプリを獲得し、主演のエミリー・ワトソンはアカデミー主演女優賞にノミネートされた。この映画は厳密なドグマ95映画にはなっていないが、粒状間のある画面や手持ちカメラはドグマの行く先を示していた。『奇跡の海』はその後の『イディオッツ』(1998)、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000) とあわせ、きびしい状況の中でも純粋な心を保ち続ける女性を主人公にした黄金の心三部作を成している。

トリアーは1996年にコペンハーゲンで53人の役者を使った実験的な劇 Psychomobile 1 – The World Clock を製作している。このプロジェクトを記録したドキュメンタリーがジェスパー・ジャーギルによって記録され、2000年に De Udstillede(展覧物)として発表された。

トリアー自身によってドグマ95に完全に従って製作された映画は1998年の『イディオッツ』のみであるが、この映画がカンヌ映画祭でコンペティションにノミネートされた際トリアーは旅嫌いにも関わらず陸路カンヌまで出かけている。デンマーク映画界への国際的な関心を高めたドグマ95によりトリアーの影響も多くの作家に及ぶことになった。

過激な表現

トリアーによる『イディオッツ』での性的に過激な表現の使用はアート映画における「振り」でないセックス描写の流行をもたらした。この流れにある映画としてカトリーヌ・ブレイヤの『ロマンスX』(1999)、ヴィルジニー・デパントコラリー・トラン・ティの『ベーゼ・モア』(2000)、パトリス・シェローの『インティマシー/親密』(2001)、ヴィンセント・ギャロの『ブラウン・バニー』(2003)、マイケル・ウィンターボトムの『9 Songs ナイン・ソングス』(2004)などがあげられる。

トリアーは1998年に彼の会社ツェントローパを主流の映画会社でありながらハードコアポルノを製作する世界で初めて(今のところ唯一の)会社にしたことでも歴史に名を残している。この路線のものは"Constance" (1998)、"Pink Prison" (1999)、"HotMen CoolBoyz" (2000)と、アダルトと主流映画の混合的な『オール・アバウト・アンナ』(2005)のあわせて3本が制作された。これらは主に女性の観客を対象としており、ヨーロッパではとても成功して特に前2作は2006年3月のノルウェーにおけるポルノ合法化に直結している[10]

テンプレート:Quotation

トリアーのこの動きは、Anna Span、Erika Lust、Petra Joyらによるヨーロッパでの女性向けポルノの波を先導することになったが、ツェントローパ自身は英語圏のビジネス相手からの圧力によりこの路線を放棄することになってしまった[11]。2009年7月には、女性紙Cosmopolitanによる女性向けポルノランキングで Pink Prison は「新しい世代のポルノのロールモデルとなった」功績により1位に輝いている[12]。トリアー自身は2009年の『アンチクライスト』でより暗いテーマとともに過激な性表現に回帰することになった。

さらにトリアーは2012年、自身の監督作品としては『イディオッツ』以来14年ぶりに、前述の「『振り』ではないセックス描写」を含む映画 "The Nymphomaniac"の製作の開始を発表、再び議論を呼ぶ過激な作風となることを示唆した。

2000年代

2000年にトリアーはアイスランドのミュージシャンビョークを起用したミュージカル映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を監督し、カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した[13]。トリアー自身も作詞に参加した挿入歌 "I've Seen It All" はアカデミー賞の歌曲賞にノミネートされている。

2003年にヨルゲン・レスとともに作った『ラース・フォン・トリアーの5つの挑戦』 はドキュメンタリー映画だが、かなりの長さにわたる実験映画的部分も含んでいる。その内容はトリアーが、友人であり相談相手でもあるレスに対し彼が昔撮った実験映画 The Perfect Human (1967) を5度にわたって、それぞれ違う「障害」のもとでリメイクさせる、というものだった[14]

トリアーは続けて、機会の土地アメリカ三部作のうち2作分、ニコール・キッドマンをギャングの娘グレースとして主演で起用した『ドッグヴィル』(2003) と同役にブライス・ダラス・ハワードを起用した『マンダレイ』(2005) を監督している。どちらの映画も極端に非現実的な表現を取り入れており、役者達はチョークで床に線を引きまばらに大道具を配置しただけの録音ステージで演技している。どちらもハリエット・アンデルセンローレン・バコールジェイムズ・カーンウィレム・デフォーなど知名度も出演料も高い俳優を起用し、アメリカを舞台に人間社会の様々な問題(特に、『ドッグヴィル』では非寛容を、『マンダレイ』では奴隷制度を)描いている。

トリアーが脚本を書き、ドグマ95の盟友トマス・ヴィンターベアが監督、ジェイミー・ベルビル・プルマンを起用して銃崇拝について描いた『ディア・ウェンディ』 (2005) もアメリカを舞台にしている。『マンダレイ』と『ディア・ウェンディ』は商業的に失敗し、他のデンマーク内で重要視されていた監督達の失敗とあわせてデンマーク映画界における危機の到来のしるしと受け止められた[15]

2006年にはトリアーはデンマーク語のオフィスコメディ Direktøren for det hele を監督している。これはトリアーがオートマビジョンと名付けた、監督が最適なカメラ位置を選んだ後にコンピュータがランダムにチルト・パン・ズームを制御する方式によって撮影されている。

トリアーの次のプロジェクトはトリアーが脚本を書きヤコブ・トゥエセンが監督監督した自伝的映画 De unge år: Erik Nietzsche sagaen del 1 (2007) で、トリアーの映画学校時代を描いている。Jonatan Spangがトリアーの変わり身であるErik Nietzscheを演じ、トリアー自身がナレーションを入れている。主要な登場人物は皆デンマーク映画界の実在の人物に基づいており、Jens Albinusが映画監督のNils Malmros役として、Dejan Cukicが脚本家のMogens Rukov役として、Søren Pilmarkがセックスに依存している校長のHenning Camre役として登場する。

2009年トリアーは、「悲しみに暮れるカップルが森の中の小屋に引きこもり傷心と結婚生活のトラブルを修復しようとするが、自然が牙を向き事態は悪化していく」というコンセプトのホラー映画『アンチクライスト』を発表。この映画はウィレム・デフォーとシャルロット・ゲンズブールによって演じられ、露骨な性描写を含むことで、世界初の公開場所となったカンヌ映画祭で物議をかもした。ゲンズブールはカンヌ映画祭の主演女優賞を受賞し[16] [17]、精神的・人道的・普遍的価値をもった映画に賞を出すキリスト教系の審査団からはこの映画、とくに女性蔑視とされたことに対して「反賞」が特別に贈られた[18]

2009年末時点でトリアーは『メランコリア』という心理的破局ドラマの要素を持ったSF映画プロジェクトをアナウンスし[19]、約5百万ユーロの予算で2010年に撮影した。[20]。 同作は2011年のカンヌ国際映画祭に出品されたが、現地での記者会見の中でアドルフ・ヒトラーに理解を示す発言を行ったことがペルソナ・ノン・グラータにあたるとして理事会より事実上の映画祭追放処分を受けた[21]

2011年の9月には、The Nymphomaniac (女性の色情狂の意)という、ある女性のセクシュアリティの歴史を追求したハードコアポルノの新作プロジェクトをアナウンスした。同作にはまず、すでに度々トリアー作品に出演しているステラン・スカルスガルドにオファーが行き、出演が決定。ほかにも『アンチクライスト』に主演したウィレム・デフォーもオファーを受け、後に出演が決定した。また、『ドッグヴィル』に主演したニコール・キッドマンが出演し、トリアーの前二作に出演したシャルロット・ゲンズブールが主演を務めていることが明らかになっている。ソフトコア版とハードコア版の二つのバージョンが製作され、後者ではポルノ俳優が一般俳優の性描写の代役を務めるという。撮影は2012年夏頃にクランクインする予定であり、プロデューサーのピーター・アールベック・ジェンセンは2013年のカンヌ映画祭出品を狙っていると発言した。さらに『 トランスフォーマー』シリーズで知られるシャイア・ラブーフが同作でゲンズブールの相手役として出演することが決定、インタビューによると彼が演じる性描写は演技ではなく、「本番」になるという。[22] [23] [24]

恐怖症

トリアーは飛行機恐怖症など様々な種類の恐怖症を抱えており、「基本的に人生におけるすべてが怖い。映画作りだけは違うけれど」とも語っている。空路による移動ができないため彼の映画作りは大きな制約をうけ、今までの映画のほとんどは、アメリカ合衆国など外国を舞台にしている場合でもデンマークかスウェーデンで製作されるはめになっている。トリアーの映画のほとんどを上映しているカンヌ国際映画祭授賞式にもデンマークからフランスまで陸路自動車で出かけている。

トリアーは何度も散発的な鬱に悩まされて仕事や社会関係に支障をきたしていると語っている。2007年の後半から2009年の始めにかけての鬱病による休業は大きく報道された。

特徴的な手法

トリアーは「映画は靴の中の小石でなければならない」と語っており、独創的なものを作り上げるために映画監督が成すべきこととして、しばしば映画作りの工程に制約を設ける形で、他と異なったスタイルを用いるようにしなければならないということを主張している。有名なのは映画における「純潔の誓い」ともいうべきドグマ95である。(トリアーはこの運動に深く関わっていたにもかかわらず、彼の映画で完全にドグマ95に従って作られているのは『イディオッツ』だけだが。)ほかにも、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』では「現実」のシーンと「夢」のミュージカルシーンとの間で劇的な効果を伴った配色の違いやカメラ技術の違いが設けられているし、『ドッグヴィル』では、録音ステージの床に書かれた線で表現された壁もないセット上の町ですべてが撮影されている。

トリアーはしばしばデジタル撮影技術を取り入れてカメラを自分自身で操作し、テイク間の停止を設けずに連続的に役者の演技を撮る撮影スタイルを行っている。また、『ドッグヴィル』ではメソッド演技論に基づき役者達に何時間ものあいだ役になりきらせて撮影を行っている。これらの方法は、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のビョークをはじめ役者達に大きなストレスを与えることにもなる。また、トリアーはウド・キアージャン=マルク・バールステラン・スカルスガルドら何人かの役者達を何度も繰り返し起用している。

トリアーはカール・テオドア・ドライヤー、とくに The Night Porter から大きな影響を受けている。他にトリアーに影響を与えたものとして、The Five Obstructions の中で5度にわたりリメイクされたJørgen Lethの短編映画 The Perfect Human がある。

作品

長編映画

作品名 クレジット 備考
監督 脚本 原作 撮影
1984 エレメント・オブ・クライム
Forbrydelsens element
テンプレート:Yes テンプレート:Yes テンプレート:Yes
1987 エピデミック
Epidemic
テンプレート:Yes テンプレート:Yes
1991 ヨーロッパ
Europa
テンプレート:Yes テンプレート:Yes
1996 奇跡の海
Breaking the Waves
テンプレート:Yes テンプレート:Yes
1998 イディオッツ
Idioterne
テンプレート:Yes テンプレート:Yes テンプレート:Yes
2000 ダンサー・イン・ザ・ダーク
Dancer in the Dark
テンプレート:Yes テンプレート:Yes
2003 ドッグヴィル
Dogville
テンプレート:Yes テンプレート:Yes
2003 ラース・フォン・トリアーの5つの挑戦
De fem benspænd
The Five Obstructions
テンプレート:Yes テンプレート:Yes ドキュメンタリー映画
ヨルゲン・レスと共同監督
出演
2005 マンダレイ
Manderlay
テンプレート:Yes テンプレート:Yes
2005 ディア・ウエンディ
Dear Wendy
テンプレート:Yes
2006 Direktøren for det hele テンプレート:Yes テンプレート:Yes 日本公開未定
2009 アンチクライスト
Antichrist
テンプレート:Yes テンプレート:Yes
2011 メランコリア
Melancholia
テンプレート:Yes テンプレート:Yes
2013 ニンフォマニアック Vol.1
Nymphomaniac: Vol. I
テンプレート:Yes テンプレート:Yes ポルノ作品
2013 ニンフォマニアック Vol.2
Nymphomaniac: Vol. Ⅱ
テンプレート:Yes テンプレート:Yes
未定 Wasington 無期限延期とされた。「アメリカ三部作」の最終作。

テレビ

劇場公開もされた作品もある。

短編映画

  • 1977年 The Orchid Gardener
  • 1979年 Menthe - La bienheureuse
  • 1980年 Nocturne
  • 1981年 Den sidste detalje / The Last Detail
  • 1982年 Befrielsesbilleder / Images of a Relief (デンマーク映画学校の卒業製作)
  • 2007年『それぞれのシネマChacun son cinéma 内の Occupations
  • Dimension プロジェクト:ウド・キアー主演の映画で、1991年から2024年までクリスマスの頃に毎年3分ずつ年毎にヨーロッパの違う土地で撮影して完成させるもの。

参照文献

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外部リンク

テンプレート:ラース・フォン・トリアー監督作品

  1. In "Trier on von Trier", by Stig Bjorkman, 2005.
  2. 2.0 2.1 2.2 Scanorama 2009 August Issue
  3. テンプレート:Cite web
  4. Karen Durbin; "Every Dane has his Dogma" ; Sydney Morning Herald紙 2000年6月17日付 Good Weekend (p. 35): "Von Trier is a red-nappy baby. His mother was a Communist, his father a Social Democrat, and both worked in Denmark's social services ministry. They met during World War II in Sweden after fleeing the Nazi occupation of Denmark, 'my father because he was Jewish and my mother because she was in the Resistance.' They were also dedicated nudists (although less so than the relative von Trier describes who kept his apartment warm and 'was always completely naked, on principle'). His childhood included occasional holidays at nudist camps. 'It was very strange,' he says. 'Kind of charming'."
  5. テンプレート:Cite book (p. 109): Trier "Religion was totally forbidden, and it has always interested me. At the same time I'm a neurotic person and my biggest problem in life is control or the lack of control. [...] As a child, you create all kinds of rituals to maintain control. I was very scared of the atom bomb, so every night when I went to bed I had to perform all these rituals to save the world. And from a psychological point of view, religion is a continuation of these childhood rituals, which are there to prevent everything from reverting back to chaos." (p. 116), Trier: "I think that these ideas about control and chaos stem from my upbringing, which was unbelievably lax. There were no rules whatsoever, which creates a lot of problems, like deciding when you should go to the dentist, because everything's up to you yourself. And in that case, you end up not getting things done and that creates a lot of anxiety. I also had to force myself to do my homework, because no one told me when I had to do it. When there's nobody to enforce discipline upon you, then you have to enforce it from within. That, in return, has made me incredibly disciplined at my work today―I work all the time. But at the same time it's a tremendous source of anxiety that everything is your decision. Of course this has given me great faith in my own creativity―almost like a christening gift."
  6. 6.0 6.1 テンプレート:Cite web
  7. 7.0 7.1 テンプレート:Cite web
  8. テンプレート:Cite web
  9. テンプレート:Cite web Sydney Morning Herald
  10. テンプレート:Cite web
  11. Thomas Vilhelm: Filmbyen (Ekstra Bladets Forlag, 2003), ISBN 978-87-7731-274-8, page 74.
  12. Cosmopolitan (German edition), July 2009, page 30.
  13. テンプレート:Cite web
  14. テンプレート:Cite web
  15. テンプレート:Cite web
  16. テンプレート:Cite web
  17. テンプレート:Cite web
  18. テンプレート:Cite web
  19. テンプレート:Citeweb
  20. テンプレート:Citeweb
  21. テンプレート:Citenews
  22. テンプレート:Citeweb
  23. テンプレート:Citeweb
  24. テンプレート:Citeweb