ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

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ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団テンプレート:Lang-de)は、ドイツライプツィヒに本拠を置くオーケストラである。

概要

1743年、世界初の市民階級による自主経営オーケストラとして発足した[1]

それまでの宮廷専属(歌劇場含む)オーケストラと異なり、このオーケストラの誕生で、自らの城や宮殿等を「演奏会場」として音楽を聞いていた王侯貴族のような身分・階級でなくとも、入場料さえ払えば誰でもオーケストラ演奏を聞けるようになった。

1835年メンデルスゾーンがゲヴァントハウス・カペルマイスター(楽長)になると、技術的にも、そして楽員の年金制度創設など待遇面でもより基盤が固まり大きく飛躍することになった。ベートーヴェンシューベルトメンデルスゾーンシューマンブラームスブルックナーをはじめ、多くの作曲家の作品を初演してきたことでも知られる。

なお、現在のホールは1981年完成の三代目であり、1781年以降、代々のホールに、このオーケストラのモットーMotto)が掲げられている。(6 モットー)

特色

世界で唯一、楽員全員が、「シンフォニー」「オペラ」「宗教曲」、3つのジャンルすべてを日常的に演奏しているオーケストラである。

すなわち、本拠地ゲヴァントハウスでのシンフォーニー・オーケストラ、ライプツィヒ歌劇場でのオペラ・オーケストラ、聖トーマス教会での毎週末のミサ演奏、これら3つの仕事を、19世紀から変わることなく行っている[2] 。これは、楽員が3グループに分かれているわけではなく、全員がローテーションを組むことで成っている。(ライプツィヒ歌劇場、聖トーマス教会ともに専属オーケストラは持たない)

楽員数は約185名、世界で最も楽員数が多いオーケストラである[3]。海外公演中でも、ライプツィヒで通常通りミサ演奏・オペラ公演等、2ヶ所での並行した演奏が可能となっている[4]。第一コンサートマスターは3名おり、海外公演中も、1名はライプツィヒでその任にあたる[5]

このオーケストラの楽員全員が3つのジャンルすべてを日常的に演奏する環境にある点に加え、ミサ演奏に見られるようにバッハの作品を毎週日常的に演奏しているオーケストラも世界で唯一ここだけである。リッカルド・シャイーは、2005年にこのカペルマイスターを受諾した理由が、これらの点にあることを内外のインタビューで述べている。(5 記事)

尚、2011年、創設150周年を迎えたゲヴァントハウス合唱団(下記、関連演奏団体)もあり、約185名の楽員と合わせ、世界有数の規模の音楽団体の一つである。

関連演奏団体

楽員による自主運営団体については、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団やゲヴァントハウスバッハオーケストラがある。前者は、1808年に結成され、2008年に結成200周年を迎えた世界最古の弦楽四重奏団で、結成から現在まで継続して首席奏者達により演奏活動が行われている。歴代メンバーには、メンデルスゾーンブラームスチャイコフスキー、これら3つのヴァイオリン協奏曲の各初演ヴァイオリニストの3名が名を連ねている[6][7][8][9]

声楽では、ゲヴァントハウス合唱団、ゲヴァントハウス児童合唱団がある。前者は、1861年、ゲヴァントハウス・カペルマイスターのカール・ライネッケにより創設され、1869年2月18日、カール・ライネッケ指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により初演されたブラームスドイツ・レクイエムで合唱を担当している。

年表

  • 1743年 3月11日 16名のメンバーで最初の「Große Concert(大コンサート)」を開催。市民階級の設立したフェラインにより運営されていたため、最古の民間オーケストラといわれる。
  • 1744年 3月9日 1周年記念コンサートが開かれ、リーダーを務めてきたヨハン・フリードリヒ・ドーレスバッハの弟子で後のトーマスカントル)のカンタータが上演された。この年からブリュールのゲストハウス「Drey Schwanen(三羽の白鳥)」に演奏会場を定める。
  • 1756年 七年戦争のためコンサート活動が停止に追い込まれた。戦前「Große Concert」のフルート奏者を務めていたヨハン・アダム・ヒラーを指揮者に迎え、1763年活動が再開された。
  • 1781年 11月25日 大学通りの「ゲヴァントハウス」(織物の見本市会場として使われていた建物)へ演奏会場を移し、初代カペルマイスター・ヒラーのもとコンサートが開かれた。
  • この会場名が楽団名の由来となった。
  • 1918年 12月31日 第一次世界大戦の終結とドイツ革命の起こったこの年、「平和と自由」の願いをこめて、バーネット・リヒトとアルトゥール・ニキシュのコラボにより、ベートーヴェン第九が演奏され、「年末の第九」がゲヴァントハウス管弦楽団の伝統となった。
  • 1933年 ユダヤ系だったワルターに対し、ナチスは演奏活動の禁止を命じる。ワルターはカペルマイスター辞任に追い込まれ、オーストリア、スイス、フランスを経てアメリカに亡命。
  • ワルターに対しては、第二次世界大戦後その功績を称え、ライプツィヒ市から「ニキシュ賞」(1957年)、ゲヴァントハウス管弦楽団から「名誉団員」の称号(1961年)が贈られている。
  • 同時期には、前任者のノイマンもビロード革命を支援すべく、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者として連日スメタナの「わが祖国」を演奏し続けていた。
  • 1998年 ヘルベルト・ブロムシュテットがカペルマイスターに就任。
  • 2005年 リッカルド・シャイーが第19代カペルマイスターに就任。シャイーはライプツィヒ歌劇場の音楽監督も兼務している。
  • 2008年 来日公演が予定されていたが、シャイーの急病により直前に中止となった。この時のプログラムは、ブルックナーの交響曲第4番を中心とするもの、マーラーの交響曲第1番を中心とするものの2種類用意されていた。
  • 2009年 前年に中止となった来日公演の予定曲目(ただし、それぞれのプログラムの前半、ソリストは異なる)による来日公演が行われた。

指揮者

音楽監督

カペルマイスター

メンバー(楽器順)

コンサートマスター

弦楽器

木管楽器

金管楽器

記事

  • (日)レコード芸術 2010年1月号 "今月のアーティスト]リッカルド・シャイー(指揮)…… 諸石幸生"
  • (英)The Times. 2008-11-02. "How Riccardo Chailly reinvented the Gewandhaus Orchestra"
  • (英)The Times. 2009-12-25. "Riccardo Chailly on LGO as Barbican regular"
  • (英)Telegraph. 2009-12-25. "Leipzig Gewandhaus Orchestra: safe in the hands of Riccardo Chailly"
  • (独) MDR Regional Sachsen. 2008-06-20. "Riccardo Chailly will Leipziger Oper verlassen"
  • (独)Leipziger Volkszeitung. 2008-06-20. "Chailly hört bei der Oper auf - Verlängerung beim Gewandhaus"

モットー

Res severa verum gaudium

1743年の発足から38年後、1781年、ゲヴァントハウスの初代ホールがオープンした時から、古代ローマの政治家・哲学者・詩人であるセネカのこの言葉がホールに掲げられており、今日に至るまで、このオーケストラのモットーMotto)となっている。(発音:レ セベーラ ベルン ガウディオ)

このラテン語の文言について、ゲヴァントハウス公式ホームページに、ドイツ語訳と英語訳が記載されている。ドイツ語訳「Wahre Freude ist eine ernste Sache」、英語訳「True pleasure is a serious business」。

現在の三代目ゲヴァントハウス(1981年完成)では、客席正面のアレキサンダー・シュッケ社製オルガンに、大きくこの文言が刻まれている[10][11]

外部リンク

脚注

  1. アンドレアス・シュルツ(ゲヴァントハウス管弦楽団 事務局長)インタビュービデオ
  2. ゲヴァントハウス公式ホームページより、「St. Thomas's Church and the Leipzig Opera」、「When the orchestra came under the aegis of the city in 1840, it was charged with the task - still in effect to this day - of providing the services of the Gewandhaus Orchestra at three Leipzig performance venues: accompanying the St. Thomas's Boys Choir at St. Thomas's Church, for productions of the Leipzig Opera and for the Grand Concerts in the Gewandhaus. These three functions make the Gewandhaus Orchestra one of the busiest orchestras in Germany, with over 200 performances in Leipzig and on tour, and the centre of Leipzig's musical life. 」。 また、ゲヴァントハウス管弦楽団は、オペラも、ミサ演奏も、オーケストラの名前はそのままで行う。他では、名前を変えるケースが多いテンプレート:要出典。なお、ライプツィヒ歌劇場が、「歌劇場管弦楽団」といった「専属オーケストラ」を持たない点については以下の2つを参照。ドイツ版 wikipedia「Oper Leipzig」より、Geschichte、「Die Oper Leipzig hat kein eigenes Opernorchester, traditionell spielt bei allen Vorstellungen im Opernhaus das Gewandhausorchester. Die Kooperation zwischen Opernhaus und Gewandhausorchester begann 1766 mit dem Singspiel „Der Teufel ist los oder Die verwandelten Weiber“ von Johann Adam Hiller. 」、英語版 wikipedia「Leipzig Opera」より、「The Leipzig Opera does not have its own opera orchestra, and the Leipzig Gewandhaus Orchestra performs as the orchestra for the opera. This relationship dates back to 1766, with performances of the Singspiel Die verwandelten Weiber, oder Der Teufel ist los by Johann Adam Hiller.」。
  3. アンドレアス・シュルツ(ゲヴァントハウス管弦楽団 事務局長)インタビュービデオ
  4. オペラハウスで演奏する歌劇場管弦楽団が、シンフォニーコンサートでは名前を変えて演奏するケース、逆に、コンサートオーケストラが、そのままの陣容と名前でオペラを演奏するジュネーブやザルツブルクのケース、等々はよく知られている。しかし、ゲヴァントハウスの場合はフル編成二班に分かれ独自に稼働できるため、ライプツィヒ歌劇場は他のドイツの歌劇場と変わりなくシーズン稼働している。
  5. コンサートマスター「Christian Funke」「Frank-Michael Erben」「Sebastian Breuninger」の3名。海外公演中、2名もしくは1名が同行して、ライプツィヒでは1名もしくは2名がその任にあたる。ちなみに、2009年アジアツアー(中国・日本、公演順)は「Frank-Michael Erben」「Sebastian Breuninger」がツアーに同行し、2011年アジアツアー(日本・韓国・台湾・香港、公演順)では「Christian Funke」「Frank-Michael Erben」がツアーに同行した。いずれの場合も1名はライプツィヒでその演奏にあたる。
  6. チャイコフスキー・ヴァイオリン協奏曲の初演ヴァイオリニスト、アドルフ・ブロツキーのみ、ゲヴァントハウス管弦楽団に在籍歴はないが、1883年1891年、ブロツキーがライプツィヒ音楽院教授時代、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団で、第2ヴァイオリンを担当した。(2008年11月10日、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団来日時、首席チェロ奏者ユルンヤーコブ・ティムへの「結成200周年」に関するインタビュー記事より オーケストラブログ)
  7. ゲヴァントハウス弦楽四重奏団 ドイツ版 wikipediaより、「Gewandhaus-Quartett」 Besetzung、2段落目後半 「So z.B. unter Henri Petri (1856-1914) und Adolf Brodsky (1851-1929) oder Edgar Wollgandt (1880-1949) und Kurt Stiehler (1910-1981). Zumeist stellten dies aber nur kurze Phasen des Übergangs dar.」
  8. チェリストDAVID JOHNSTONE の論文 (PDF版) 「THE LATE-ROMANTIC GERMAN CELLO SCHOOL — AN INTRODUCTION TO JULIUS KLENGEL AND HIS COMPOSITIONS」 http://www.j-music.es/FileUpload/articulos/vlc016-ARTICLE-Julius_Klengel_j-m.pdf 、3ページ目 最後5行 「Gewandhaus Quartet, led by the violinist Adolf Brodsky (to whom. Tchaikovsky had dedicated his Violin concerto)」
  9. フェルディナンド・ダヴィッド(1836-1873)の死後、Engelbert Röntgen(1873-1884)、Henry Schradieck(1874-1882)、Henri Petri(1882-1889)、Arno Hilf(1889-1891)、Karl Prill(1891-1897)、Max Lewinger(1897-1899)らがゲヴァントハウス弦楽四重奏団のプリマリウスを務めた。(カッコ内は在籍期間、重複期間は第一ヴァイオリン奏者が複数いたことを示す。)その後1899年にはMax Rother以外の3名が退団した。
    これとは別に、ライプツィヒ音楽院に着任したアドルフ・ブロツキー(1884-1891)は、自らをリーダーとする弦楽四重奏団を組織し、彼の渡米後はArno Hilf(1891-1898)がこの四重奏団と音楽院教授の職を引き継いだ。(カッコ内は在籍期間。)しかし1898年チェロのユリウス・クレンゲル以外のメンバーが交代し、翌1899年には前述のビオラ奏者Max Rotherを迎え両団体は統合された。
    なお、アドルフ・ブロツキーが「第2ヴァイオリンを担当した」(脚注6)との記述は、引用者によるブログ記事の読み誤りであり、このような事実はない。また同じ引用者の「led by the violinist Adolf Brodsky」(脚注8)とも矛盾する。(これでは第2ヴァイオリン奏者が当該四重奏団を率いたことになってしまう。)ただし、若きヨーゼフ・ヨアヒムは第2ヴァイオリンを担当したこともある。
  10. ゲヴァントハウス・公式サイトの Gewandhaus History 3段落目、「The centrepiece of the hall is the majestic organ built by Schuke of Potsdam with its four manuals, 89 ranks, three chime and cymbal stops and 6,638 pipes.」、および、「The organ bears an inscription with the Gewandhaus motto "RES SEVERA VERUM GAUDIUM" (True pleasure is a serious business).」
  11. 東独時代一時公社化されVEB Potsdamer Schuke Orgelbauとなったが、1990年から社名をAlexander Schuke Potsdam Orgelbau GmbHに戻した。