日本人とロシア人の友好の家

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古釜布の街中に、ソ連が建設した建物と並んで建つ「友好の家」。

日本人とロシア人の友好の家テンプレート:Lang-ru)は、千島列島国後島中心集落・古釜布(ロシア名・ユジノクリリスク)のグネチコ通りにある緊急避難所兼宿泊施設として建設された[1]施設である。

日本共産党衆議院議員佐々木憲昭が元北海道開発庁長官の鈴木宗男の影響力が大きいことを表現するために「現地では『ムネオハウス』と呼ばれている」と国会で発言したため、日本(本土)ではムネオハウスという俗称がある。

概要

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内部の食堂兼集会室。日本とロシアの国旗、日本製消火器が置いてある。テレビは、日本の放送とロシアの放送の両方が映る。窓の外の黄色い建物は、南クリル行政府庁舎。

電話番号は 7(ロシアの国番号)-42455(市外局番)-22155 である。建物は2階プレハブ建ての比較的簡素なつくりであり、部材はすべて日本本土から持ち込んだもので、鈴木の働きかけにより根室に本社がある渡辺建設工業が元請となって建設された。総工費は、4億1685万円。内部はほぼ完全に日本様式になっている。1室の定員は、2~6人と室により異なる。

付帯設備として、シャワー式浴場、食堂、厨房、洗面所、洗濯機、管理人室などが設置されている。これらの室にある家具類も、すべて日本本土から持ち込まれたものである。配電は、ロシア仕様のコンセントと、日本仕様の100Vのコンセントの両方がある。

島民の緊急避難用として、また副次的には四島交流で訪問する日本人の宿泊先として[2]建設され、実態としては、日本領有権を主張する「北方領土」に於いて、「ビザなし交流」で国後島を訪れた日本人訪問団、ならびに日本に「ビザなし交流」で赴くロシア国籍住民の宿舎として利用されてきた。施設の管理はロシア側が行っている。

北海道選出の大物政治家である鈴木宗男の尽力によって建設された。しかし、2002年に鈴木宗男に対して利権疑惑の一環として日本人とロシア人の友好の家の鈴木宗男利権が取り上げられ、鈴木宗男の公設秘書1人と地元建設業者5人の計6人が起訴され、全員が有罪判決を受けた。利権疑惑は他にも波及し、鈴木宗男の政治的影響力は低下した。

鈴木宗男が外務省に対し権勢を振るっていた頃は、日本政府から潤沢な維持費が提供されていたが、鈴木宗男事件の後は全て打ち切られた。このため、内部の維持に経済的に苦慮する状態となっており、ビザなし交流団だけでなく一般観光客などさまざまな人を宿泊させるホテルのように利用されて維持費を捻出している。2006年8月16日に発生したロシアによる日本の蟹かご漁船への銃撃・拿捕事件(第31吉進丸事件)で、船長をはじめとする乗組員が一時この施設に拘束されていた。

参考文献

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関連項目

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