ミユキ野球教室

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ミユキ野球教室』(ミユキやきゅうきょうしつ)は、1957年3月17日から日本テレビ系列局で放送されたスポーツ番組御幸毛織の一社提供(一時期を除く)。

概要

初期においてはタイトルが示すとおり、野球評論家の中澤不二雄とゲストの野球関係者が野球の技術を講義する教養番組であったが、後にプロ野球情報番組へ転向。

主に日本テレビが製作を担当していたということもあって巨人軍の話題が多く、長嶋茂雄(現・巨人終身名誉監督)、王貞治(現・福岡ソフトバンクホークス会長)といった名選手の貴重な映像財産となっていた。また、一時期は読売テレビ(YTV)、広島テレビ(HTV)、名古屋放送(NBN)→中京テレビ(CTV)、テレビ西日本(TNC)→九州朝日放送(KBC)→福岡放送(FBS)と、プロ野球チームの本拠地がある地域の系列局が製作した回もあり、製作著作のクレジット表記や。番組冒頭のネットワーク表示の先頭に日本テレビ以外の系列局の略称が入ることで判別できた。また内容によっては前述の系列局が企画ネット番組扱いとして同タイトル・スポンサーによるローカル版に差し替えることがあった[1]

番組開始当初は日曜 9:45 - 10:00 (JST) に放送の15分番組だったが、1963年に9:30 - 10:00の30分番組となった。

1986年1月、番組は日曜11時台へ移動。その際にミユキを含む複数社提供へと移行し、番組自体も『野球教室』と改題された。

1986年の複数提供移行前までは、スポンサーのミユキのオープニングキャッチの後、オープニングのテーマ曲をバックにアナウンサーによる「御幸毛織提供、ミユキ野球教室」のタイトルコールと、放送回数のテロップが表示されていた。回数テロップは複数提供時代も含めて、最終回の第1696回まで継続された。

また、提供読みは複数スポンサーになるまでは地方局製作の場合はその担当局のアナウンサーが行っていたが、複数スポンサー以後になってから最終回までは地方発であっても日テレから行われていた(ローカル差し替え時を除く)。

ちなみにテーマ曲は、「スポーツ行進曲(日本テレビスポーツのテーマ)」(作曲:黛敏郎)が長年にわたって使われていたが、11時台への移行後は「ハリウッド・イリュージョン」(菊池ひみこ[2]や「Solid Swing」(カシオペア)が使われるようになった。

1988年には15分に縮小し、再びミユキの一社提供へと戻った(ただし、後述のオープニングキャッチは流れず)。そして、1990年3月25日放送分をもって33年間の歴史に幕を下ろした。

なお、最終回では前年限りで現役を引退し日本テレビ野球解説者となった元巨人・中畑清のリクエストにより、番組の途中ながら約4年ぶりにミユキのオープニングキャッチが流れた。

出演者

ネット局

ゴシックの局は製作参加局。基本的には日本テレビ製作だったが、回によってはプロ野球球団本拠所在地の放送局が製作を担当することもあった。ただし、ネットマストバイ(配信)は日本テレビが行った。 系列はネット終了(1990年3月)時点のもの。

放送対象地域 放送局 系列 備考
関東広域圏 日本テレビ 日本テレビ系列 番組幹事局
北海道 札幌テレビ 1972年3月まではフジテレビ系列とのクロスネット局
青森県 青森放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1975年3月までは日本テレビ単独加盟局
岩手県 テレビ岩手 日本テレビ系列 1969年12月開局から
1980年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局
宮城県 仙台放送 フジテレビ系列
日本テレビ系列
1970年9月まで
ミヤギテレビ 日本テレビ系列 1970年10月開局から
1975年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局
秋田県 秋田放送
福島県 福島テレビ 1971年9月まで
福島中央テレビ 1971年10月の福島テレビとのネット交換から
1981年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局
山梨県 山梨放送
新潟県 新潟総合テレビ フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1981年3月まで
テレビ新潟 日本テレビ系列 1981年4月開局から
富山県 北日本放送
福井県 福井放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1989年3月までは日本テレビ単独加盟局
静岡県 静岡第一テレビ 日本テレビ系列 1979年7月開局から
中京広域圏 中部日本放送 TBS系列 現・CBCテレビ
名古屋放送 日本テレビ系列
NETテレビ系列
1973年3月まで
中京テレビ 日本テレビ系列 1973年4月から
変則ネット解消に伴う移行
京阪神大都市圏 大阪テレビ KRテレビ系列
日本テレビ系列
現・朝日放送
読売テレビの開局に伴い移行
近畿広域圏 読売テレビ 日本テレビ系列 昭和33年8月の開局時より大阪テレビから移行
鳥取県

鳥取県・島根県
日本海テレビ 1972年9月まではフジテレビ系列との、
1989年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局
1972年9月21日までの放送エリアは鳥取県のみ
1972年9月22日からの電波相互乗り入れに伴い島根県でも放送
広島県 広島テレビ 1975年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局
山口県 山口放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1978年9月までは日本テレビ単独加盟局
徳島県 四国放送 日本テレビ系列
香川県

香川県・岡山県
西日本放送 1983年3月までの放送エリアは香川県のみ
1983年4月の電波相互乗り入れに伴い岡山県でも放送
高知県 高知放送
福岡県 テレビ西日本 1964年9月まで
九州朝日放送 NETテレビ系列 1964年10月から1969年3月まで
テレビ西日本のフジテレビ系へのネットチェンジに伴う移行[3]
福岡放送 日本テレビ系列 1969年4月開局から
長崎県 テレビ長崎 フジテレビ系列
日本テレビ系列
1969年4月開局から
熊本県 熊本放送 TBS系列 1982年3月まで
くまもと県民テレビ 日本テレビ系列 1982年4月開局から
大分県 テレビ大分 フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
1970年4月開局から
鹿児島県 南日本放送 TBS系列 1969年3月まで
鹿児島テレビ フジテレビ系列
日本テレビ系列
1969年4月開局から
1982年9月まではテレビ朝日系列とのトリプルネット局
沖縄県 沖縄テレビ フジテレビ系列 1980年代の一時期のみ

脚注

  1. 実例として広島テレビでは、1988年2月に芝草宇宙島田直也他当時の新人選手特集を広島東洋カープの春季キャンプ中継に差し替えたことがある。
  2. 高崎一郎柴俊夫司会時代の『レディス4』でもテーマ曲として使用されていた。
  3. NETテレビ系。この当時テレビ西日本が日テレ系から離脱し、フルネットが無かったため、番組販売という形で参加し、西鉄ライオンズを題材にした番組があったときに製作に加わった。

外部リンク

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