ミュージックフェア

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:基礎情報 テレビ番組シオノギ・ミュージック フェア』(英称 : SHIONOGI MUSIC FAIR )は、フジテレビが制作する音楽番組

1964年8月31日に放送を開始し、長期に渡り放送されている長寿番組でもある。ハイビジョン制作および字幕放送も実施され、フジネットワークの多くの放送局に供給され放送されている(放送していない系列局については、#ネットしていない系列局を参照)。

タイトルが示すように、開始当初から塩野義製薬による一社提供番組。新聞番組表などでは、「MF」「ミュージックフェア」「Mフェア」などの略称で表記される場合もある。

概要

1964年3月29日に特集番組として放送されたことに端を発し、同年8月31日よりレギュラー番組として、特集版の司会を担当した越路吹雪を司会役に据えて、本格的にスタート。落ち着いた雰囲気で、毎回違う歌手の共演を行う。

1967年5月1日放送よりモノクロからカラー放送に切り替え、1978年10月3日よりステレオ放送となる。なお、現存する最古の映像は1969年10月21日放送分である。

フジテレビのもう一つの看板音楽番組であった『夜のヒットスタジオ』とも異なる、その大きな違いは放送時間や生放送か否かという点以外にも、番組構成・選曲・人選の面で、その時折の曲を中心とするのではなく、あくまでもスタンダードナンバーを中心とする選曲、ゲストの人数を1 - 3組程度に絞り込むという少数ゲスト制、アイドル歌手よりもベテラン・実力派を重宝するという点で独自の番組カラーを打ち出した。

スタッフには、大ベテランのエグゼクティブプロデューサーにして、現役ディレクターの石田弘がいる。2008年10月4日放送分(『MUSIC FAIR』改題後)は、エンディングのクレジットに『制作・フジテレビ音組』が入った。

30分番組の理由

当初から30分番組の理由は、薬事法や製薬業界の宣伝・景品に関する規約(公正競争規約)等によるものではなく、製薬会社側が自主的に31分以上の一社提供を避けているためである(紳士協定[1] [2][3] [4]

なお参議院選挙および衆議院選挙の開票が即日になるまでの日曜日は、当日の夜も放送していた。ただし、日曜日時代の1989年1月8日は、昭和天皇崩御による報道特別番組のため休止され、翌週の1月15日に改めて放送された(この日は生前最後の同番組出演となる美空ひばり特集だった)。また、放送枠が選挙特別番組になった場合でも、23時台前半枠は、塩野義製薬の1社提供枠でセールスされていた(『スーパーナイトFNN選挙開票速報2時間スペシャル』も含む)。

土曜18時に枠移動

2001年4月7日より、番組名を『MUSIC FAIR 21』にリニューアルし、日曜23時台前半からそれまで夕方の全国ニュース(『FNNスーパータイム』→『FNNニュース ザ・ヒューマン』→『FNNスーパーニュース』)を放送していた土曜18時台前半に移動した。テーマ曲の「今夜は夢のミュージックフェア」という歌詞はそのままであるものの、以前の放送時間よりもかなり早い時間での放送となっている。 土曜夕方6時前半枠がニュース番組以外になるのは、「あした天気になあれ」が金曜19時前半枠に移行して以来16年半ぶりとなる。

リニューアル後は、旧来からのスタイルを残しつつもVTRを用いた過去のエピソードのコーナー(転機など)や、好きな食べ物を紹介する「この一食」コーナー[5]も企画されていたが、いずれも半年程で終了し、リニューアル前の状態に戻されている。また、新しくエンディングにて出演歌手との記念撮影のコーナーも新設され、その写真が応募した視聴者にプレゼントされるという企画も行われていたが(掛け声は「ミュージックフェア21」だったが、初期は「MF21」と言っていた)、こちらも2008年9月を以って終了している。

リニューアル前はほぼなかったジャニーズ事務所所属タレントの様なアイドル歌手の出演も増え始め、往時の様に必ずしも歌唱力のある者ばかりが出演しているとは限らず、リニューアル前は常連だったベテラン・実力派歌手の出演も激減する。ビッグバンドによるエコーを聴かせた独特の音響と、若干のぼかしを入れた映像演出も今では見られない。

FNSの日』の放送日に関しては、2001年・2003年の場合は休止した。しかし、2004年以降は開始時間が18:30や19:00に繰り下がるようになったため、『FNSの日』の放送日でも放送されていて、2009年7月25日には『FNS26時間テレビ』の関連企画で「緊急特集ヘキサゴンファミリー総力コラボ」として放送され、同年以降の『FNSの日』は通常放送となっている。しかし、2011年からタイトルが「27時間」なのに、2012年放送回の後日(7月23日)の「笑っていいとも!」でその年の司会者であるタモリが正確には26時間24分になっているのか疑問になっていた。

2004年3月27日放送分で放送2,000回を達成した。2007年10月6日18:00(JST)から、音組とのコラボレーション企画で、公式ウェブサイトが開設。

2008年3月で放送2,200回を迎えたことに伴い、3月は1か月にわたり、2,200回特別月間として豪華アーティストの共演(最終週のみ総集編)を放送した(2008年2月21日東京国際フォーラムにて収録)。

2009年4月以降は1組だけの企画を「ワンマンショー」と題したり、2回連続企画を定期的に行っている。2009年10月3日放送分(2,280回)からは地上アナログ放送ではレターボックスでの放送に移行した。それに伴い、再度リニューアルを実施した。 2010年3月で放送2300回を迎えたことに伴い、2月26日に大阪厚生年金会館ホールにて公開収録が行われ、3月に4週連続で2300回記念特番として放送された(翌週4月3日も総集編を放送)。

2010年12月4日放送分は同日のゴールデンタイムに『2010 FNS歌謡祭』が生放送されたため、本番組も生放送編成で『2010 FNS歌謡祭』の出演歌手がゲスト出演する形式となり、実質『2010 FNS歌謡祭』のプレ番組のような扱いであった。『2010 FNS歌謡祭』の会場には本番組の司会者である鈴木杏樹・恵俊彰も姿を見せていた。なお、土曜日のゴールデンタイムの編成を日本テレビ系列に定めているため『2010 FNS歌謡祭』を同時ネットできないテレビ大分でもこの回の本番組は通常通り同時ネットで放送された[6]

かつては年末年始であっても通常通り放送されたが、その後少なくとも1週は休止されていて、2004年7月10日のプロ野球オールスターゲーム第1戦、2009年11月7日のプロ野球日本シリーズ第6戦『北海道日本ハムファイターズ読売ジャイアンツ』、翌2010年11月6日の日本シリーズ第6戦『中日ドラゴンズ千葉ロッテマリーンズ』を中継し、さらには2011年3月12日は東日本大震災関連特番を放送、2012年8月4日はロンドンオリンピックを放送、2013年7月20日はサッカー東アジアカップ2013 女子 『日本×中国』を放送、年末年始以外では珍しく本番組は休止[7]となった。 ちなみに、2004年5月22日の放送分は、放送途中で当時内閣総理大臣小泉純一郎による日朝首脳会談のニュースが放送されたため、翌週の5月29日に改めて放送された。

1990年代後半以降のバラエティ番組や音楽番組などでは、なぞりテロップの多用が目立つが、本番組では行われていない。なお、喋った内容は字幕放送で確認できるほか、画面左上に質問内容などのヘッダが表示されている。

2010年代に入ってからの関東地区における視聴率は、5 - 6%台で推移している[8]。『サイゾー』2013年8月号は「(本番組の)視聴率は下降気味だが、塩野義製薬が本番組の提供を続ける意向であることと、フジテレビが塩野義製薬から年間10億単位のスポンサー料を得ているという事情から、本番組は打ち切りの対象にならない」と報じている。

番組名について

1999年まで『ミュージックフェア』の後に西暦の下2桁('yy)を付して用いていたが、2000年以降は行っていない(これは、同局の『ドリフ大爆笑』、『ニュースJAPAN[9]にも同じ措置がなされている)。

4度目の枠移動に合わせて、2001年4月7日から2008年9月27日までの7年半の間は世紀を示す数字を加えて『MUSIC FAIR 21』(-にじゅういち)となったが、不評により、2008年10月4日から、2001年3月25日以来7年半ぶりに再度『MUSIC FAIR』に戻っている(この英字ロゴは、長門・南田夫妻時代の最末期にあたる1980年頃から併用されている)。

正式番組名

  • シオノギ・ミュージックフェア'西暦下二桁」( - 1995年3月)
  • シオノギ MUSIC FAIR'西暦下二桁」(1995年4月 - 1996年9月)
  • SHIONOGI MUSIC FAIR'西暦下二桁」(1996年10月 - 1999年12月)
  • SHIONOGI MUSIC FAIR」(2000年1月 - 2001年3月25日、2008年10月4日 - 現在)
  • SHIONOGI MUSIC FAIR21」(2001年4月7日 - 2008年9月27日)

オープニングテーマ

オープニングテーマ曲は保富康午作詞・山本直純作曲によるもの。編曲はその都度変わり、現在は武部聡志が担当している。

歌い手はザ・ピーナッツ森山良子サーカスを経て、2011年時点ではゴスペラーズが受け持っている

番組中で歌われる歌詞についてはオープニングタイトルの変更や歌手の交代に際して改定されている。1997年3月までは「♪歌おう踊ろう今夜はみんなのラララミュージックフェアー輝く喜び今夜は夢のラララミュージックフェアー」で始まっていた(後に塩野義製薬の30秒CMを挟んでからのスタートだった)。同年4月以降は一部歌詞が改められ、現在の「♪歌おう踊ろう今夜は夢のラララミュージックフェアー」となった。

なおこれとは別に、ミュージカル・アカデミーが歌唱したテーマ曲も使用されていた。このテーマ曲は、旧・CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)から発売されていた「オリジナル版懐かしのテレビ番組テーマ大全集 昭和28〜43年」に収録されていたが、現在は廃盤となっている。

オープニングタイトル・エンディングタイトル

  • 1995年3月頃までは、番組の開始時にテーマソングに乗せながら出演者紹介とタイトル、そして提供クレジットの順番で流れていた。また、出演者紹介後のオープニングタイトル・エンディングタイトル(「おわり」を除く)・提供クレジットはブルーバックの中央に白く四角に抜かれた部分に表示していた('83、'87、'88はブルーバックの中央に白いラインに抜かれた部分に、'89のみブルーバックに表示)。
    • 年度によって少々違っており、'79、'80、'84、'85、'86、'90、'91、'92、'93、'94はブルーバックの中央に白く四角に抜かれた部分に表示。なお、'79、'80は出演者紹介なしでタイトルへすぐ進む。'87、'88は白いラインにオレンジの縁取りがつく。'90、'91、'92、'93、'94は中央に赤い線が入る。'86は年号を除きタイトルが白く四角に抜かれた部分に、年号がブルーバックに表示。'89、'92は年号がゴシック体に、'90、'91、'93、'94、'95は年号が明朝体に表示。また、'95は番組のタイトル表示が一部変更されていた。なお司会者の挨拶および1曲目の開始はCM明けで本編が始まると次回予告前までCMが一切なかった。
  • 1995年4月から1996年9月までは、以下のパターンとなった。
    • 1曲目終了→司会者の挨拶→スタジオをバックに「"シオノギ MUSIC FAIR"」が画面中央に表示→表示が「提供 シオノギ製薬」に変わる→CM入り→2曲目
    • 今回よりオープニングタイトル及びエンディングタイトルともに「″MUSIC FAIR″」のロゴに統一された。また、EDの提供クレジットおよび同タイトルはスタジオバックに表示されるようになった。
  • 1996年10月から1997年3月までは、テーマソングに乗せながら以下のようなアニメーションで流れる。
    • 「白い雲を模した背景に"MUSIC FAIR"が表示」→「楽譜」→「宝石が8個出てきて回転」→「その1個がクローズアップ」→「出演者紹介」→「楽譜に戻り、音符が大量に出て消える」→「"MUSIC FAIR"の文字が回転しながらフェードイン」→「"SHIONOGI"の文字が上に、年号が右上にそれぞれ出る」→表示が「提供 シオノギ製薬」に変わる。
  • 1997年4月から1999年12月までの流れ
    • 1曲目終了後→テーマソングに乗せ、「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」の文字が画面中央あたりにゆっくり拡大してきて、年号が右上に表示→画面が白い雲を模した背景になり「提供 シオノギ製薬」が表示されるが、このときからBGMがCM直前まで流れるようになった(前回では提供クレジット時は無音だった)。
  • 2000年1月から2001年3月までは、以下のパターンとなった(これは、前述の通り年号が右上に表示されなくなったため)。
    • 1曲目終了後→テーマソングに乗せ、「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」の文字が画面中央あたりにゆっくりと拡大→画面が白い雲を模した背景になり「提供 シオノギ製薬」が表示される。
    • ただしこの時期にアーティストの曲を中心に据える回があり、このときは会場をバックに「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」とだけ表示され、すぐ1曲目に入った。そして1曲目の終了後に司会者をバックに写しながら、画面中央もしくは下部に「提供 シオノギ製薬」と表示されるのみであった(提供コメントなし)。1996年10月から1997年3月までは、司会者の挨拶および1曲目で、1997年4月から2001年3月までは、出演者の紹介および2曲目の開始はCM明けで、本編が始まると次回予告前までCMが一切なかった。また、ロゴがシオノギから "SHIONOGI" に変更されたほか、前述の1996年10月から1997年3月までのオープニングタイトルおよび提供クレジット(1997年4月から2001年3月まではOPの提供クレジット・EDの提供クレジット)およびエンディングタイトル(「おわり」も含む)は統一の白い雲を模した背景に表示していて、2001年3月まで続いた。
  • 『MUSIC FAIR 21』(2001年4月 - )からは以下の流れ(現在もこの流れだが、細部には違いがある)。
    • 1曲目終了後→テーマソングに乗せ、「"SHIONOGI MUSIC FAIR 21"」(2008年9月まで。2008年10月以降は「"SHIONOGI MUSIC FAIR"」)の文字が画面中央にフェードイン→ブラインドのように画面が切り替わり、「提供」の文字が上に、「シオノギ製薬」の文字が流れるように右→左と別々に表示される。
    • なお、CMの開始は本編明けで、番組開始から次回予告前までCMが一切なかった。また、EDの提供クレジットおよび同タイトルは再びスタジオバックに表示されていて、タイトル部分も「おわり」から「END」に変更された。しかし、現在は「END」の表示はしておらず、その代わり「来週もお楽しみに」と表示している、前述の通り放送開始から2008年9月までは一部の回を除き記念撮影をバックにしていた。その後に、同年10月から2009年9月までは一部の回を除き次回からの出演者がトークしている映像をバックに表示されていて、タイトル部分も「END」から「来週の一言」に変更されたが、前述地上アナログ放送レターボックスでの放送移行に伴い、同年10月以降は統一のスタジオで歌っている映像をバックに表示されていて、タイトル部分の「来週の一言」の表示は廃止された。

次回予告

  • 2001年3月まで:スタジオで歌っている映像バックでエンディングの提供読みを担当した女性によるアナウンスだった(1989年3月までは中村啓子がアナウンスをしていた)
  • 2001年4月から2009年9月まで:前述の土曜18時の枠移動に伴い、四角に抜かれた部分に次回からの出演者映像が映っているバックで鈴木杏樹恵俊彰がアナウンスをしていた
  • 2009年10月以降:地上アナログ放送レターボックスでの放送に移行したのに伴い、一部の回を除き次回からの出演者の紹介映像バックと司会者と出演者がトークをしている映像バックとなった(ナレーションは一部の回を除き、引き続き鈴木杏樹と恵俊彰)

エンディングの提供読み

皆様の健康と幸福に奉仕する 塩野義(シオノギ)製薬がお送りしました。」というナレーションである。長らく次回予告のナレーションを担当した女性によるアナウンスだった(1989年3月までナレーターは中村啓子)が、前述の土曜18時の枠移動に伴い、2001年4月から2012年2月までは固定の女性によるアナウンス、2012年3月以降は再び、次回予告をナレーションを担当したアナウンス(ナレーターは鈴木杏樹)となった。

出演者について

番組スポンサーが塩野義製薬であるため、スポンサー以外の製薬会社のCM出演者は、原則として出演できない。「MUSIC FAIR 21」に改題される前はインディーズで活動する歌手においてもメーカー問わずに出演はしなかった。

過去には大正製薬の育毛剤CMの契約中だった中村雅俊武田薬品工業の滋養強壮剤CMソングの契約中だった斉藤和義が出演したことがある。これはシオノギが当時から育毛剤、滋養強壮剤を製造販売していないことによる例外である。

公開収録

初期10年程は公開収録を行っていたが、その後は番組の節目ごとに行われるのみとなり(2001年3月までの日曜日時代の23時台前半枠も番組の節目ごとに行われていた)、通常の収録は限られた関係者しかスタジオに入ることができない(観客の拍手・笑い声があるが、いずれも編集時にインサートしたもので実際にはスタジオ内に観客はいない)。ただし、『MUSIC FAIR 21』では開始から半年程はスタジオに100名前後の観客を入れた公開収録が行われていたほか、その後も不定期ながらも行われていた(記念撮影のコーナーでは、一時期観客席でも行われていた)。なお、『MUSIC FAIR』改題後は今のところスタジオでの公開収録は行われていない。

公開収録は東京のほか、大阪フェスティバルホールなど)でも行われているが、これはスポンサーの塩野義製薬が同地に本社を置くことに伴う措置である。[10]。公開収録はこれまで1日のみだったが、2014年2・3月に放送された2,500回記念特別月間では放送開始50周年を記念して初めて1月30・31日の2日間公演として行われた。[11]

なお、大阪厚生年金ホールで収録された放送1,100回記念(1986年3月23日・30日放送分/全2回)と、前述の放送2,000回記念(2004年6日・13日・20日・27日放送分/全4回)は、横浜市にある放送ライブラリーに所蔵されており、無料で視聴することが可能である。

歴代司会者・放送時間

「ミュージックフェア」司会者・放送時間一覧
期間 司会者 放送時間
男性 女性
1964.8.31 1964.12.28 (不在) 越路吹雪 毎週月曜日21:00 - 21:30
1965.1.4 1965.5.31 左幸子
1965.6.7 1969.3.31 長門裕之 南田洋子
1969.4.1 1981.9.29 毎週火曜日21:30 - 22:00
1981.10.1 1981.12.24 毎週木曜日22:30 - 23:00[12]
1982.1.7 1983.9.29 (不在) 星野知子
1983.10.2 1988.3.27 毎週日曜日23:00 - 23:30[13]
1988.4.3 1995.10.1 古手川祐子
1995.10.8 2001.3.25 鈴木杏樹
2001.4.7 現在 恵俊彰 毎週土曜日18:00 - 18:30

なお、長門・南田時代にも週によって長門または南田が単独で進行するケースがあった[14]

最多出演者

女性最多出演者
森山良子:1967年8月14日初出演以降127回出演(2014年2月14日時点)[15]
男性最多出演者
さだまさし:1976年3月23日初出演以降82回出演(2014年2月14日時点)[15][16]

主なスタッフ

  • エグゼクティブプロデューサー:石田弘(放送回により演出兼務)
  • プロデューサー:板谷栄司、土田芳美
  • アシスタントプロデューサー:福井倫子(放送回によりディレクター)、湯瀬恵理子
  • 演出(ディレクター):浜崎綾、島田和正
  • フロアディレクター:大野悟、内藤麻衣子
  • 音楽:武部聡志
  • ウェブマスター:鬼熊陽一郎

2007年10月から、「音組」(『僕らの音楽』などを手がけるスタッフチーム)が担当し、若返りを図る。また、その回の企画(総集編など)によってはスタッフや制作協力などのクレジットが表示されず、“制作著作 フジテレビ”のみ表示されることがある[17]。2009年9月までは一部の回を除きエンディングテーマに乗せながらのフェード式だったが、前述地上アナログ放送レターボックスでの放送に移行したことに伴い、同年10月以降は次回予告バックのスクロールパターン式となった。 2014年7月19日の放送が音組が手がける最後の放送となる。[18]

テーマ曲

オリジナル

ネット状況

ネット局

(2000年7月 - )

  • NHKの拠点局を有する地域および平成に入ってから開局した放送局では必ずネットされている。
放送局 放送曜日と時間 備考
フジテレビ 土曜 18:00 - 18:30 (JST) 制作局
北海道文化放送 1981年10月 - 1982年3月の間は放送中断。
岩手めんこいテレビ
仙台放送 1981年10月 - 1983年9月の間は放送中断。
さくらんぼテレビ 1981年9月までは山形テレビ(放送当時はフジテレビ系列)で放送していた。
テレビ静岡
富山テレビ 1981年10月 - 1983年9月の間は放送中断。
東海テレビ 1981年10月 - 1982年3月の間は放送中断。
関西テレビ
岡山放送
テレビ新広島
テレビ愛媛
高知さんさんテレビ
テレビ西日本 1964年10月から
テレビ長崎 日本テレビ系列を脱退した1990年10月からネットを開始。
テレビくまもと
テレビ大分 日本テレビ系列とのクロスネット局。|

ネットしていない系列局

(2000年7月 - )

  • 以下の放送局は本番組の放送は行っていない。ネットしていない系列局ではこの時間帯は別番組を放送。
放送局 同時間枠で放送されている番組 備考(過去に本番組を放送した実績など)
秋田テレビ さんまのまんま 1981年9月まで放送した実績がある。
福島テレビ FTVスーパーニュース(17:30 - 18:25)
うつくしまの誇り(18:25 - 18:30)
非放送。
1970年4月 - 1971年9月のフジ系列が福島中央テレビにネット移行された際も未放送。
新潟総合テレビ スマイルスタジアムNST 参照[19]
全国の政令指定都市を持つ道府県の中で唯一非放送。
新潟県の放送局は塩野義製薬との広告取引が非常に少なく、他局も含めて塩野義製薬のCMは殆ど流れていない。
4大ネットワークスポットCMでも新潟県は除外。
ただし、新潟市内に塩野義製薬新潟分室がある。
長野放送 NBSとれたて情報局 土曜はこれダネッ! 1981年9月まで放送した実績がある。
石川テレビ Cafe du Cinema(18:00 - 18:20)
ミニ番組(18:20 - 18:30)
福井テレビ チカッペ!輝け福井のアスリートたち(18:00 - 18:25)
物語の始まりへ(18:25 - 18:30)
山陰中央テレビ さんまのまんま
サガテレビ VS嵐(再放送) 参照[20]
テレビ東京系「演歌の花道」時差ネット放送開始に伴い打ち切り(時期不明)
1970年代には放送した実績がある(1975年3月25日の番組表から)。
テレビ宮崎 U-doki(17:56 - 18:30) 日本テレビ系列テレビ朝日系列とのクロスネット局
鹿児島テレビ さんまのまんま 参照[21]
沖縄テレビ ひーぷー☆ホップ 1981年9月まで放送した実績がある[22]
  • ネットワークセールス枠であり、視聴者からの放送要望が挙げられる番組であるにも関わらず、上記の局で放送されていない理由としては、局の編成上の都合やスポンサーである塩野義製薬からの推薦と承認が上記の局に対して得られていない事が挙げられているが、真相は不明である(1981年9月まで放送していた局に対しては2度目の枠移動の際に塩野義製薬が打ち切りを通告した説もある)。ただし、塩野義製薬のCMがこれら番組のカウキャッチャーとして流れたりするケースがある。
  • ネットしていない系列局ではこの時間帯にローカル情報番組、フジテレビ系列局制作の遅れネット再放送番組等を放送している。特に4局体制(民放局が4局ある地域)[23]の非放送地域では本来、本番組を放送したいところであるが、やむを得ずローカル情報番組、フジテレビ系列の遅れネット番組等を流しているケースが多い。
  • また、これら4局体制地域の場合は、かつては他系列を優先ネットとするクロスネットだった局(福島テレビ…TBS・鹿児島テレビ…日本テレビ)が含まれる他、2 - 3局体制だった時代が続いた地域(前記2局と新潟総合テレビ・石川テレビ・長野放送)だったという点が特徴である。しかし、これらは老舗(アナログ時代にVHF局であったFTVとOTVを除いて1970年前後のUHF大量免許期に開局)のフジテレビ系列局であることもくしくも共通点であり、平成新局であるフジテレビ系列局(岩手めんこいテレビ・さくらんぼテレビ・高知さんさんテレビ)では3局体制の地域も含め、全て無条件[24]でネットされており、またテレビ長崎のように「クロスネット解消後からネット開始」という例もある。
  • また、塩野義製薬・フジテレビ側も、スポンサードネット対象外局に対して「シオノギ」なしのタイトルに改題した上で番組販売扱いで放送可能とする等の便宜を図っていない[25]
  • 1972年に北海道文化放送が開局する以前は、日本テレビ系列・フジテレビ系列クロスネット局だった札幌テレビで、1975年にテレビ新広島が開局する以前は、やはり日本テレビ系列・フジテレビ系列クロスネット局だった広島テレビで放送されていた(1966年頃から)。
  • かつてはTBS系列とのクロスネット局だった山口県テレビ山口では、1987年10月のTBS系列へのネット一本化後も、2000年6月まではフジテレビ同時ネットで放送していた[26]。クロスネット局ではあったが、元々はフジテレビ系列局だったものの、他系列のフルネット局で放送された事例は、このテレビ山口が唯一。
  • 北信越地方(福井県・石川県・富山県・新潟県・長野県)では前述のとおり以前は全県で放送されていたが、1981年9月までに打ち切られ、その後1983年10月より富山テレビに限りネットを再開した。同局は北信越地方で唯一のネット局となっている[27]
  • 一方、山形県では、1981年9月まで当時フジテレビ系列だった山形テレビで放送され、以後山形地区では一旦放送を打ち切られた[28]が、1997年4月にさくらんぼテレビ開局により、15年半ぶりにネットが復活した(実際には同年3月のサービス放送から)。

放送日時差し替えについて

  • テレビ山口では、1986年頃、一度だけ日曜夕方に先行放送をしたことがある。日曜夜11時枠時代ではフジテレビ系列がナイター中継で試合展開により放送時間が変更した場合、その分をVTRに録る。その場合は前に放送できなかった回を放送した。
  • テレビ大分では、日本テレビ2004年アテネオリンピック野球予選の中継をした8月21日2010年バンクーバーオリンピック中継ネットに伴い2月20日および同月27日の回に関しては、いずれも翌日に放送日時を差し替えた。その他、日本テレビから特番(主にスポーツ番組等)をネットする場合に翌日や翌週に差し替える場合がある(ロンドンオリンピック中継、2012年日本シリーズ中継等)。

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:前後番組

テンプレート:ホンジャマカ

テンプレート:Asbox
  1. 【追求学部】ネットの定説は嘘!製薬会社のCMのからくり|おもしろコミュニティ 緑count
  2. ただし例外として、過去にロート製薬TBSクイズダービー』や毎日放送アップダウンクイズ』・『クイズ!!ひらめきパスワード』が1時間スペシャルを放送したとき、および大洋薬品テレビ東京歌の楽園』新春1時間スペシャルを放送した時に、それぞれ1社提供を行った特例がある。
  3. フジテレビ系列では関西テレビ放送製作の月曜22時枠(現・SMAP×SMAP かつては水曜22時、火曜22時だった時代もある)は2010年3月まで、前半がロート製薬単独、後半はロート以外の複数協賛社提供としていたが(特番など例外的に1時間と通してロート製薬を含めた複数協賛社扱いとなる場合となっていた)、同年4月以降はセールス上によりスポンサーが大幅増大し、事実上、ロートは冠協賛から外れ、P&Gが冠協賛が入った複数協賛社(各社扱い)の一つに格下げした。
  4. また過去に土曜日に放送されていた平成教育委員会の初期は、1時間を通してツムラが冠スポンサーとして協賛していたが、同様の処置としてツムラ単独での提供は前半30分だけとし、後半はツムラ+その他複数協賛社の共同提供という処置をとったことがあり、1994年4月以降はツムラを含めた複数社提供になった。
  5. 食事ができる人は司会者および出演者に限られていたが、例外としてウルフルズが出演していた2001年5月12日放送分では観客にも配られたことがある。
  6. なお、『2010 FNS歌謡祭』は12月12日13:00 - 17:10(JST)に時差ネットされた。
  7. 日本シリーズを中継しないテレビ大分でも休止となり、2年連続で『新堂本兄弟』に差し替えられた。
  8. ビデオリサーチ社調べ
  9. 2000年以降は西暦4桁。
  10. 2000年以降では、放送2,000回記念(2004年3月6日 - 27日放送分)、放送2,200回特別月間(2008年3月)、並びに放送2,400回記念特別月間(2012年3月)が東京国際フォーラムにて収録されている。
  11. テンプレート:Cite web
  12. 東海テレビでは、木曜に移動して最初の半年間(1981年10月-1982年3月)はネットを中断していたが、1982年4月にネットを再開。
  13. 関西テレビでは1983年10月 - 1984年3月の間、土曜日19:00 - 19:30の枠で先行ネットしていた。これは『パンチDEデート』の放送(こちらはフジテレビなど地域により、土曜日19時からネットしていた。関西テレビは、ネット局より1日遅れだったため裏送り)を行った配慮とされている。
  14. 例として、1969年11月25日放送分は長門が単独で進行
  15. 15.0 15.1 鶴田裕介「「ミュージックフェア」放送50年」『読売新聞』2014年2月14日付朝刊、12版、14面、文化面
  16. 板垣麻衣子「歌おう踊ろう 2500回」『朝日新聞』2014年2月26日付夕刊、3版、14面
  17. 大阪での公開収録では“製作協力:関西テレビ”も表示されていたこともあった(一例として2,100回特別月間など)。
  18. テンプレート:Cite web
  19. 1968年3月 - 1974年3月NET(現テレビ朝日)の時代劇枠同時ネットに伴い打ち切り。
  20. 土曜18:30からの枠がスペシャル版が放送される日は「VS嵐」の再放送は休止して、同枠の30分間は別番組を放送する。
  21. 土曜18:30からの枠がスペシャル版が放送される日は「さんまのまんま」を休止または同日の昼か夕方へ繰上げ放送して、同枠で「ナマ・イキVOICE」がこの時間で放送される場合がある。
  22. なお、ネット開始当初は異時ネット(土曜21:30 - 22:00)で放送。
  23. 4局体制の非放送地域は福島・新潟・石川・長野・鹿児島の5県
  24. 岩手地区では金ケ崎町に塩野義製薬の工場があることから、岩手めんこいテレビが開局した当初からネットされている。
  25. タイトルCGや提供ベースにあらかじめシオノギのロゴ・社名が組み込まれているため、もしこれを行うとすれば、社名なしのオープニングと、任意のローカルスポンサー名表示に対応した空欄の提供ベースのバージョンを作って裏送りしなければならない。
  26. ただし1981年10月から1983年9月までは放送されていなかった。なお、この番組の放送打ち切り後も別のフジテレビ系の番組(例・『さんまのまんま』)を遅れ放送していたが、2002年以降、前年より時差ネットで放送していた『情熱大陸』の同時ネットに移行した。
  27. 石川・新潟両県の一部地域では富山テレビ、石川・福井・長野3県の一部地域では東海テレビ、新潟・長野両県の一部地域ではフジテレビ、福井県の嶺南地区では関西テレビ、新潟県の一部地域ではさくらんぼテレビ、長野県の一部地域ではテレビ静岡を受信できていれば視聴は可能である。
  28. 同局での番組枠確保と、塩野義製薬からの通告による打ち切り等でネットチェンジを含めて空白になった時期になったものもある