ミケランジェロ・アントニオーニ

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テンプレート:ActorActress ミケランジェロ・アントニオーニMichelangelo Antonioni1912年9月29日 - 2007年7月30日)は、イタリア中部フェラーラの生まれの映画監督

人物・略歴

ボローニャ大学卒業後、1940年ローマに移り、チネチッタの撮影技術センター(Centro Sperimentale di Cinematografia)で学ぶ。ここで彼は、その後一緒に映画を作っていくことになる何人かの映画技術者と出会う。中でもロベルト・ロッセリーニとの出会いは重要だった。

アントニオーニが世界的に知られるようになったのは、1955年に製作した『女ともだち』からで、この作品で長回し撮影を行い、彼のスタイルは確立された。1960年の『情事』は、第13回カンヌ国際映画祭で評価が割れる中、市川崑監督の『』と共に審査員賞を受賞し、また既に世界のアートシーンで注目を浴びる存在となっていた。

とりわけ、1960年代に製作された作品(『』、『赤い砂漠』、『欲望』)は、3大映画祭(カンヌヴェネツィアベルリン)全てで「最高賞受賞」という偉業を達成している。1983年には、それまでの功績が讃えられ、ヴェネツィア国際映画祭で栄誉金獅子賞が与えられた。

また、テオ・アンゲロプロスなど後代の映画作家に与えた影響も計り知れない。ジャン=リュック・ゴダールは『JLG/自画像』(1995年)の中で、「みずから映画となる」として、ジャン・ヴィゴとならんでアントニオーニの名前を挙げている。

21世紀にいたり、イングマール・ベルイマンマノエル・ド・オリヴェイラなどと並び、生存する「最後の巨匠」と呼ばれた。アントニオーニは2007年7月30日にローマ市内で94歳の生涯を閉じたが、奇しくも同日その数時間前にベルイマンも死去している。

1967年5月から6月にかけて来日している。

作風

男女間の愛の不毛、社会に生きる人間の不安や孤独などを描いた作品が多い。主に中期(60年代前半)の作品では、映画の主要人物が上流階級の人々であることも特徴の一つである。1960年から1962年の間に製作された『情事』、『』、『太陽はひとりぼっち』は「愛の不毛三部作」と呼ばれている。

1964年に製作し、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞した『赤い砂漠』は、それまでの作品で繰り返し描かれてきた人間の不安や孤独、愛の不毛を工場地帯を舞台に描くとともに、アントニオーニ初のカラー映画であり、色彩で人物の心理などの表現を試みた、それまでの集大成的作品であり、同時にその当時の革新的作品でもあった。

1967年の『欲望』では、ロンドンを舞台にその当時の若者のポップカルチャーを、1970年の『砂丘』ではアメリカを舞台にヒッピー文化を描いている。

1972年には、アントニオーニの映画を高く評価していた毛沢東の妻・江青からの依頼で、文化大革命期の中華人民共和国を舞台としたドキュメンタリー映画『中国』を製作するが、中国政府にとって都合の悪い描写を含んでいたため、毛沢東夫妻の反発を受け、映画が中国で日の目を見たのは30年後のことであった。

『太陽はひとりぼっち』や『赤い砂漠』で主演を務め、アントニオーニの多くの映画で重要な役を演じた女優のモニカ・ヴィッティはアントニオーニの「ミューズ」として知られ、一時は私生活でのパートナーでもあった。

監督作品

外部リンク

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