ポール・オースター

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テンプレート:Infobox 作家 ポール・オースター (Paul Auster1947年2月3日 - )は、アメリカ小説家詩人。ユダヤ系アメリカ人。

略歴

オースターはニュージャージー州ニューアーク[1]で、中流階級のポーランド系ユダヤ人の両親の元で生まれ、ニュージャージー州サウスオレンジにて育つ[2]。12歳の時に叔父から預かったダンボールいっぱいの本を読み耽り(このエピソードは『ムーン・パレス』の中に登場する)、以後、文学に興味を覚える。1970年に コロンビア大学大学院修了後、石油タンカーの乗組員としてメキシコに移る。その後、過去に幾度か訪れていたフランスに移住し農業等様々な仕事についたが、金銭を使い果たしたため1974年にアメリカに戻る。帰国後、大学時代から交際していた女性と結婚し、彼自身の詩、エッセイ、小説やフランス作家(マラルメジョセフ・ジュベールなど)の翻訳を出版した。

彼の小説家としての第一作は、1976年のSqueeze Play と呼ばれる推理小説で、ポール・ベンジャミン(Paul Benjamin ベンジャミンは彼のミドルネーム)の筆名で出版された。この時期に、経済的な問題などから妻との関係が悪化し、最終的に離婚に至る。またこの頃には、様々な作家や詩人、芸術家についての批評的エッセイを書いたり、20世紀のフランス詩の選集の編集を行うなどの活動も行っていた。オースターが書いた批評的エッセイには、カフカベケットといった彼が多大な影響を受けた作家や、ツェランジャベスアッシュベリー(“アシュベリー”とも)といった感銘を受けた書き手についての文が含まれ、それらはのちに(オースターへのインタビューなどと共に)『空腹の技法』に収められた。

1979年に父が死去し、遺産が手に入ったことにより創作活動に専念できるようになる。1982年にオースター名義での処女作『孤独の発明』を発表。この作品は父の死を契機として父とのこと、そして自身のことを述べた自伝的作品になっている。またこの頃にシリ・ハストヴェットと出会い、1981年結婚する[1]

1985年から1986年にかけて発表した『シティ・オブ・グラス』、『幽霊たち』、『鍵のかかった部屋』といったニューヨークを舞台にした一連の作品をまとめた「ニューヨーク三部作」(1987年)で大きく評価される。 これらの作品は、謎とそれを解く手がかりとで構成された従来の推理小説とは違い、アイデンティティに関わる疑問を書き記すために、ポストモダン的な特徴を持つ彼独特の形式が用いられている。

アイデンティティや生きる意味を探すことは、その後の作品を通じて重要なテーマとなっている。

オースターは映画という手法にも興味を持っていたが、1990年にニューヨーク・タイムズに掲載された「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」を読んだ映画監督ウェイン・ワンがオースターに連絡を取り、作品の映画化の話が進んだ。オースターはワンと親交を深め、1995年の映画「スモーク」の脚本を書き下ろし、ハーヴェイ・カイテルフォレスト・ウィテカーなどのキャストの選定も行った。

1995年に「スモーク」を撮り終えた頃、余ったフィルムでなにかできないかと考えて撮られたのが映画「ブルー・イン・ザ・フェイス」である。即興で作られたため6日間で撮り終えられたこの作品には、「スモーク」に出演したハーヴェイはもとより数多くの俳優が集まり、その中にはルー・リードマイケル・J・フォックスマドンナなどがいた。オースターはこの作品の脚本執筆及び副監督を務めている。

1998年、自身初の監督作品「ルル・オン・ザ・ブリッジ」を発表。元々はヴィム・ヴェンダースに監督を依頼していたがヴェンダースの都合により自身が監督を務めることとなり、再びハーヴェイ・カイテルとミラ・ソルヴィノ(ブルー・イン・ザ・フェイスにて共演)をキャスティングした。

現在、妻シリ・ハストヴェットと2人の子供と共にブルックリンに住んで創作活動を続けている[1]

評価

映画、小説共に彼の作品はニューヨーク、特にブルックリンを土台にしている。彼の作品が日本で比較的受容されている理由としては、オースターの表現がアメリカの雰囲気を感じさせ、扱われている土地が日本人になじみの多い場所が多いことも一因だろう。 1993年、『リヴァイアサン』によってフランスメディシス賞の外国小説部門賞を受賞した。

主な作品

小説

村上春樹・柴田元幸共著の『翻訳夜話』に両者の翻訳による「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」とその原文が収録されている。
また、柴田元幸訳の『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』、『柴田元幸ハイブ・リット』にも収録。
  • ミスター・ヴァーティゴ (Mr. Vertigo 1994) NHK-FM青春アドベンチャー」で、2002年5月~6月(再放送も含む)に「ザ・ワンダーボーイ」の題でラジオドラマとして放送された。[3]
  • ティンブクトゥ (Timbuktu 1999)
  • 幻影の書 (The Book of Illusions 2002)
  • オラクル・ナイト(The Oracle Night 2003)
  • ブルックリン・フォリーズ(The Brooklyn Follies 2005)
  • 写字室の旅 (Travels in the Scriptorium 2007)
  • 闇の中の男 (Man in the Dark 2008)
  • Invisible 2009
  • Sunset Park 2010

詩集

  • 消失 ポール・オースター詩集 (Disappearances: Selected Poems 1988)
  • Ground Work 1990

映画

エッセイ・自叙伝

  • 空腹の技法 (The Art of Hunger 1982)
  • The Red Notebook 1995
  • Hand to Mouth 1997
  • トゥルー・ストーリーズ (2004)
オースター本人の要望にそった、日本での独自編集によるエッセイ集。The Red NotebookHand to Mouth からのエッセイ、ニューヨーク・タイムズなどに掲載された文章等が収録されている。
  • Winter Journal 2012
  • ヒア・アンド・ナウ 往復書簡2008-2011 (Here and Now: Letters, 2008-2011 2013)
J・M・クッツェーとの共著。オースターとクッツェーとの間でなされた往復書簡をまとめたもの。
  • Report from the Interior 2013

編集

  • ナショナル・ストーリー・プロジェクト (True Tales of American Life 2001)
原書ははじめI Thought My Father was God, and Other True Tales from NPR's National History Project のタイトルで出版された。

その他

  • わがタイプライターの物語 (The Story of My Typewiter 2002)

映画化作品

『偶然の音楽』を映画化。オースターも本人役で顔を出している。
  • 赤い部屋の恋人(2001)
『スモーク』のウェイン・ワンとふたたびタッグを組んだ官能サスペンス。オースターは原案を手がける。

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 Freeman, John. "At home with Siri and Paul", en:The Jerusalem Post, April 3, 2008. Accessed September 19, 2008. "Like so many people in New York, both of them are spiritual refugees of a sort. Auster hails from Newark, New Jersey, and Hustvedt from Minnesota, where she was raised the daughter of a professor, among a clan of very tall siblings."
  2. Begley, Adam. "Case of the Brooklyn Symbolist", The New York Times, August 30, 1992. Accessed September 19, 2008. "The grandson of first-generation Jewish immigrants, he was born in Newark in 1947, grew up in South Orange and attended high school in Maplewood, 20 miles southwest of New York."
  3. http://www.nhk.or.jp/audio/old/prog_se_former2002.html

外部リンク

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