ポーラ・ラドクリフ

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テンプレート:Infobox 陸上選手 テンプレート:Sister ポーラ・ラドクリフPaula Jane Radcliffe, MBE1973年12月17日 - )は、イギリスチェシャー州ノースウィッチ生まれの長距離走選手、マラソンと10kmロードの世界記録保持者ラフボロー大学で近現代語を学んだ。二児の母でもある。喘息の持病がある。

経歴

  • 1973年 ノースウィッチ近くのダーヴェンハムで生まれた。まもなく両親はポーラを小学校入学させるためにバーントン近郊へ移り住む。喘息貧血症を患いながらも、7歳の時、アマチュアランナーとして活躍する父の影響で長距離走を始めた。まもなく「フォロッドシャームアスレチッククラブ」に所属する。家族がキングスレーに引越し、12歳のときオークリーに移り住むと父親が副会長となった「ベッドフォードアスレチッククラブ」に所属し、マラソン好きの母もまた彼女をサポートするために同クラブのマネジメントを手がけるようになる。シャーンブルックアッパースクール&コミュニティーカレッジ入学クラスメートにはサッカー選手のダン・ホールがいた。ラフボロー大学でフランス語、ドイツ語を学び、近代ヨーロッパ史を専攻し、首席で卒業。
  • 2000年4月のシドニーオリンピックの女子10000mでは、序盤から積極的に先頭集団のトップに立ち、ハイペースでレースを引っ張った。レース終盤の残り1周まで先頭にいながらも、ゴール直前のスプリント勝負に屈して4位入賞に留まり、前回のアトランタ五輪に引き続き惜しくもメダルに届かなかった。
  • 翌2001年8月の世界陸上エドモントン大会女子10000mでは、昨年と全く逆にスローペースの集団にもまれながらレースを進め、ゴール直前でスパートをかけたが、またもスプリント勝負に敗れて結局4位に終わる。 
  • 2001年、2002年の世界クロスカントリー選手権を2連覇。
  • 2002年ヨーロッパ選手権の10000mで優勝。2003年世界陸上選手権パリ大会は故障により棄権したため、この優勝がトラック競技における頂点となった。
  • 2002年7月にはナイトの称号(MBE)を受け、同年BBCが選出する年間最優秀スポーツ選手に選ばれた。
  • 2003年12月に欧州クロスカントリー選手権で2度目の優勝。これはこの大会の10年間の歴史で初となった。

マラソン転向

ファイル:Paula & Isla Radcliffe 2007 NYC.jpg
長女のイスラと。(2007年ニューヨークシティマラソン)
  • 同年10月13日のシカゴマラソンでは、当時の世界記録保持者だったキャサリン・ヌデレバや、ロンドンでも対決したザハロワ、日本からも渋井陽子千葉真子などの有力選手が出場する中、ロンドンとは違い前半からハイペースで飛ばし有力選手を次々とふるい落とし、ヌデレバの記録を1分以上更新する、2時間17分18秒の世界最高記録をマークしてマラソン2連勝を果たす。
  • そして翌2003年4月13日のロンドンマラソンでは、男子のペースメーカーを用いながらも、序盤から独走で5km15分台の驚異的なペースで進み、自身の記録を約2分近くも更新する2時間15分25秒の驚異的な世界最高記録を打ち立て、初マラソンからのマラソン3連勝を達成した。
  • 2004年8月のアテネオリンピックでは、マラソンと10000mとの2種目で金メダル獲得を目指す事となった(2種目出場は周囲から反対の意見も有り、ラドクリフ自身も当初はどちらか1種目に絞る予定だった)。しかし、女子マラソンでは優勝した野口みずきの25Km過ぎのスパートについていけず、優勝争いから脱落。それから4位に落ちた後36km地点で立ち止まり、悔し泣きしながら途中棄権した。さらに5日後、女子10000mにも強行出場したが、マラソンでの疲労の影響もあって精彩を欠き、ライバルたちに置いていかれた後、8周を残して途中棄権した。結局、2種目ともメダル獲得や入賞はおろか、完走も出来ないまま終わってしまった。気温30度を超える猛暑の影響と、脚の故障による消炎剤の過剰な服用により、内臓に悪影響を及ぼしたことが敗因と言われる[1]
  • 2005年4月のロンドンマラソンで2年ぶり3度目の優勝を果たした。途中23マイル地点で腹痛のため15秒ほどロスしたが、序盤から独走で2位に5分以上の大差をつける快走で2時間17分42秒で圧勝し復調を示した。このレースで4回目のサブ20を記録し、現在でも女子マラソン選手のサブ20・回数最多記録として君臨している(2位はヌデレバの3回、3位はメアリー・ケイタニーの2回)。
  • 同年8月の世界陸上ヘルシンキ大会女子マラソンでは、気温15度を下回る好条件もあって、レース序盤から自らハイペースで飛ばしていった。粘るヌデレバ、コンスタンティナ・トメスクなどの優勝候補選手達を振り落とした後もペースが落ちることなく終盤は独走となり、2時間20分57秒の大会新記録で優勝、初の世界一のタイトルを手にした。
  • 2006年7月に妊娠を発表。2007年1月17日に出産、母子共に元気であると公式HP上にて告知された。同年6月頃より練習を再開させるが、同年9月開催の世界陸上大阪大会女子マラソンは欠場した。
  • 2007年11月4日に行われたニューヨークシティーマラソンに2年3か月ぶりにフルマラソン出場、2時間23分09秒で復帰戦を制した。
  • 2008年4月13日に行われたロンドンマラソンに出走予定だったが、右足の爪先のケガにより欠場した。その後左臀部に故障を発生し、診断の結果左大腿骨疲労骨折を起こしている事が判明する。
  • 2008年8月17日に開催された北京オリンピック女子マラソンには、同じイギリス代表のマーラ・ヤマウチらと共に出場したが、レース中に足の故障が再発。38Km付近で前回アテネ五輪同様立ち止まってしまったが、その後は足を引きずりながら走り続け、なんとか完走こそしたものの順位は23位、2時間32分38秒の平凡な結果に終わった。オリンピックには4大会連続出場を果たしているものの、五輪メダルは一度も獲得出来なかった。
  • 2008年11月2日開催のニューヨークシティーマラソンに出走、2時間23分56秒で2年連続3回目の優勝を果たし、北京五輪惨敗の雪辱を果たした。
  • 2009年11月1日開催のニューヨークシティーマラソンに3年連続出走したが、優勝したデラルツ・ツルらに敗れて2時間29分27秒の4位に終わり、同大会の3連覇を逃した。
  • ニューヨークシティマラソン後に競技生活は休養に入り、2010年10月に第二子となる長男を出産した。
  • 2012年07月29日、ロンドンオリンピック女子マラソンに出場予定だったが、足の負傷を理由に大会を欠場すると発表した。ロンドン五輪開催が決まってから良い走りを見せることを目標としてきたことを明らかにしたラドクリフは、「私にとって5度目の五輪が母国で開催されるということで、過去2大会の悔しさを払拭するのにこれ以上の舞台はないと思っていました。それを励みに長くつらい時期を乗り越えてきただけに、走れないと認めなければならないのはとても辛いことです」とコメントしている。
  • 2013年03月27日、英BBC放送(電子版)は、ラドクリフが長引く足のけがにより、「現実問題として(競技に)復帰できない可能性があることを認識している」と語り、引退の危機にあると報じた。39才のラドクリフは、ロンドン五輪を欠場し、2012年8月に手術を受けたが、現在も短時間のジョギングしかできていないという。「わずかな希望だが、レースを走って現役生活を終えたい」と意欲を示す一方で、「ここ数ヶ月は、子どもを追いかけて走ることもできない」「20年後に健康な足でいたい」と、揺れる心を明かした。

ラドクリフのマラソン世界最高記録

5km 10km 15km 20km ハーフ 25km 30km 35km 40km ゴール
タイム 16:27 32:47 49:05 1:05:26 1:09:01 1:21:34 1:37:40 1:53:45 2:10:08 2:17:18
スプリット 16:27 16:20 16:18 16:21 16:08 16:06 16:05 16:23 7:10
5km 10km 15km 20km ハーフ 25km 30km 35km 40km ゴール
タイム 15:48 32:01 48:15 1:04:28 1:08:02 1:20:34 1:36:36 1:52:34 2:06:29 2:15:25
スプリット 15:48 16:13 16:14 16:13 16:06 16:02 15:58 15:55 6:56

マラソン戦績

大会 開催国 成績 タイム 備考
2002 ロンドンマラソン テンプレート:Flagicon イギリス テンプレート:優勝 2:18:56 初マラソン世界最高記録
2002 シカゴマラソン テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国 テンプレート:優勝 2:17:18 世界最高記録(当時)
2003 ロンドンマラソン テンプレート:Flagicon イギリス テンプレート:優勝 2:15:25 世界最高記録
2004 アテネオリンピック 40px テンプレート:Flagicon ギリシャ テンプレート:DNF 途中棄権
2004 ニューヨークシティーマラソン テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国 テンプレート:優勝 2:23:10
2005 ロンドンマラソン テンプレート:Flagicon イギリス テンプレート:優勝 2:17:42
2005 世界陸上ヘルシンキ大会 テンプレート:Flagicon フィンランド テンプレート:優勝 2:20:57 大会最高記録
2007 ニューヨークシティーマラソン テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国 テンプレート:優勝 2:23:09
2008 北京オリンピック 40px テンプレート:Flagicon 中国 23位 2:32:38
2008 ニューヨークシティーマラソン テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国 テンプレート:優勝 2:23:56
2009 ニューヨークシティーマラソン テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国 4位 2:29:27
2011 ベルリンマラソン テンプレート:GER テンプレート:3位 2:23:46
2012 ロンドンオリンピック 40px テンプレート:Flagicon イギリス テンプレート:DNS 欠場

脚注

  1. スコアカード-Olympic Road マラソンの女王、復活。そのたくましさと潔さ。

外部リンク

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|-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
テンプレート:Flagicon キャサリン・ヌデレバ |style="width:40%; text-align:center"|女子マラソン世界記録保持者
2002/10/13 - |style="width:30%"|次代:
-

  1. 転送 Template:End

テンプレート:世界陸上競技選手権大会金メダリスト女子マラソン