ベーグル

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素のベーグル
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クリームチーズを塗るのが定番の食べ方。

ベーグル英語Bagel, イディッシュ語:בֵּיגַלֶה、בײגל、beygl, beygel)は、パンの一種。

概要

小麦粉の生地をひも状にのばし、両端を合わせて輪の形にして発酵させ、茹でた後にオーブンで焼いて作られる。この製造法により、外側はカリッと焼き上げられ、内側は柔らかくてもっちりと詰まった歯触りになる。乾燥を防げば品質は数日間保たれる。また、水分量が少ないので、冷凍保存なら家庭用の冷蔵庫でも1ヶ月程度は充分に保存できる。

アメリカ発のブームを受けて、一般にはアシュケナジムユダヤ人のパンとして知られるが、後述のように必ずしもユダヤ人だけの食文化であったわけではない。

特性としては、通常パンの原料として使用されるバター(油類)、卵、牛乳を基本生地に使用していないことから、他の一般的な製法のパンと比べると脂肪分やコレステロールが低い。

素のベーグル(プレーンベーグル)の他、様々な味付けのベーグルが存在する。伝統的なものは白ゴマニンニク芥子の実、刻みタマネギや、それらを混ぜ合わせたものなどである。また、生地にシナモンレーズンリンゴブルーベリークランベリーライ麦プンパーニッケル(六割ライ麦パン)、鶏卵サワードウなどを加えたものも存在する。ただしこれらの派生品は、本来あるべき食べ方から逸脱しており、もはやベーグルと呼べるものではないとも指摘されている[1]

起源と語源

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ポーランド・クラクフのobwarzanek krakowski z makiem (クラクフ式オブヴァジャーネック・ケシの実がけ)

ベーグルは中央ヨーロッパ、おそらくはポーランドで発祥した。この形や製法はポーランドで確立したとみられているが、もとは中世の古い時代に南ドイツからユダヤ人がポーランドに製法を持ち込んだプレッツェルから着想を得たものと推測する研究者がいる。ただしプレッツェルそのものも起源は古代ローマ南イタリアだとも、それ以前の大昔に東西ヨーロッパに広がっていた古代ケルト文化だとも、さらにそれをさかのぼると東ヨーロッパに興ったのち中国西部(東トルキスタン)に定住したウイグル族の祖先のインド・ヨーロッパ語族の民族トハラ人だとも言われ、厳密にこういったシンプルなパンの起源を遡ればきりがない。[2]

1610年クラクフの文書に、出産後の女性に"beygl"が贈られたと記されている。これはしばしばベーグルに関する既知の初文献として参照されるが、この"beygl"が何であったのかについてははっきりとしていない。"beygl"は現在のベーグルのようなものであったのかもしれないし、「あぶみ()」を意味する"beugal"に関連した何かのことであったかもしれないし、それ以外のものであったかもしれない。クラクフ式オブヴァジャーネックも現代のベーグルと同様、発酵させたあとに一度茹でてから焼きあげる。クラクフ式オブヴァジャーネックがベーグルと異なるのは茹でる時間が少し短いのでベーグルよりもかなり強いもちもちとした歯ごたえがあるのと、最初にひねってからリングの形に整えることである。obwarzanek krakowski と "beygl" との直接の関連は明らかになっていないが、出産後の女性や歯が生え始めた乳児にこのクラクフ式オブヴァジャーネックを贈る習慣が今でもクラクフに残っている。近世以降のポーランド語ではベーグルを伝統的にバイギェル(Bajgiel)ないしベイギェル(Beigiel)と呼び、発音がよく似ている。

それ以前の時代については、中世イディッシュ語文化の一大中心地だったポーランドのクラクフには、西欧からユダヤ人が大量移住してきた14世紀以来 "obwarzanek krakowski" (クラクフ式オブヴァジャーネック)という円形のパンがある。「オブヴァジャーネック」とは、「いちど茹で(てから焼い)たパン」という意味。クラクフ式オブヴァジャーネックはもともと、キリスト教徒の断食節であるレントの期間にポーランドのキリスト教徒が食べるパンであった。オブヴァジャーネックは現在でもクラクフの名物として親しまれており、毎朝早く街中の各ベーカリーで総計15万個が焼き上げられる。これが一年中売られている市内180件の屋台でこれを買ってかじりながら歴史的な旧市街をぶらぶら歩きするのがいつも変わらぬ伝統的なクラクフのスタイルである。どの屋台も夕方前には売り切れてしまう。

「ベーグル」でなく「オブヴァジャーネック」という言葉では、1394年3月2日ポーランド王国公文書に、この日に宮廷がパン屋からオブヴァジャーネックを購入したという記録が現在みられる最古のものである。1410年グルンヴァルトの戦いでは、ポーランド軍の兵士たちがオブヴァジャーネックをお守りとして身に着け、彼らの宿敵ドイツ騎士団を打ち破ったと伝えられる。このため、ポーランドではオブヴァジャーネックは中世の昔から特別な意味を持つパンであった。

ポーランド、リトアニア、ウクライナといった旧ポーランド・リトアニア同君連合(1385~1569)と旧ポーランド・リトアニア共和国(1569~1795)の領域ではリング形に整えて茹でてから焼いたパンは昔から宗教宗派を問わず一般的で、それぞれの地方の名前で呼ばれている(別項参照)。ただし本来は、精製した小麦粉で作るのはクラクフ式オブヴァジャーネックだけの特徴であり(最下段参照)、他の同種のパンは他の粉も混ぜられていた。

よく言われるベーグル起源説では、現代のアメリカや日本などで広く知られているニューヨーク式ベーグルの起源は1683年ウィーンのユダヤ人のパン屋によるものとされるが、このパン屋の名は明らかになっていない。このパン屋が第二次ウィーン包囲における勝利を祝ってベーグルをヨーロッパ軍総司令官でポーランド王のヤン3世ソビエスキに献上したと言われている。その際、あぶみの形に作られたのはポーランド重装騎兵(フサリア)の突撃を記念するためとも、堂々たる体躯の巨漢ながら騎兵として出世してポーランド国王にまで上り詰めた馬術の達人ですぐれた武人であったヤン3世王を讃えるためともいわれている。武家でありながらリベラルだとして広く知られる家系で育ったヤン3世はユダヤ人に寛大で、キリスト教徒だけでなくユダヤ教徒もイスラム教徒もたくさん雇い入れて大事にした王として知られ、現在でもユダヤ人たちから愛され尊敬されている。

旧ポーランド・リトアニア共和国やオーストリアの一部地域からニューヨークに定住したユダヤ人の一部には、非常に保守的な宗派の人々で構成された生活コミュニティーがあるが、このコミュニティー内部の厳しい自主規制の契約により定められたパン屋だけで細々と売られていたベーグルが、1970年代の自主規制撤廃により外部に知られるようになり、1980年代を通じてニューヨーク全体で急速に名物となっていった。このニューヨーク式ベーグルが各国に広まったものが一般的に「ベーグル」として定着している。また、ポーランド人移民の非常に多いカナダモントリオールトロント、アメリカのシカゴなどでも独自のスタイルのベーグルが見られるが、実際にニューヨークのベーグルとはまったく別個に発展したものか、それとも独自と謳っているとはいえニューヨークのものがそれらの都市に知られてから商業的な動機で広まったものか、は定かではない。いずれにせよ世界的にはニューヨーク式のベーグルが最も広く知られている。

このパンそのものでなく「ベーグル」という呼び名については「円形のパン」を意味するイディッシュ語の "bugel" から来ているという説がある。イディッシュ語は中世の各地のドイツ語方言を基としたユダヤ人の生活言語であるが、もとのドイツ語には "bügel" という単語がある。

すなわち、このパンを指すイディッシュ語のベーグル(バイギェル)という呼び名は「あぶみパン」の意味で、ポーランド語のオブヴァジャーネックは「ゆでパン」という意味なのである。

The Bagel: The Surprising History of a Modest Breadイェール大学刊)の著者で、英国BBC編集委員であるマリア・バリンスカが行った近年の調査によると、ポーランドのクラクフでは1930年代であってもベーグル(ポーランド語でバイギェル)とオブヴァジャーネックの区別はなく、イディッシュ語のベーグルもポーランド語のオブヴァジャーネックもどちらも同じ種類のこのパンを指す用語で、クラクフ市民はイディッシュ語では「ベーグル」(「バイギェル」、あぶみパン)と呼び、ポーランド語では「オブヴァジャーネック」(ゆでパン)と呼び、それが指し示すパンそのものについては特に区別しなかった、と当時から存命の古老たちが話しているようである。要するに「ベーグル」=「オブヴァジャーネック」(つまり「クラクフ式オブヴァジャーネック」は「クラクフ式ベーグル」のこと)だったのだ。[3]日本語にベーグルが定着する以前はユダヤパンという訳語も見られたが、このようにポーランドのキリスト教徒のレント期間のパンとして親しまれてきた歴史からするとこれをユダヤ人文化に限定して認識するのは無理がある。

なお、クラクフにはクラクフ式オブヴァジャーネックを売る店や屋台は街中に無数にあるが、実は北米式のベーグルやベーグルサンドイッチを売る店は近年まで街全体で1軒しかなかった。この店は中世からホロコースト時代まで大きなユダヤ人コミュニティーがあったカジミェシュ地区にあり、ニューヨークからポーランドに渡ってきたポーランド系アメリカ人が経営している。最近はそこで修行した地元クラクフ出身の弟子たちがのれん分けをして市内にそれぞれ自分たちの店を開きはじめており、クラクフにオブヴァジャーネックと北米式ベーグルの両方の「バイギェル(Bajgiel)文化」が花開きつつある。ワルシャワでもベーグル(バイギェル)を出す店が現れており、フィッシュ&チップスの店にはつけあわせとしてチップス(フレンチフライ)のほかにベーグル(バイギェル)を注文することができることもある。

1496年5月26日にはポーランド王ヤン1世が、精製した小麦粉で作るオブヴァジャーネックの製造・販売の権利はクラクフ市内のパン屋に限るという勅書を発しているため、現代の欧州連合(EU)ではクラクフ式オブヴァジャーネック(オブヴァジャーネック・クラコフスキ)を、フランスシャンパーニュ地方スパークリングワインのみをシャンパンと定めているのと同様の、正式な登録ブランドと定めた。2010年10月30日より、「オブヴァジャーネック」の名称は、クラクフ市内の決められた地域で、ヤン1世の勅令にのっとった完全な手作り製法により製造販売されるものにのみ厳しく制限されている。したがって、ヨーロッパ、およびシャンパンなどEUのブランドに関する国際条約を批准している各国では、ほかの同様の食べ物は「オブヴァジャーネック」の名称を使うことが許されない。そういった類似の食べ物はポーランド語ならばすべて「バイギェル(Bajgiel)」ないし「プレツェル(Precel)」、つまりベーグルかプレッツェルと呼ばれる。

アメリカ大陸

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モントリオール式ベーグル。上がケシの実、下がゴマ

ベーグルは1880年代に移民によってニューヨークにもたらされ、広まっていった。1920年代までは、大規模な東欧系ユダヤ人社会のある都市を除いて、ベーグルはアメリカ合衆国内では珍しいものであったが、20世紀最後の20年くらいの間に、ベーグルは広く北アメリカで一般的なものになった。

北アメリカにおけるベーグルは、ニューヨークのものとモントリオールのものが最もよく知られている。ニューヨークのベーグルは、麦芽と塩を使い、様々な味のバリエーションがあり、生地を茹でたあとに普通のオーブンを使って焼く。1918年からキエフからの移民によって作られるようになったモントリオール式ベーグルは、生地に麦芽鶏卵を使い、塩を使わず、入れる前に蜂蜜を入れた湯で茹であげ、薪を使って窯で焼き上げる。元は生地に塩が入っていたが、何らかの理由で1970年代に省かれたのだという。トッピングは初めは黒いケシの実をふりかけた「ノワール」( Noir「黒」)だけで、1970年代に顧客の注文から白胡麻をふりかけた「ブラン」(blanc、「白」)が生まれた。近年ニューヨーク風ベーグル同様味のバリエーションが増える傾向にある。モントリオールのベーグルがもっちりとして全体に詰まった食感になるのに対し、ニューヨークのベーグルは膨れて表面が堅くなる。モントリオールのベーグルはニューヨークのベーグルに比べて若干甘く、小さめで穴が大きく、ニューヨークのベーグルよりも現在クラクフやパリで食べられるベーグルと似ている[4]

類似の食品

ロシアにはブブリクбублик, bublik)[5] というベーグルに似たパンがあるが、その起源がユダヤ人のパンであったという事実はあまり知られていない。小さなブブリクはブブリチェク(бубличек)と呼ばれる。また、ウクライナにもブブルィークがある。ポーランドオブヴァジャーネック(obwarzanek)やブルガリアのゲヴレツィ(гевретсу)もベーグルと製法がよく似ている。焼く間に熱湯で茹でる(熱湯に浸す)という点は、ドイツプレッツェルとも共通する。

新疆東トルキスタン)のウイグル人のナーンの一種に、ギルデ・ナーン(girdeh nan)がある。形はベーグルとよく似ているが、焼く前に茹でない点がベーグルと異なる。これがどうもこの手のリング型のパンの起源ではないかと考えられ、これが古代にヨーロッパへ伝わっていったと推測されている[6]

動向

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ベーグルとロックス

ヨーロッパでは、ベーグルにはバターだけを塗って食べるのが普通であった。クリームチーズロックストマトタマネギなどをスライスしたベーグルにはさんで食べる食べ方(「ベーグル・アンド・ロックス」[7])はアメリカ合衆国に移民した後に経済的に余裕ができたユダヤ人の間で生まれた食べ方である。

20世紀の終わり頃には、ベーグルを異なった生地で作ったり、生地に伝統的でない食物や調味料を加えるといった様々なバリエーションが現れた。様々なベーグルサンドイッチも、同じ時期に普及した。横半分に切ったベーグルの断面にピザソースとチーズをのせて焼いたベーグルピザがある。また、ベーグルをスライスしてかりっと焼いたベーグルチップスも市販されている。マクドナルドダンキンドーナツティムホートンズなど、ファーストフードチェーンのメニューにも加えられている。

日本では、1990年代の終わりから2000年代のはじめにかけ、当時アメリカやヨーロッパが先んじていた健康食への関心の高まりを背景に、フォックスベーグルが日本国内で製造したベーグルを販売していた。その後、ニューヨークからベーグルKがニューヨークで製造したベーグルを輸入し、ベーグルの日本国内の普及に努めた。 現在、ベーグルはベーグル専門店、ベーカリーショップ、スーパーマーケット、コンビニエンスストア、通信販売等、様々な販路で販売されている。また、日本タイプのソフトな食感のものも製造されており、生地に乳製品を用いるなど、伝統的な製法とは異なる製法で作られた模倣製品もベーグルとして流通している。

脚注

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参考文献

  • Nathan, Joan. The Jewish Holiday Baker. Schocken, New York, 1997.

外部リンク

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  • [1] (画像)
  • [2] The American Heritage® Dictionary of the English Language(まともな語源再構成)
  • [3] (鐙(あぶみ)説について説明、ドイツ語)
  • [4] (鐙説について説明、日本語)
  • [5] (バイエルン方言のページ)
  • [6] (オーストリア方言のページ)
  • [7] (オーストリア方言のページ)
  • [8] (ドイツ語方言のページ)
  • http://www.nytimes.com/2008/11/26/dining/26bagel.html ニューヨークタイムスの記事
  • http://www.nytimes.com/2008/11/26/dining/26bagel.html ニューヨークタイムスの記事
  • http://online.wsj.com/article/SB10001424052748703794104575545843564259642.html?mod=googlenews_wsj ウォールストリートジャーナルの記事
  • Nathan, Joan. Nathan, Joan. The Jewish Holiday Baker. Schocken, New York, 1997. p80-82.
  • http://ozpo.com.ua/prbubl.jpg
  • http://www.nytimes.com/2008/11/26/dining/26bagel.html ニューヨークタイムスの記事
  • http://www.nwtec.com/newsfiles/SalmonLox.jpg