フィラデルフィア

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フィラデルフィアテンプレート:Lang-en)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州南東部にある都市。フィラデルフィア郡の全域を占めるペンシルベニア州最大の都市かつ北米有数の世界都市である。市域人口は151万7550人(2000年国勢調査)で全米第5位。都市圏 (MSA) の人口は5,687,145人で全米4位、広域都市圏(合同統計地域: CSA)の人口は6,207,223人で全米7番目の規模(いずれも2000年国勢調査)である。

同市は名門ペンシルベニア大学工学系に強いドレクセル大学、日本にもキャンパスを置く、州立大学テンプル大学を抱えるなど学術都市でもある。市域内に約12万人、都市圏全体では約30万人の学生を抱える、全米でも最大の学生人口を持つ都市のひとつである。

漢字の当て字和名は費拉特費、また短縮して費府

なお、フィラデルフィア都市圏の治安は概ね良好であるが、デラウェア川の対岸、ニュージャージー州カムデンデトロイトセントルイスなどと並んで、全米で最も危険な都市のひとつである、とされている。

独立記念館自由の鐘があり、近郊にはバレーフォージがある合衆国建国ゆかりの地である。

歴史

1682年クエーカー教徒のウィリアム・ペンが同志とアメリカに渡来、この地に居住区を建設したのが市の起源。ペンはこの地を古代ギリシア語で「兄弟愛の市」を意味する(Φιλαδέλφεια、フィロス=愛、アデルフォス=兄弟、ア=都市名につく語尾形)「フィラデルフィア」と命名した。

18世紀を通じてフィラデルフィアは北米最大の都市で、アメリカの独立前にはイギリス第二位の都市だった。独立戦争時、州議事堂(現独立記念館)で大陸会議独立宣言の起草が行われた。また1790年に合衆国の首都がニューヨーク市からフィラデルフィアに移ってくると、新都ワシントン特別区の建設が一段落する1800年までの10年間合衆国連邦政府の首都だった。

禁酒法時代には、かつての輝かしい歴史を有する街から一転して、マフィアが暗躍する全米最悪の治安の都市となった。

19世紀以来、フィラデルフィアは商業や海運の都市である。有名な大学(ペンシルベニア大学ドレクセル大学テンプル大学トーマス・ジェファソン大学など)があり、「センターシティー」という中心部に銀行や法律事務所が多く、フィラデルフィア連邦準備銀行、フィラデルフィア株式取引所もある。

地理

フィラデルフィアは北緯39度59分53秒、西経75度8分41秒 (39.998012, -75.144793) に位置している。

アメリカ合衆国統計局によると、フィラデルフィアは総面積369.4 km² (142.6 mi²) である。このうち349.9 km² (135.1 mi²) が陸地で19.6 km² (7.6 mi²) が水地域である。総面積の5.29%が水地域となっている。水地域には Schuylkill RiverCobbs Creek)、Wissahickon Creek)、Pennypack Creek がなどがある。

フィラデルフィアの低い場所はデラウエア及びSchuylkill 川があるフィラデルフィア市南西部の Fort Mifflin 近く海抜10フィートである。フィラデルフィアの高台はエバグリーン街の北部及び西部、エバグリーン地区近くに位置する海抜432フィート高度で、Chestnut Hill である。

約130キロ北東にニューヨーク、145キロ南西にボルチモア、200キロ南西にワシントンD.C.が位置している。

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フィラデルフィアの風景

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フィラデルフィアの人々と文化

人口動勢

フィラデルフィア市
年代別人口 [1]

1790年 - 2万8522人
1800年 - 4万1220人
1810年 - 5万3722人
1820年 - 6万3802人
1830年 - 8万0462人
1840年 - 9万3665人
1850年 - 12万1376人
1860年 - 56万5529人
1870年 - 67万4022人
1880年 - 84万7170人
1890年 - 104万6964人
1900年 - 129万3697人
1910年 - 154万9008人
1920年 - 182万3779人
1930年 - 195万0961人
1940年 - 193万1334人
1950年 - 207万1605人
1960年 - 200万2512人
1970年 - 194万8609人
1980年 - 168万8210人
1990年 - 158万5577人
2000年 - 151万7550人

2000年現在の国勢調査テンプレート:GRで、フィラデルフィアは人口151万7550人、59万0071世帯、及び35万2272家族が暮らしている。人口密度は4337.3/km² (1万1233.6/mi²) である。1891.9/km² (4900.1/mi²)の平均的な密度に661,958軒の住宅が建っている。フィラデルフィアの人種的な構成は白人45.02%、アフリカン・アメリカン43.22%、先住民0.27%、アジア4.46%、太平洋諸島系0.05%、その他の人種4.77%、及び混血2.21%である。人口の8.50%はヒスパニックまたはラテン系である。フィラデルフィアの民族的構成はアフリカン・アメリカン32.5%、 アイルランド系13.6%、イタリア系9.2%、プエルトリコ系8.1%、ドイツ系6.4%、及びポーランド系4.3%である。

フィラデルフィア内の住民は25.3%が18歳未満の未成年、18歳以上24歳以下が11.1%、25歳以上44歳以下が29.3%、45歳以上64歳以下が20.3%、及び65歳以上が14.1%にわたっている。中央値年齢は34歳である。女性100人ごとに対して男性は86.8人である。18歳以上の女性100人ごとに対して男性は81.8人である。

フィラデルフィアの平均所得は、一世帯あたりで3万0746ドル、一家族あたりで37,036ドルである。男性で3万4199ドル、女性は2万8477ドルとなっており、全人口一人当たりの平均所得では1万6509ドルとなっている。全人口の22.9%、全人口のうち18歳未満の31.3%、及び全家族の18.4%は貧困線以下にある。

食べ物

フィラデルフィアの名物には以下のものある:

メディア

印刷物

フィラデルフィアの主要な日刊紙は、「フィラデルフィア・インクワイアラー」紙と「フィラデルフィア・デイリー・ニュース」紙である。

テレビジョン放送局

フィラデルフィア大都市圏の主要な地上波テレビ局は、ABC (WPVI, Ch. 6)、CBS (KYW, Ch. 3)、NBC (WCAU, Ch. 10)、PBS (WHYY, Ch. 12)、The CW (WPSG, Ch. 57)、MyNetworkTV (WPHL, Ch. 17) 及び Fox (WTXF, Ch. 29)である。

ラジオ放送局

フィラデルフィアにはアメリカ国内でも名が通るラジオ局の本拠地になっている。中でも WMMR (93.3FM) と WYSP (94.1FM) はアメリカ有数のロック局である。両局は、多くの現代のロック・バンドを躍進させ、この国のロック音楽の流行に多大な影響を与えたことで、ロック音楽コミュニティーに広く知られている。

フィラデルフィアは近年までモダンロック専門のラジオ局がないアメリカ最大の都市だったが、2005年に2WPLY Y100 は元々純粋にフィラデルフィアを拠点としたmodern rockの局だったが、2005年初めに親会社である Radio One によってrhythmic top 40(ヒップホップやR&Bなどをかける)に変更された。

ペンシルベニア大学によって運営されている WXPN (88.5 FM) は、当初は主要な局で曲を流してもらえなかった多くの著名なアーティストの経歴を立ち上げた実績を持つ。局の財源の大部分は会員であるリスナーによって支えられている。WXPN は毎年夏に開かれる音楽フェスティバルのスポンサーであり、その模様は現在自身のウェブサイト[2]を通じて世界中に放送されている。

WXTU (92.5 FM) は北東部内で多く聞かれているカントリー音楽放送局である。

音楽

フィラデルフィア管弦楽団は、ニューヨーク・フィルハーモニックシカゴ交響楽団などと並ぶ全米五大オーケストラに挙げられ、世界でも有数のオーケストラのひとつである。夏の音楽祭では、フィラデルフィア・ロビンフッド・デル管弦楽団 という名称で演奏することもあり、この名による録音も多く残されている。

フィラデルフィアを舞台にした映画・テレビドラマ

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サウス・ストリートから見た中心部

博物館及び芸術コレクション

スポーツ

クラブ スポーツ リーグ スタジアム
フィラデルフィア・イーグルス フットボール NFL; NFC リンカーン・フィナンシャル・フィールド
フィラデルフィア・フィリーズ 野球 MLB; NL シチズンズ・バンク・パーク
フィラデルフィア・セブンティシクサーズ バスケットボール NBA ワコビア・センター
フィラデルフィア・フライヤーズ アイスホッケー NHL ワコビア・センター
フィラデルフィア・ソウル アリーナフットボール AFL;ナショナルカンファレンス東地区 ワコビア・センター

他にもプロレス興行が盛んである。1990年代に独自のハードコア路線で一大ブームを巻き起こしたECWがこの都市を活動拠点としていた。ECWが試合会場として使用していたビンゴホールは、その後、ECWアリーナの名で親しまれ、のちにも「ジ・アリーナ」の名称でインディーズ団体の聖地として頻繁に興行が行なわれるようになった。

社会基盤

州政府

教育

公立学校

フィラデルフィア市のすべてはフィラデルフィア学区(School District of Philadelphia)に属する。この地区のすべての学校は制服または何らかの服装規定を持つ事を要求される。

高等教育

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フィラデルフィア市近郊の大学は:

交通

公共交通機関

フィラデルフィア市は南東ペンシルベニア交通局 (Southeastern Pennsylvania Transportation Authority 略 SEPTA) によってサービスされている。SEPTA はフィラデルフィア市内及び郊外でバス、鉄道、地下鉄、トロリー、及びトロリーバスの運行を行っている。

フィラデルフィア市内にはアムトラックの北東幹線 (Northeast Corridor) が通っていて、ニューヨークまで約1時間半、ワシントンD.C.まで約2時間の距離である。アムトラックの30th ストリート駅 (30th Street Station) はアムトラック、SEPTA、NJ Transit 路線が乗り入れている主要な鉄道施設である。

PATCO (Port Authority Transit Corporation) は16thと15th、13thと12th、及び10thと9thストリートの間のロコスト・ストリート (Locust Street) 及び 8th ストリート上にあるマーケット・ストリートの駅から、ニュージャージー州内のカムデンコリングスウッド (Collingswood)、ハドンフィールド (Haddonfield)、チェリーヒル (Cherry Hill)、アシュランド (Ashland)、及び Lindenwold まで地下鉄サービスを提供している。

空港

ノースイースト・フィラデルフィア空港が自家用機・ビジネス航空機向けのサービスを提供しているのに対し、フィラデルフィア国際空港 (PHL) は定期便路線の国内線及び国際線向けに利用されている(市内から車で約20分)。

道路

姉妹都市

フィラデルフィア市はSister Cities International, Inc. (SCI)によって指定を受けた、10都市と姉妹都市を締結している: テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-break

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脚注

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外部リンク

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公式
観光
その他

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