ピクリン酸

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テンプレート:Infobox 爆薬 ピクリン酸(ピクリンさん、Picric acid)は化学式 C6H3N3O7、示性式 C6H2(OH)(NO2)3 で表される芳香族のニトロ化合物である。いくつかの異性体を持つトリニトロフェノールのうち 2,4,6-トリニトロフェノールのことを指す。強力な酸性を示し、味は苦い。非極性溶媒に溶けるが、極性溶媒に溶けにくい。毒劇法医薬用外劇物に指定されている。

爆発性の可燃物で火薬として用いられてきたが、不安定な物質であるため、より安定なトリニトロトルエン (TNT) にとって代わられた。日露戦争において日本海軍の主力爆薬として用いられた、下瀬火薬の主成分としても知られている。

飽和水溶液は生物組織標本作製用の固定液(ブアン固定液 (Bouin's fluid)、ザンボーニ固定液など)の成分として用いる。また、酸塩基指示薬としても使用される。重金属と反応して非常に衝撃に敏感な塩を作る。エタノール溶液は、金属組織を顕微鏡観察し易くするための腐蝕液として用いられる。

フェノール類の検出方法の1つとして、塩化鉄(III) による呈色反応が知られるが、ピクリン酸にはこの反応が見られないので注意が必要である。 ピクリン酸は水溶液中で強い酸性を示しほぼ完全にピクラートイオンになっている。この際電子求引性の高いニトロ基によりベンゼン環中の電子密度が低下し酸素原子における非共有電子対の電子密度が下がり鉄(III)イオンに対する配位能力が非常に小さくなっていることが原因であるとされる[1]

製造法

一般にはフェノールニトロ化によって得られる。工業的にはスルホフェノール法やクロロベンゼン法の2種類があり、かつてはベンゼン水銀触媒存在下でニトロ化する方法も研究された。

歴史

初めてピクリン酸に言及した資料は、ヨハン・ルドルフ・グラウバーが1742年に書いた錬金術に関する文書である[2]。当初ピクリン酸は動物の角、インディゴ樹脂のような物質をニトロ化することで作られた。フェノールからの合成、及び正しい化学式の決定は1841年に成し遂げられた。この物質が爆発性であることが知られるようになったのは1830年である。それ以前には、酸そのものに爆発性はなく、そのだけが爆発物だと考えられていた。1873年、ヘルマン・シュプレンゲル(Hermann Sprengel)がピクリン酸の爆発性を証明した。そして1894年までにはロシアでそれを炸薬用に生産する手法が開発され、当時最強の爆発物であったピクリン酸は軍事的に重要な物質となった。しかしながら、ピクリン酸の詰まった砲弾は不安定で扱いづらいものであった。ピクリン酸の繊細さはハリファックス大爆発事件で如実に示された。ピクリン酸は、第一次世界大戦ではまだ使用された[3]が、20世紀も年が進むにつれTNTコルダイトに取って代わられた。

1885年、シュプレンゲルの研究に基づき、フランスのウジェーヌ・テュルパンコロジオンを加えて圧縮成形したピクリン酸を遅延信管と組み合わせることにより、発破および砲弾に利用する方法の特許を取得した。フランス政府はこれをメリニット(mélinite)と名づけ、ニトロセルロースに次ぐものとして採用した(1887年)。1888年以降、イギリスはほぼ同様の混合物(ジニトロベンゼンワセリンを添加)をケント州リッド(Lydd)で生産した。これは地名にちなんでリッダイト(lyddite)と呼称された。それに続いて日本もピクリン酸単独による下瀬火薬を開発した(ピクリン酸単独は日本のみ採用)。1889年に発明されたクレシル酸アンモニウムとの混合物はエクラジット(Ekrasit)の名の下にオーストリアで生産された。

脚注

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  1. 卜部 吉庸 『理系大学受験化学I・IIの新研究』株式会社三省堂刊、2007年10月10日出版
  2. グラウバーは1670年に死去している。
  3. Marc Ferro. The Great War. London and New York: Routeladge Classics, p. 98.