ヒンデンブルク号爆発事故

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox Aircraft accident ヒンデンブルク号爆発事故(ヒンデンブルクごうばくはつじこ、Hindenburg Disaster)とは、1937年5月6日アメリカ合衆国ニュージャージー州レイクハースト海軍飛行場で発生したドイツの硬式飛行船LZ129 ヒンデンブルク号の爆発・炎上事故を指す。乗員・乗客35人と地上の作業員1名が死亡。この事故により、大型硬式飛行船の安全性に疑問が持たれ、それらの建造が行われなくなった。

1912年4月14日に起きたイギリスの豪華客船タイタニック号沈没事故、1986年1月28日に起きたアメリカ・スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故などとともに、20世紀の世界を揺るがせた大事故のひとつである。

硬式飛行船の黄金期

ファイル:Hindenburg at lakehurst.jpg
1937年のハーケンクロイツをつけたヒンデンブルク号

硬式飛行船の第1号は1900年のLZ1で、1909年にはツェッペリン飛行船による航空輸送会社も設立された。

硬式飛行船の設計が優れている点は、浮揚用水素ガス袋と、船体構造とを分離した点にある。従来の軟式飛行船は、ガス袋そのものを船体としていたため、変形しやすくなり、高速飛行は不可能であった。硬式飛行船はアルミニウム合金の多角形横材縦通材で骨格をつくり、張線で補強し、その上へ羽布(麻または綿布)を張って流線形の船体を構成し、ガス袋を横材間に収めた。

このような構造をもつ硬式飛行船は、船体の外形を保持することができ、飛行機よりは遅いものの、駆逐艦には追尾できない高速(特急列車と同程度)を発揮した。飛行船は実用的な空の輸送手段となった。

硬式飛行船の優れたもう一点は、大型化を可能にしたことである。飛行機と違って、ツェッペリン飛行船の浮力は寸法の3乗である体積に比例し、また、構造重量は寸法の3乗以下にとどめることができるので、大型であるほど搭載貨物を増大できる。

第一次世界大戦中には119隻建造されて、偵察や爆撃などに用いられたが、空爆による軍需工場破壊や国家そのものに与えるダメージだけでなく、空を舞う威圧的な飛行船を見せて敵国の市民の戦意をそぐことも視野に入れられていた。ただし、軍事行動中に撃墜されたものもあり、またそれ以上の数の飛行船が悪天候で遭難した。また、複葉機の台頭に伴い、次第に戦果が挙げられなくなる。

第一次世界大戦後の1928年には、ツェッペリン飛行船会社は、LZ127グラーフ・ツェッペリンツェッペリン伯)号を建造して、世界一周に成功。このときは日本(茨城県霞ヶ浦)を含めた世界各地に寄港し、各地を熱狂させた。

爆発事故

ファイル:Special Release Zeppelin Explodes.ogv
事故の4日後に発行されたニュース映画。事故映像は1:18から

しかし、そうした硬式飛行船の黄金期は突如として幕を閉じる。LZ129ヒンデンブルク号は、マックス・ブルス船長の指揮のもと、ドイツ・フランクフルトを発ち(現地時間5月3日20時20分、アメリカ東部時間5月3日14時20分、日本時間5月4日4時20分)、2日半の大西洋横断後、現地時間(アメリカ東部時間)1937年5月6日19時25分(日本時間5月7日8時25分、ベルリン・フランクフルト時間5月7日1時25分)頃、アメリカニューヨーク近郊のニュージャージー州レイクハースト空軍基地着陸の際に尾翼付近から突如爆発。ヒンデンブルク号は炎上しながら墜落し、乗員・乗客97人中35人と地上の作業員1名が死亡した。このときの様子は写真・映像及びラジオ中継により記録[1]され、現在も事故直後の様子を知ることができる。また、映像技術の発展に伴い、モノクロ映像だったヒンデンブルク号の映像を処理してカラー化されたものも出ている。

ファイル:Hindenburg memorial.jpg
レイクハーストの事故現場にある慰霊碑

事故原因

事故発生当時は水素ガス引火による爆発事故ということで、浮揚ガスに水素ガスを用いるのは危険だとする説が流布された[2]。ツェッペリン社は原因については一切公表しなかったが、濡らした外皮に電流を流して発火させる実験を行い、外皮が事故の原因であるとの結論に達していた。この事実をツェッペリン社が公表しなかったのは、保険金の問題もしくはナチスの圧力が原因であると考えられている。その後、ツェッペリン社は外皮塗料を改良した新型機を製造したが、アドルフ・ヒトラーの指示により解体された。

その後、1997年NASAケネディ宇宙センターの元水素計画マネジャー、テンプレート:仮リンクが当時の証言、映像分析、そして実物の外皮[3]の分析により、事故の原因はヒンデンブルク号の船体外皮の酸化鉄アルミニウム混合塗料(テルミットと同じ成分である)であると発表した。

彼の説は、ヒンデンブルク号の飛行中に蓄積された静電気が、着陸の際に着陸用ロープが下ろされた瞬間に、外皮と鉄骨の間の繋ぎ方に問題があったために十分に電気が逃げず、電位差が生じて右舷[4]尾翼の前方付け根付近で放電が起こったことから外皮が発火・炎上した、というもので、現在ではこの説が有力になりつつある(この場合、浮揚ガスが水素でなくヘリウムの場合でも飛行船は炎上する)。以上の説は、1999年にイギリスのテンプレート:仮リンク制作のテレビ番組 "Secrets of the Dead, What Happened to the Hindenburg?" でベイン自身の解説とともに取り上げられ、日本でも翌2000年6月16日NHK総合で「ドキュメント 地球時間 ヒンデンブルク号 豪華飛行船の悲劇」として放送された。

また、ドイツ政府の工作員による自爆テロだったのではないかという陰謀説もある。当時、『飛行機の実用化を進めていたドイツにとって、「飛行船はもはや時代遅れ」という見方が強まっており、大衆の目前で飛行船の危険性を印象づけることで航空機への転用を図ろうとした』という理由であるが、この説には証拠となる証言や物的証拠は一切存在せず、ツェッペリン飛行船製造会社と当時ドイツの政権政党であったナチス党は仲が悪かったという状況証拠のみを根拠としている。また、ヒンデンブルク号はドイツの威信を象徴する乗り物であり、さらに外遊先の敵国アメリカで、大事故を起こし全世界に醜態をさらすことなど、国家の体面を非常に気にしていたヒトラーやドイツのナチス党政権が許すはずもないため、ナチス党を嫌うツェッペリン社社長エッケナー博士の破壊工作と言う説もある。

事故後の影響

その他

関連する作品

映像作品

  • ドキュメンタリー『衝撃の瞬間』第3シリーズ 第13回『ヒンデンブルグ号の火災(原題: The Hindenburg)』(ナショナルジオグラフィックチャンネル
  • ドキュメンタリー『炎上 ヒンデンブルク号』(ディスカバリーチャンネル
  • ドキュメンタリー 『失われた世界の謎』シリーズ 第32回『飛行船の黄金時代』(ヒストリー・チャンネル
  • ドキュメンタリー『たけしの万物創世記』(朝日放送 2000年9月放映)
  • 映画『ヒンデンブルグ』(1975年 ロバート・ワイズ監督)…この作品では陰謀説が爆発の原因として描かれており、作中では腕時計を改造した小型爆弾で爆発した。また、当時のヒンデンブルク号爆発の映像も使用されている。
  • ドキュメンタリー「Secrets of the Dead, What Happened to the Hindenburg?」(1999年、2000年発売。Pbs
    • 上記の通り、アディソン・ベインにより外皮発火説が事故の原因として解説されており、生還したヒンデンブルク号の乗客や事故の目撃者の証言、そして外皮を回収した愛好家などのインタビューが収録されている。
  • TV映画『ヒンデンブルグ 第三帝国の陰謀』(2011年 フィリップ・カデルバッハ監督)…爆発事故に着想を得たフィクション映画。日本では2013年に劇場公開された。

書籍

  • Mickael Macdonald Moony(著)、筒井正明(訳)、『悲劇の飛行船』、平凡社、1973年

脚注

  1. 本来は到着の瞬間を実況するはずだったシカゴのラジオ局アナウンサー、ハーブ・モリスン「大変です! ヒンデンブルクが突然火を噴きました! 本当です! これはどうしたことでしょう! 上空150メートルの所で燃えています! どんどん火の手が大きくなっています! 船体が地面に激突しました! ちょっと、前の人どいて下さい! どいて、どいて! ああ、なんと見たこともない恐ろしい光景だ! 最悪の事態だ! もう、言葉になりません! とても実況などできません!…」などと伝え、最後には涙声となる。なお、映画版でも実況しているモリスンの姿が出ているシーンがあり、それも再現されている。
  2. もともとヒンデンブルク号はヘリウムガスを使用する予定であったが、アメリカが当時の法律で不燃性のヘリウムガスの輸出を禁止したため、やむなく水素ガスを使用していた。
  3. 事故直後に地元の飛行船ファンが回収・保存していた
  4. 事故の証人はほとんど左舷側におり、右舷側の証人はわずか2名だったこともあり、事故調査においては無視されていた

外部リンク