バンプレスト

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テンプレート:Redirect テンプレート:Infobox 株式会社バンプレストは、プライズゲーム用景品の企画・供給を行っている企業。由来はバンダイのバンと、演奏記号の「Presto(急速に)」から。

履歴上の源流となる豊栄産業(ほうえいさんぎょう)からバンプレストブランド消滅までは、複雑な変遷をたどっており、本項ではこれらを時系列で解説する。

年表

  • 1977年4月 豊栄産業株式会社を設立。創業者は松田靖(まつだ・やすし)。東京都田無市(現:西東京市)に本社を置いた。
  • 1982年6月 商号をコアランドテクノロジー株式会社に変更。本社は中野区中野に移転。
  • 1989年2月 株式会社バンダイ子会社となり、商号を現在の株式会社バンプレストに変更。本社は千葉県松戸市に移転。杉浦幸昌が初代社長になった。ただしこの際に、人的に相当な流出入の変化があったため、バンプレストとコアランドの関係は法人格を引き継いだだけの関係とする説もある。
  • 1994年2月 本店を東京都台東区雷門2-16-9に移転。家庭用ゲームソフトの開発を目的にバンプレ企画(現バンプレソフト)を設立。
  • 1994年4月 景品の開発・仕入部門の強化を目的に手芸会社ユニファイブを子会社化。
  • 1997年3月 子会社のミューラスにおいて声・俳優の養成を目的としたスクール事業の運営を開始。家庭用ゲームソフト企画開発部門をバンプレ企画に統合し、商号をバンプレソフトに変更。
  • 1999年から2003年まで 当時の親会社であったバンダイワンダースワンシリーズの展開の為、一時同社(旧バンプレスト)はバンダイのセカンドパーティー社になっていた。
  • 2000年10月 東京証券取引所第二部に株式を上場
  • 2001年9月 子会社のユニファイブを吸収合併。子会社の芸能事務所、株式会社ミューラスを解散・清算。
  • 2003年3月 東京証券取引所第一部に昇格。
  • 2004年4月8日 会社更生法の適用を受け倒産した「トーゴ」が運営する老舗遊園地浅草花やしき」を買収する計画を発表する。8月31日をもってバンプレスト子会社である「株式会社花やしき」へ営業を譲渡された。
  • 2004年12月 子会社プレジャーキャストにアミューズメント施設部門を分割。
  • 2006年2月23日 バンダイナムコホールディングス株式公開買い付け(TOB)を実施し、TOBと株式交換でバンプレストを完全子会社化する事を発表。
  • 2006年3月3日 アリオ亀有(複合ショッピングモール)内にこちら葛飾区亀有公園前派出所をテーマにしたテーマパーク「こち亀ゲームぱ〜く」をオープン。運営は子会社のプレジャーキャストが担当。
  • 2006年5月15日 バンダイナムコホールディングスによる完全子会社化により上場廃止
  • 2007年6月 本社を東京都品川区東品川4-12-2品川シーサイド ウエストタワー2Fに移転(バンダイナムコゲームス未来研究所隣接地)。
  • 2007年11月 2008年4月1日をもってバンダイナムコゲームスにゲーム事業を移管すると発表[1]
  • 2008年4月1日 プライズ事業を新たに設立する子会社である(新)バンプレストに移管。子会社の株式会社花やしき、株式会社プレジャーキャストを株式吸収分割などの処理により(新)ナムコの子会社に、株式会社アートプレストをバンダイの持分と共にバンダイナムコホールディングスの完全子会社とする。(旧)バンプレストはゲーム事業と共にバンダイナムコゲームスに吸収合併され解散。(旧)バンプレストよりプライズ部門が独立して出来た会社であり、社名は同じだが会社組織上は別会社である。「バンプレスト」「BANPRESTO」のブランド名(商標)は、バンダイナムコゲームスのゲームソフトのブランドとして引き続き使われている。

バンプレスト時代の詳細

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コアランドからバンプレストへ

1980年代、玩具業界は成熟し成長が見込めなくなりつつあった中、大手玩具メーカーのバンダイは様々な新規事業への進出を模索しており、その中にはアミューズメント事業についての計画もあった。

バンダイの新規事業担当だった杉浦幸昌は「アミューズメント業界ではキャラクターがほとんど手付かず」であると考えて、同社のキャラクターマーチャンダイジングを生かせば成功すると判断し、提携先の企業を探していた。バンダイはアミューズメント業界での実績があった株式会社コアランドテクノロジー(旧・豊栄産業)を提携先に選び、資金援助などの投資を開始した。しかし始めてみるとコアランドテクノロジーの経営状態は芳しくなく、15億円の借金を抱えていた事が判明した。既に大きな投資をしていたため引けなかったバンダイは1989年に同社を子会社化し、その借金を「丸抱え」する形で経営改善に乗り出した。その際に社名をコアランドテクノロジーから親会社バンダイに由来する「バンプレスト」に変更、また杉浦幸昌が社長に就任した。

当時、「UFOキャッチャー」のヒットによりアミューズメント業界が急成長している時代だった。しかし使われていた景品は検品漏れのぬいぐるみを安く仕入れて来た物ばかりで版権物は少なかった。そこでバンプレストはゲームセンターの客層に多い20代をターゲットに、ウルトラマン仮面ライダー機動戦士ガンダム等の、当時としては若干古いキャラクターの人形を景品として供給。これがヒットし、年間7000万個とも言われる膨大な数を販売し、バンプレストは2年4カ月で黒字化を達成した。

ゲームソフト分野での躍進

更に杉浦はポピー時代より様々な版権元に人脈があり、バンプレストにはコアランド時代から続くジャンプバグなどゲームソフトの開発実績と、ファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)用ソフトを開発できる体制を持っていた。そこで杉浦は様々な版権キャラクターを一緒に登場させる(クロスオーバー)ゲームソフトを考え、様々な版権元に「私の社長就任祝いにはお金もモノもいらないから、この許諾がどうしても欲しい」と頼み込み、渋々ながら各社から許諾を得る事に成功した。杉浦曰く、当時はまだこうした「無理」が通る良い時代だったと語っている。

こうして発売されたのが同社初のファミコンソフトであり、同社の看板シリーズとなるコンパチヒーローシリーズ第1弾「SDバトル大相撲 平成ヒーロー場所」である。グレイトバトルシリーズなどのヒットを飛ばしたこのシリーズはスーパーロボット大戦シリーズへと派生し、ゲームソフトメーカーとしての知名度も高まった。ちなみに当時のバンダイ社長の山科誠は「バンダイとバッティングするゲームソフトは手掛けないでくれ」としており、バンプレスト側はコンパチシリーズは「バンダイが手がけていない路線のソフト」であるとしていた。

親会社への統合

1994年に販路や商品開発を強化すべく手芸会社ユニファイブを子会社化。1998年にバンダイ本社の経営危機により、これを建て直すべく杉浦は親会社のバンダイに戻り、後任はユニファイブ社長の伍賀槌太が就任した。2005年9月、バンダイと大手ゲームメーカーのナムコが統合し、バンダイナムコゲームスが設立される。2008年、バンダイナムコゲームスはバンプレストのゲームソフト事業とアミューズメント事業の吸収を決定し、旧バンプレスト社は解散された。その後、UFOキャッチャーなどの景品の開発・販売を行うプライズ事業のみが新たな企業として分離され、その社名は同じ「バンプレスト」が使用された。

代表作品

豊栄産業時代

「ブロックくずし」のブーム時、直接アーケードメーカーのみの企業として参入した。当初販売はエスコ貿易が行っていた。この頃はほぼ完全にコピーゲームや亜流で、他社のゲームの影響が色濃いものばかりだった。

コアランド時代

この頃からコピーでないと言えるゲームを出すようになった。販売を担当していたセガとの関係が深い。

バンプレスト時代

初代社長の杉浦幸昌の人脈を生かし、バンダイのゲームと競合しないクロスオーバー作品を主として、多くのキャラクターゲームを販売している[2]

家庭用ゲーム
アーケードゲーム
他の製品

脚注

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関連項目

  • saku sakutvk) - 旧法人時代からスポンサーをしており、キャラクターグッズの製作販売を手がけている。また週1回バンプレスト製品(バンダイナムコゲームス旧バンプレストレーベルのゲーム作品も含む)のPRコーナーがある。

外部リンク

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  1. バンプレストのゲーム事業を統合 バンダイナムコがグループ再編 - ITmedia News
  2. 「アニメ・ビジネスが変わる アニメとキャラクター・ビジネスの真実」1999-06-17 日経BP社刊