バフマニー朝

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バフマニー朝(- ちょう、テンプレート:Lang-en, テンプレート:Lang-hi)とは、14世紀中ごろから16世紀初頭にかけて、インド亜大陸デカン地方を支配したイスラーム王朝(1347年 - 1527年)。首都はグルバルガビーダルバフマニー・スルタン朝(Bahman Sultanate)、バフマン朝とも呼ばれる。

歴史

建国

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アラー・ウッディーン・バフマン・シャーのコイン

トゥグルク朝デカン地方総督で、もとアフガン人の傭兵だったテンプレート:仮リンク(ハサン・ガング)がデカンのグルバルガ1347年に独立し、バフマン・シャー(在位1347 - 1458)と称したことから、この王朝はバフマニー(バフマン)朝とも呼ばれた。

バフマン・シャーを名乗った理由として、ペルシャ出身のフィリシュタという歴史家が語っている民衆の伝説によると、神秘的なイランの英雄バフマンに自分を見たてようとしたからだという。

だが、バフマン・シャーという語は、アラー・ウッディーン・ハサンが以前仕えた主人であるガングという人物がバラモンだったから、その主人への賞賛の言葉を意味していたとする説もある。

ヴィジャヤナガル王国との抗争

ファイル:Map of South India in Late 14th Century.JPG
14世紀後半頃のバフマニー朝とヴィジャヤナガル王国

バフマニー朝は南側に隣接するヴィジャヤナガル王国と常に抗争状態にあった。

というのは、両国の国境地帯のトゥンガバドラー川クリシュナ川流域であるライチュール地方は経済的に豊かな土地として知られ、クリシュナ川とゴーダヴァリー川の下流平野は、たいへん肥沃な土地であるうえに数多くの港があり、その港を通して外国貿易が取引されていたため、領有した王朝は、その利益で潤うからだった。

バフマニー朝のスルタンは、優秀な砲兵隊と機動的な騎馬隊をもってしばしばヴィジャナガル王国を破ったが、決定的な勝利をおさめることはできなかった。

また、戦争によって、無差別虐殺や子どもの奴隷売買が行なわれたり、経済的にも疲弊したため、前述のような残虐な行為は行わない、両国の国境は当初のままとする、という協定が結ばれた。

テンプレート:仮リンク(在位1397 - 1422)は、バフマニー朝随一の名君とされる人物で、トゥンガバドラー川流域を獲得しようとしたヴィジャヴィジャヤナガル王デーヴァ・ラーヤ1世(在位1406 - 1422)を破り、ベラール地方まで攻め入って勝利をおさめたのみならず、多額の賠償金と象、真珠を支払わせた。

一方で、『コーラン』の注釈に通じ、自然科学を好み、国内外から学識者を積極的に招いた。しかし、1422年自分の弟のテンプレート:仮リンク(在位1422 - 1436)のために退位を余儀なくされ、同年に死亡した。

ビーダルへの遷都

アフマド・シャー1世の治世に、バフマニー朝はデーヴァ・ラーヤ2世(在位1422 - 1446)のもと軍制改革を行って強大になったヴィジャヤナガル軍に敗れ、1425年グルバルガから北東100kmのビーダルに遷都した。

テンプレート:仮リンク(在位1436 - 1458)からテンプレート:仮リンク(在位1463 - 1482)の治世に、イラン出身のマフムード・ガーワーンが宰相をつとめ、バフマニー朝はカーンチプラムまでヴィジャヤナガル領に侵入したほか、ゴアなどをヴィジャヤナガルから奪うなど、西部海岸地域を征服に成功した。

その結果、イラン、イラクなどとの海外交易の拡大が可能となり、それに伴って国内の商業流通や手工業も発展した。また、テンプレート:仮リンクとの同盟のおかげで北方のマールワー地方にも領土を拡大した。

ムスリム5王国に分裂

しかし、マフムード・ガーワーンは、バフマニー朝国内の古くからの貴族(デカン出身者)とイラン系など新しい貴族の対立になやまされ、融和策を図ったものの、1481年にデカン派に暗殺された。

そのために、1490年以降地方長官たちが次々と独立し、ビジャープル王国(アーディル・シャーヒー朝)、ゴールコンダ王国(クトゥブ・シャーヒー朝)、テンプレート:仮リンク(イマード・シャーヒー朝)、テンプレート:仮リンク(ニザーム・シャーヒー朝)の4つの王国が成立した。

1510年、ポルトガル提督アフォンソ・デ・アルブケルケがビジャープル王国が支配するゴアを攻防の末に獲得(ポルトガル領インド)。

滅亡

その後、1527年テンプレート:仮リンク(在位1525 - 1527)の治世で滅亡し、その版図はバフマニー朝宰相が樹立したテンプレート:仮リンク(バリード・シャーヒー朝)に組み込まれ、ここにテンプレート:仮リンクが成立した。

歴代君主

  1. テンプレート:仮リンク(Ala-ud-Din Bahman Shah, 在位1347 - 1358)
  2. テンプレート:仮リンク(Muhammad Shah I, 在位1358 - 1375)
  3. テンプレート:仮リンク(Ala-ud-Din Mujahid Shah, 在位1375 - 1378)
  4. テンプレート:仮リンク(Da'ud Shah I, 在位1378)
  5. テンプレート:仮リンク(Muhammad Shah II, 在位1378 - 1397)
  6. テンプレート:仮リンク(Ghiyath-ud-din Shah, 在位1397)
  7. テンプレート:仮リンク(Shams-ud-Din Da'ud Shah II, 在位1397)
  8. テンプレート:仮リンク(Firoz Shah Bahmani, 在位1397 - 1422)
  9. テンプレート:仮リンク(Ahmad Shah I, 在位1422 - 1436)
  10. テンプレート:仮リンク(Ala-ud-Din Ahmad Shah II, 在位1436 - 1458)
  11. テンプレート:仮リンク(Ala-ud-Din Humayun Zalim Shah, 在位1458 - 1461)
  12. テンプレート:仮リンク(Nizam-Ud-Din Ahmad Shah III, 在位1461 - 1463)
  13. テンプレート:仮リンク(Muhammad Shah III, 在位1463 - 1482)
  14. テンプレート:仮リンク(Muhammad Shah IV, 在位1482 - 1518)
  15. テンプレート:仮リンク(Ahmad Shah IV, 在位1518 - 1520)
  16. アラー・ウッディーン・シャー(Ala-ud-Din Shah, 在位1520 - 1523)
  17. ワリー・ウッラー・シャー(Wali-Ullah Shah, 在位1523 - 1525)
  18. テンプレート:仮リンク(Kalim-Ullah Shah, 在位1525 - 1527)

参考文献

  • サティーシュ・チャンドラ/小名康之・長島弘(訳)『中世インドの歴史』,山川出版社,1999年 ISBN 4-634-67260-X

外部リンク

関連項目

テンプレート:インドの王朝