バスク人

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:独自研究 テンプレート:Infobox 民族 バスク人(バスクじん、テンプレート:Lang-es, テンプレート:Lang-eu)とは、系統不明の民族で、イベリア半島のバスク地方に分布する。文脈により以下の定義を有す。

  • バスク民族に帰属すると考えている人。
  • バスク語母語とする人。

古代の時点でローマから自治を許され、中世から近世にはバスク人の王(イニゴ・アリスタ)の末裔達がイベリアの並み居る王家を継承するなど権勢を誇った。バスク人は中世より漁師として大西洋タラ漁や捕鯨に繰り出し、大航海時代には多数の航海者やコンキスタドールを輩出し、南北アメリカ大陸に多くの移民を送り出した。

概説

テンプレート:See also スペインの北東からフランス南西部のピレネー山脈周辺にかけて居住する。現在最も有力な仮説とされているのは、イベリア半島における現生人類の第一居住民とされるイベリア人イベリア語)集団がローマ化されないままに現在のバスク地方に残り、彼らの話していた言語が語彙的に周辺のオック語カスティーリャ語などの影響を受けたのではないかという説である。

彼らの文化が孤立しているというイメージは、近代以降に生産されたものではないかという指摘もある。たしかに言語や共同体のあり方はカスティーリャやカタルーニャとは異なっているが、外部から取り込まれた文化要素も少なくないと言われている。また、バスク民族運動や「独立したバスク文化」という意識は、フランス革命以後にその影響を受けて発生し、カルリスタ戦争を経て本格化したものである。ただし、フランス革命においてフランス領土内に住む国民は全てフランス人であるという思想に基づき、一時フランス側ではバスク人固有の文化や言語が否定された。反発して民族運動に転じたバスク人も多い一方で、フランス人に溶け込んだバスク人も多い。

スペインのバスク人居住地域は同国で最も所得水準の高い地域でもあるが、フランコ政権の弾圧に抵抗していた歴史からスペイン内戦で多くのバスク人民族分離主義者が共和国側につき、中でも急進的な組織である「バスク祖国と自由(ETA)」は数々のテロ事件を起こし、かねてからスペインとその周辺、関係国の政治問題となっている。

バスク人は表現型で最大35%、遺伝型で60%がRh-型の血液である[1]テンプレート:独自研究範囲

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有名なバスク人

ヨーロッパ

スペイン

フランス

アメリカ大陸

ベネズエラ

アルゼンチン

チリ

アメリカ合衆国

  • ベニー・ユキーデ:格闘家、アクション俳優、米国人
  • Juan Carlos Pérez: ミュージシャン。バスク語で歌うロック・バンド Itoiz で活動。1978年のヒット曲 "Lau Teilatu" が有名。

メキシコ

サッカー

テンプレート:Main リーガ・エスパニョーラプリメーラ・ディビシオンに所属するアスレティック・ビルバオは100年近くに渡りバスク人による純血主義を維持しながら1部リーグに在籍し続けており[2][3]、バスク地方において独自のアイデンティティを堅持している[4]

関連項目

脚注

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  2. テンプレート:Cite web
  3. テンプレート:Cite web
  4. テンプレート:Cite web