ヌルスルタン・ナザルバエフ

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ヌルスルタン・ナザルバエフ
Нұрсұлтан Әбішұлы Назарбаев
ファイル:Nursultan Nazarbayev 27092007.jpg
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任期 1991年12月1日

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任期 1990年4月24日1991年12月1日

出生 テンプレート:生年月日と年齢
テンプレート:SSR1923
テンプレート:KZSSRチェモルガン
政党 カザフ共産党( – 1991年)
無所属(1991年 – 1999年)
ヌル・オタン(輝く祖国)(1999年 – 現在)

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配偶者 サラ・ナザルバエフ

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署名 128px

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ヌルスルタン・アビシェヴィッチ・ナザルバエフ(ナザルバーエフとも、カザフ語Нұрсұлтан Әбішұлы Назарбаевロシア語Нурсултан Абишевич Назарбаев; Nursultan Abishevich Nazarbayev、1940年7月6日 - )は、カザフスタン政治家で初代大統領1990年4月 - )。

経歴

  • 1977年 - 1979年カラガンダ州共産党委員会書記、後に第2書記
  • 1979年、カザフ共産党中央委員会書記
  • 1984年、カザフ共和国閣僚会議議長(首相)
  • 1986年ソビエト共産党中央委員会委員。ゴルバチョフ政権下で中央アジアの代表として台頭してくる。
  • 1989年6月、コルビンの後任としてカザフ共産党中央委員会第一書記に就任
  • 1990年2月カザフ共和国最高会議議長、4月カザフ共和国大統領、7月、ソビエト共産党中央委員会政治局員
  • 1991年12月1日、カザフスタン共和国大統領に選出
    • 1991年12月25日、ソ連崩壊に伴い、カザフスタンは独立国家として国際的に承認される。国際連合には1992年3月2日に加盟。
  • 1994年4月、来日
  • 1995年4月、国民投票により任期を2000年まで延長
  • 1999年1月、期限前に実施された大統領選挙で勝利(任期は7年)
  • 1999年12月、来日
  • 2005年12月、前倒しされた大統領選挙で圧倒的得票率で4選
  • 2007年5月12日、ロシアウラジーミル・プーチン大統領、トルクメニスタングルバングル・ベルディムハメドフ大統領と共同でカスピ海に沿うガスパイプライン新設の合意を発表した[1]
  • 2007年5月18日、カザフスタン議会はナザルバエフを終身大統領とする決議案を圧倒的賛成多数で可決。同日採択された憲法改正案で大統領任期を7年から5年に削減、3選禁止規定も残されたが、ナザルバエフは「独立国家カザフの創始者」であるため、大統領の任期は適用されない。しかしナザルバエフはこれを断り、大統領選挙は2012年実施、2005年に選出された現在の大統領任期は2013年初頭までとされた。
  • 2008年6月18日、来日。福田康夫首相との首脳会談で、原子力の平和的利用などエネルギー分野での二国間協力の合意がなされ、調印した[2]
  • 2011年2月、2012年に予定されていた大統領選挙を前倒して実施するために憲法修正法案に署名
  • 2011年4月3日に大統領選挙が実施され、得票率95.5%を獲得して当選
    • 2010年末に、2020年まで大統領任期を延長することを決めるための国民投票実施を要求する国民の署名運動が開始され、署名者数は500万に達した。カザフスタン議会も12月14日に、国民投票を可能にする憲法改正案を可決。しかし憲法評議会が議会主導の改憲の動きを違憲と判断した。これを受けて大統領は任期延長提案を拒否し、逆に大統領選挙の前倒し実施を提案した。
    • 同選挙での立候補者はナザルバエフ以外に3人いたが、3人ともナザルバエフの2020年までの任期延長に賛成していた人物であり、しかもそのうちの1人はナザルバエフに投票した[3]、と発言するなど、国際社会、特に欧米からは「競争原理のみられない選挙」と批判された。得票率95.5%[3]は1991年12月に行われた大統領選挙で獲得した98.7%に次ぐ高率で、1999年の得票率79.78%と2005年の得票率91.15%を上回り、独立以後の大統領選挙では過去最高となった。
  • 2014年2月、カザフスタンの国際的な知名度向上のため、国名を「カザフエリ」(カザフ語カザフ人の土地の意)」に変更する考えを表明した[4]

「初代大統領法」を制定して引退後も影響力を行使する脚がかりをつかみ、議会により「人民英雄」も与えられ、近年は独裁者的な一面を表しているとの声が西側のメディアから挙がっている。3人の娘がおり、末娘のアリヤは、キルギス共和国アスカル・アカエフ元大統領の息子と結婚し、血縁による支配と騒がれた(ただし後に離婚し、アカエフも大統領職を追われた)。男児がいないため、長女・ダリガは後継者候補として有力であるとされている。

その生涯は伝記映画や演劇化されているが、2011年の71歳の誕生日に子供向けに外交で素晴らしい成果をあげる「架空」物語のおとぎ話の本が出版された。

人物

アルマ・アタ州カスケレンスキー地区チェモルガン村出身。妻・サラSara Nazarbayeva、3女(ダリガ、ディナラ、アリヤ)、3人の孫を有する。孫のアイスルタンは、イギリスサンドハースト王立陸軍士官学校を優等で卒業し、カザフスタン共和国軍に入隊。

ドニエプロジェルジンスキー工業学校(1960年)、カラガンダ冶金コンビナート附属工業大学(1967年)、ソ連共産党中央委員会附属高等党学校(1976年、通信教育)を卒業。経済科学博士。

カザフ国立大学名誉教授、国際技術アカデミー会員、ロシア連邦社会科学アカデミー会員、カザフスタン科学アカデミー会員、国際情報化アカデミー会員、国際技術科学アカデミー会員。北京大学より名誉博士号(2002年)。

貧困国から急成長した韓国を見習うことで経済発展を成し遂げようという信念の持ち主とされる[5]

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脚注

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外部リンク


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|style="width:30%"|先代:
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(カザフ社会主義共和国大統領) |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon カザフスタン共和国大統領
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(現職)

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(カザフスタン共和国大統領) テンプレート:S-ppo

 |-style="text-align:center"

|style="width:30%"|先代:
ゲンナジー・コルビン |style="width:40%; text-align:center"|カザフスタン共産党第一書記
1989 - 1990 |style="width:30%"|次代:
(役職廃止)

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  3. 3.0 3.1 カザフスタン大統領選、現職のナザルバエフ氏圧勝 国際監視団は批判AFPBB・2011年4月4日、2013年11月21日観覧
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