ニューファンドランド・ラブラドール州

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テンプレート:基礎情報 カナダの州 ニューファンドランド・ラブラドール州テンプレート:Lang-en-shortテンプレート:Lang-fr-shortテンプレート:Lang-ga-shortテンプレート:Lang-la-short)は、カナダの1つ。カナダの東北部にあたるラブラドール半島東部のラブラドール地方ニューファンドランド島から成る。

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歴史

ニューファンドランド島には、かつてベオスーク(Beothuks)族、ミグマ(またはミックマックとも呼ばれる、Mi'kmaq/Micmac)族という先住民族が居住していた。10世紀末には欧州人として初めて、バイキング族がこの地へ入植した。ランス・オ・メドー国定史跡(L'Anse aux Meadows)にあるその遺跡が世界遺産となっている。

大西洋北部のタラの好漁場であるニューファンドランド島沖合は、コロンブスの新大陸来航以前からバスク地方などヨーロッパの漁民たちを惹きつけてきた。コロンブス以後、新大陸の探検にきたポルトガル人によって「テラ・ノバ(Terra Nova)」という名前がつけられ、英訳され「ニューファンドランド」となった。その後、探検家のジョン・カボットが上陸し、1497年にイギリスの海外植民地とした。ニューファンドランド島やラブラドール地方の入り江にはイギリスやフランス、スペインなどから渡ってきた漁民が暮らし始めたが、この地域の漁業権や領有権をめぐってはたびたびフランスとイギリスの間で衝突が起こった。

ニューファンドランド植民地では自治を求める動きが活発化し、1854年に責任政府が樹立され自治領(Dominion)となった。その後、カナダの連邦政府に加入することを拒否して自治領を維持し、1907年には事実上の独立国となったが、第一次世界大戦への参戦で戦費がかさんだほか出征した島民が多く犠牲になりニューファンドランドは疲弊した。大恐慌のさなかの1934年、ニューファンドランドは直轄植民地に戻った。

1949年3月31日に、住民投票によってカナダの連邦政府に10番目の州(準州を含むと12番目)として加わり、ニューファンドランド州となる。1964年から、州内ではニューファンドランド及びラブラドール州という名称を使用し始めるが、ラブラドール半島の主部を占めるケベック州が難色を示したため、連邦レベルで正式に採用されることはなかった。しかし、連邦議会は2001年10月に憲法を改正することにより、同年12月6日から、正式に現在の名称に変更された。

地理

ラブラドル半島は全般に寒冷で、樹木は生育できるが農作物の栽培には適さない。半島北部はツンドラである。ニューファンドランド島は海洋性気候である。

寒流のラブラドル海流と暖流のメキシコ湾流が沖合いでぶつかり、海底地形も大陸棚が突き出たグランドバンクなどが存在するため、ニューファンドランド島もラブラドールも好漁場である、16世紀以来ヨーロッパの漁師たちが来航してこれらの海岸に入植地を作った。

世界遺産

主要都市

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教育

大学

エピソード

  • ニューファンドランドには Come By Chance (たまたま来る)や Mosquito(蚊)など、多くの変わった地名があることで知られる。
  • この地域原産の犬種であるラブラドール・レトリーバーニューファンドランドは元々、海難救助などの作業に従事していた作業犬であった。両犬種はこの州の「州の犬」に指定されている。

脚注

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関連項目

外部リンク

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