ニューカレドニア

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ニューカレドニアテンプレート:Lang-fr)は、ニューカレドニア島(フランス語でグランドテール Grande Terre、「本土」と呼ばれる)およびロワイヨテ諸島 (ロイヤルティ諸島) からなるフランス海外領土(collectivité sui generis、特別共同体)で、事実上の植民地である。ニッケルを産出する鉱業の島である一方、リゾート地でもある。ニューカレドニアの珊瑚礁世界遺産に登録されている。

概要

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ニューカレドニア地図

オーストラリア東方の島で、南太平洋メラネシア地域にあり、面積は1万8575.5平方キロメートル(四国ほどの大きさ)である。フランス語ではヌーヴェルカレドニー (Nouvelle-Calédonie) と呼び、ニューカレドニアテンプレート:Lang-enから来ている(Caledoniaスコットランドラテン語名なので、新スコットランドとなる。ノヴァ・スコシアとは関係ないので注意)。現地語ではカナキー (Kanaky) とも呼ばれる。

人口は2004年の調査では230,789人。政庁所在地で人口最大の都市はヌーメア(2004年の人口は91,386人)。インターネット国別コードトップレベルドメインは「.nc」。通貨ウォリス・フツナフランス領ポリネシアと共にCFPフランを使用している。主都ヌーメアは、太平洋地域の地域協力機構、太平洋共同体の本部所在地である。

1985年以降、メラネシア系先住民カナックによる激しい独立運動が行われ、現在では沈静化したが一時は暴動内戦に近い状態を呈していた。1986年、国連非植民地化委員会 (United Nations Committee on Decolonization) はニューカレドニアを国連非自治地域リストに掲載した。ニューカレドニアは1998年のヌーメア協定で、2014年以降に行われる国民投票によってフランスにとどまるか独立国になるかを決定することになっている。

地名

カレドニア」とは、今日のスコットランドにあたる地域を指すラテン語名である。一方、カナキー (Kanaky) という名もフランス語英語、現地の先住民であるカナックの言葉では一般的に使われており、メラネシア民族主義者の間では「ヌーヴェルカレドニー」より「カナキー」のほうが好まれる。

カナキーという名は、ポリネシア語で「人間」を意味し、ポリネシア人の自称として使われる「カナカ (kanaka) 」から来ている。 カナカという語は後に、フランス人がポリネシア・メラネシアを含めた全ての太平洋先住民を指して使う言葉になった。一方、フランス語化したカナク (Canaque) は侮蔑語として使われていた[1]

1960年代から1970年代にかけ、ニューカレドニアのメラネシア系先住民が政党を結成し独立への訴えを開始したとき、侮蔑語だったカナクはメラネシア人の政治的解放と民族の誇りのシンボル的な言葉となった。1983年、政治的混乱がニューカレドニアを襲った時期、カナク (KANAK) とカナキーは政治的な標語となり、カナクという語が政治的主張の強い言葉へと変わったことが広く認識されるようになった。

地理

主要記事:Geography of New Caledonia
ファイル:New Caledonia - S199828000484.jpg
ニューカレドニアの衛星写真
ファイル:Landscape, south of New Caledonia.jpg
乾燥した本島西側では、熱帯雨林の東側とは対照的な風景が広がる

ニューカレドニアは南西太平洋の南緯21度30分、東経165度30分あたりに位置し、オーストラリア大陸の約1,200キロメートル東、ニュージーランドの約1,500キロメートル北西にある。島国バヌアツはニューカレドニアの北東にある。

ニューカレドニアは本島(グランドテール)と周囲の島々からなる。ベロップ列島 (Belep archipelago) が本島の北に、ロワイヨテ諸島(ロイヤルティ諸島、Îles Loyauté、Loyalty Islands)が本島の東に、イルデパン島(Île des Pins、カナック語でクニエ Kunyié)が南に、チェスターフィールド諸島とベロナ環礁がさらに西にある。

本島グランドテールはこれらの島々の中で群を抜いて大きく、唯一山がちな島である。島自体の面積は16,372平方キローメートル、北西から南東に細長く伸び、長さは350キロメートル、幅は50キロメートルから70キロメートルである。長く高い山脈が島の中央部に伸び、中には1,500メートルを超える峰も五つある。島の最高地点はパニエ山(Mont Panié、標高1,628メートル)である。ニューカレドニア地域全体の面積は19,060平方キロメートルであり、うち陸地面積が18,575.5平方キロメートルとなっている。

ニューカレドニアは世界のニッケル資源の四分の一を有している。日欧米などの企業が採掘権を買っており、これらの採掘はほとんど露天掘りで行われている。

気候

ニューカレドニアは南回帰線にまたがり、南緯19度から南緯23度にわたっている。島の気候は熱帯で、季節によっては非常に雨が多い。5月から11月は比較的降水量が少なく過ごしやすい。東から太平洋を越えて来る貿易風が山脈に当たり、大量の雨を降らせることで島内には多くの熱帯雨林が形成されている。年間降水量はロワイヨテ諸島で約1,500ミリ、本島東部の低地で約2,000ミリ、本島の山岳部では2,000から4,000ミリに達する。本島の西側は山脈の影となるため雨は比較的少なく、年間降水量は1,200ミリである。

生態系

ファイル:Rhynochetos jubatus.jpg
カグー(おとなしい状態)

テンプレート:Main 比較的新しい時代に火山によって形成された多くの太平洋の島々とは異なり、ニューカレドニアは古代のゴンドワナ大陸の破片にあたる。8,500万年前にオーストラリアから一塊の陸地が分離し、この陸地は5500万年前にさらに二つに分かれた。これがニューカレドニアとニュージーランドである。このため、ニューカレドニアにはゴンドワナ起源の珍しい固有の植物・動物が残っている。

特に有名なのは山岳部の密林に住むニワトリ大の灰色の鳥、カグーで、威嚇や求愛の際には頭の巨大な飾り羽をはね上げ大きな翼を広げ、犬にも似た奇妙な大声で鳴き、飛ぶことはできず林の中を走り回っている。ニューカレドニアのシンボルともいえる鳥であるが、人間の持込んだ犬や猫などにより絶滅が心配されている。また、道具を自ら作って獲物を捕るカレドニアガラスなども有名である。

オーストラリアやニューギニアにも生えているニアウリ (Niaouli) の木の樹液は樟脳にも似た匂いのする殺菌力の高い精油(芳香油、Gomenol)を出し、古来より医学的な関心が寄せられてきた。精油は風邪や傷などの治療やアロマテラピーに使われている。

ニューカレドニアの淡水の生態系も長い地理的孤立のために独自の進化を遂げ、水量豊富な川や沢には多くの固有の水生生物が存在する。

人間の渡来前はルーセットと呼ばれる草食性のオオコウモリ以外に哺乳類はいなかった。ヨーロッパ人の渡来後は、乱獲や持ち込まれた外界の動物により固有の生態系は危機に瀕している。

ニューカレドニアには二つの異なった生態系を持つ地域がある。ひとつはロワイヨテ諸島、イルデパン島、本島東部のニューカレドニア熱帯雨林で、もうひとつは雨の少ない本島西側のニューカレドニア乾燥林である。ヨーロッパ人は首都ヌーメアをはじめ本島西側に多く住み、東側はカナックが多くすんでいる。政治的な区別と自然の区別は同一のものとなっている。

ニューカレドニア本島とイルデパン島を取り囲むサンゴ礁(堡礁)、ニューカレドニア・バリア・リーフはオーストラリアのグレート・バリア・リーフ(長さ2,600キロメートル)に次ぐ世界第二の大きさを誇るサンゴ礁である。その長さは1,500キロメートルに達する。サンゴ礁は種がきわめて多様性に富み、絶滅の危機に瀕するジュゴンの生息地であり、アオウミガメの重要な産卵地でもある。ニューカレドニア・バリア・リーフは2008年にユネスコの世界遺産に登録された。

行政

テンプレート:Seealso 注意:フランスの地方行政区画の訳語は一定ではない。

フランス領ポリネシアウォリス・フツナ同様、ニューカレドニアもフランスの海外領土であり、フランスの一部である。フランスでも特殊な地方行政区画特別共同体 (a collectivité sui generis)」であり、「特別(独自、sui generis)」という用語を冠されている。これは、ニューカレドニアはフランスで唯一、地域圏海外県海外準県など地方共同体 (Collectivité territoriale)でない行政区だからである。ニューカレドニアは1946年まで植民地だったが、1946年以来1999年まで海外領土(territoire d'outre-mer、略称TOM)となっており、その後独自の地位を得た。首府はヌーメアで、地域内唯一の大都市圏である。

ニューカレドニアの行政区画は三つの州(province、地方:フランスでこのような名称の行政区画はニューカレドニアにしかない)に分けられる。ロワイヨテ諸島の「離島州 (Province des Îles)」、本島北部の「北部州 (Province Nord) 」、および本島南部の「南部州 (Province Sud) 」である。さらにこれらは33のコミューン(市町村)に分かれる。

加えて、カナックの各部族ごとの課題に対処するため、別の種類の行政区画が並行して存在する。これらは伝統的区域(aires coutumières、英語:traditional spheres)と呼ばれ八つある。(伝統的区域の地図(zipファイル)を参照)その司法権は、地域内に住むカナック以外の民族には適用されない。伝統的区域は言葉の違いやフランス植民地支配以前の部族同盟の範囲を大なり小なり反映している。

歴史

1774年にキャプテン・クックによって「発見」され、1853年フランス領となっている。当初は流刑植民地だったが、19世紀後半のニッケル発見後は鉱業の島となった。20世紀後半には独立闘争で島が揺れ、1998年のヌーメア協定で将来に関する合意がなされた。

先住民族

西太平洋に人が住み始めたのは5万年前であった。その後パプア諸語の民族がメラネシアに拡散した。他にも、ラピタ人 (Lapita) がメラネシアの島々に移り住んでいる。紀元前1500年、ラピタ人たちは現在のニューカレドニアおよびロワイヨテ諸島に到達し、高度な航海術農業土器作りは太平洋の広い範囲に影響を及ぼした。その土器などの痕跡は今もニューカレドニアに残るほか、彼らの前に住んでいた民族による1万年前のペトログリフ(岩刻)も残っている。

その後、オーストロネシア語族が台湾などを起点にオセアニアに進出している。11世紀ごろ、オーストロネシア語族のポリネシア人がニューカレドニアに到達し、パプア系などの先住民族と混血した。

ニューカレドニアのメラネシア人は、27のメラネシア系言語とウォリス・フツナ人よりもたらされたポリネシア系言語、合わせて28の言語を有している。その共同体社会は、クラン(clan、氏族)を基本単位にして細分化している。実際の居住は、いくつかのクランが集まり集団(tribu)を構成している。これらの集団において首長権限に違いが出ている。たとえば首島のグランド・テール(Grande Terre)では首長権限は緩やかだが、ウヴェアリフマレなどのロイヤルティ諸島では、首長支配が強い[2]

ヨーロッパ人到達

ヨーロッパ人のニューカレドニアおよびロワイヨテ諸島到達は18世紀後半のことだった。イギリスの探検家ジェームズ・クック(キャプテン・クック)が1774年、海上からニューカレドニア本島(グランドテール)を「発見」し、山の多いスコットランドカレドニア)を思わせる眺めからニューカレドニアと名づけた。同じ航海で、彼はニューカレドニア北方の島にニューヘブリデス諸島(現在のバヌアツ)と名づけている。

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ニューカレドニアの地図、1888年

イギリスとアメリカ合衆国捕鯨業者および白檀(サンダルウッド)貿易商がニューカレドニアに関心を示すようになり、ヨーロッパ人と先住民との間に緊張が高まった。ヨーロッパ人の先住民への接触も次第に不正直なものとなり、高慢な態度と詐欺が横行するようになった。英米人はアルコールタバコ物々交換の品物に混ぜ、先住民を中毒にした。またヨーロッパ人との接触で天然痘インフルエンザなどさまざまな疫病が先住民の間に蔓延し多くの人々が死んだ。緊張は敵意に変わり、1849年にはカッター号の船員がポウマ族 (Pouma) に殺され、食べられる事件が起きた。

白檀貿易が衰退すると、新たな商売が誕生した。ニューカレドニア、ロワイヨテ諸島、バヌアツパプアニューギニアソロモン諸島などで先住民を捕らえ、フィジークイーンズランドサトウキビプランテーション奴隷労働をさせる「ブラックバーディング」である。こうした奴隷貿易で島々の社会や文化は荒廃したが、20世紀初頭まで終わることはなかった。

カトリックプロテスタント宣教師がやってきたのは19世紀である。彼らが先住民の文化に与えた効果は重大なものがあった。宣教師は人々に服を着て肌を隠すように言い張り、多くの風習や伝統を根絶やしにしてしまった。

フランス領有

ニューカレドニアは1853年9月24日、イギリスのオーストラリア・ニュージーランド領有に対抗しようとしたナポレオン3世の派遣した提督オーギュスト・フェヴリエ=デポワント(Auguste Febvrier-Despointes)によってフランス領と宣言された。同年9月29日、パン島も領有宣言した。1864年には、ロイヤルティ諸島もフランス植民地として組み込んだ。 イギリスのオーストラリア植民の例に倣い、1854年から1922年までの間、有罪を宣告された重罪犯およそ22,000人が、流刑地とされたニューカレドニア島南西岸地域に送り込まれた。この中には通常の凶悪犯もいれば、パリ・コミューン共産主義者、アルジェリア北部のカビリアで逮捕されたカビル人民族主義者ら政治犯も数多くいた。

ニッケル鉱山の発見により流刑植民地の時代が終わり、鉱山労働者の需要が増え、ヨーロッパからの自由意志での移住者(前科者なども含む)や日本人などアジア人契約労働者が多くなった。また鉱山で強制労働をさせられる人数も激増した。同時期、先住のカナク人の人口は疫病や、彼らの生計・移動の自由・土地所有を厳重に制限するアパルトヘイトに似た先住民に対する法制 ("Code de l'Indigénat")によって激減していった。

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ガダルカナルへ出撃する米海軍プレジデント・アダムス号、ニューカレドニアは太平洋戦線でのアメリカ軍の拠点だった

ニューカレドニアは第二次世界大戦で、太平洋戦線でのアメリカ軍の拠点となった。島にはフランスと違うアメリカの文化や物資が豊富に流入した。この出来事は、フランス人支配下であえいでいた現地人には肯定的に受けとめられている。一方、日本人労働者や日系人はオーストラリアなどの強制収容所へ送られ、戦中の交換船により日本へ送還された者や戦後まで収容された者もいた。

独立闘争

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ニューカレドニアの旗。将来独立した場合、カナキー国旗となる
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ニューカレドニアの紋章

メラネシア人の政治参加は、初めはヨーロッパ人の共産党やキリスト教組織が主導していたが、1953年、「二つのカラー(肌の色)に一つの国民」を合言葉としてユニオン・カレドニエン(UC、社会主義政党)が結成された[3]。 脱植民地化運動は1960年代末から始まっており、「カナック・アイデンティティの回復要求」として具体化されている。それは、先住民としての権利回復要求の政治的声明でもある[4]。 先住民は1960年代以降政党を組んで権利主張と独立運動、先住民文化復興活動などを始め、ニューカレドニアは1986年以来、一度は1947年に外された国連非自治地域リストに再度掲載されている。このリストには近隣の島国であるアメリカ領サモア、ニュージーランド領トケラウなどが含まれている。

1985年、先住民文化復興活動の先頭に立っていたジャン=マリー・チバウ(fr:Jean-Marie Tjibaou)率いる社会主義カナック民族解放戦線fr:Front de libération nationale kanak et socialiste、FLNKS)は独立への扇動を行った。ジャン=マリー・チバウらは独立国家「カナキー」の樹立を主張した。FLNKS指導者の暗殺に端を発してカナックによる暴動が始まり拡大し、ニューカレドニア全土に非常事態宣言が出される事態となった。特に1988年4月22日、独立過激派が27人のフランス国家憲兵隊員と1人の裁判官を人質にとってロワイヨテ諸島ウヴェア島の洞窟に監禁し、4人を殺害した事件が最大の危機となった。この事件は5月、海軍特殊部隊、GIGNEPIGNなどによる突入で過激派を殺害することで解決したが、特殊部隊側にも犠牲者が出た。なお、GIGNの隊長が1990年に発表した手記によれば、制圧後に無抵抗だった過激派は暴行・射殺され、その事実をフランス政府は隠蔽したとしている[5]

動乱の中、フランス政府は1987年に約束どおり住民投票を行い、翌1988年にマティニョン合意が成立し自治拡大が約束された。合意を結んだジャン=マリー・チバウは独立過激派により1989年に暗殺されてしまいFLNKSは混乱に陥っている。

この後も自治への運動や協議が行われ、1998年にはヌーメア協定が結ばれた。この協定では住民への権限譲渡プロセスを「不可逆なもの」と位置づけ、フランス市民権とは別の「ニューカレドニア市民権」を導入すること、ニューカレドニアのアイデンティティを表す公的なシンボル(ニューカレドニア「国旗」など)をフランス国旗とは別に制定すること、フランス政府がニューカレドニア特別共同体に段階的に権限を譲渡し、最終的には外交国防司法権、通貨発行以外の権限はニューカレドニアに全面的に譲渡されること、2014年から2018年にかけてのいずれかの時点で独立かフランス残留かの住民投票を行うこと、などが定められた。

人口統計

主要記事:Demographics of New Caledonia
2000年推計による。
年齢構成
0歳から14歳;31パーセント (男性 31396 女性 30160)
15歳から64歳;64パーセント (男性 65042 女性 63961)
65歳以上;5パーセント (男性 5324 女性 5933)
  • 人口成長率:1.52パーセント
  • 出生率:20.84人/1000人当たり
  • 死亡率:5.62人/1000人当たり
  • 人口流出率:0人/1000人当たり
  • 幼児死亡率:8.57人/1000人当たり
  • 平均寿命:
全体;72.77歳
男性;69.84歳
女性;75.85歳
全体 91パーセント
男性 92パーセント
女性 90パーセント

文化

宗教

産業

鉱業

ファイル:Laterit.jpg
ニューカレドニアのニッケル露天掘り鉱山

1860年代ニッケルが発見された。コバルト埋蔵量世界第4位、ニッケル埋蔵量同5位を誇り、世界第5位のニッケル生産がある。ニッケル鉱業がGDPの20パーセント、輸出の90パーセント近くを占めており、世界最大級のフェロニッケル生産地である。

日本のニッケル鉱石の年間総輸入量約400万トンのうちの約50パーセントがここから出荷されている。ニッケルは、主としてステンレスをはじめ、各種電子材料、蓄電池材料などの原料として使用されている。

観光

豊かな自然から観光業が歴史的に盛んであり、海岸部やイルデパン島などの離島にリゾートが設けられ、フランス本土のみならず、日本やオーストラリアアメリカなどから多数の観光客が訪れている。

交通

情報・通信

放送は、本国フランス共和国の放送局フランス・テレビジョンが傘下におく海外領土向けチャンネルのRFOがある。ニューカレドニアにおいては、RFOのニューカレドニア局であるRFO NewCaledoniaが放送している。ほかに、チャンネル・カレドニアなどがある。 インターネットにおいては、ニューカレドニアに限らず本国のプロバイダも利用される。 新聞は、売店などでの販売が主流。

出身者

ギャラリー

脚注

  1. カナックは、ハワイ語で人を意味するカナカという言葉から派生した。ニューカレドニアでは、フランス語化してカナックとなった(江戸淳子「<ニューカレドニア> 10 カナク」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・訓棚橋編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 191ページ
  2. 江戸淳子「<ニューカレドニア> 10 カナク」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・訓棚橋編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 191ページ
  3. 江戸淳子「<ニューカレドニア> 10 カナク」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・訓棚橋編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 193ページ
  4. 江戸淳子「カナク」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・訓棚橋編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 190ページ
  5. 「天国にいちばん近い島」で起きた事件を映画化 監督に聞く[日本経済新聞]

関連項目

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外部リンク

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