ニコラ・ルイ・ド・ラカーユ

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ニコラ=ルイ・ド・ラカーユ(ラカイユ、Abbé Nicolas-Louis de Lacaille、1713年3月15日 - 1762年3月21日)は、フランス天文学者

人物

科学に興味を持ち、ジャック・カッシーニの援助により職を得る。最初はナント-バイヨンヌ間の海岸沿いの測量に従事し、その後1739年にフランスの子午線弧長の再測定を行った。カッシーニが1718年に発表した不正確な結果を改定することとなった、2年という期間を要したこの困難な仕事の成功には、彼の技能によるところが大きい。この仕事がフランス科学アカデミーに認められるところとなり、アカデミー委員とテンプレート:仮リンクの数学教授に任命される。その後南天観測の希望を申し出て、1751年から1752年(観測期間は諸説あり)まで、喜望峰ケープタウン)に滞在し、南天の約10,000の恒星(42の星雲を含む)を観測した。1756年に約2,000の恒星のカタログと、それを記した星図を作成した(フランス語)。そこで、のちに標準的に使われるようになった南天の14の新しい星座を設定した。このカタログの改訂版と星図は、彼の没後の1763年に発刊された著名な Coelum Australe Stelliferum にも収録された(ラテン語)。星図は 『フラムスティード天球図譜』 にも採録されている。ラカーユが観測した全ての恒星を含む完全なカタログは、19世紀になってからイギリスのフランシス・ベイリーによってなされた。

ラカーユが設定した星座

がか座けんびきょう座コンパス座じょうぎ座ちょうこくぐ座ちょうこくしつ座テーブルさん座とけい座はちぶんぎ座ぼうえんきょう座ポンプ座レチクル座らしんばん座ろ座

また、アルゴ座とも座ほ座りゅうこつ座らしんばん座に分割したとされている。

これらの星座のほとんどは、日本からはあまりよく見えないか全く見えない。

関連項目

テンプレート:星座/歴史