トヨタ・セリカ

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セリカCelica )は、トヨタ自動車1970年から2006年まで製造・販売していたハードトップおよびクーペ型の乗用車。日本初のスペシャリティ・カーとして初代モデルは70年代に一世を風靡した。歴代モデルには斬新なデザインが採用され、北米や欧州にも輸出された。日本国内の取り扱い販売店はトヨタカローラ店

ファイル:2002 Toyota Celica 01.jpg
7代目 後期型モデル

また、この項目では以下のモデルについても記述する。

  • セリカリフトバック
  • セリカクーペ
  • セリカコンバーチブル

歴史

初代 A20/30型(1970年-1977年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 通称は「ダルマセリカ」または「ダルマ」。由来は、当時としては珍しく、ボディがだるまのようにふくよかなため。また、スラントノーズのフロント部を正面から見ると、メッキのフロントバンパーがダルマのひげ面に見えるからであると言われている。

1970年12月に登場。前年の東京モーターショーに出品されたコンセプトカー・EX-1をベースとしている。登場時のボディタイプは独立したトランクルームを持つ2ドアハードトップクーペのみ。キャッチフレーズは「未来の国からやってきたセリカ」。同時に誕生したカリーナと車台を共用した。アメリカで大成功したフォード・マスタングに倣って、好みのエンジン、変速機、内装を自由に選べる“フルチョイス”と呼ばれるシステムを採用。ただし、ヤマハ製の2T-G型DOHCエンジンを積んだ最上級モデルの1600GTは“フルチョイス”の対象外だった。皮肉にも販売面ではGTの人気が圧倒的に高く、現在もGTの愛好家は数多い。

1972年8月のマイナーチェンジではリアコンビランプ方向指示器を独立させたうえにアンバーに変更したツーピースタイプとなる。燃料タンクの位置がトランク床下から後席背後に変更となり、給油口の位置もリアガーニッシュパネル裏(左右尾灯間)からリアピラーに変更された。モータースポーツ用ベース車として1600GTV(VはVICTORY=勝利の意味)を追加。

1973年4月には、前年のモーターショーに出品されたコンセプトカー「SV-1」をベースに、テールゲートを備えた3ドアリフトバック(LB)が登場している。LBの燃料タンク位置は、初期のクーペと同じトランク床下であるため給油口はリアガーニッシュパネル裏にある。従来からのクーペには2,000cc(18R型)エンジン搭載車を追加。LBでは1,600ccOHV/1,600ccDOHC/2,000ccSOHC/2,000ccDOHCの計4機種のエンジンが設定され、とりわけ高性能版の2,000ccDOHCを積んだLB2000GTの人気が高かった(『絶版日本車カタログ』三推社・講談社87頁参照)。

1974年1月のクーペマイナーチェンジでノーズのデザインがフードの長いそれまでのLBの物に統一される。クーペに2000GT追加。1600GTのホイールキャップが廃止された。 

1975年には昭和50年排出ガス規制への対策に伴い、シリーズ全体のマイナーチェンジを実施。この時、主として排ガス対策機器を納めるため、ボディサイズは全長25mm、全幅10mm、ホイールベース70mm、フロントトレッド50mmとそれぞれ拡大され、室内でも従来のイメージを残しつつ、ダッシュボードが大きく変更された。またLBの一部グレードには衝撃吸収バンパーが設定されている。その一方で1400OHVモデルや1600DOHCモデルは廃止された。

1976年には2,000ccDOHC搭載モデルが昭和51年度排出ガス規制適合車となる。

モデル末期の1977年には特別仕様車として、「ブラックセリカ」が登場した。なお、最終型の時点で型式がA30型に統一されている。

WRC(グループ2)には最高出力を135psまで上げたTA22型で参戦(1972-1973年)、RACラリー9位。1976年からはRA20型をベースにした車両に変更。エンジンは独シュニッツァーが製作、18R-Gを1,968ccにボアアップ、最高出力200ps。1978年まで活躍した。

1977年にドイツツリーングカー選手権へ参戦した車両も存在した[1]

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2代目 A40/50型(1977年-1981年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 1977年8月、2代目にフルモデルチェンジ。先代と同じくカリーナと共通。ドアは先代と同じサッシュレスタイプで、センターピラー付のボディ構造となる。この代よりトヨタアメリカ(TMS)のデザインオフィスである、キャルティデザインリサーチ(CALTY)がスタイリングを担当。当初の搭載エンジンのラインアップは1.6Lの2T-U型(OHV・シングルキャブ)、および12T-U型(OHV・シングルキャブ)、2T-GEU型(DOHC・EFI)、1.8Lの3T-U型(OHV・シングルキャブ)、2.0Lの18R-U型(SOHC・シングルキャブ)、および18R-GU型(DOHC・ツインキャブ)の計6種類が用意されていた。

1977年11月、1.8LモデルのMT車用のエンジンが3T-U型から昭和53年排出ガス規制適合の13T-U型(OHV・シングルキャブ)に差し替えとなる。

1978年3月には、リフトバック(のちにクーペにも追加)にサンルーフ付き(日本車初/手動)を加え、翌4月には米国市場での対フェアレディZを主眼にした、上級モデルのセリカXX(MA40型)が登場する。

1978年5月、1600GTを除く1.6Lモデルに3速AT車が追加される。同時に1.8Lモデルの3速AT車用のエンジンが3T-U型から13T-U型に差し替えとなる。1600GTに搭載される2T-GEU型エンジンが昭和53年排出ガス規制適合。110psから115psに出力が向上。これに伴い、GT系グレードに標準装備されていた衝撃吸収ウレタンバンバーがGT系グレード以外の全グレードでメーカーオプション扱いで設定される。

1978年9月、一部改良。 1.8Lの3T-EU型エンジン(OHV・EFI)搭載の1800ST-EFI、1800XT-EFIが追加。当初は5MTのみの設定。昭和53年排出ガス規制適合。同時に、2000GTの18R-GU型エンジンのEFI化(18R-GEU型)により、昭和53年排出ガス規制適合。また、18R-U型エンジンも21R-U型(SOHC・シングルキャブ)に変更、昭和53年排出ガス規制適合。全グレードが昭和53年排出ガス規制に対応完了。これに伴いリヤオーナメント(リヤエンブレム)が「TOYOTA」から「TOYOTA CELICA」に変更となる。

1979年8月、マイナーチェンジ。 フロントグリルが変更され、ヘッドライトが角型4灯になる。

他の変更点は外観ではセンターピラー・リアコンビネーションランプ 車体もエンジン前のフレームが変更されている。

1980年1月、4ドアセダンのセリカカムリが登場する。こちらはカリーナの姉妹車である。

1980年8月、GT系リフトバックのみリアサスペンションがこれまでの4リンクコイルリジッド式から、セリカXX同様、セミトレーリングアーム式に変更。リフトバックのみ変更。セミトレーリングアーム車はA50系。セミトレーリングアームのみホイールも14インチに拡大された。また、21R-U型エンジン搭載車のATがこれまでの3速ATから4速ATに変更される。

WRC(グループ4)には1978年の1000湖ラリーからRA40型(最高出力230ps)が参戦する。1981年にはアイボリーコーストラリーにて最高位の準優勝を飾る。なお、1979年のRACラリーからDOHC4バルブのエンジン使用が許可されたため、ベース車両はRA63型に移行する。

また、1977年のF1日本GPで、オフィシャルカーとして、LBモデルが使用されている。

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3代目 A60型(1981年-1985年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 1981年7月にモデルチェンジ。車台はカリーナやコロナと共通。先代より一層スペシャルティカーの要素を強めて登場した。キャッチコピーは「世界、新CELICA」。ソアラが誕生したことにより、こちらはXXシリーズ(GA60/MA60型)も含めて、より若い世代へターゲットをシフトしている。直線的なラインで鋭いウェッジシェイプを描く4気筒系ボディ(ショートノーズ・ショートホイールベース)は先代同様にリフトバック(LB)とクーペの2種類。エンジンは1,600cc・DOHC・EFI(2T-GEU)、1,800cc・SOHC・シングルキャブレター(1S-U)、1,800cc・OHV・EFI(3T-EU)、2,000cc・DOHC・EFI(18R-GEU)の計4種類となる。

登場当初は4気筒系ボディ全車に日本車初となるライズアップ(ポップアップ)式ヘッドランプが採用されていたが、1983年のマイナーチェンジでリトラクタブル式ヘッドランプ(通称ブラックマスク)に変更となる。このモデルは2010年現在、日本車として唯一のポップアップ式ヘッドランプの採用例となっている。


1982年9月、2,000ccDOHCに代わって1,800ccツインカムターボ(3T-GTEU)GT-T系が追加された。とき同じくして姉妹車種のコロナカリーナにも同名のグレードが追加設定された。 1982年10月にはWRC・グループBホモロゲーション用のGT-TSが200台販売された。 

1982年まではRA63型(最高出力240ps)にて参戦していたWRCは、1983年からは日本初のツインカムターボエンジンである3T-GTEUを拡大した4T-GTEUをさらに2,090ccまでボアアップし、370psを搾り出すTA64型にてWRCに参戦。1984年から1986年まで、モンスターマシンが顔を揃えるグループB時代のサファリラリーで3連覇を飾った。

1983年8月のマイナーチェンジではドアミラーの標準装備。GT系に60扁平タイヤを採用。1,600cc・DOHCのエンジンが2T-GEUから4A-GEUに変更。これに伴い1,800cc・OHV・EFIの3T-EUが廃止された。

なお、このモデルは2代目セリカXXとほぼ同時期に発売されたため、セリカXXの人気の影に隠れる形となってしまった。そのため、セリカとしてはマイナーなモデルとなっている。TA61型をベースにしたコンバーチブルが北米市場向けに生産されており、1985年に貿易摩擦解消のため9台限定(RA65L/2,400cc/オーバーフェンダー、当時600万円)で日本でも販売されている。

GT-TS

ツインカム・ターボが発表された1カ月後の1982年10月にグループBカーとなるGT-TS[2](TA-64型)が発売された。この車は当時のFISAのグループBカーの基となる200台生産が要求される型であり、この中から更に高度な改造を施した20台のエボリューション・モデルを製造することができた。純粋なラリーカーのベース仕様車であり、改造を前提とした簡素なモデルのために、価格も市販量産型のGT-Tよりも10万円安価な169万円である。同時期に日産自動車が同様の目的で製造した日産・240RSがすでに競技用の改造が施された状態で200台生産されたこととは対照的な手法を採った。

エンジンは、市販型1,770ccの3T-GTEU型のボアを0.5mm拡大しボア85.5×ストローク78.0mmとした排気量1,791ccの4T-GTEU型が搭載された。これは競技規定でターボチャージャー付エンジンは係数1.4を掛けた値の排気量でクラス分けされるため3T-GTEU型では2,500cc未満のクラスに入れられてしまうことを避け、タイヤ巾のより広い3,000cc未満のクラスに入れるようにという配慮からである。エンジンに関する変更はこのボア拡大のみで160hp/6,000rpm、21.0mkg/4,800rpmといった値は3T-GTEU型と同じ。

当時の4気筒エンジン搭載のセリカの市販車には、後輪サスペンションが上位グレードの独立型セミトレーリングアームと下位グレードの固定型4リンク式リジッドの2種類があった。ツインカム・ターボエンジン搭載の市販車は全て前者で、GT-TSは改造度の高さとラリー競技での整備性の高さから固定型サスペンションを採用していた。

ボディもスポイラーやオーバーフェンダーといった付加物は装着されておらず、フロントフェンダーの素材が鋼板から「R-RIM」と呼ばれるウレタン樹脂になったのが唯一の変更点である。車両重量は主にリアサスペンションの変更により標準のGT-Tよりも約35kg軽量化された1,110kgとなっていた。

グループB

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1984年のサファリラリーで優勝したマシン

それまでのRA63型グループ4カーを代替する競技車両として、前年に発売された200台生産のGT-TSから高度な競技専用の改造を施した20台のエボリューション・モデルが西ドイツケルンを本拠地とするトヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)で1984年に製造されグループB[3]の公認を取得することになった。エンジンの開発とテストは日本で行い、車両の開発はドイツのTTEで行った。

エンジンは、ベースの排気量1,791ccの4T-GTEU型をボアφ89×ストローク84mmとして規定いっぱいの2,090cc(換算値2,926cc)まで拡大した360英馬力/8,000rpm、35.0mkg/5,200rpmの4T-GT改となった。ターボチャージャーはそれまで他のセリカのレースカーで使用していたエアリサーチ社の物からラリー競技での実績やサービス性を考慮してTTEと同じドイツのKKK製K27型を採用した。吸気側のインタークーラーに備えたリリーフバルブと高度調整装置付きウェイストゲートバルブにより如何なる気圧環境下でも0.8kg/cm2の過給圧を保つことができた。燃料供給方式はトヨタグループの日本電装(現デンソー)製のEFI、点火方式も日本電装製の電子制御ESAを採用した。

ターボチャージャー以外にもレース用部品を多用しており、変速機はトヨタとヒューランドが共同開発したドグクラッチ式5速マニュアルトランスミッションクラッチはボーグ&ベック(現ボルグワーナー)製、デファレンシャルと後輪車軸はソールズベリー製、ブレーキは4ピストンキャリパーのAPロッキード製を使用していた。タイヤはピレリ製の前165-16、後195-15という大径細身のものを採用し、ホイールは当初マグライト製を使用していたが、後にスピードライン製に変更した。

ボディ側では、前後重量配分を改善すべくエンジン、変速機の位置を後方へ100mm移動させ、トランクリッド上にはトランク内に設置されたドライサンプ式オイルタンク用のオイルクーラーが搭載していた。市販車ではライズアップ式ヘッドライトが重量と信頼性を重視した固定式となり、大きく張り出した前後のフェンダーを含む多くの外板が軽量な樹脂製に交換されていた。

セリカ グループB戦績
年月 イベント 順位
1983年7月 ミルピステ 2位
1983年8月 1000湖 6、12位
1983年10月 コートジボワール 1、3位、リタイア
1983年11月 RAC 7位、リタイア、リタイア
1984年3月 ポルトガル リタイア、リタイア
1984年4月 サファリ 1位、リタイア、リタイア
1984年6月 ニュージーランド 5位、リタイア
1984年8月 1000湖 5位、リタイア
1984年11月 RAC 3位、リタイア、リタイア
1985年4月 サファリ 1、2位、リタイア
1985年6月 ニュージーランド リタイア、リタイア
1985年8月 1000湖 7位、リタイア
1985年10月 コートジボワール 1、2位
1985年11月 RAC 5位、リタイア
1986年3月 サファリ 1、2、4位

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4代目 T160型(1985年-1989年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 1985年8月、4代目にモデルチェンジし前輪駆動への大変革となった。FFコロナ/カリーナのフロアパンをベースにしているため、型式も「T」となり、セリカにはコロナクーペカリーナEDという姉妹車も生まれた。『流面形、発見さる。』の広告コピーが象徴するように、スタイリングは、先代モデルを流動感ある曲線でなめらかに整形したかのようなラインを採用し、その後のトヨタ車やダイハツのクーペ風軽自動車リーザ」にも影響を与えた。クーペはコロナ・ハードトップと統合されコロナクーペとなり、ボディタイプはリフトバックのみとなった。なお、トヨタでは4代目からリフトバックのことを「クーペ」と呼ぶようになった。

1986年にはトヨタ初のベベルギア式センターデフ(手動デフロック付き)をもつフルタイム4WDである排気量2,000ccのGT-FOUR(ST165型)が満を持して登場した。

1987年8月のマイナーチェンジでは2,000cc・16バルブ (3S-FE) 車が追加。1,600ccDOHC (4A-GE) 車は廃止。同時にGT-FOURの4WDシステムがビスカスカップリング式に変更された。

1987年10月にはトランクルームを持つ専用ボディーのコンバーチブル(ST162C型)が日本でも正式にラインナップに加わり、3S-FEエンジンを搭載して発売された。コンバーチブルは米国のASC(アメリカン・サンルーフ・コーポレーション=現アメリカン・スペシャリティ・カーズ)によってオープン化改造を行っており、太平洋を往復する生産ラインが後のモデルのコンバーチブルでも継承されることになった。

1988年5月には1,800cc車もDOHC化(『ハイメカ・ツインカム』4S-Fi)され、これでセリカ全車がDOHC化される。

WRCでは、グループBが廃止された後、1987年にトヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)はスープラ(前期型・7M-GTEUを搭載し最高出力410ps)にて参戦、しかし成績は芳しくなかった。TTEはグループAで勝つために、5,000台の販売規定をクリアした1988年からST165型をベースとし、X-TRAC製6速ミッションを搭載したGT-FOURを投入した。そして1990年にカルロス・サインツの手によって日本車初のドライバーズタイトルを獲得することとなった。

4A-GE型エンジンを搭載した廉価版も用意されていた。 テンプレート:-

5代目 T180型(1989年-1993年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 1989年9月、セリカは5代目にモデルチェンジ。CMにアメリカの俳優 エディ・マーフィーを起用。 先代のイメージを踏襲しつつ、ニューエアロフォルムと呼ばれる未来感覚にあふれる個性的なスタイリングを纏って登場した。プラットフォームは先代をベースとしていながら、サスペンションのリファインが行なわれて剛性が上げられている。さらにフルタイム4WDであるGT-Fourのリアデフには、日本初のトルセンリミテッド・スリップ・デフを装着した。限定車として、油圧制御式アクティブサスペンション装着車が用意された。オーディオは10スピーカーのスーパーライブサウンドシステムがオプション設定された。2ドアクーペも用意され、アメリカやカナダ等の北米地域(アメリカ自治領含む)で販売された。

ラリー競技への参加用車両として、クロスミッションを標準装備したラリーベースグレード「GT-Fourラリー」が設定された。オーディオ、エアコン、パワーウィンドウなどの快適装備が省略された以外にも、標準装備されるタイヤはほかのグレードよりも1サイズ細いものが装着され、アルミホイールはオプション設定もされなかった。

1990年8月には、先代と同様に輸出仕様車のみの設定のクーペボディを、ASCによって改造されたコンバーチブル(ST183C型)を追加した。3S-GE型エンジンとデュアルモード4WSが搭載され、上級グレードとして本革シートを装備したTYPE-Gが新たに設定された。ダークブルーマイカメタリックのボディーに青いLIMITED300も国内300台限定販売された。GT-FOURには前後ブリスタータイプのオーバーフェンダーにより、ワイドボディ化されたGT-FOUR A(ST185H型)が登場した。Aはアドバンスを意味する。

1991年8月にはリアコンビネーションランプやフロントとリアの細部の意匠が変更された(エンブレムがトヨタマークに変更)。ドア内にサイドインパクトビームが追加され、後席3点式シートベルトが装備された。トランスミッションはシンクロナイザーが強化されるなどのマイナーチェンジが実施された。標準ボディとワイドボディ2種類が混在していたGT-FOURは全てワイドボディ化され、GT-Four Aはラインナップから消滅した。またGT-Fourは標準装備のタイヤとホイールが15インチ化されている。

同年9月、WRC用のホモロゲーションモデルGT-Four RCが発表された(RCとはラリー・コンペティションの略)。生産台数はグループA規定の5,000台で、日本国内ではそのうちの1800台が販売された。輸出モデルはカルロス・サインツ・リミテッドエディションと呼ばれる。しかし実戦投入までの開発テスト期間もあり、WRCへの参戦は1992年からであった。空冷インタークーラーとツインエントリーセラミックタービンを搭載した標準のGT-Fourに対し、GT-Four RCはテンプレート:要出典範囲水冷インタークーラーと、耐久性を重視して金属製のタービンブレードを使用したターボチャージャーが搭載された。ワイドボディ化によりタイヤ選択の幅が広がり、ブレーキサイズの拡大により制動力が向上し、1993年にはトヨタには初めてとなるWRCメイクス・ドライバーズのダブルタイトルをもたらした。

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6代目 T200型(1993年-1999年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 1993年10月に発表された6代目のセリカは、より一層高められたスポーツ性を特徴とした。全モデル3ナンバーサイズとなったシャシーは新しい設計で剛性が向上、カリーナEDとコロナ・エクシヴと共用される。重量は逆に20kg程度軽量化(ST205,ST185前期型比)されている。まずはNAモデルが先行発売され、ラインナップはハイメカツインカム3S-FE(140ps)搭載のSS-Iと、スポーティツインカム3S-GE(MT:180ps/AT:170ps)搭載のSS-IIの2グレードが発売された。また、SS-IIにはセリカとしては初採用のスーパーストラットサスペンション装着モデルも用意された。スーパーストラットモデルのMT車にはビスカスLSDが搭載され、オプションでスポーツABSも選択可能とし、更なるスポーツドライビングを実現した。2ドアクーペも用意され、アメリカやカナダ等の北米地域(アメリカ自治領含む)で販売された。

1994年2月には、新しいWRCホモロゲーションモデルのGT-FOUR(ST205型)が登場。搭載されるツインカムターボ3S-GTEはレーザークラッドバルブシートや、インジェクター容量の拡大(430cc→540cc)、メタルガスケットの採用、Dジェトロ燃料供給方式や水冷インタークーラーなどにより255psとなった。駆動方式は先代同様フルタイム4WDだが、スーパーストラットサスペンションを装着しブレーキも対向4ポット(前)、対向2ポット(後)のアルミキャリパー4輪ベンチレーテッドディスクとなり制動力も向上した。また、大型リヤスポイラーやフードエアスクープ、ウォータースプレー、ミスファイアリングシステムなどを装備したWRC仕様車という、国内限定2,100台販売の限定車が用意された(『90年代国産車のすべて』三栄書房 98頁参照)。このGT-FOURは、TTEのオベ・アンダーソン監督の意見を取り入れて造られていた。

1994年の1000湖ラリーから参戦予定だったST205型だが、直前になっても車両の開発状況が思わしくなかった。特にスーパーストラットサスによるハンドリングチューンは難航し、結局ラリー・オーストラリアでのデビューとなる。しかし、重い車体と決まらないハンドリングにチームとドライバーは悩まされ続け、WRCの勝利は1995年ツール・ド・コルスのみ。これらの状況に加え、同年に行われたレギュレーション変更によるターボリストリクター規制の厳格化が、ラリー・カタルーニャでの違反発覚につながった。結果、この年のポイント剥奪およびWRCへの1年間の出場禁止処分がFIAによって下された。

1994年9月には日本市場向け量産型としては3代目となるコンバーチブル(ST202C型)を発売。ASCが引き続き手掛けた電動幌開閉装置は先代までの油圧式からオール電動モーターに変更され、3分割のレールが外側に広がりながら重なり合う「アウターフォールド機構」の採用で省スペース化を実現。後部座席幅が260mm広がり、大人男性2人でも窮屈にならない程度に改善された。また、リアウインドウに初めてガラス(電熱線入り)を採用。幌を閉じた状態はクーペタイプに見劣りしないスマートなシルエットとなった。ボディはクーペと異なり、3ドアリフトバックではなくモノコックボディを採用している事が一番の特徴であろう。これによりクーペタイプとほぼ変わらない重量と剛性を実現している。ST202CはST183Cなどと同様に北米仕様のセリカクーペをベースとしているため、ST200型セリカクーペのフロントマスクを日本独自のデザインにして販売していたカレンとは、トランクパネルやテールランプなどリア周辺の部品が共通している。

1997年12月にはエンジン改良等のマイナーチェンジが行われ、特にSS-II、SS-IIIに搭載される3S-GEエンジンはマイナーチェンジの枠を大きく超える改良が施された。3S-GEのエンジン本体の変更点は、VVT-i採用のBEAMSとなったことが挙げられる。VVT-i採用に伴って、オイルポンプの吐出量の増量化、オイル通路の新設、プーリーの追加、タイミングベルトカバーの形状変更、タイミングベルトの歯数・材質の最適化、ECUの変更などが余儀なくされた。その他、エンジン関係の変更点としては、シリンダーヘッドガスケットのメタル化や、シリンダーヘッドの形状変更、バルブ挟み角の変更、ピストンの軽量化、インジェクター噴射口数の増加、ダイレクトイグニッションの採用など、枚挙に遑がない。エンジンのみならず、同時に補機類にも数々の改良が加えられている。補機類の変更点としては、熱線式エアフロメーターの採用、サージタンク容量の拡大、フライホイールの軽量化、スロットルボア径の拡大、インテークポートにポートファンネル形状の採用、ステンレス製エキマニの採用、エキマニの等長化、触媒の小型化、新ダイアグノーシスの採用(国際規格化)、熱害警告装置の廃止(全グレード)などがある。以上のようなフルモデルチェンジに迫る改良の結果、最高出力と燃費を大幅に向上させている(200ps)。同時にエクステリアも変更を受け、マルチリフレクターハイビームプロジェクターロービーム)ヘッドライトを採用、GT-FOURとSS-IIIには大型リアスポイラーやサイドマッドガードが標準装備された。インテリアの変更点は、メタル調パネルの採用(全グレード)や、エアバッグの小型化(全グレード)、ホワイトメーターの採用(3S-GE搭載車)などがある。以上のような目まぐるしい改良が行われたにもかかわらず、販売的には苦戦を強いられ、わずか1年半後には次期モデルにバトンタッチすることになった。

GT-FOURとコンバーチブルは次期モデルのZZT230系は市販に至らず、ST200型が最終モデルである。

HKSの手によってチューンされたST202型は日本産FF車として、初めて0→400m加速で10秒を切るタイムを出した。

GTCC・TEAM坂東がST202をGT300クラスで走らせていた。 テンプレート:-

7代目 T230型(1999年-2006年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 1999年10月にフルモデルチェンジ。CALTYがスタイリングを手がけた、つり目状のヘッドランプが特徴。

ダウンサイジングを果たしたボディは前輪駆動専用設計(4WD「GT-FOUR」の設定はなし)となっており、ロングホイールベース、ショートオーバーハングとなり、高速走行時の安定性向上が図られている。 また、路面追従性・運動性を高めるためにリアサスペンション形式がバイザッハアクスル式ダブルウィッシュボーンとなっている。既に同一プラットフォーム(同社MCプラットフォームに相当)のFF仕様リアサスペンションは、コスト等の兼ね合いからトーションビームの固定車軸となっており、ハンドリングが重視されるスポーティーカーには不向きであったため、同プラットフォームの4WD仕様をベースに仕立てたものである。同様の手法は、後のブレイドでも行われている。

新設計のZZ系エンジンは、先代から200ccスケールダウンした1,800ccとなるも、トップグレードSS-IIが搭載する2ZZ-GE型エンジン(ハイオク指定)は連続可変バルブタイミング・リフト機構(VVTL-i)を備え、190psを発揮する。エントリーグレードのSS-Iは実用エンジンの1ZZ-FE型を搭載しているが、専用チューンにより同型エンジンを積む車種の中で最も高い145psとなっている。なお、環境性能はSS-I、SS-IIともに☆1つの「平成12年基準排出ガス25%低減レベル」となっている。

軽量化と自然吸気エンジンへの回帰は、開発時期が重なっていたMR-Sでも同様に目標に掲げられており、パワー&ドライブトレーンも同じ両車は、一部の実験データも共有している。ともにそのハンドリングは、特にイギリスでの評価が高い。

GT-FOURが廃止され、車格の低いカローラレビン/スプリンタートレノとの統合が図られ、排気量も小さくしたこともあって、ライトウェイトクーペへとコンセプト変更している。その結果、同グレードの先代から60~90kgの軽量化を果たしている。特にSS-IのMT車に至っては車両重量1,090kgと、SS-IIのMT車よりも30kg軽く、スーパーストラットパッケージ車と比較で50kgの差で、単純にロワグレードと言い切れないメリットがある。カローラレビンが廃止された関係で値段も下がったと思われがちだが、SS-IIではそれほど値が下がっておらず、同グレードのSS-IIスーパーストラットサスペンションはT230型の方がいくぶん高くなっている(消費税抜き)。SS-Iでは、SS-IIと比べて内装・外装を適度に省略/簡略化し低価格を実現している。SS-IIとの仕様、装備の差は、1ZZ-FE型エンジン(145ps)、リアはディスクでなくドラムブレーキ、電動格納が省略されたドアミラー、マニュアルエアコン、本革でなくウレタンステアリングとウレタンシフトノブ、リアスポイラーなし、マフラーカッターなし、60扁平。これにより、SS-Iは発売当初で標準価格は168万円を実現した。その後のマイナーチェンジにより価格が若干上がる。

近未来的で独特なヘッドライトはスポコンブームも手伝ってフェイスリフトの素材として人気を博した。

2006年4月、生産・販売終了。セリカは36年の歴史に幕を閉じた。ただし北米ではサイオン・tCの名前でセリカ同様の4気筒FF2ドア・スポーツクーペが2004年より販売されている。

日本国内で開催されているSUPER GT(旧JGTC)のGT300クラスにはZZT231型セリカが2003年第三戦から登場。2003年度はウェッズスポーツ・シグマDUNLOPの2チームがセリカを投入した。3S-GTEエンジン・フロントダブルウィッシュボーンサスペンション等、多くのコンポーネントを前年のGT500スープラから流用し、FR化されたGT300 セリカはデビューシーズンで両チーム合わせて4勝を挙げるなど高い戦闘力を見せた。しかし、期待された2004年シーズン以降、コーナリングマシンとした車の特性もあり、ストレートスピード不足に苦しむなど開発も難航。それでも随所で活躍を見せ、ウェッズスポーツにより2008年第二戦までZZT231セリカが使用された。 テンプレート:-

車名の由来

  • 「天上の、神秘的な、神々しい」という意味のスペイン語celicaより。

脚注

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  1. この他、ドイツツーリングカー選手権に、シュニッツァーが製作したRA20ベースのセリカLBターボがGr.5クラス(シルエットフォーミュラ)へ出場した。後にトムスが輸入。日本国内レースで活躍した。
  2. テンプレート:Cite journal
  3. テンプレート:Cite journal

関連項目

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外部リンク

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