デレク・ジーター

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テンプレート:Infobox baseball player デレク・サンダーソン・ジーターDerek Sanderson Jeter, 1974年6月26日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州ペカノック出身のプロ野球選手遊撃手)。右投右打。MLBニューヨーク・ヤンキースに所属。ヤンキース第11代目主将。

1995年のデビュー以来、現在までニューヨーク・ヤンキース一筋でプレーしており、5回のワールドシリーズ優勝を経験している。現在のMLBを代表するスーパースターであり、ヤンキース・ファンからは敬意を持って「キャプテンThe Captain)」と呼ばれる。

経歴

アマチュア時代

アメリカ合衆国ニュージャージー州ペカノックにて、アフリカ系アメリカ人(黒人)である父チャールズ、アイルランド系アメリカ人(白人)である母ドロシーの間に生まれる。父は心理学Ph.D.を持つカウンセラーであり[1]、母は税理士であった。家族には他に妹のシャーリーがいる[2]

4歳の時にミシガン州カラマズーへ移住。その後も毎年の夏休みにはニュージャージーに住む祖父母の下で暮らしていた。大のヤンキースファンであった祖母からキャッチボールを教わり、頻繁にヤンキースタジアムに観戦に連れて行ってもらったことで、デレクも祖母と同じようにヤンキースファンになった[2][3][4]。大学野球でショートを守っていた父親の影響で5歳の頃から野球を始める[1]。父はミシガン州へ移り住んでから地元デトロイト・タイガースのファンになっていたが、ヤンキースを熱心に応援するデレクの影響でヤンキースファンへと転向した。タイガースの本拠地タイガー・スタジアムでのヤンキース戦には、車で2時間半かけて観戦に訪れ、父にいつかこの舞台でプレーすることを約束した[1]。お気に入りの選手はデーブ・ウィンフィールドで風貌が父親に似ていたことと、偶然にも父親と同じ分野の慈善事業に携わっていたことが大きいという[5]

カラマズー・セントラル高校時代から頭角をあらわし、通算で5割を超える打率を残した。テンプレート:Byにはアメリカ野球コーチ連盟(The American Baseball Coaches Association)から高校年間最優秀選手賞(The High School Player of the Year)に選出されている。また、バスケットボールでも州を代表する選手として活躍していた[5]

マイナー時代

1992年のMLBドラフトの注目選手となったジーターは、当時ヒューストン・アストロズのスカウトを務めていたハル・ニューハウザーに見出され、アストロズの1巡目指名候補となった。しかし、ジーターはミシガン大学から奨学金のオファーを受けており、契約金の高騰が予想されたため、アストロズはジーターの指名を見送り、フィル・ネビンを全体1位で指名した[6] 。ジーターはニューヨーク・ヤンキースから1巡目(全米6位)で指名を受け入団した。

その際には両親が、オフに大学へ通ってもよいという条項を入れさせ、1992年のオフシーズンに一学期間ミシガン大学アナーバー校へ通った。しかし、翌1993年のオフシーズンは球団から守備の強化練習を命ぜられたため大学のクラス登録に間に合わず、1994年オフにはメジャーデビュー実現の可能性が高まり住居を球団のトレーニング施設のあるフロリダ州タンパに移したため、学業は中断している[5]。2004年には、スポーツ・イラストレイテッド誌に寄せた手記の中で、将来的に学業を再開したいという希望を持っていること明かした[1]

プロとしてのキャリアは、マイナーリーグルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ヤンキースからスタート。ルーキー級では打率.202と苦しんだが、その年の後半にはA級グリーンズボロ・グラスホッパーズへと昇格[6]。入団当初は守備に難があり、1A時代の1993年には年間56失策を記録した。あまりのエラーの多さから、ジーターは自主的に居残り練習を行い、徹底的に守備を鍛えていった[6]。家族への愛着がひときわ強く、新人時代にはホームシックにかかり、給料のほとんどをつぎ込んで毎日長距離電話で両親に電話をしていたという[5]。1993年にはA級で打撃成績が飛躍的に向上し、数々の賞を受賞。当時低迷していたヤンキースの期待の若手となる。[7]その後順当にA級タンパ・ヤンキース、AA級オールバニ・コロニー・ヤンキース、AAA級コロンバス・クリッパーズと昇格していった。

テンプレート:Byにはマイナーリーグでの通算打率.344を残し、ベースボール・アメリカ・マイナーリーグ年間最優秀選手賞(Minor League Player of the Year)に選出された。

ヤンキース時代

ファイル:Derek Jeter on Aug 3 2007.jpg
ピンストライプのユニフォーム姿のジーター

テンプレート:Byに怪我で戦列を離れたトニー・フェルナンデスの代役としてメジャー昇格を果たし、5月29日のマリナーズ戦でデビュー。13試合に出場し、打率.234・0本塁打・6打点の成績で6月11日にマイナーへ降格したが、9月3日にメジャー昇格を果たし、その後2試合に出場しシーズンを終えた[8]

テンプレート:Byは、テンプレート:Byトム・トレッシュ以来となるルーキーでの開幕スタメン遊撃手に抜擢され、ソロ本塁打を放つなど、クリーブランド・インディアンスからの勝利に貢献している[9]9月5日から9月27日にかけて17試合連続安打を記録、新人選手としては球団史上ジョー・ディマジオの18試合に次ぐ最長記録となった[9]。この年にレギュラーに定着し、打率.314を残して新人王を満票で受賞[10]。同年のポストシーズンでも活躍し、ヤンキースにとって18年ぶりのワールドチャンピオン奪取に大きく貢献した。

テンプレート:Byは159試合に出場し、打率.291・10本塁打・70打点と前年以下の数字となった。テンプレート:By6月4日から初の故障者リスト入りとなり12試合に欠場した[11]。8月には50安打を放ち、球団史上ディマジオの53安打(1941年7月)以来の月間50安打を達成し[11]月間MVPに選出された。この年トータルで打率.324・19本塁打・84打点を記録し、MVPの投票で3位に入った。本塁打数はロイ・スモーリーの遊撃手としての球団記録16を更新し、203安打を放ち、遊撃手として球団史上2人目となる200本安打を達成した[11]

テンプレート:Byは初めてオールスターゲームに選出され、シーズンでは149試合に出場。19本塁打84打点30盗塁、打率.324だった。

テンプレート:Byには打率.349(リーグ2位)、134得点(リーグ2位)、219安打(リーグ1位)と、いずれも自己最高の成績を残した。また、本塁打(24)、打点(102)、出塁率(.438)、長打率(.552)などでも自己最高を記録した。

テンプレート:Byは148試合に出場し、15本塁打73打点22盗塁、打率.339だった。

テンプレート:Byにヤンキースと総額1億8,900万ドルの10年契約を結んだ。この年は148試合に出場し、15本塁打73打点22盗塁、打率.339だった。

テンプレート:Byは157試合に出場し、18本塁打75打点32盗塁、打率.297だった。

テンプレート:By4月1日に左肩の故障で15日間の故障者リスト入りし、5月13日に復帰。故障の影響で、5年連続選出されていたオールスターゲームには選ばれなかった。6月3日にはドン・マッティングリーが1991年 - 1995年に務めて以来空位となっていた、ヤンキース11代目のキャプテンに就任した。この年は119試合に出場し、10本塁打52打点11盗塁、打率.324だった。

テンプレート:Byは2年ぶりにオールスターゲームに選出され、シーズンでは154試合に出場。23本塁打78打点23盗塁、打率.292だった。オフに自身初となるゴールドグラブ賞を受賞した[12]

テンプレート:Byは159試合に出場し、10本塁打70打点14盗塁、打率.309だった。オフには2年連続でゴールドグラブ賞を受賞した[13]

テンプレート:Byワールド・ベースボール・クラシック米国代表の一員として出場し、チームは2次リーグで敗退したものの、自身はベストナイン(遊撃手部門)に選出された。その後開幕したシーズンでは打率.343(リーグ2位)、213安打(リーグ3位)と打撃面で好成績を残し、ゲーリー・シェフィールド松井秀喜が故障離脱するなど苦しいチームを地区優勝に導いたとしてMVP候補の最右翼に挙げられた[14]。結果はジャスティン・モルノーツインズ)にMVPを譲ったものの、ハンク・アーロン賞シルバースラッガー賞、3年連続となるゴールドグラブ賞を受賞した。

テンプレート:Byは156試合に出場し、12本塁打73打点15盗塁、打率.322だった。2年連続でシルバースラッガー賞を受賞したが、3年連続で受賞していたゴールドグラブ賞は受賞を逃してしまった。

テンプレート:Byは150試合に出場し、11本塁打69打点11盗塁、打率.300だった。オフに3年連続となるシルバースラッガー賞を受賞。

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ヤンキース球団安打記録樹立時(2009年)

テンプレート:Byワールド・ベースボール・クラシック米国代表の一員として再び出場。米国代表に辞退者が相次ぐ中、真っ先に参加を表明し、大会期間中もMLBのスポークスマン的な役割を果たした[15]。チームは準決勝進出を果たすも日本代表に敗れ、連覇を果たした日本を「優勝は何も驚くことじゃない」と称えた。そして「日本はひどい。みんな足が速いんだ」と感嘆していた[16]。同年8月16日の対シアトル・マリナーズ戦で、通算2674本目のヒットを放ち、ルイス・アパリシオが持っていた遊撃手としての通算安打数メジャーリーグ記録を更新した[17]。9月9日の対レイズ戦で、3安打でルー・ゲーリッグの持つヤンキースの安打記録2721本に並び、2日後のオリオールズ戦で記録を更新した[18]。シーズン前には年齢から「限界説」も唱えられていたが、例年3~4週間取るオフを2週間で切り上げ、下半身を徹底的に鍛え抜いたことにより、キャリアハイに迫る活躍を見せ[19]、安打数も2年ぶりに200安打を放った。オフには4年連続となるシルバースラッガー賞と3年ぶりのゴールドグラブ賞を受賞した。

テンプレート:Byはシーズンを通して調子があがらず、打率.270と低迷。しかし圧倒的な人気は健在であり、ファン投票でのオールスターゲーム出場は5年連続で達成した。また同年シーズンに、ベーブ・ルース越えの2874安打を放った。守備では遊撃手として両リーグ1位の守備率.989を記録し、自身5度目のゴールドグラブ賞を獲得。一方で守備防御点-13(リーグワースト2位)、プラスマイナスシステム-13(同ワースト2位)、UZR-4.7(同ワースト3位)と、セイバーメトリクスの点からは守備範囲の極端な狭さが指摘されており、メディアでもこの受賞に批判的な論調が多数を占めた[20][21][22]。オフの12月7日にヤンキースと総額4800万ドルの3年契約(2014年・800万ドル+出来高900万ドルのオプション付き)に合意した[23][24]

テンプレート:By7月10日、対レイズ戦(ヤンキー・スタジアム)第2打席目に本塁打を打ち、メジャー史上28人目・ヤンキース史上初の3000本安打を達成。本塁打での達成はウェイド・ボッグスに次ぐメジャー史上2人目の記録である。同試合では5打数5安打の活躍で決勝打も放ち、自らの偉業に花を添えた。シーズンでは終盤に復調して前年より打率は上がったが、本塁打はレギュラー定着後最低の6本で、連続二桁本塁打は15年で途切れた。

テンプレート:Byは3年ぶりに打率3割をクリアし、リーグ最多の216安打を放って復活を印象づけた。ただし、盗塁はレギュラー定着後初めて1桁に終わり、守備防御点-18、UZR-15.4はいずれも両リーグの遊撃手で最下位の数字だった[25]デトロイト・タイガースとのALCS第1戦で、延長12回表にゴロを捌いた際に足首を骨折。全治3ヶ月の診断を受け、チームから離脱を余儀なくされた。オフに3年ぶり5度目となるシルバースラッガー賞を受賞した。

テンプレート:Byは前年の怪我の影響で、3月31日に15日間の故障者リスト入りし、4月27日に60日間の故障者リストへ異動[26]。7月11日に復帰した[27]が、同日のロイヤルズ戦で大腿四頭筋を痛め[28]、7月19日に再び15日間の故障者リスト入りした[29]。7月28日に復帰[30]。復帰後は4試合に出場していたが、8月3日に右ふくらはぎを痛め、8月5日に再び15日間の故障者リスト入りした[31]。8月26日に復帰[32]。復帰後は12試合に出場していたが、9月8日に左足首を痛め、9月11日にこの年4度目となる15日間の故障者リスト入りした[33]。9月14日に60日間の故障者リストへ異動し[34]、そのままシーズンを終えた。この年は度重なる故障の影響で、17試合の出場にとどまり、1本塁打7打点、打率.190だった。オフの11月1日にヤンキースと1200万ドルの1年契約に合意した[35]

テンプレート:By2月12日に、2014年シーズン限りで現役を引退することが発表された[36]。7月には2年ぶり14回目となるオールスターゲームにファン投票・遊撃手部門1位で選出された。

選手としての特徴

テンプレート:スポーツ選手の出典明記 ベースボールにおけるインスティンクト(考える必要なく予測で反応する能力)に優れ、ゲームの進み方に関する卓越した知識を生かし、走攻守全てにおいて頭脳的なプレーを見せる[37]。常に全力を注ぐプレイスタイルの評価が高く、MLBニューヨーク・メッツデビッド・ライトNFLニューイングランド・ペイトリオッツトム・ブレイディデンバー・ブロンコスペイトン・マニングなど、ジーターに憧れて育った選手たちが各スポーツ界で活躍し始めている。

打撃

ファイル:Derek Jeter batting stance allison.jpg
ジーターの打撃フォーム

優れた技術と確かな選球眼で安打を積み重ねる好打者。好機で勝負強さを発揮するメジャー屈指のクラッチヒッターとして高く評価されており、「キャプテン・クラッチ(Captain Clutch)」の異名を持つ。2012年に引退したアトランタ・ブレーブスの強打者チッパー・ジョーンズは現役時代、「1点とられたら負けの場面、2アウトで最も打席に迎えたくないのが、デレク・ジーターだ」と述べている[38]

2012年までに年間200本安打を8回達成しており、通算安打数は3300を超える。この記録はいずれもヤンキースの球団記録である。また遊撃手の通算安打数も、ルイス・アパリシオを抜いて歴代1位となった。ハイペースで安打数を積み上げており、35歳までの通算安打数のペースでは通算安打数記録保持者のピート・ローズと比べても遜色がない[39]

打球はゴロ性のものが多く、右打ちを得意とする[40]。GB/FB(全ゴロ数÷全フライ数)は毎年平均で2.38に達し、打率.343を記録した2006年は3.25に達した。三遊間の深い位置に飛ぶゴロ性の強い打球が多く、加えて俊足であることから内野安打も多く、ほぼ毎年20本以上の内野安打を放っている。一方で併殺打も多く、2007年、2008年は年間20を超える併殺打を放ってしまった。[1]

1996年から2003年までの間、年間平均で約111もの三振を喫しており、2番打者としては比較的多かった。ただし、当時としては2番・遊撃というポジションでジーターほどの攻撃力を見せる選手はほとんどいなかった。1990年代後半には、アレックス・ロドリゲスノマー・ガルシアパーラと共に3大遊撃手と称された。2009年からは1番打者としての起用が主になった。

パワーヒッターではなく、首位打者のタイトルにも縁はないが、走攻守(長打・打率・盗塁・守備)全ての分野でどの選手と比較しても必ず何かで勝るという高い次元でバランスの取れた選手である。選球眼もよく、出塁率は高い。通算打率は.314と高く(特に左投手に対しては通算打率.337と強い)、長期に渡り安定した成績を残してきた実績も高く評価されている。

ネクストバッターズサークルで打順を待っているときに、よく観客席の子供と話をしている姿が見られる。以前にコーチ陣から集中力の妨げになるとたしなめられたこともあったが、「子供たちと試合を楽しみたいんだ。自分には集中力に関する問題はない」と自分のスタイルを貫きとおしている。

走塁

テンプレート:節stub 右打者ながら一塁到達まで4.1秒、セーフティバントを試みる際には4.0秒を切ることもある俊足を誇ってきたが[37]、2008年頃にはスピード面で衰えを指摘されるようになった[15]盗塁数は減少の一途を辿るが、成功率は健在で下半身強化に取り組んだ2009年には3年ぶりの30盗塁に到達し、通算300盗塁も達成した。スライディングする際は、ほとんどがヘッドスライディングである。

守備

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ジーターのフィールディング

特徴の一つとして、強烈な印象を残す守備が挙げられる。もっとも象徴的なものとして語られるのが、2001年のアスレチックスとのALDS(アメリカンリーグ・ディビジョンシリーズ)第3戦で見せたプレイである。ヤンキースの1点リードで迎えた7回2死一塁からヤンキースの先発投手マイク・ムッシーナがアスレチックスのテレンス・ロングにライト線を破る長打を浴びる。右翼手シェーン・スペンサーが本塁に返球したところ、中継に入った一塁手ティノ・マルティネスの頭を超える悪送球になってしまう。ボールが本塁数メートル前の一塁側ファウルラインのあたりを転がるところにジーターが飛び込み、右手でつかんだボールをそのまま捕手ホルヘ・ポサダにバックトス、走者のジェレミー・ジアンビJeremy Giambiジェイソン・ジアンビの弟で当時は兄弟ともにアスレチックス所属)を間一髪でタッチアウトにした[41][42]。のちにジェイソン・ジアンビフリーエージェントでヤンキースに入団した際、彼は真っ先に「おい、あのプレーの練習を見せろ」と言ったといわれている。

2007年8月に発行されたアメリカの雑誌『ベースボール・アメリカ』で発表されたアメリカンリーグ全監督の選考によるアメリカンリーグ部門別ベストツール選手ランキングにおいては「最も守備の上手いショート」部門で選出され、2004年から2006年まで3年連続でゴールドグラブ賞を受賞しており、一般の評価は高い。プレーでは三遊間の深い位置に飛んだ内野ゴロを逆シングルで捕球し、そのまま一塁へジャンピングスローする姿がよく見られる。

グラブ捌きに疑問符がつけられることはない一方で、瞬発力に欠けるため守備範囲は広くなく、打者の特徴や傾向を把握した的確なポジションをとることで動き出しの遅さをカバーしてきた[37]。特にセイバーメトリクスにおける守備指標の導入後は、2009年(徹底した下半身の強化に取り組んだ甲斐あって、守備範囲が広まり、各種数値も大幅に向上した[43] )以外は各指標でいずれも遊撃手中で低い数値であることが明らかになり[44]、特に2006年から2008年の3年間を対象にしたプラス・マイナス・システムでは全遊撃手中最下位の-68という数値であった[45]テンプレート:Byからテンプレート:Byまでの3年間でも、守備防御点が合計-42で全遊撃手中最下位だった[46]

晩年はコンバート案も浮上し、2009年のWBC後にはニューヨーク・タイムズ紙がジーターの衰えを指摘し、ジミー・ロリンズに比べて守備範囲が狭いことを指摘した上で、外野へのコンバートを提言した[47][48]

ポストシーズン

ポストシーズンでも勝負強さを発揮することで知られている。2012年までのキャリア16年間で合計158試合に出場し、本塁打20本、打率出塁率長打率はそれぞれ.308/.374/.465といずれも高い数字を残している。この間、ヤンキースはテンプレート:Byテンプレート:Byからテンプレート:Byの3連覇、さらにテンプレート:Byと、5度のワールドシリーズを制し、ジーターはその中心選手として活躍した。2001年のワールドシリーズでは打率1割台と低迷し、チームもアリゾナ・ダイヤモンドバックスに3勝4敗で敗れはしたものの、第4戦で金炳賢から劇的なサヨナラホームランを放ったことから「ミスター・ノベンバーMr.November )」と呼ばれた。ワールドシリーズは例年10月中に全日程が終了するが、テンプレート:By9・11テロの影響で日程が遅れ、第4戦は10月31日の開催となった。しかし、9回裏にヤンキースが同点に追いつき延長戦に突入し、10回裏にジーターが打席に入った時点で試合時間が3時間30分を超えて日付が11月1日に変わっていた。ヤンキース往年の名選手レジー・ジャクソンは、ポストシーズンでの活躍により「ミスター・オクトーバーMr.October )」と呼ばれたが、ジーターの「ミスター・ノベンバー」はそれになぞらえたものである。

評価

ヤンキース一筋、ワールドシリーズ制覇5回という輝かしい経歴を持ち、打撃タイトルとは無縁ながらもハイペースで安打を積み重ねているジーターは将来の殿堂入りが確実視されている。2013年1月5日にはCBSスポーツ電子版が「現役選手で殿堂入りが確実な5人」を特集し、イチローマリアノ・リベラアルバート・プホルスジム・トーミの4人とともにジーターの名前が挙げられた[49][50]。また、ヤンキースの背番号2が永久欠番となることも間違いないとされる。

ジーターは2014年の時点でメジャー10年以上のベテラン野手では唯一のヤンキース生え抜き野手であり、地元ニューヨークでは絶大な人気を誇る。2008年の調査では、ニューヨーク市民の好きなアスリートの1位がジーターだった[51]。また、2012年後半のMLBレプリカユニフォームの売り上げで第1位[52]となるなど、ニューヨークに限らず全米規模で注目を集めるスーパースターであり、最も人気のあるMLB選手である。米国の大手調査会社ハリスが実施した「アメリカ人の好きなアスリート」のランキングでは、2007年タイガー・ウッズに次ぐ2位に入ったのを最高に、毎年のようにトップ10の上位に顔を出している[53]テンプレート:Byの同調査では、ペイトン・マニングコービー・ブライアントらを抑えて初の1位を獲得した[54]

2009年9月にルー・ゲーリッグの持つ球団最多安打記録を更新した際には、球団記録に過ぎないにもかかわらず、米国メディアは熱狂の渦に包まれた。ジーターにこれほど多くの注目が集まる理由として、ニューヨークという巨大市場に本拠地を置く名門球団ヤンキースに所属するアメリカ人の生え抜き選手であること[55]、「チームの勝利を第一に考え、自分の数字を追わない選手」として相手チームの選手からも尊敬されるロールモデルであること、ルー・ゲーリッグという伝説的ヒーローに、現代の模範的ヒーローが挑戦するという図式がアメリカ人に好まれたことなどが挙げられる[56]

人物

類まれなリーダーシップを持つ人格者として知られる。チームメイトには常に積極的に声をかけ、ベンチでもホームインした選手を真っ先に出迎える。英語が苦手な選手を食事に誘って英語を教えることもある[19]松井秀喜のように、ジーターを慕うチームメイトは非常に多い。ヤンキースで監督を務めたジョー・トーリは、著書の中で「ジーターの新人時代、どうしたらこんな人間ができるのかと思った。最初から言うべきことがあまりなかった。教育というより、どういう人間か知りたくて対話した」と記している[57]

黒人白人の間に生まれたハーフであることで、成長過程では人種差別を受けることもしばしばあった[58][5]。しかし両親の賢明な教育方針もあり、家族や友人や教師等、周囲から慕われ愛されながら幸福な子供時代を送った[5][59]。小学校時代の教師は、たとえ野球選手として有名にならなかったとしても教師の記憶に永久に残る類いの生徒であり、もの静かながらどの人種グループにも自然に溶け込み人を打ち解けた気分にさせる特別な子供だったと語っている。また高校時代の教師も、学業やスポーツに秀でながら奢ったところが全くなく、他の生徒の手助けをする際にも相手に劣等感を抱かせることなく手を差し伸べ、あらゆる人種や経済的背景のグループと分け隔てなく付き合うことのできる生徒だったと証言している[60]。一方、社会的な場では理不尽な差別を受けることもしばしばあり、特に1992年にドラフト1巡目で念願のヤンキースに入団してマイナーで初シーズンを過ごした後、初めて凱旋気分で帰郷した折にファーストフード店の駐車場で「ニガー」と野次られた経験は、それまでになく悔しく許せないものだった[61][5]。しかしヤンキー・スタジアムのファンから差別語を言われたことは1度もないと語っている[62]

毎年優れた成績を残すジーターだが、個人記録にはまったく興味を示さない。「チームスポーツをやっているのだから、何よりも勝つことがすべて」という考えを貫いている。よって、新人の頃から個人成績に関する取材を極端に嫌うことで有名である。また、審判に対しても非常に丁寧に接することで知られる。幼少時代に、父から「審判を敬え、文句を言うな」と言い聞かされて育ったため、審判の判定にクレームをつけることはない。際どい判定で主審と言葉を交わすのも、あくまで確認のためである[19]。節目のシーズン200安打を達成した際にも、記念のボールは受け取らない。これについて、イチローは、「200本目のヒット(のボール)を取らないのはすごいなと思って。ボール欲しいよね、普通。そういうところで、ジーターって選手にすごみを感じます」とコメントしている[63]

マンハッタンの超高級マンションの1フロアを丸ごと所有している。独身時代の松井秀喜は同じマンションに住んでおり、ジーター宅で行われたホームパーティーに招かれたことがある[64]。その他にもいくつもの別荘を所有しており、2009年にはフロリダ州タンパに大豪邸を建設中であることが報じられた[65]

甘いマスクから女性ファンに非常に人気がある。プレイボーイとして知られ、女性関係の話題は事欠かない。過去には、人気シンガーのマライア・キャリー[66]2000年ミス・ユニバース優勝者ララ・ダッタLara Dutta[67]、歌手ジョイ・エンリケスJoy Enriquez[68]、女優ジョーダナ・ブリュースター[69]、女優スカーレット・ヨハンソン[66]、女優ガブリエル・ユニオン[70]、女優ジェシカ・アルバ[71]ファッションモデルタイラ・バンクス[72]、女優ジェシカ・ビール[73]タレントヴァネッサ・ミニーロVanessa Minnillo[74]との交際が報じられた。ヤンキースオーナーのジョージ・スタインブレナーから「夜な夜なパーティーにうつつを抜かしている」と苦言を呈されたこともあるが、この時には「俺はパーティーアニマルじゃない」と反論[75][76]。この騒動は本人出演のパロディーCMが制作されるほどの話題になった[77]。 その後ミンカ・ケリーMinka Kelly)と交際し[78]、2009年8月にはニューヨーク・ポスト紙が2人は結婚間近であると報じた[79]が、2011年8月26日にケリーの事務所が破局を発表した。

MLBを代表する人気選手であるジーターは、スポーツ用品などを中心に数多くのCMに出演している[80]。日本では、打撃練習器具「ジップヒット」の通信販売CMが有名である[81]

ターン2ファウンデーション

慈善活動に積極的で、ルーキー年の1996年9月に、子供たちを健全な生活スタイルに導くための組織を立ち上げたい意向を、当時ソーシャル・ワーカーをしていた父親に打ち明けるとともに仕事を止めて組織を運営してくれるよう依頼した。父親はジーターの決意が真剣であることを確認後、その方がより多くの人々を助けることができると考え承諾し、同年12月に反薬物の啓発や、奨学金の給付などを行う「ターン2ファウンデーション」という組織を立ち上げた。やがて実務に忙殺される父親の体調を心配する母親と大学を卒業した妹が加わり、現在ではニューヨーク、ミシガン、フロリダ州タンパ地域で活動を展開している。2009年には、社会福祉や地域奉仕に貢献した選手に贈られるロベルト・クレメンテ賞を受賞した[82]

年度別打撃成績

テンプレート:By2 NYY 15 51 48 5 12 4 1 0 18 7 0 0 0 0 3 0 0 11 0 .250 .294 .375 .669
テンプレート:By2 157 654 582 104 183 25 6 10 250 78 14 7 6 9 48 1 9 102 13 .314 .370 .430 .800
テンプレート:By2 159 748 654 116 190 31 7 10 265 70 23 12 8 2 74 0 10 125 14 .291 .370 .405 .775
テンプレート:By2 149 694 626 127 203 25 8 19 301 84 30 6 3 3 57 1 5 119 13 .324 .384 .481 .864
テンプレート:By2 158 739 627 134 219 37 9 24 346 102 19 8 3 6 91 5 12 116 12 .349 .438 .552 .989
テンプレート:By2 148 679 593 119 201 31 4 15 285 73 22 4 3 3 68 4 12 99 14 .339 .416 .481 .896
テンプレート:By2 150 686 614 110 191 35 3 21 295 74 27 3 5 1 56 3 10 99 13 .311 .377 .480 .858
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テンプレート:By2 17 73 63 8 12 1 0 1 16 7 0 0 0 1 8 1 1 10 3 .190 .288 .254 .542
通算:18年 2602 11968 10614 1876 3316 525 65 256 4739 1261 348 95 89 54 1047 39 164 1753 272 .312 .381 .446 .828
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・記録

※オールスターゲームとワールドシリーズ両方のMVPを同じ年に受賞した選手は、MLB史上ジーターのみである(2013年シーズン終了時点)。

脚注

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外部リンク

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