ツヒンヴァリ

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テンプレート:Infobox Settlement

ファイル:South Ossetia overview map.png
南オセチア地図内のツヒンヴァリの位置
ファイル:SouthOssetia region detailed map.JPG
旧南オセチア自治州の地図。円内がツヒンヴァリの周囲15キロメートル領域で、グルジア-オセチア衝突地帯。

ツヒンヴァリオセット語: ЦхинвалまたはЧреба,[1] - Tskhinval, Chreba; グルジア語: ცხინვალი, テンプレート:Lang-en-short, Cchinvali, Cxinvali, ツヒンバリとも書かれる)は、国際的にはグルジアの中北部、南オセチア自治州の州都。ロシアなど少数の国が承認している南オセチア共和国の首都。大リアフヴィ川の河畔に広がる。首都トビリシから約100km。

1989年の人口は42,934人。1990年から1992年にかけての南オセチア紛争の結果、当時のグルジア人住民の多くは南オセチアを離れ、人口も激減していると推定される。

1990年から1992年にかけての紛争で、町は分離主義集団とグルジア政府軍との交戦の場となり、大きく破壊された。1994年以後、ツヒンヴァリは欧州安全保障協力機構(OSCE)の監督下で、グルジア・オセチア・ロシア平和維持軍が管理している。

名称

ツヒンヴァリの呼称は、グルジア語Krtskhinvali (ქრცხინვალი)のカナ書きで あり、「シデの国」を意味する[2]。(シデはカバノキ科の樹木。)歴史的にもこの名称がよく使われてきた[3]1934年から1961年まではスターリンに因んでスタリニリ(Staliniri)(テンプレート:Lang-ka)と呼ばれていた。現代のオセット人(オセチア人)は、グルジア語の主格を意味する語尾の i を取って、ツヒンワル(Tskhinval)と呼ぶ。また、公式名称ではないが、チレバЧреба / CHreba)と呼ぶオセット人も多い。

歴史

現在のツヒンヴァリ周辺は、青銅器時代に一度栄えた。発掘された遺物も多く、東グルジアのイベリアや西グルジアのコルキスの文化の影響が見られる。

ファイル:Tskhinvali. Rudnev, D 1886.jpg
19世紀のツヒンヴァリ、D. Rudnevによる撮影(1886)。

ツヒンヴァリがグルジア人の領土となったのは、3世紀のイベリア王Asphagurの時代とよく言われるが、確かな記録としては1398年にカルトリ王国テンプレート:Enlinkの1村であったことが知られている。18世紀初頭まで、ツヒンヴァリは主に僧院の農奴が暮らす国王直轄領であった。1801年、ツヒンヴァリは残りの東グルジアと共に、ロシア帝国に併合される。南コーカサステンプレート:Enlinkトビリシゴリの交易路沿いの町として栄え、ユダヤ人グルジア人アルメニア人オセット人が住んだ。1910年代の調査によると、人口は5,033人、人口比率はユダヤ人42.3%、グルジア人33%、アルメニア人13.4%、オセット人11%だったテンプレート:要出典

1918年から20年にかけてのグルジア-オセチア紛争中、グルジア民主共和国の一部として一時的にロシアから独立した。しかし1921年からロシアの後を継いだソビエト連邦の侵攻テンプレート:Enlinkを受け、ソビエト連邦グルジア・ソビエト社会主義共和国内にある南オセチア自治州テンプレート:Enlinkの州都となった。その後、ツヒンヴァリの都市化が進んだため、ソ連のコレニザーツィヤ政策テンプレート:Enlinkの一環として、周辺のオセット人がツヒンヴァリに呼び寄せられた。主な産業は林業と製造業であり、後のツヒンヴァリ州大学となる教育研究所(Pedagogical Institute)や劇場なども作られている。1989年に行われたソ連時代最後の国勢調査によると、ツヒンヴァリの人口は42,934人であった。

1989年頃から始まって現在も続いている南オセチア紛争で、グルジア軍とオセチア軍の対立や戦闘がしばしば行われている。1992年ソチで行われた休戦協定により、少数民族となっていたグルジア人の退去が決まり、ツヒンヴァリはオセット人の町となっている。

現在、ツヒンヴァリは南オセチア共和国の首都として、人口約30,000を有する。ただし南オセチア共和国は国際的には認知されていない。

2008年の紛争

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注釈、出典

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参考文献

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テンプレート:アジアの首都
  1. テンプレート:De iconZchinwali ohne „i“?
  2. テンプレート:Ru iconСловарь географических названий
  3. テンプレート:Ru iconИСТОРИЯ ЦАРСТВА ГРУЗИНСКОГО