ツイッギー

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ツイッギー・ローソンの肖像

ツイッギーテンプレート:Lang-en-short1949年9月19日 - )は、イギリス女優、モデルおよび歌手。現在は結婚後の名前ツイッギー・ローソン(Twiggy Lawson)として広く知られる。

プロフィール

ツイッギーは、ロンドン郊外のニースデンで、レズリー・ホーンビーLesley Hornby)という名で生まれた。彼女は16歳で当時のボーイフレンドかつマネージャーであるジュスタン・デ・ヴィルヌーヴの影響の下で有名になった。

間もなく1960年代スウィンギング・ロンドンにおける「顔」と見なされ、その華奢な体型から「ツイッギー」(小枝)の愛称を得て、世界的な知名度と人気を得た。

彼女は成熟と共にデ・ヴィルヌーヴの元を去り、1971年ケン・ラッセル監督作品『ボーイ・フレンド』に出演し、女優および歌手としてその活動の幅を広げた。この作品でゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞。その後彼女は映画や演劇で様々な役柄を演じた。

2004年の来日時に『週刊文春』の対談にて、やせていたのは体質で「今でもかなり食べますけど、当時は太りたくていっぱい食べていたんです」と語っている[1]

日本での活動など

東レトヨタ森永製菓の3社合同招待にて1967年10月18日17時に羽田へマネージャー兼恋人であるデ・ヴィルヌーヴと共に降り立った彼女はカメラマンの群れを避けるように宿舎である東京ヒルトンホテルへ向かった。当時のサイズは身長165cm、体重41kg[1]。当時、彼女の訪日と比較されたのが前年に来日したビートルズである。また彼女はこの頃、年に1000万ドル(36億円)を稼ぎ出す売れっ子ファッションモデルで「ミニ(スカート)の女王」として日本では若い女性から羨望の的とされ、ツイッギーをイメージしたコンテストが催されるほどの加熱ぶりであった。滞在中は森永製菓の「チョコフレーク」や「トヨタ・コロナ」(1967年)のCM撮影などをこなし、大阪の吉兆を訪れたり、京都の時代祭を楽しんだりした後、11月8日に帰国。それ以来、何度か来日している。1971年発売の森永「小枝」は、この来日の後、ツイッギー(小枝)の名をヒントに誕生したと言われている。

エピソード

  • 1967年の第14回東京モーターショーのトヨタブースでゴールド塗装(特別色)のトヨタ2000GTのモデルを務めた。この2000GTはモーターショー終了後に彼女へプレゼントされ、英国へ渡った。現在はアメリカのトヨタミュージアムで展示されている[2]
  • ピチカートファイブの楽曲「トゥイギー・トゥイギー」(野宮真貴のソロデビューアルバム収録曲ツイッギー・ツイッギーのカバー)は彼女のことが題材となっている。


脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 1.0 1.1 『サザエさんをさがして』 朝日新聞 be on Saturday、2010年3月20日付3面
  2. テンプレート:PDFlink