タルソスのテオドルスのソースを表示
←
タルソスのテオドルス
移動先:
案内
、
検索
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
'''タルソスのテオドルス'''(Theodorus of Tarsus, [[602年]]頃 - [[690年]][[9月19日]])は、 [[カンタベリー大司教]]。 第6代の大司教デウスデディットが[[664年]]7月14日に亡くなり、後任を依頼された[[イングランド]]出身の司教ウィグハルドが、大司教叙階のため派遣されたローマで疫病により死亡。[[ローマ教皇]]は[[ナポリ]]近郊のニリダン修道院長ハドリアヌスに大司教としてイングランドへ赴任するよう命じるが、ハドリアヌスは友人である[[タルソス]]出身の修道士、テオドルスがいっそう適任であると推薦した。当時66歳でローマにいたテオドルスは[[668年]][[3月26日]]に教皇ウィタリアヌスから大司教への叙階を受ける。テオドルスはハドリアヌスを伴い、イングランドへ渡る([[ケント州|ケント]]到着は[[669年]]5月)。修道士の生活規則と教会法に基づく復活祭挙行の基準を広めた。測量術や天文学、教会算術(暦)を[[ラテン語]]・[[ギリシア語]]とともに教えた。ケントの教会にだけ知られていた聖歌がイギリスの教会全体に伝わり始めるのもこの頃である。 [[670年]]、[[ハートフォード (ハートフォードシャー)|ハートフォード]]の司教会議を主宰し、教会規則・宗教会議・婚姻の掟などに関わる10箇条を定めた。[[680年]]ヒースフィールドの司教会議で、キリストに神性・人性の共存を認めない異説([[単性論教会|エウティケス異端]])を斥けることを確認。[[679年]]に[[マーシア]]王エゼルレッドと[[ノーサンブリア]]王エグフリッドの間に起こった戦争が広がることを憂い、両者を告諭し講和を仲介した。[[690年]]に逝去。聖ペテロ教会に埋葬された。 大司教としてのテオドルスは、イングランド全体の教会をカンタベリーに統合するにあたって、初代大司教[[カンタベリーのアウグスティヌス|アウグスティヌス]]が追求した政策を継承し、よりよく成功したといえる。つまり、古来からのケント教会の風習とローマの儀式・教義を融和させるという目的である。 [[Category:カンタベリー大司教|ておとるす たるそす]] [[Category:602年生|ておとるす たるそす]] [[Category:690年没|ておとるす たるそす]]
タルソスのテオドルス
に戻る。
案内メニュー
個人用ツール
ログイン
名前空間
ページ
議論
変種
表示
閲覧
ソースを表示
履歴表示
その他
検索
案内
メインページ
コミュニティ・ポータル
最近の出来事
新しいページ
最近の更新
おまかせ表示
sandbox
commonsupload
ヘルプ
ヘルプ
井戸端
notice
bugreportspage
sitesupport
ウィキペディアに関するお問い合わせ
ツール
リンク元
関連ページの更新状況
特別ページ
ページ情報