ソフトベンダーTAKERU

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ソフトベンダーTAKERU(ソフトベンダー・タケル)は、1986年ブラザー工業の安友雄一が中心となって開発した、世界初のパソコンソフト自動販売機

概要

1985年にテスト機15台でスタートし、1986年4月21日に本サービス開始。

主にパソコンショップ屋内に置かれ、最盛期には全国に約300台が設置された。初期はソフトベンダー武尊と表記され、サービス開始前のテスト機はSV-2000と呼ばれていた。1986年に2代目のSV-2100が導入され16ビットパソコンに対応、3代目は NEW TAKERU という名称で1991年春から夏にかけて導入[1][2]。筐体の色は、2代目が赤色と灰色の塗り分け、3代目は黄色と灰色の塗り分けである。本体内にはパッケージに収められた何も記録されていない各種ブランクメディア(記憶媒体)が蓄えられている。利用者は画面の指示に従って購入ソフトウェアを選択、指定金額を支払うとブランクメディアが出てきて、これをフロッピーディスクドライブやROMライタ等の書き込み装置にセットしてソフトウェアを書き込ませ、フロッピーディスクケースやプリントアウトされたマニュアルと共にソフトウェアを入手する。

CD-ROMドライブを内蔵し、ここから読み出したデータを各種メディアに書き込んだほか、コンピュータネットワークTri-PISDN回線)経由でソフトウェアをダウンロードして取り寄せることができた。なおサービス開始当初はCD-ROMドライブが一般に利用されておらず、コンシューマーゲームなども含めCD-ROMドライブの利用が始まったのは、2年後の1988年にPCエンジンCD-ROM²が発売されたのが最初である。

稼動を開始した当時はまだ8ビット御三家など8ビットパソコン全盛の時代であり、パッケージソフトウェア販売がパソコンゲームを含むソフトウェア全般の販売経路の主流だった。その頃にいち早く「自動販売機」という形でオンライン販売を開始したTAKERUは、パソコン通信ですら「趣味人(マニア)の特殊な行為」だった時代に、全く新しい流通形態を築こうとした先駆的業態である。

ちなみに、TAKERUのソフトウェア配信サーバと通信カラオケJOYSOUND(JS-1シリーズ)の楽曲データ配信サーバは当時は同一のシステムで稼動しており、昼はTAKERUを主体、夜はJOYSOUNDを主体に稼働していたため、システム稼働率を高く保つことが出来た。しかしJOYSOUND稼動以前から、TAKERU向けの収支はソフトウェア販売による収益よりも通信経費の方が高く付いており、ときには1000万円を売り上げるために1400万円の通信費がかかるなど、ビジネスモデルとしては失敗だったという[3]

サービスの運営は、当初はブラザー工業TAKERU事務局が行い、自動販売機のほか郵便での通信販売も行っていたが、1994年5月21日に子会社のエクシング 通信システム事業部に業務移管され[4]1997年2月に全サービス終了。TAKERUで培われた技術は、JOYSOUNDなど通信カラオケサービスや証明書自動発行機の開発に発展していった。

機能

FM TOWNSFM-7FM77AVダイナブック (東芝)MacintoshMSXX1PC-88(mkII・SR以降)・PC-98EPSON_PCシリーズ対応)・Windows3.195)・X68000のソフトと各社ワープロのテンプレート・クリップアートを販売していた。初期にはFM-7X1のカセットテープメディアの販売も行っていた。説明書・領収書は内蔵プリンターで印刷されて出てくるが、ドットインパクトプリンターであり、数ページ分のマニュアルでは少々印字に時間がかかった。3代目のNEW TAKERUではレーザープリンターになった(印刷時間は1ページ当たり15秒)。加えてメディア書き込みも多少待たなければならなかった(書き込み時間は3.5インチ2DDの場合、約70秒)。マニュアルが10ページを超える場合は別送となるため、TAKERU CLUB会員以外は印刷された引換券を郵送でTAKERU事務局に送る必要があった。

フロッピーディスクケースは5インチ・3.5インチフロッピーディスク共用で、紙製の緑→青→黄色→→プラスチック製の緑→黒色と変遷した。後期には有無を選べるようになり、その後廃止された。

筐体には、タッチパネル方式CRTディスプレイが主なユーザーインターフェイスとして組み込まれ、5インチ・3.5インチフロッピーディスクドライブ、MSX用ROMカートリッジ差し込み口(初代・2代目のみ)、説明書印刷用プリンター、フロッピーディスク・フロッピーディスクケース取り出し口が内蔵されている。

内部には、データキャッシュ用のハードディスクドライブ、メニュー画面データ格納用のCD-ROMドライブが内蔵されている。勿論、自動販売機としての金銭識別機や媒体のストックも蓄えられていた。CPUi286相当を、OSDR-DOSを用い、これらの機器を制御していた。

内蔵されたCD-ROMやキャッシュ内にデータの無いソフトウェアはTri-PISDN回線でダウンロードし、フロッピーディスクや専用のROMカートリッジに書き込んで販売することにより、店頭に在庫を置かなくても販売できるという点が画期的だった。また当時はパッケージ販売が主流で、通信回線を使ったソフトウェアのダウンロード販売自体がめずらしかった。ただ、ダウンロード中はユーザーは画面を眺めながら待つしかなく、回線状況によっては数十分程度待たされることも多かった。その間は他の利用者も前の客を待つしかなく、回転率という面ではやや難があったといえよう。

販売ソフトは既にパッケージ販売された商品の廉価版・復刻版が中心だったが、TAKERUでしか買えないオリジナル作品や、自社開発のパッケージソフト(郵送となる)もあった。後期には同人ソフトの取り扱いを開始し、最盛期を過ぎてソフトウェアの流通が少なくなったMSXユーザには、ソフトウェア購入の最後の砦とも呼ばれていた。

TAKERU CLUB

1991年に『TAKERU CLUB』と呼ばれる会員組織を導入。入会金500円、年会費500円。 前回の購入履歴・住所・氏名が記録された磁気カードが発行された。 会員特典としてマニュアルが別送となるソフトを購入する際に住所・氏名の入力が不要、会員価格で購入できる、会員紙『TAKERUわあるど』(『TAKERU PRESS』を会員向けに編集したもの)が毎月送られてくる、購入時にクーポンが付き(後に廃止)それを欲しいソフトの金額分集めると購入できる等があった。 会員は約3万人(1991年10月現在)。特に若年層が多く、10代が58%、20代が33%、合計91%を占めていた[5]

おうちでTAKERU

『おうちでTAKERU』とは、TAKERUで購入できるソフトウェアの一覧を検索・閲覧できるソフトウェアである。TAKERU上でPC-9801X68000向けに900円程度で販売されたほか、1995年頃に発売されたマイコンBASICマガジンTECH Winなどのパソコン雑誌の付録CD-ROMなどにWindows 3.1版が収録された。プログラム作成はアイマジック。TAKERUの画面を忠実に再現しており、操作もほとんど同じなので、TAKERU自体の操作を学ぶこともできた。また、TAKERUと同様に、当時の売り上げランキングなどの情報も閲覧可能。その再現度はソフトウェアの詳細情報画面に購入ボタンが存在するほどである。ただし、『おうちでTAKERU』から実際にソフトを購入することは出来なかった。

脚注

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参考文献

  • BCN This Week 1986年3月31日 vol.157「ブラザー販売 「ソフト自販システム」本格販売へ」BCN
  • BCN This Week 1990年4月9日 vol.350「ブラザー工業 タケル 今後1年で倍増へ」BCN
  • BCN This Week 1991年4月8日 vol.398「ブラザー工業 タケルをバージョンアップ」BCN
  • BCN This Week 1991年7月22日 vol.412「ブラザー工業 NEW TAKERUを〝実戦配備〟」BCN

関連項目

外部リンク

テンプレート:ブラザー工業

テンプレート:Asbox
  1. 大きさは1565×1220×570mm。メインCPUはIntel 80386SXで、ROMカセット・Tri-P回線を廃止、TAKERU CLUB用カードリーダ・CD-ROM・フロッピーディスク(5インチ・3.5インチ)・INSネット回線・タッチパネル・五千円札と一万円札の入金等に対応
  2. 「情報おもちゃ箱FFB 『ソフトの自動販売機が一新 NEW TAKERU』」、『MSX・FAN 1991年5月号』徳間書店インターメディア
  3. ブラザー社員の資料室 Brother Library - ブラザーを歴史する
    MSX・FAN掲載記事
  4. BCN This Week 1994年6月6日 vol.552「タケル 「エクシング」に業務を移管」BCN
  5. BCN This Week 1992年1月27日 vol.437「ブラザーが調査 タケルクラブ会員にアンケート」BCN