セリーヌ・ディオン

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テンプレート:Infobox Musician セリーヌ・マリー・クローデット・ディオン(Céline Marie Claudette Dion、1968年3月30日 - )は、カナダ女性歌手である。1990年代英語圏でキャリアを始める以前、1980年代前半にフランス語圏のシンガーとして活動を開始した。身長170cm。血液型 は O型。

人物

カナダのケベックモントリオール郊外に生まれる。幼少より類まれな才能を発揮し、音楽マネージャーのレネ・アンジェリルと出会う。アンジェリルは彼女の才能と歌声に惚れ込み、自宅を担保としてデビューアルバムの発売資金を調達する。音楽はポップスロックソウルの他に、ゴスペルクラシックなど幅広いジャンルに影響されていて、ファンや評論家には彼女自身の声、歌詞の持つ本来の意味を歌い上げる能力などが高く評価されている。

1990年代には、「ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー」、「イッツ・オール・カミング・バック・トゥ・ミー・ナウ」や、1997年公開の映画『タイタニック』の主題歌になった「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」の世界的大ヒットなどで、セリーヌ・ディオンは英語圏、フランス語圏におけるポピュラーミュージック界の大御所となった。

1999年から個人的な理由により一時キャリアを休止するが、2002年にはアルバム『ア・ニュー・デイ・ハズ・カム』で復帰。2003年から2007年12月15日には、ラスベガスシーザーズ・パレス・ホテルにてA New Day... Live in Las Vegasという定期公演を行った。2008年2月14日から10年ぶりとなるワールドツアー『Taking Chances』を行った。

2011年現在、シングル&アルバム総売り上げは2億枚を超えており、ローリング・ストーンズピンク・フロイドといった大物アーティストと肩を並べるほどの実績を持っている。

来歴

ファイル:Celine Dion Star on Canada's Walk of Fame.jpg
カナダの殿堂"Canada's Walk Fame"

1981年に発売されたフランス語のファーストアルバムにより、瞬く間にケベックにおけるトップスターの地位を獲得する。ちなみにファーストアルバム発売ののち数多くのツアーの誘いがあったにもかかわらず、「この才能をつぶすわけにはいかない」という理由でアンジェリルは全ての依頼を断った。

1982年「第13回ヤマハ世界歌謡音楽祭」出場のために初来日し金賞に輝いた。1984年にはパリオランピア劇場に最年少で出演、1988年ユーロビジョン・ソング・コンテストでスイス勢として32年ぶりの優勝するなど、数多くの国際コンテストを総なめにした。

1991年に初の英語アルバム『ユニゾン』を発売し、世界的スターへの道を歩み始める。アトランタオリンピックの開会式で『パワー・オブ・ザ・ドリーム』を歌い、『美女と野獣』『タイタニック』など数多くの映画にサウンドトラックを提供し、地位を不動のものとした。

1994年、初の来日公演。12月17日にマネージャーのレネ・アンジェリルと結婚。

日本ではフジテレビのドラマ『恋人よ』の主題歌に使われた「トゥ・ラヴ・ユー・モア」が130万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。この曲にはクライズラー&カンパニーも参加していた(この縁で1996年からのワールドツアーに葉加瀬太郎が参加)。

1995年に発売されたフランス語アルバム『フレンチ・アルバム』がフランス国内で400万枚を超える売上となり、歴代最高売上記録となる。この功績により翌年1996年にフランス政府より芸術文化勲章を授与される。

1997年、2度目の来日公演、全国6都市10公演のアリーナツアー。

1998年ケベック国家勲章(National Order of Quebec)、カナダ勲章(Order of Canada)を受勲。

1999年、3度目の来日公演、全国3都市5公演のドームツアー。ベストアルバム『ザ・ベリー・ベスト』発売と同時に活動休止を発表。

2003年ラスベガスシーザーズ・パレス・コロセウムで長期公演A New Dayスタート。

2005年1月6日、セリーヌ・ディオンは、スターの名前を刻んだハリウッド名声の歩道(The Hollywood Walk of Fame)に2244人目の仲間入りをした。 この時の全世界でのセールスは1億5千万枚。

2007年1月、アメリカの経済誌フォーブスがエンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性トップ20を発表し、総資産303億円で5位にランクインした。

2007年11月7日、アルバム『Taking Chances』を日本先行でリリース。2008年には9年ぶりとなる4度目の来日公演(東京・大阪で全4公演のドームツアー)を行った。

2010年2月10日、セリーヌ・ディオンのラスベガス長期コンサートが復活との発表がなされた。今回も前回と同じくシーザーズ・パレス・ホテルの特設コロシアムにて、約4ヶ月にも及ぶロングラン公演。2011年3月15日より公演がスタートするが、1年以上前の2010年2月後半よりチケット販売が開始されている。

2014年11月11日19日に4度めの来日公演が予定されていたが、夫でマネージャーでもあるレネ氏の看病や家族との時間に専念するため、セリーヌ本人も喉に炎症が起きる病気を患い完治していなかったため、全公演中止となった。これに伴い、7月29日以降ラスベガスで予定されていた公演の無期限中止、アジアツアーの全日程も中止となった。[1]

ディスコグラフィー(抜粋)

詳細はセリーヌ・ディオンのアルバム一覧セリーヌ・ディオンのシングル一覧参照 テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-2

英語スタジオアルバム

テンプレート:Col-2

フランス語スタジオアルバム

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シングル

詳細はセリーヌ・ディオンのシングル一覧を参照

シングル 最高位
1990 哀しみのハートビート 6 4 72
1992 イフ・ユー・アスクト・ミー・トゥ 3 4 57
ビューティー・アンド・ザ・ビースト〜美女と野獣(ピーボ・ブライソンとのデュエット) 2 9 9
1993 パワー・オブ・ラヴ 1 1 4
ジギィ
1994 シンク・トワイス 14 95 1
1995 トゥ・ラヴ・ユー・モア」 with クライズラー&カンパニー 1
1995 愛をふたたび 7
私は知らない
1996 ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー 1 1 5
イッツ・オール・カミング・バック・トゥ・ミー・ナウ 2 2 3
1997 オール・バイ・マイセルフ 4 6
愛を伝えて〜Tell Him(バーブラ・ストライサンドとのデュエット) 12 3
1998 ザ・リーズン 11
マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン 14 1 1 34
イモータリティ(ビージーズとのデュエット) 5
アイム・ユア・エンジェル(R・ケリーとのデュエット) 37 1 3
愛するだけでよかったら
2000 アイ・ウォント・ユー・トゥ・ニード・ミー 1
2001 風に吹かれるままに(ガルーとのデュエット)
2002 ア・ニュー・デイ・ハズ・カム 2 22 7
2003 アイ・ドローヴ・オール・ナイト 1 45 27
男たちの金すべて 2
2005 あなたを忘れない
2007 愛のうた
Taking Chances

ツアー

ツアー名 音源
1983年–1984年 Les chemins de ma maison tournée 無し
1985年 C'est pour toi tournée ビニールレコード Céline Dion en concert
1988年 Incognito tournée 無し
1990年–1991年 Unison Tour VHS Unison
1992年–1993年 Celine Dion Tour 無し
1994年–1995年 The Colour of My Love Tour DVD、VHS The Colour of My Love Concert; CD À l'Olympia
1995年 D'eux Tour DVD、VHS Live à Paris; CD Live à Paris
1996年–1997年 Falling into You Tour VHS Live in Memphis
1998年–1999年 Let's Talk About Love Tour DVD、VHS Au cœur du stade; CD Au cœur du stade
2003年–2007年 A New Day... DVD Live in Las Vegas - A New Day...; CD A New Day... Live in Las Vegas
2008年–2009年 Taking Chances Tour 無し

外部リンク

テンプレート:Commons category

テンプレート:Celine Dion テンプレート:日本ゴールドディスク大賞アーティスト・オブ・ザ・イヤー テンプレート:Eurovision winners

テンプレート:Link GA

  1. セリーヌ・ディオン Japan Tour 2014 公演中止のお知らせ H.I.P. 来日公演公式サイト 2014年8月13日付