セイラム魔女裁判

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セイラム魔女裁判

セイラム魔女裁判(セイラムまじょさいばん)とは、現在のアメリカ合衆国ニューイングランド地方のマサチューセッツ州セイラム村(現在のダンバース)で1692年3月1日にはじまる一連の裁判をいう。

200名近い村人が魔女として告発され、19名が処刑され、1名が拷問中に圧死、5名が獄死した。無実とされる人々が次々と告発され、裁判にかけられたその経緯は、集団心理の暴走の例として引用されることが多い。


経緯

牧師サミュエル・パリスの娘ベティーと従姉妹アビゲイル・ウィリアムスは友人らとともに親に隠れて降霊会に参加していた。その術中、アビゲイルが突然暴れだすなど奇妙な行動をとるようになった。二人は医師によって悪魔憑きと診断された。その後、降霊会の参加者であるアン・パトナムJr.、マーシー・ルイス、メアリ・ウォレン、メアリ・ウォルコット、スザンナ・シェルドンがつぎつぎと異常な行動をおこすようになった。近隣のジョン・ヘイル牧師を招聘して悪魔払いが行われたが失敗した。

サミュエルは黒人の使用人ティチューバを疑い、彼女を拷問し、ブードゥーの妖術を使ったことを『自白』させた。サミュエルが娘たちを詰問したところ、娘たちは(村内での立場の弱い)3人の女性の名前を上げた。

1692年2月29日、ティチューバ、サラ・グッド、サラ・オズボーンの三名に対して逮捕状が出されてしまった。3月1日、セイラム村には判事がいなかったため、近隣のセイラム市から判事を招き、3人を収監するための予備審査が開かれた。

サラ・グッド、サラ・オズボーンは容疑を否認した。しかし、証人として列席していた悪魔憑きの娘たちが暴れだして、二人が霊を使役していると証言したため、二人は有罪とされてしまう。

ティチューバは(自白すれば減刑されるというピューリタンの法解釈から)悪魔との契約を認め、求められるままに証言を行った。ティチューバが他の関係者の存在を示唆したことから、再度、娘たちが詰問され、マーサ・コーリー、レベッカ・ナース、ジョン・プロクター夫妻らがつぎつぎと告発された。

100名を超える村人が告発され、収監施設がパンク状態に陥ったことから6月2日に特別法廷が開かれた。有罪を宣告された被告は6月10日から順次絞首刑に処せられた。

秋ごろには娘たちの証言に疑問を呈するものが出始めた。10月にボストンの聖職者から知事に上告が出され、事態を知った州知事が裁判の停止を命令。1693年5月、収監者に対し大赦を宣言し、収束した。

裁判にも関与したジョン・ヘイル牧師は、死後に発表された手記の中で「我々は暗雲の中に道を見失った」と記している。


原因

この事件の原因としては、児童虐待ピューリタン社会独特の抑圧による集団ヒステリー説、麦角中毒症による集団幻覚説などが唱えられている。

文献・作品

  • アーサー・ミラー著、倉橋健訳『るつぼ』 ハヤカワ演劇文庫、ISBN 9784151400155 - 赤狩りが横行していた1953年に、当時の世相を魔女狩りという事件であらわした。
  • Maryse Cond'e著、風呂本惇子、西井のぶ子訳 『わたしはティチューバ—セイラムの黒人魔女』新水社、ISBN 4915165922 - 最初期に魔女として告発され、生き残った女性を主人公にしたフィクション
  • マリオン・L・スターキー著、市場泰男訳『少女たちの魔女狩り—マサチューセッツの冤罪事件』平凡社、ISBN 4582824072 - 裁判記録
  • 小山敏三郎著『セイラムの魔女狩り—アメリカ裏面史』南雲堂、ISBN 4523291993
  • チャドウィック・ハンセン著、飯田実訳『セイレムの魔術—17世紀ニューイングランドの魔女裁判』工作舎、ISBN 4875021798
  • Mary Kilbourne Matossian著、荒木正純、氏家理恵訳『食物中毒と集団幻想』パピルス、ISBN 4938165295 - 麦角中毒症による集団幻覚説
  • Celia Rees 著、亀井よし子訳『魔女の血をひく娘』理論社、ISBN 4652077149
  • Celia Rees 著、亀井よし子訳『魔女の血をひく娘2』理論社、ISBN 465207736X
  • 映画『クルーシブル』 - 『るつぼ』の映画化作品

関連項目