スリナム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
スリナム共和国
Republiek Suriname
スリナムの国旗 スリナムの国章
国旗国章
</dd>

国の標語:Justitia - Pietas - Fides
ラテン語: 正義 - 忠誠 - 敬虔な言行)
国歌神よ我らのスリナムと共に在ませ
スリナムの位置

公用語 オランダ語
首都 パラマリボ
最大の都市 パラマリボ
政府

大統領 デシ・ボーターセ
首相 なし

面積

総計 163,270km290位
水面積率 1.1%

人口

総計(2012年 530,000人(168位
人口密度 3人/km2
GDP(自国通貨表示)

合計(2008年8兆1,909億[1]スリナム・ドル ($)
</dd>
GDP(MER

合計(2008年29億[1]ドル(149位
</dd>
GDP(PPP

合計(2008年44億[1]ドル(149位
1人あたり 8,323[1]ドル
</dd></dl>

<tr> <th>独立<td>オランダより
1975年11月25日 </tr>

通貨 スリナム・ドル ($)(SRD
時間帯 UTC -3(DST:なし)
ISO 3166-1 SR / SUR
ccTLD .sr
国際電話番号 597

</dd> </dl>

スリナム共和国(スリナムきょうわこく、オランダ語:Republiek Suriname)、通称スリナムは、南アメリカの北東部に位置する共和制国家である。東にフランス領ギアナ、西にガイアナ、南にブラジルと国境を接し、北はカリブ海大西洋に面する。首都はパラマリボ

かつてはオランダ領ギアナとして知られており、南アメリカで唯一のオランダ語を公用語とする国である。国土の大部分がギアナ高地にあり、面積、人口共に南アメリカで最小の独立国である。

国名

正式名称はオランダ語で、Republiek Suriname。通称、Suriname

公式の英語表記は、Republic of Suriname(リパブリック・オブ・スリナム)。通称、Suriname

日本語の表記は、スリナム共和国。通称、スリナム

国名は先住民のスリネン人に由来している。

歴史

テンプレート:Main

先コロンブス期

ヨーロッパ人が訪れる前、この地には先住民のスリネン人が居住しており、彼らの名前から今日のスリナム共和国の国名が取られた。しかし、16世紀にスリネン人はカリブ族の攻撃によって追い立てられた。

植民地時代

テンプレート:Main

ギアナ地方がヨーロッパ(スペイン)人に「発見」されたのは1499年である。16世紀にオランダイギリスフランススペインの探検家によって探検され、17世紀に入るとイギリス人とオランダ人が入植し、黒人奴隷を使用してタバコ栽培を行った。両国は領有権を巡り争ったが1667年ブレダ条約でオランダはニューアムステルダム(現ニューヨーク)とスリナムを交換し、その後幾度かイギリスによる占領があったものの、以降オランダの領有権が確定した。

オランダ人は黒人奴隷を使ってコーヒー、カカオ、サトウキビ、綿を栽培したが、奴隷の待遇は劣悪であり、多くの奴隷がプランテーションから脱走し、熱帯雨林に住むインディオの助けを得てマルーンオランダ語: ボスネガー - Bosnegers、英語: ブッシュ・ニグロ - Bush Negroesフランス語: ネグマルーン - Nèg'Marrons)となった。現在もサラマカ、パラマカ、ンドュカ(アルカン)、クウィンティ、アルク(ボニ)、マタワイなどのボスネガー部族が存在している。ボスネガーはしばしば新しい仲間を募るため、また、女性や、武器、食料、物資を得るためにプランテーションを襲撃した。これらの襲撃はしばしばプランターやその家族を死に至らしめたが、ボスネガーの討伐作戦は度々失敗し、ヨーロッパ人は19世紀に彼らと平和協定を結んだ。これによりボスネガーは独立した地位と交易の権利を認められた。

その後、1863年に奴隷制度が廃止されたが、1873年まで完全解放はされなかった。奴隷達の多くは自由になるとすぐに数世代に渡って彼らを苦しめたプランテーションから逃れ、パラマリボに流入した。このことによりスリナムにおける農場経営は一時停滞したが、スリナムのプランテーションは手作業の労働者に大きく依存していたため、労働力の不足を補うためにオランダ領東インド(現在のインドネシア、特にジャワ島)やインドから契約移民を受け入れ新たな労働力とした。さらに19世紀後半から20世紀初頭にかけて、中国から移民を受け入れ、また中東からも少数の移民が導入された。スリナムの人口は少ないが、このような歴史により、スリナムは世界でも多様な民族性と文化を持つ国となっている。

1954年にはオランダから自治権を獲得し、1973年にNPK(多くが黒人やムラートのクレオールからなる政党)がオランダ政府と完全独立のための交渉を始め、1975年11月25日に完全独立した。分離手当ては非常に実質的であり、独立後最初の10年間のスリナム経済の大部分がオランダ政府の対外援助からなった。 テンプレート:Clearleft

独立以降

1980年陸軍曹長デシ・ボーターセによる軍部クーデターが起き、スリナムの社会主義化が国家軍事評議会のもとで進められソ連キューバと親密な関係を築いた。1982年には反対派指導者15名が処刑されたため、オランダは援助を停止した。1983年アメリカ合衆国が社会主義を掲げるグレナダに侵攻。スリナムとキューバの関係は悪化した。1986年にはボスネガー(アフリカ系の逃亡奴隷の子孫)の反乱による内戦が勃発した。

1987年11月の総選挙で軍部が敗退すると、1988年には新憲法のもとでジャンカル大統領が選出され民政復帰を果たした。オランダが再び援助を再開したが、1990年にボーターセによる軍事クーデターが再び勃発した。クーデターによりオランダは再び援助を停止。ジャンカルは退陣した。1991年の総選挙ではフェネティアン大統領が選出され、アメリカ合衆国とオランダとの関係を回復した。1992年にはオランダによる人道的援助が再開され、ボーターセ軍司令官が辞任(2010年、民選大統領として復権)した。エコツーリズムが発達し、2000年に中部スリナム自然保護区がユネスコの世界遺産となった。

政治

テンプレート:Main 1980年2月25日、クーデターが発生した。軍が実権を握り、軍が任命した大統領が就任した。1981年11月の総選挙で軍政は崩壊し、野党の連合政権が登場したが、1990年12月にまた軍のクーデターが起こり、再び倒された。 スリナムの政治は、1987年制定の憲法によっている。立法府は一院制の議会で構成されており、定数は51名。5年ごとに改選される。

議会の3分の2以上の賛成によって選出された大統領が、行政府を取り仕切る。大統領の任期は5年。投票がそれに満たない場合は、議会と地方代表から構成される340名の国民議会の投票によって選出される。

カリブ共同体南アメリカ連合に加盟している。

軍事

テンプレート:Main 2009年時点で総員2,200人の規模を有する。

1975年の独立でオランダ軍部隊から独立し、1980年にはクーデターを引き起こす。民政移管後は政軍関係の再構築をアメリカ合衆国の援助下で行っている。

地方行政区分

テンプレート:Main

スリナムは10の地方(District)に分かれ、地方はさらに62のresortに分かれる。

  1. ブロコポンド (Brokopondo)
  2. コメウィネ (Commewijne)
  3. コロニー (Coronie)
  4. マロウィネ (Marowijne)
  5. ニッケリエ (Nickerie)
  6. パラ (Para)
  7. パラマリボ (Paramaribo)
  8. サラマッカ (Saramacca)
  9. シパリウィニ (Sipaliwini)
  10. ワニカ (Wanica)

主要都市

テンプレート:Main 主要な都市はパラマリボ(首都)がある。

地理

テンプレート:Main

スリナムは南アメリカ最小の独立国である。国土の大部分はギアナ高地に位置し、二つの主要部に区分される。北部の沿岸低地地方(おおよそアルビナ-パラナム-ワゲニンゲンのライン)は文化的であり、人口の大部分はこの地域に居住している。南部は熱帯雨林からなり、ブラジル国境周辺のサバナにはまばらに人が居住している。南部は国土の約80%を占める。

スリナムには二つの主要な山脈、即ちバクウイス山脈とヴァン・アスチ・ヴァン・エイック山脈が走る。国内の山では海抜1,286mのジュリアナトップ山が最も高い。その他の山としてはタフェルベルグ山(1,026m)、カシカシマ山(718m)、ゴリアスベルグ山(358m)、ヴォルツベルグ山(240m)など。

国土が赤道直下に近いスリナムは熱帯気候であり、気温は年間を通して変化しない。4月から8月までと、11月から2月まで、一年に二回の雨季がある。また、乾季も8月から11月までと、2月から4月までの二回ある。

国の北東部にはブロコポンド・ダムの作る人造湖プロメシュタイン湖があり、これは世界で最も大きなダム湖の内の一つ。1964年にアフォバッカダムとしてボーキサイト産業(使用量の75%を占める)と国内消費に水力発電を供給するために建設された。

コペナメ川の上流の中部スリナム自然保護区は、手付かずの熱帯雨林と多様な生態系のためにユネスコの世界遺産となっている。スリナムには多くの国立公園がある。沿岸部にはGalibi National Reserve、Coppename Manding国立公園、Wia Wia NR が、中央部には Brownsberg NR, Raleighvallen/Voltzeberg NR, Tafelberg NR 、Eilerts de Haan NPが、ブラジル国境地帯にはSipaliwani NR がある。 国立公園と湖を合計すると国土の12%を占める。

経済

テンプレート:Main

豊かなボーキサイト木材資源に恵まれている。スリナムの経済はボーキサイトに大きく依存しており、GDPの15%、輸出額の70%を占めている。農業は砂糖バナナ柑橘類などで、漁業ではエビが欧州や日本に輸出されている。近年は石油資源[2] や金[3]も期待されている。

国民の1/4が農業セクターに従事している。スリナムの経済は他国に強く依存しており、主な貿易相手国はオランダ、アメリカ合衆国カリブ海諸国である。

鉱業

スリナム経済は強く鉱業に依存している。総輸出額に占める鉱物資源の割合は2000年時点で8割に達した。輸出の上位4品目はボーキサイトを精製したアルミナ (62.1%)、金 (11.4%)、魚介類、原油 (4.3%)である。

2007年時点の採掘量は、ボーキサイト(500万トン)、アルミナ(220万トン)、金 (11トン)、原油(日量15千バレル)。

交通

道路網は沿岸部とその隣接地に向かって東西に伸びている。南北を結ぶおもな手段は川である。内陸部へは水路または空路により結ばれている。空路はヨハン・ペンヘル国際空港(ザンデリー国際空港)から利用され、ガイアナ仏領ギアナ両国との間はフェリーによって結ばれている。

自動車の通行区分は日本と同じ左側通行である。南アメリカでは他に隣国ガイアナが左側通行を採用している。

国民

テンプレート:Main

民族

民族は、インド系(印僑)が27%、スリナム・クレオールテンプレート:要曖昧さ回避白人と黒人の混血)17%、マルーン系15%、インドネシア系(ジャワ人が多い)15%、混血12%、先住民(インディオ)、華人、白人、その他と続く。マルーン系は内陸に逃れたアフリカ系奴隷の子孫で、奴隷制廃止まで北部都市に生活した同じアフリカ系のクレオール政権に対して、1986年から1992年まで反乱を起こし戦った。

国民の約90%がパラマリボか沿岸部に居住している。スリナムの人口はオランダにとっても重要である。2005年には328,300人がオランダに居住しており、これはオランダの人口の約2%を占める(スリナムの人口は438,144人である)。

言語

言語は、公用語オランダ語だが、クレオールテンプレート:要曖昧さ回避が使うタキタキ語とも呼ばれるスリナム語(Sranang Tongo)が共通語として使われる。また、英語ジャワ語ヒンディ語など、それぞれの民族はしばしば自分達が元々使っていた言語を使っており、ポルトガル語スペイン語を話すコミュニティも存在する。

宗教

宗教は、ローマ・カトリックプロテスタントキリスト教が40%、ヒンドゥー教20%、イスラム教が14%、不明16%、その他10%となっている。

文化

テンプレート:Main オランダ東インド会社の政策により多種多様な民族がスリナムに流入し、現在のスリナム文化はそのような多様で複雑な文化的影響を下敷きにして育まれている。パラマリボ市内にはヒンドゥー寺院・キリスト教会・イスラムモスクが混在しており、聖ピーター・ポール教会は南米一の木造建築で、EU支援により2010年に修復された。

スポーツ

テンプレート:Main スリナム国内で最も人気のあるスポーツサッカーである。オランダ代表を選択する選手も多く、サッカー選手の人材の宝庫でもある。そのため、スリナム代表としてはFIFAワールドカップおよびCONCACAFゴールドカップの出場歴はない。

世界遺産

テンプレート:Main スリナム国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が1件、自然遺産が1件存在する。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:南米共同体 テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox

テンプレート:SR-stub
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 IMF Data and Statistics 2009年7月19日閲覧([1]
  2. テンプレート:En icon Rigzone Staatsolie Launches Tender for 3 Offshore Blocks
  3. テンプレート:En icon Cambior Development of the Gross Rosebel Mine in Suriname