スフミ

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テンプレート:世界の市 スフミSukhumiテンプレート:Lang-abテンプレート:Lang-kaテンプレート:Lang-ru)は、国際的にはグルジアアブハジア自治共和国の首都。ロシアなど独立を承認している少数の国からはアブハジア共和国の首都。黒海に臨む。人口は43,700人(2003年)。

地勢

黒海の東の大きな湾に面し、港を有し、鉄道の分岐点でもある。亜熱帯気候で、鉱泉を産し、旧ソビエト連邦時代は屈指の保養地として知られ、多くのホテルの立地する典型的リゾート地であった。1840年に出来た植物園はカフカスでも有名であった。郊外のスフミ・ドランダ空港はアブハジアの玄関口である。

歴史

旧石器時代の遺跡が発掘されている。紀元前6世紀ごろ、ミレトスから来たギリシア人によってここに植民都市ディオスクリアΔιοσκουριάς)が開かれた。その後、ポントス王国ミトリダテス6世に征服され、次にローマ帝国に支配され、アウグストゥスによってセバストポリスΣεβαστούπολις)と名付けられる。ユスティニアヌス1世によって砦が築かれ、東ローマ帝国の重要な拠点となる。8世紀マルワーン2世の軍勢に侵略される。

15世紀からオスマン帝国の侵攻が始まり、16世紀半ばにオスマン帝国の一部となり、ここに堅固な要塞が築かれる。

1810年ロシア海軍がこの地に入り前哨基地とし、1864年にロシアに併合される。露土戦争では、一時的にオスマン帝国に占領される。

ロシア革命では内戦にアブハジアも巻き込まれ、ボリシェビキ勢力が鎮圧された後の1918年グルジア民主共和国が誕生し、スフミもそれに編入される。1921年赤軍がこの地を制圧すると、グルジア・ソビエト社会主義共和国と連合を組むアブハジア社会主義ソビエト共和国の首都となる。1931年、アブハジアは、グルジア・ソビエト社会主義共和国の中のアブハズ自治ソビエト社会主義共和国となる。1989年には人口で110,000人とグルジア有数の規模となり、ソ連の指導者たちのダーチャが市内に多くあった。

しかし、1989年からのアブハジア紛争の主たる戦場となり、1992年から1994年にかけての戦争では連日の空爆、砲撃で市は大きく損傷した。1993年9月のスフミでの戦闘で、スフミはアブハジア軍の手に落ち、多くのグルジア人住民が殺される民族浄化が行われた。アブハジア側の虐殺行為は国連安保理によって非難されるに至った。

今日、グルジア系の住民の大部分が難民としてアブハジアを脱出し、人口は減少した。

現在は緩やかながらも復興しつつある。

気候

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民族構成

2003年の調査では:

主な出身者

姉妹都市

脚注

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