ヴォルゴグラード

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テンプレート:Redirect テンプレート:世界の市 ヴォルゴグラードテンプレート:Lang-ru, Volgograd)は、ロシア連邦ヴォルガ川西岸に南北80kmにわたって広がる都市。ヴォルゴグラード州の州都。人口は101万人。

1925年まではツァリーツィンЦарицын, Tsaritsyn)、1925年から1961年まではスターリングラードСталинград, Stalingrad)と呼ばれていた。現在は年に数日のみ市名がスターリングラードとなる(後述)。

歴史

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ハザール

8世紀半ばからハザールの首都がイティルアストラハンの南南西40km)に置かれ、テンプレート:仮リンクの拠点として栄えた。テンプレート:仮リンクによれば、en:Radaniteと呼ばれるユダヤ商人によって流通は供給されていた。11世紀に、キプチャクキプチャク草原を支配した。

モンゴル帝国

13世紀以降にはモンゴル帝国に占領され、ジョチ・ウルスベルケの治世にヴォルガ川流域にベルケ・サライ(ヴォルゴグラードの東85km)を建設した。

1395年から翌1396年にかけて、ティムールによってサライは破壊された。アストラハン・ハン国の首都がテンプレート:仮リンク(現アストラハン)に置かれた。

ツァリーツィン

ロシア帝国の南の国境にあたっていたため、1589年タタールの襲撃に備えて築かれたSary Su要塞(地元のタタール人の言葉で「黄色い水」の意味)が町の始まりである。すぐに交易拠点として発展を始める。「Sary Su」の音から転じ、「女帝のもの」を意味するツァリーツィンの名がついた。

1630年テンプレート:仮リンク太師に率いられたカルムイク人ヴォルガ川流域のノガイ・オルダを駆逐してテンプレート:仮リンク1630年 - 1771年)を建国。1670年スチェパン・ラージン)、1774年エメリヤン・プガチョフ)と2度、コサックの支配を経験する。

ロシア革命後の内戦では戦場となる。1918年ボリシェヴィキ軍が制圧するが、アントーン・デニーキン白軍の攻撃にさらされる。

スターリングラード

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川沿いの旧製粉所。市街戦の跡。現在はスターリングラード攻防戦のパノラマ博物館

反革命勢力に対する勝利に貢献したため、また旧帝国に関する名称を廃止する方針のため、1925年ヨシフ・スターリンにちなんでスターリングラードと命名された。スターリングラードは、ソビエト連邦の工業化政策のもとで、南ロシアにおける重要な重工業都市に発展した。

1942年夏にスターリングラードは、ブラウ作戦によるドイツ軍の包囲を受けて、半年以上にわたるスターリングラード攻防戦の舞台となった。戦闘により街は荒廃し人口も激減したが、激戦を戦い抜いたスターリングラードは戦後「英雄都市」となり、現在も市の紋章には金星章が描かれている。激戦地を望むママエフ・クルガンに多くの記念碑が建てられた。またイギリスコヴェントリーを皮切りに広島など戦火に見舞われた都市と姉妹都市を結んでいる。

ヴォルゴグラード

1961年ニキータ・フルシチョフによるスターリン批判の流れの中で、都市名は「ヴォルガの町」を意味する現在のヴォルゴグラードへと再度改められた。しかし、ロシア国内で市名復活を求める署名活動が行われるなどの動きもあり、スターリングラード攻防戦終結70周年にあたる2013年1月31日、市議会は8月23日スターリングラード攻防戦開始日、2月2日スターリングラード攻防戦終結日、5月9日ヨーロッパ戦勝記念日9月2日対日戦勝記念日6月22日バルバロッサ作戦開始日、11月19日ウラヌス作戦開始日等の記念日に限定して市名をスターリングラードに戻すことを決定した[1]

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ヴォルゴグラードの中心街。中央にテンプレート:仮リンクが見える。
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ヴォルゴグラードの劇場
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爆弾テロにあったヴォルゴグラード駅

テロ攻撃

21世紀に入って、ヴォルゴグラードはテロ攻撃に見舞われている。 テンプレート:Main

2004年8月24日、ヴォルガ・アヴィアエクスプレス(現在のエア・ヴォルガ)1303便[2][3]モスクワ発ヴォルゴグラード行きツポレフ Tu-134型機(登録番号RA-65080)は、自爆テロにより空中で爆破され墜落、乗客34名と乗員9名の全員が死亡した。

2013年10月21日月曜日午後2時頃、ロシア連邦軍情報部の報告によればレゾバザバス停に停車中の乗客40名を乗せたバスが、自爆テロの標的になったことが判明した[4]ロシア非常事態省のイリーナ・ゴゴリェワ報道官によれば、少なくとも5人が死亡し、爆風により17人が負傷したことが報告された[5]。2013年10月22日、ウラジーミル・マルキンロシア捜査委員会委員長は、ダゲスタン人のナイーダ・アシヤロワ(当時30歳)が犯人として特定されたと報告した[6]

2013年12月29日テンプレート:仮リンクで自爆テロと見られる爆破事件が発生。17名が犠牲となった。翌30日、市内でトローリーバスが自爆テロで爆破され、16名が死亡した[7]

経済

今日のヴォルゴグラードはロシアでも重要な、近代的な産業都市となっている。造船、石油精製、製鉄、アルミ精錬、機械・車両製造、化学工業などが主な産業である。

この地方の工場などへ電力を供給するためのヴォルゴグラードダムとヴォルゴグラード水力発電所が市の北にあり、ヴォルガ川をせき止めた巨大なダム湖を形成している。

交通

水運
鉄道
航空
市内交通
  • バス、トロリーバス、トラムがある。
  • テンプレート:仮リンク」はヴォルガ川に平行してレーニン大通りを走る路線で1984年に完成。都心部の3駅の区間は地下を走行するが、郊外は地上を走る。

気候

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建造物

ファイル:Mamayev Kurgan (Volga river, panorama).jpg
ママエフ・クルガンから独ソの死闘が繰り広げられたヴォルガ川を見下ろす.
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ヴォルガ川から見た市街地(2005年)

学校

姉妹都市

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:英雄都市テンプレート:Link GA
  1. テンプレート:Cite news
  2. 英語版記事では1353便
  3. テンプレート:Cite journal
  4. テンプレート:Cite web
  5. テンプレート:Cite web
  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web
  8. テンプレート:Cite web
  9. テンプレート:Cite web
  10. テンプレート:Cite web