ジョーン・バエズ

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テンプレート:Infobox Musician ジョーン・チャンドス・バエズテンプレート:Lang-en-short1941年1月9日 - )は、アメリカミュージシャン。英語の発音だと、「バイエズ」の方が近い。

来歴

1941年に、ニューヨーク州スタテン島にてメキシコ系の家に生まれる。彼女の一家は、クエーカー教徒であった。

また、父親のアルバートは物理学者であり、軍需産業への協力を拒否し、それはジョーンの1960年代から現在まで続く公民権運動と反戦活動へ影響を及ぼした。妹のミミ・ファリーニャ(1945年4月30日 - 2001年7月19日)もフォーク歌手であった。

歌手としての経歴は、1959年のニューポート・フォーク・フェスティバルから始まった。ファースト・アルバムの『ジョーン・バエズ』は、1960年にヴァンガード・レコードから発売される。同作は「ドナドナ」「朝日のあたる家[1]などトラディショナルのフォーク・バラード、ブルースと哀歌が、彼女自身のギターによって演奏された物であった。

1961年に発表された、2作目の『ジョーン・バエズ Vol.2』はゴールド・アルバムとなり、翌年リリースされた『ジョーン・バエズ・イン・コンサート 』も同じくゴールド・アルバムを獲得した。バエズは、1960年代初頭から中期に掛けて、アメリカにおけるルーツ・リバイバルの先頭に立ち、自らの聴衆に対し、ブレイク前のボブ・ディランを紹介し、また多くのアーティストらは彼女を模倣した。

2010年3月、スペイン政府より芸術文学の勲章を受勲し、Excelentisima Señoraの称号を得る。

脚注

  1. 鈴木カツ 『我が青春のショーン・バエズ』 キングレコード、1998年9月、ライナーノーツ p.3。

関連項目

外部リンク

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