ジェノサイド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

ジェノサイドテンプレート:Lang-en-short)は、1944年、ユダヤ系ポーランド人法律家のテンプレート:仮リンクによって創られた造語であり(後述)、一つの人種民族国家宗教などの構成員に対する抹消行為をさす。

元々アルメニア人虐殺ナチス・ドイツユダヤ人虐殺ホロコースト)に対して使われていたことから、一般的には「大量虐殺」の意味で使われるが、国外強制退去による国内の民族浄化、あるいは異民族、異文化・異宗教に対する強制的な同化政策による文化抹消、また国家が不要あるいは望ましくないと見なした集団に対する断種手術の強要あるいは隔離行為など、あくまでも特定の集団等の抹消行為を指し、物理的な全殺戮のみを意味するわけではない。

また、これを目的とした行為は集団殺戮行為も含め、国連のジェノサイド条約によって禁止されており、現在では、集団殺害罪は国際法上の犯罪として確立している。

定義と由来

genocideギリシャ語γενοσ種族国家民族)とラテン語接尾辞 -cide(殺)の合成語である。ユダヤ系ポーランド人の法律家テンプレート:仮リンクによる造語である[1]

ラファエル・ラムキンによる発案

1929年からワルシャワで検察官を務めていたラムキンは、トルコ人によるアルメニア人大量殺害(アルメニア人虐殺)に心を動かされ[2]大量殺害を禁じ、かつ大量殺害が行われた場合には政治介入することを世界中の政府に約束させる趣旨の法案を作成していた。 当時の司法界がこの法案を無視した結果、ラムキンはその後検察官を辞任、1939年までワルシャワで弁護士を務めた。

1939年9月、ドイツ軍がポーランドに侵攻。ラムキンはこれを逃れ、その後スウェーデンを経て、アメリカのデューク大学に渡る。1944年連合国側についていたアメリカで、カーネギー国際平和財団から『Axis Rule in Occupied Europe(占領下のヨーロッパにおける枢軸国の統治)』を刊行。同書のなかで、「国民的集団の絶滅を目指し、当該集団にとって必要不可欠な生活基盤の破壊を目的とする様々な行動を統括する計画」を指す言葉として、「ジェノサイド」という新しい言葉を造語した[3]

なお、ラムキンが「ジェノサイド」という言葉を思いついたのは、1941年8月、ウインストン・チャーチルBBC放送演説における「われわれは名前の無い犯罪に直面している」という言葉によるという[4]。のちに、1945 年のニュルンベルク裁判の検察側最終論告において、「ジェノサイド」が初めて使用された[5]

ジェイムス・J・マーティンらは、ラムキンがカーネギー国際平和財団から出版したことや、ルーズベルト大統領政権で外国経済行政の主席研究員をつとめており、敵国押収財産の配分と実務処理を担当していたことなどから、ユダヤ・ロビーとの関連も指摘している[6]

日本語では「集団殺害」と訳されるが、ジェノサイドの実際の規定では殺害が伴わない場合もある。また、集団殺人であっても、民族・人種抹殺の目的を伴わない場合はジェノサイドに当らない。

また、添谷育志は、「ジェノサイド概念を超歴史的に適用することは、歴史責任問題を無限に拡大することになりかねない」とも指摘している[7]

ジェノサイド条約

テンプレート:Main

ジェノサイド条約における定義

国際連合で採択された(1948年)ジェノサイド条約(集団抹殺犯罪の防止及び処罰に関する条約、Genocide Convention)(第2条)国民的、民族的、人種的、宗教的な集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われる次のような行為と定義されている(カッコ内は通説)。

  1. 集団構成員を殺すこと
  2. 集団構成員に対して重大な肉体的又は精神的な危害を加えること
    • (拷問、強姦、薬物その他重大な身体や精神への侵害を含む)
  3. 全部又は一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること
    • (医療を含む生存手段や物資に対する簒奪・制限を含み、強制収容・移住・隔離などをその手段とした場合も含む)
  4. 集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること
    • (結婚・出産・妊娠などの生殖の強制的な制限を含み、強制収容・移住・隔離などをその手段とした場合も含む)
  5. 集団の児童を他の集団に強制的に移すこと
    • (強制のためのあらゆる手段を含む)

同条約第3条により、次の行為は集団殺害罪として処罰される。

  1. 集団殺害(ジェノサイド)
  2. 集団殺害を犯すための共同謀議
  3. 集団殺害を犯すことの直接且つ公然の教唆
  4. 集団殺害の未遂
  5. 集団殺害の共犯

通説では、集団の全部または一部を破壊する意図があれば足り、いかなる手段や動機・目的・理由付けによるかは問われないとする。また、行為の主体にも限定はなく、客体の人数にも限定はないとされる。

民族浄化 (ethnic cleansing)」もこれに含まれる。なお、ソビエト連邦を始めとする共産圏の主張から、「社会階級的、政治・イデオロギーまたは文化的な集団の全部又は一部を破壊する意図をもつて行われた行為」は条約の定義から除外された。

旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所規程第4条2項並びに、国際刑事裁判所規程第6条にも、ジェノサイド条約第2条と同様の規定があり、「集団殺害」について定義されている。

人道に対する罪との違い

テンプレート:See 人道に対する罪とは構成要件を異にする。すなわち客体は「国民的、民族的、人種的、宗教的な集団の全部または一部」であり、また意図に関する要件(集団の全部または一部を破壊する意図)がある。

1996年の「ジェノサイド条約の適用に関する事件」判決

国際司法裁判所は、1996年の「ジェノサイド条約の適用に関する事件」(ボスニア・ヘルツェゴビナ対ユーゴスラビア)(管轄権)判決において、ジェノサイド条約によって承認された権利と義務が、ジェノサイド条約という枠組みを超えて、対世的な(erga omnes)権利と義務であると認定した[8]

2006年の「コンゴ民主共和国領における武力行動事件」判決

かつ、同裁判所は、2006年の「コンゴ民主共和国領における武力行動事件」(2002年新提訴、コンゴ民主共和国対ルワンダ)判決において、ジェノサイドの禁止がjus cogensの性質を有すると認定した[9]

このように、ジェノサイド条約で規定されているジェノサイドの定義、およびその行為を禁止し、防止し、処罰する個人及び国家の義務は、条約を超えて一般国際法上の義務となっていると解される。

事例

以下、国連または一部の国にジェノサイドと認められている事例を概説する。ジェノサイドであるかどうか当事国の間で議論となっている事例、また国際世論において大まかにジェノサイドであると見なされているものもある。

条約上の集団殺害罪に該当するもの。なお、民族浄化の項目も参照のこと。国連でジェノサイドに当ると認定された行為は意外と少ない。例として以下のものが挙げられる。

ホロドモール

ウクライナ1930年代に行われたホロドモール
ソ連による人為的な飢餓と弾圧により多くの人々が死亡した。犠牲者数は開きがあるものの、400万人から1,450万人と推定されている。なお国際連合および欧州議会では人道に対する罪として認定されている[10][11]

ルワンダの虐殺

ルワンダ1994年春に行われた虐殺
進行している虐殺がジェノサイドであると判断される場合は条約調印国全部に介入義務が生じるため、介入を避けようとしたアメリカほか調印国の抵抗により国連でその認定が遅れ、その際にジェノサイド的行為(act of genocide)が行われていると見解を発表するにとどまった。虐殺終了後に事後的にジェノサイドであると認定された。(ルワンダ紛争ルワンダ国際戦犯法廷参照)

ナチスのホロコースト

ナチスユダヤ人に対するホロコースト(参考・ガス室

ユーゴスラビア紛争における民族浄化

ユーゴスラビアにおけるユーゴスラビア紛争
特にボスニア内戦時の民族浄化国際司法裁判所は、1995年7月13日より始まったVRS(ボスニアのセルビア人武装勢力)によるスレブレニツァにおける虐殺(スレブレニツァの虐殺)をジェノサイド条約2条上の集団殺害と認定した[12]

テンプレート:See

ダルフール紛争

ダルフール紛争における集団虐殺
これは進行中の虐殺である。ジェノサイドであるとの正式な認定が国連で行われていないために強制的な介入は行われていない。

オーストラリアのアボリジニ政策

オーストラリアアボリジニの強制同化政策
オーストラリアの議会の調査書でこれが条約によって規定されるジェノサイドに当るとの見解が出されたが、行政府はこれに反発している。

アルメニア人虐殺

トルコアルメニア人虐殺
トルコ政府はこの見解に反発しているが、国際的には論争が続いている(詳細はアルメニア人虐殺)。

その他の事例

ここまでに挙げた「ジェノサイド」は、要件を人種民族国家宗教などの構成員に対する抹消行為としている。これに対して、存在に対する抹消行為という意味での比喩的な意味(用法)として、以下のような文脈で用いられることがある。

文化的なジェノサイド

文化的・宗教的な集団の文化的・宗教的・歴史的な存在等の全部または一部を破壊する意図をもって、1つの文化的・宗教的集団の構成員または文化的・宗教的・歴史的な資産に対して行われる行為を、「文化的なジェノサイド」と言う。この概念は、少なくとも国際法上では確立されていないが、ラファエル・レムキン(en)によると、ジェノサイドの一部を構成するとされる。

集団が使用しまたは使用した言語の一部または全部の使用の禁止(その言語による書物・記録などの破壊を含む)、知識的階級(学者、賢者、僧侶、祭祀、無形文化財などあらゆる文化的・宗教的・歴史的要素の中心となる人物の階級を含む)の強制収容・移住・隔離、あらゆる重要文化財の組織的破壊(文化的・宗教的・歴史的な書物・偶像・碑柱その他)などが文化的なジェノサイドに該当する。植民地支配もこれに含まれる場合がある。

ナチスのポーランドに対する絶滅政策(ホロコースト)には文化的なジェノサイドの側面が見られるほか、近年における典型的な例としては次がある。

その他

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:Commons category

テンプレート:レイシズム
  1. 大量虐殺(ジェノサイド)の語源学-あるいは「命名の政治学添谷育志、明治学院大学法学研究90号、2011年1月
  2. Jane Springer, Genocide, Canada: Groundwork Books Ltd, 2006〔邦訳『1冊で知る 虐殺』(石田勇治・解説,築地誠子訳,原書房,2010 年)
  3. 添谷前掲論文
  4. 添谷前掲論文。Samantha PowerA Problem from Hell: America and the Age of Genocide、ロンドン、フラミンゴ出版社、2002年(邦訳サマンサ・パワー『集団人間 破壊の時代――平和維持活動と市民の役割』(星野尚美訳、ミネルヴァ書房、2010 年)
  5. 添谷前掲論文
  6. 添谷前掲論文。 James J. Martin, The Man Who Invented ‘Genocide’: The Public Ca- reer and Consequences of Raphael Lemkin, California: Institute for Historical Review, 1984 。木村愛二『アウシュヴィッツの争点』(リベルタ出版,1995年)325-327 頁。
  7. 添谷前掲論文
  8. C.I.J.Recueil 1996, Vol.II, p.616, par.31
  9. C.I.J.Recueil 2006, par.64
  10. テンプレート:Cite web
  11. テンプレート:Cite web
  12. 「ジェノサイド条約の適用に関する事件」(ボスニア・ヘルツェゴビナ対セルビア・モンテネグロ)(本案)判決、2007年2月26日、I.C.J.Reports 2007, pp.98-108, paras.278-297.
  13. 小坂井澄『さまよえるキリスト教』徳間文庫、2000年、p.84~87
  14. 文語訳聖書では、通常「絶滅」などと訳される民数記21:3の「ホルマ」(ヘーレムの語根ハラムの派生語。新改訳聖書ではホルマがそのまま使われている)を「殲滅」と訳し、「ほろぼし」のルビを振っている
  15. 楊 海英「モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料 1: 滕海清将軍の講話を中心に」風響社. 2009年、同「モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料 2 内モンゴル人民革命党粛清事件 内モンゴル自治区の文化大革命」風響社2010