シルヴェスター・スタローン

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テンプレート:ActorActress シルヴェスター・ガーデンツィオ・スタローン(Sylvester Gardenzio Stallone, 1946年7月6日 - )は、アメリカ合衆国俳優映画監督脚本家。身長177cm。 1970年代から1990年代のアクション映画を代表するメガスター。60歳を超えた現在でも、己の超人的な筋肉を魅せる激しいアクションをこなす映画俳優である。左利き。

生い立ち

ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区の“ヘルズ・キッチン”地区出身。 シチリアにルーツを持つイタリア系アメリカ人美容師ロシア系ユダヤ人およびフランス系アメリカ人で、元ダンサーで占星術師として著名なジャッキー・スタローン[1][2][3]フランク・スタローンも歌手兼俳優。長男のセイジ・スタローンは俳優・監督で、また、カルト映画を専門にDVD化する「Grindhouse Releasing」の共同経営者。

出産時に産科医が鉗子の扱いを誤り、顔面の左側(特に)の神経が傷つけられたため、言語障害(舌足らずな発音)と下唇の下垂という症状が残った。このことは少年期のスタローンを内向的にさせ、空想や漫画、特に映画へ興味を向けさせた[4]。崩れた容姿と脆弱な性格から常にいじめの対象となっていた。このトラウマは現在も残る。

9歳[4](もしくは12歳)の時に両親が離婚したことを切っ掛けに次第に素行不良になる。小学校から高等学校修了までに14の学校から放校処分を受け、母親の経営するボクシングジムで体を鍛えながらも荒れた生活を続けた。当初はボクシングジムに見向きもしなかったが、この頃に観賞した映画『ヘラクレス』(1958年)のスティーヴ・リーヴスの影響により、自ら体を鍛え始めるようになったという[5]

高校卒業後は美容師学校へ進んだが中退し、レザンにある American School of Switzerland (en) に体育奨学金を得て入学し、演劇を学んだ(この頃から演劇に興味を持ち始めたとも)。アメリカに戻りマイアミ大学の演劇学部に3年間在籍したが、脚本家を志すため中退した[4][注釈 1](もしくは2年間在籍したが、授業料の支払いが困難となり中退した)。23歳でニューヨークに戻り本格的に俳優を志した。

キャリア

スタローンが初主演した映画は1970年のポルノ映画 The Party at Kitty and Stud's(子猫と種馬のパーティ)である。当時は極度の困窮生活で、出演はやむにやまれぬ事情だったとスタローンは述べている[6][注釈 2]

同じく1970年には No Place to Hide(隠れ場無し)というコメディ映画に主演した[注釈 3]。1971年にはオフ・ブロードウェイの小劇場で Score というアダルト劇の舞台に立っている。このようにポルノ映画への出演やボディーガードなどをこなして日銭を稼ぐ極貧生活が長く続いた。顔面麻痺による演技力の限界や、あまりにも典型的なシチリア人の風貌のため54回のオーディションに落ちたテンプレート:要検証

1974年に出演した『ブルックリンの青春』(The Lords Of Flatbush)での演技が何人かの評論家の目にとまり、スタローンは妻と愛犬を伴ってハリウッドへ移った[4]。1975年には『デス・レース2000年』に準主役として出演した。『ロッキー』の半年前である。

1975年、29歳の時、観戦したボクシングの世界ヘビー級タイトルマッチ「モハメド・アリチャック・ウェプナー」の試合に感銘を受け、それをヒントにわずか3日で書き上げた脚本をもって映画会社に売り込む。脚本が気に入った映画会社は大スター(ロバート・レッドフォードらが候補)を主役にした大作として製作しようとしたが、スタローンは自分を主役にしないなら脚本は渡せないと固辞。スタローンの意見が通ったが、スターの作品でないため低予算となり、わずかな上映館でスタートした『ロッキー』であったが、徐々に大評判を呼ぶことになった。同年のアカデミー賞最優秀作品賞を受賞し、世界的な規模で大ヒット(詳細は 『ロッキー』の項で記述)となり、映画の主人公の境遇とスタローン自身のそれが「荒んだ生活から一夜にして栄光を掴む」という古典的なまでの「アメリカン・ドリーム」を体現した点で共通していることから大変な話題を呼び、多くの人間に希望を与えた功績が評価された。

その後『パラダイス・アレイ』で監督業にも進出。しかし、様々なジャンルに挑戦し続けるが『ロッキー』シリーズ以外は興行的に成功することがほとんどない状態が続く。1982年の『ランボー』でようやくロッキー・バルボア以外の役をヒットさせることに成功。以降ランボーはロッキーと並ぶスタローンの代表作となった。その後は『クリフハンガー』など、常に鍛え上げた肉体を駆使した作品でアメリカを代表するアクション俳優となる。2006年、シリーズ16年ぶりの新作となる『ロッキー・ザ・ファイナル』 が公開され、2008年には、20年ぶりの新作となる『ランボー/最後の戦場』が公開された。この後には、チャールズ・ブロンソンの『狼よさらば』のリメイクや、『クリフハンガー』の続編が予定されている。2008年3月10日、Moviehole.netが、スタローンが『ランボー5』の製作途中であることを配信した[注釈 4]

共に極限まで肉体を鍛え上げたアクションスターであり肉体派ヒーローを演じる機会が多いアーノルド・シュワルツェネッガーと頻繁に比較される。彼ら自身もお互いに良きライバルであり親友であるという認識を共有しており、著名人が一堂に会す場において撮影された、二人が共に納まった写真もしばしば映画誌などに掲載されている。また1993年公開の『ラスト・アクション・ヒーロー』、『デモリションマン』では互いにネタにし合っている。2010年公開の映画『エクスペンダブルズ』では1シーンながら初めて両者が共演、2012年公開の続編『エクスペンダブルズ2』では本格的に共演をしている。2013年公開の『大脱出』ではW主演を果たす。またシュワルツェネッガーが映画のスタントの怪我で入院した際、偶然にも病室がスタローンと一緒であり、スタローンもスタントの怪我で入院していた。

『ロッキー』で共演し、長年の親友であるタリア・シャイアが実兄であるフランシス・フォード・コッポラに『ゴッドファーザーPARTIII』にスタローンを出演、または監督させる約束を取り付けたがコッポラがいずれも反故にしてしまったため、両人の間に亀裂が生まれてしまった。

2007年の2月に『ロッキー・ザ・ファイナル』の宣伝でオーストラリアを訪れた際、シドニー空港にて、手荷物の中にオーストラリアでは禁止されているステロイドが発見され、起訴された。5月15日に行われた審理では代理人が起訴事実を認めたが、スタローンは出廷をしなかった。21日、2500ドルの罰金を科す判決が下った。本人は当初『持ち込んだのは成長ホルモンだけだ』と弁明していたが、やがてはステロイド剤の所持を認めるに至った。しかし、後日になると『あれはテストステロンだ。ステロイドではない』と再度弁明を行った[7]

2010年9月に訪日し、大相撲秋場所を観戦。その際九重親方に映画出演のオファーを行い話題を呼んだ。また、同年9月28日放送分のNTV系列『魔女たちの22時』や、『おしゃれイズム』にもゲスト出演している。

2010年12月7日、一連の『ロッキー』シリーズのボクシング映画製作などが評価され、国際ボクシング殿堂顕彰者に選出された[8]

作風

彼が監督や脚本まで担当した『ランボー/最後の戦場』や『エクスペンダブルズ』などの戦場が舞台になる作品では、人体破壊・肉片が飛び散るなどのゴア表現がかなり見られる。また、素早いカットを多用してスピード感溢れる演出にすることで戦場での緊迫感を醸し出している。

俳優としては鍛え上げられた肉体を全面に押し出したアクションが売りである。もともと顔面神経麻痺や言語障害があり、決して表現力に長けているとは言えないものの、役作りに対してはストイックに取り組むことでも知られる。『コップランド』では冴えない中年警官を演じるために肉体派俳優の生命線である肉体をあえて増量し、『ランボー』ではノースタントで崖から飛び降り肋骨を数カ所骨折している。

日本語吹替

テレビ放送版

ささきいさお(現在は専属)

主にテレビ放送版にて『ランボー』などのアクション映画での代表作のほか、ロッキー5のビデオ版を担当。声質が非常に近く、エクスペンダブルズ2のインタビュー時には「吠えるような感じで喋るとスタローンぽくなる、若い頃は前日に酒を飲んで声を荒らして収録した。」とも語った。 ソフト版は玄田、テレビ版はささきの状態が暫く続いていたが、近年、スタローンとシュワルツェネッガーの共演作が出てきたことで、スタローンの吹替については完全にフィックスとなっている。ソフト版でスタローンを正式に担当するようになったのは『シェイド』から。

主な作品ロッキー4〜5、ランボー1〜4、ナイトホークスデモリションマンスペシャリストドリヴンコブラデイライト

羽佐間道夫

70年代〜80年代後半の作品を多く担当。ロッキーシリーズに関しては全作品担当している。 困った時の羽佐間と呼ばれ、数々の俳優を吹替した羽佐間であったが、スタローンを担当際には試行錯誤したようでロッキーシリーズを担当した際、声を荒らしてから収録に臨んだと語っている。羽佐間の独特なセリフ回しは人間的な弱さを表現するスタローンのドラマ作品を盛り立てる。 スタローンの吹き替えつながりで、ささきいさおのコンサートにゲスト出演もしており、「これからはスタローンの吹き替えはいさおくんに任せる」と発言している。

主な作品ランボー1〜2、オーバー・ザ・トップコブラ

ソフト版

玄田哲章(ソフト版を多く担当していた)

ロッキーシリーズ以外の多くの作品のソフト版を担当していた。ソフト版だけで言えば現在ではフィックスとして名が上がるシュワルツェネッガーではなく、スタローンの吹替の方が多かった。しかし2003年頃を境にスタローンを担当する事が既に少なくなっており、アーノルド・シュワルツェネッガーから公式に認められた事やスタローンとシュワルツェネッガーの共演作が出てきたことで実質スタローンの担当を退く形へとなった。 ロッキーは3のみテレビ版を担当。ランボー1〜3、ロックアップデスレース2000クリフハンガーコップランド

私生活

3回の結婚歴があり、二男三女をもうけている。

下積み生活中の1974年にサーシャ・チャックと結婚。俳優・映画監督のセイジ・スタローンら二人の男児をもうけた後、1985年に離婚。

1985年に『ロッキー4/炎の友情』『コブラ』で共演したブリジット・ニールセンと再婚し1987年に離婚。

現在の妻は女優・モデルのジェニファー・フレイヴィン1996年に一女をもうけ、1997年結婚、のち更に二女をもうけた。

思想・信仰

幼少の頃から大天使ミカエルの洗礼名を持つ[9]ローマ・カトリックのキリスト者である。『ロッキー・ザ・ファイナル』公開の時にはキリスト教原理主義系の番組に出演し、自身の信仰について語った[10]

熱心な共和党員で、政治的な発言も多い。2008年の大統領選挙では同党のジョン・マケイン候補への応援活動を行った。また、その影響が自身の作品に色濃く現れる事もあった(『ランボー/怒りの脱出』、『ランボー3/怒りのアフガン』、『ロッキー4/炎の友情』等)。しかし、殺傷能力の高い自動小銃などの保持に対しては批判的であり、2013年には「猟銃にも使えないし、軍に襲撃されるわけでもないのに何に使おうというのか」とコメントしている。[11]

出演作品

『ロッキー』シリーズ

公開年 日本語題 原題 役職 備考
監督 製作 脚本 出演
1976 ロッキー Rocky
1979 ロッキー2 Rocky II
1982 ロッキー3 Rocky III
1986 ロッキー4/炎の友情 Rocky IV
1990 ロッキー5/最後のドラマ Rocky V
2006 ロッキー・ザ・ファイナル Rocky Balboa

『ランボー』シリーズ

公開年 日本語題 原題 役職 備考
監督 製作 脚本 出演
1982 ランボー First Blood
1985 ランボー/怒りの脱出 Rambo: First Blood Part II
1988 ランボー3/怒りのアフガン Rambo III
2008 ランボー/最後の戦場 Rambo

その他

公開年 日本語題 原題 役職 備考
監督 製作 脚本 出演
1970 ザ・イタリアン・スタローン The Party at Kitty and Stud's
(Italian Stallion)
ポルノ映画
レベル No place to hide 日本未公開
1971 コールガール Klute エキストラ出演
ウディ・アレンのバナナ Bananas
1974 ブルックリンの青春 The Lords Of Flatbush クレジットなし
1975 さらば愛しき女よ Farewell, My Lovely 脚本(ダイアログ監修)
ビッグ・ボス Capone
The Prisoner of Second Avenue 日本未公開
デス・レース2000年 Death Race 2000
刑事コジャック KOJAK テレビシリーズのゲスト出演
1976 爆走!キャノンボール Cannonball
1978 フィスト F.I.S.T.
パラダイス・アレイ Paradise Alley
1981 ナイトホークス Nighthawks
勝利への脱出 Victory To Escape
1983 ステイン・アライブ Staying Alive カメオ出演(クレジットなし)
1984 クラブ・ラインストーン/今夜は最高! Rhinestone
1986 コブラ Cobra
1987 オーバー・ザ・トップ Over the Top
1989 ロック・アップ Lock-Up
デッドフォール Tango & Cash
1991 オスカー Oscar
1992 刑事ジョー ママにお手上げ Stop! or My Mom will Shoot
1993 クリフハンガー Cliffhanger
デモリションマン Demolition Man
1994 スペシャリスト The Specialist
1995 ジャッジ・ドレッド Judge Dredd
暗殺者 Assassins
1996 デイライト Daylight
1997 コップランド Cop Land
メン・イン・ブラック Men In Black カメオ出演(クレジットなし)
1998 アンツ Antz 声の出演
アラン・スミシー・フィルム An Alan Smithee Film:Burn Hollywood Burn
2000 追撃者 Get Carter
2001 ドリヴン Driven
2002 D-TOX D-Tox
シルベスター・スタローン ザ・ボディガード Avenging Angelo
2003 TAXi3 Taxi 3 カメオ出演(クレジットなし)
スパイキッズ3-D:ゲームオーバー Spy Kids 3-D : Game Over
シェイド Shade
2005 ラスベガス Las Vegas テレビシリーズのゲスト出演
2009 スタローン in ハリウッド・トラブル Kambakkht Ishq カメオ出演
2010 エクスペンダブルズ The Expendables
2011 Mr.ズーキーパーの婚活動物園 Zookeeper 声の出演

日本未公開

2012 エクスペンダブルズ2 The Expendables 2
バレット Bullet to the Head
2013 大脱出 Escape Plan
リベンジ・マッチ Grudge Match
バトルフロント Homefront
2014 エクスペンダブルズ3 ワールドミッション The Expendables 3

CM

受賞とノミネート

アカデミー賞など

部門 作品 結果
アカデミー賞 1976 主演男優賞 『ロッキー』 テンプレート:Nom
脚本賞 テンプレート:Nom
英国アカデミー賞 1976 主演男優賞 『ロッキー』 テンプレート:Nom
脚本賞 テンプレート:Nom
ゴールデングローブ賞 1976[12] 主演男優賞 (ドラマ部門) 『ロッキー』 テンプレート:Nom
脚本賞 テンプレート:Nom
  • 全米映画歴史研究家協会賞 最優秀主演男優賞 『ロッキー』
  • ダヴィッド・ディ・ドナテロ賞 外国映画部門最優秀男優演技賞 『ロッキー』
  • 全米・カナダ映画興業者選出 ドル箱スター第1位
  • 男性鑑賞協会選出 男性ベストテン第1位
  • Show West Convention Star Of The Year (1979年・1984年)
  • Hasty Pudding Theatricals Man of the Year
  • ピープルズ・チョイス・アワード Favorite Motion Picture Actor
  • セザール賞 名誉賞
  • ゴールデンアップル賞 Star of the Year
  • サターン賞 Lifetime Achivement Award
  • ストックホルム映画祭 最優秀男優賞 『コップランド』
  • Home Entertainment 2002 ミレニアム・アクションスター

ゴールデンラズベリー賞

ゴールデンラズベリー賞とは、毎年アカデミー賞授賞式の前夜に「最低」の映画を選んで表彰する一種のジョーク賞である。

部門 作品 結果
ゴールデンラズベリー賞 1984[13] 最低主演男優賞 『クラブ・ラインストーン/今夜は最高!』 テンプレート:Won
最低脚本賞 『クラブ・ラインストーン/今夜は最高!』(フィル・アルデン・ロビンソンと共同) テンプレート:Nom
1985[14] 最低主演男優賞 『ランボー/怒りの脱出』、『ロッキー4/炎の友情』 テンプレート:Won
最低監督賞 『ロッキー4/炎の友情』 テンプレート:Nom
最低脚本賞 『ランボー/怒りの脱出』ジェームズ・キャメロンケヴィン・ジャールと共同) テンプレート:Won
『ロッキー4/炎の友情』シェルドン・レティックと共同) テンプレート:Nom
1986[15] 最低主演男優賞 『コブラ』 テンプレート:Nom
最低脚本賞 『コブラ』 テンプレート:Nom
1987[16] 最低主演男優賞 『オーバー・ザ・トップ』 テンプレート:Nom
1988[17] 最低主演男優賞 『ランボー3/怒りのアフガン』 テンプレート:Won
最低脚本賞 『ランボー3/怒りのアフガン』 テンプレート:Nom
1989[18] 最低主演男優賞 『ロックアップ』、『デッドフォール』 テンプレート:Nom
1980年代最低男優賞 『クラブ・ラインストーン/今夜は最高!』、『コブラ』、『ロックアップ』、
『オーバー・ザ・トップ』、『ランボー/怒りの脱出』、『ランボー3/怒りのアフガン』、
『ロッキー4/炎の友情』、『デッドフォール』
テンプレート:Won
1990[19] 最低主演男優賞 『ロッキー5/最後のドラマ』 テンプレート:Nom
最低脚本賞 『ロッキー5/最後のドラマ』 テンプレート:Nom
1991[20] 最低主演男優賞 『オスカー』 テンプレート:Nom
1992[21] 最低主演男優賞 『刑事ジョー/ママにお手あげ』 テンプレート:Won
1993[22] 最低脚本賞 『クリフハンガー』マイケル・フランス、ジョン・ロングと共同) テンプレート:Nom
1994[23] 最低主演男優賞 『スペシャリスト』 テンプレート:Nom
最低スクリーンカップル賞 『スペシャリスト』シャロン・ストーンと共同) テンプレート:Won
1995[24] 最低主演男優賞 『暗殺者』、『ジャッジ・ドレッド』 テンプレート:Nom
1996[25] 最低主演男優賞 『デイライト』 テンプレート:Nom
1998[26] 最低助演男優賞 『アラン・スミシー・フィルム』 テンプレート:Nom
1999[27] 20世紀最低男優賞 彼がした全てのことの99.5%に対して テンプレート:Won
2000[28] 最低主演男優賞 『追撃者』 テンプレート:Nom
2001[29] 最低助演男優賞 『ドリヴン』 テンプレート:Nom
最低脚本賞 『ドリヴン』(ジャン・スクレントニー、ニール・タバクニックと共同) テンプレート:Nom
最低スクリーンカップル賞 『ドリヴン』(バート・レイノルズと共同) テンプレート:Nom
2003[30] 最低助演男優賞 『スパイキッズ3-D:ゲームオーバー』 テンプレート:Won
2010[31] 最低監督賞 『エクスペンダブルズ』 テンプレート:Nom

このように1980年代から1990年代初頭までの彼の全盛期、暴力的な『ランボー』シリーズ等の主演に対してテンプレート:要出典範囲から酷評を受け続けていた。しかし、そのような酷評とは相反しヒット作を頻出していたため、より一層、テンプレート:独自研究範囲結果でもある。加えて全盛期の主演作の多くが、新興インディペンデントカロルコ・ピクチャーズキャノン・フィルズ作品であったことも、メジャー寄りの保守的な批評家からの批判を助長させる大きな要因になった。特にカロルコの大作映画は、シルヴェスター・スタローンの主演作以外であっても、その多くがゴールデンラズベリー賞(またはノミネート)の常連作となっていた。

批評家からの視点で、(彼の主演作のなかで)映画史的に唯一と言ってもいい高い評価を受けている『ロッキー』の1作目は、メジャーの老舗ユナイテッド・アーティスツの作品である。

ハリウッド殿堂

ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星型プレート(映画部門)があり、グローマンズ・チャイニーズ・シアターの入り口前に手形・足形・署名入りのブロックプレートが埋め込まれている。

注釈

  1. Q. Moonblood および J.J. Deadlock という筆名を持っていたが、この名で脚本を発表することは無かった。
  2. この映画は『ロッキー』のヒット後、ロッキーのあだ名にちなみ Italian Stalion(イタリアの種馬)と改題しリリースされている。
  3. この映画は Rebel(反抗者)という題名でも知られ、1960年代後半のニューヨークでスタローンら過激派学生グループが FBI に追われるというストーリーである。1990年にこのフィルムは再編集され、A Man Called... Rainbo(レインボーと呼ばれた男)という、『ランボー』をもじった題名でリリースされた。
  4. ただしその後2010年に製作中止がアナウンスされた。

参考文献

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:シルヴェスター・スタローン テンプレート:ロッキー テンプレート:ランボー テンプレート:Normdaten

  1. Stallone explained all this on Inside the Actors Studio in 1999.
  2. テンプレート:Fr "Cinéma. Stallone est de Brest « même » !", Le Télégramme de Brest, October 6, 2009
  3. テンプレート:Cite news
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 テンプレート:Cite web
  5. 「シルベスター・スタローン物語」 (バンブーコミックス)
  6. テンプレート:Cite web - 「(経済的に)本当に切羽詰まっていた。その映画に出演するのでなければ、もう泥棒でもするしかなかった。」
  7. 『アメリカは今日もステロイドを打つ』 P.10-11 町山智浩 ISBN 9784087805161
  8. 「ロッキー」スタローン氏も殿堂入り サンケイスポーツ 2010年12月10日閲覧
  9. http://www.imdb.com/name/nm0000230/bio
  10. http://www.lifesitenews.com/ldn/2007/jan/07011201.html
  11. http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0201J_S3A200C1CR8000/
  12. テンプレート:Cite web
  13. テンプレート:Cite web
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