シャーマン・オバンドー

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テンプレート:Infobox baseball player シャーマン・オマール・オバンドー・ガイノルSherman Omar Obando Gainor , 1970年1月23日 - )は、パナマ[1]出身の元プロ野球選手外野手)。日本プロ野球では指名打者としての出場が多かった。

来歴・人物

テンプレート:Byニューヨーク・ヤンキースに入団。テンプレート:Byボルチモア・オリオールズメジャー初昇格。テンプレート:Byモントリオール・エクスポズに移籍。

テンプレート:Byのシーズン途中、怪我をして長期間離脱していたナイジェル・ウィルソンの穴埋めとして日本ハムファイターズへ5月末に入団[1]。入団直後は本人曰く「時差ぼけが長引いた」とのことからかまったく打てなかったが徐々に調子を上げていき、1年目は打率.306、本塁打20、打点62を記録した。

2年目のテンプレート:Byは30試合近く怪我で欠場したにもかかわらず、イチローに次ぐパ・リーグ2位の打率.332、本塁打30、打点101の大活躍でベストナイン外野手部門)に選出された。また、長打率はリーグ1位だった。

テンプレート:Byの開幕第3戦目に自打球を左足に当て骨折、5月末に復帰するが、8月には胸椎椎間板症を発症し、復帰出来ないまま閉幕を迎えた。この年の出場は52試合にとどまったが、本塁打15、打点51の成績を残した。

テンプレート:Byは自己最多の118試合に出場し本塁打26、打点68を記録するが、打率は規定打席にこそ到達するものの膝の怪我の影響で.263と本来の力を出し切れず、更にオフに怪我が悪化したこともあってこの年限りで日本ハムを退団した。なお、中日ドラゴンズから獲得のオファーがあったが、「もう日本には戻りたくない」と断っている。

テンプレート:Byシーズン途中に自腹で再来日し、日本ハムに売り込みに来る。当時の日本ハムはエンジェル・エチェバリアの不振、8月にはアテネオリンピック野球日本代表小笠原道大金子誠を派遣することになっており、打線の補強が急務であった。オバンドーは入団テストの上、破格の低年俸(推定1,000万円)で再契約し、日本球界に復帰。記者会見では「現役の最後は、大好きな日本ハムで終わりたい」とコメントした。その2004年は往年の長打力と、勝負強い打撃でチームをAクラス(3位)に押し上げプレーオフにも出場したが、翌テンプレート:Byシーズン途中、打撃不振のため解雇された。

2006 ワールド・ベースボール・クラシックのパナマ代表に選ばれており、なかなか戦力が揃わないチームにおいて期待された。5番・指名打者として出場していたが、チームは予選敗退に終わった。

元チームメイトのフェルナンド・セギノールとはパナマにいた頃からの知り合いで、オバンドーはセギノールに野球を教えていた。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 BAL 31 97 92 8 25 2 0 3 36 15 0 0 0 0 4 0 1 26 1 .272 .309 .391 .701
テンプレート:By2 16 41 38 0 10 1 0 0 11 3 1 0 0 1 2 0 0 12 0 .263 .293 .289 .582
テンプレート:By2 MON 89 202 178 30 44 9 0 8 77 22 2 0 0 1 22 1 1 48 2 .247 .332 .433 .764
テンプレート:By2 41 54 47 3 6 1 0 2 13 9 0 0 0 0 6 0 1 14 0 .128 .241 .277 .517
テンプレート:By2 日本ハム 94 392 346 49 106 23 0 20 189 62 0 1 0 1 41 0 4 65 14 .306 .385 .546 .931
テンプレート:By2 107 466 385 79 128 15 2 30 237 101 3 0 0 6 68 3 7 63 11 .332 .436 .616 1.051
テンプレート:By2 52 225 201 29 52 7 0 15 104 51 0 3 0 2 19 3 3 38 1 .259 .329 .517 .846
テンプレート:By2 118 490 441 49 116 18 1 26 214 68 3 2 0 1 43 5 5 95 11 .263 .335 .485 .820
テンプレート:By2 42 148 130 23 44 7 0 8 75 25 0 0 0 0 16 1 2 15 4 .338 .419 .577 .996
テンプレート:By2 24 59 55 4 12 1 0 3 22 7 0 0 0 0 3 0 1 13 1 .218 .271 .400 .671
MLB:4年 177 394 355 41 85 13 0 13 137 49 3 0 0 2 34 1 3 100 3 .239 .310 .386 .696
NPB:6年 437 1780 1558 233 458 71 3 102 841 314 6 6 0 10 190 12 22 289 42 .294 .376 .540 .916
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

NPB

記録

NPB

背番号

  • 42 (1993年 - 1995年)
  • 29 (1996年 - 1997年)
  • 64 (1999年 - 2001年)
  • 23 (2002年)
  • 67 (2004年途中 - 2005年)

愛称

  • 『看板男』:1999年当時の日本ハムの本拠地であった東京ドームで看板直撃の本塁打を量産したことから。看板直撃弾は2000年の3回、2001年の2回、2002年の4回を含め、通算11回。
  • 『夏男』:7月に入ると凄まじいペースで調子が上昇していったことから。
  • 『オバ様』:日本ハム復帰時、打撃好調だった同僚フェルナンド・セギノール杉良太郎の愛称を捩って「セギ様」と呼ばれており、オバンドーもそれに倣って「オバ様」とファンに呼ばれ親しまれた。

関連項目

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:MLBstats

テンプレート:パシフィック・リーグ ベストナイン (外野手)

テンプレート:2006 ワールド・ベースボール・クラシックパナマ代表
  1. 1.0 1.1 プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、134ページ