シボレー・コルベット

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シボレー・コルベットChevrolet Corvette )は、ゼネラルモーターズ (GM) のシボレーブランドによって販売されている、アメリカンスポーツカーである。コーベットとも表記される。

解説

GMのデザイン部門の初代副社長を後に務めることになる、もともとスポーツカー好きだったハーリー・アールが第二次世界大戦後の自動車競技における英国製・ヨーロッパ製スポーツカー(大戦後、アメリカ軍軍人たちが祖国に持ち帰ったMGジャガーアルファ・ロメオなど)に感化され、GMはスポーツカーを製造する必要があると決意したことが、その誕生につながる。コルベットに先立つ1951年ナッシュ・モーターズイタリアのデザイナー、ピニンファリーナと英国のエンジニア、ドナルド・ハーレーのパートナーシップのもと、2シータースポーツカー、ナッシュ・ハーレーの販売を始めたが、ほとんど価格の高いモデルばかりだった。アールの構想は、まず非公式な“プロジェクト・オペル”として秘密裏にスタートした。アールは最初に、当時シボレーディビジョンのゼネラルマネージャーを務めていたエド・コールにプロジェクトを提案した。コールはためらうことなく、この提案を受け入れた。1951年後半、アールとスペシャルプロジェクトのクルーは、作業にとりかかり、その車が1953年にシボレー・コルベットとして陽の目を浴びることとなったのである。

2シーターカーとしてほぼ同時期に誕生したフォード・サンダーバードと同じく、それまでの量産型米国車にあまり見られなかった小型軽量のボディーに適度のパワーを持ったエンジンを搭載し、当時憧憬の的であったオープンエアモータリングを楽しめるアメリカンプレステージスポーツカーとして誕生したコルベットは、本来大衆車製造部門のポジションであったシボレーで、その後誕生するシボレー・カマロとともに数々のレースシーンに積極的に関与することでブランドの華やかさ・先進性・技術力・優秀性をアピールする役割を果たすこととなった。

当初は、欧州のライトウェイトスポーツカーベンチマークにしていた関係で、コルベットもそれらと共通した性格を基本とするかに見えたが、当時米国では新世代のV8エンジンの勃興期と重なっていて、マーケットからの要望を背景に、毎年ほとんどの車種でエンジンパワーが増大していく傾向にあり、コルベットもそのトレンドを積極的に取り入れる方向で発展していった。このためシボレーコルベットは、はやばやと路線修正され、やがてGMないし米国内でもっとも強力なエンジンを搭載可能な、走行性能の優れた小型プレステージ2シーターカーという路線に乗ることとなった。

基本的なデザインは、一部を除きオープンエアモータリング可能でロングノーズショートデッキの小型軽量2シーターカーだが、アメリカ車らしく、ごく初期のわずかな期間を除き軽量コンパクトかつ高出力のV8エンジンをフロントに積み、V8エンジン特有のパワーを後輪に伝える、典型的なフロントエンジン・リアドライブを現代に至るまで貫き通している。また、時代に合わせて頻繁にアップデートが施され、時には外観のみならず、車の性格を激しく変えるほどのモデルチェンジが果たされたことも珍しくない。その一方で、タフでパワフルなアメリカンV8エンジンによる余剰馬力の大きさを持ち味としており、一時期高性能DOHCエンジンを採用したことがあったものの、最新型においてもコンベンショナルなV8大排気量OHVエンジンを採用し、出足の良さと余裕の走りがコルベットのアイディンティティとなっている。

コルベットは、その基本性能の優秀さから初代C1型コルベットの時代から様々なレーシング仕様が製作され、数多い功績を挙げた。ワークスでのレース活動を休止していた時期もあるが、その間を埋めるようにプライベーターによる参戦も盛んに行われた。

現在、欧州ではシボレーのブランド名が落とされて、単にコルベットとして販売されているが、シボレーブランドのフラグシップモデルであることには変わりない。なお、日本への輸入はGMアジア・パシフィック・ジャパン (GMAPJ) によって行われており、販売店の関係で日本でも単に「GM・コルベット」として販売されていた時期があった。車検証の車名欄およびJAIA(日本自動車輸入組合)の輸入車登録台数の統計では「シボレー」となっている。

歴史

初代 C1型(1954年-1962年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 シボレー初の2シーターレイアウトのオープンスポーツカー。1953年にプロトタイプが披露され、翌年に生産を開始する。初期のC1型コルベットは、純粋なスポーツカーというより、スポーツカーと先進的イメージを押し出した“雰囲気車”のような感は否めない。スチール製バックボーンフレームに、量産車としては初めてとなるFRPボディパネルを貼り付けた、ヨーロッパ車顔負けの先進的な特徴を有していながら、最高出力150馬力と貧弱な3,859ccの排気量を持つ水冷直列6気筒OHVエンジン、2速ATなど、少なくとも本質的な走りを重視する人々の琴線を刺激するだけの魅力は持ち合わせていなかった。しかも品質不足での購入者からの苦情も殺到した。これは先進的なFRP素材を使用したがために起こってしまった弊害である。まだ厳密な品質が確立されていなかった時代のため、温度差によってボディパネルが歪んでしまうことが原因だった。

初期にはこのようなメーカー側の不備から批判を受けたが、チューニングを生業とする者たちは、優れた車体特徴を備えたコルベットを見放さなかった。彼らは市場の不満の声に応えるかのごとく、エンジン・チューニングキットや、マニュアルトランスミッションへの交換などを請け負い、潜在的な需要を満たした。

しかし、コルベットの評価を一転させるマイナーチェンジが行なわれることとなる。その先鋒に立ったのがGM実験部門に所属していたエンジニア、ゾーラ・アーカス・ダントフである。シボレー・セダン用の4,343cc水冷V8 OHVエンジンを専用にチューンを施し、コルベットのエンジンルームに押し込むことにより、大幅なパワーアップを達成する。1955年ではオプション扱いだったものの、1956年からは通常ラインアップに加わり、逆に当初の標準だった6気筒エンジンは蹴落とされる格好となった。ちなみに、このエンジンは後々のコルベットにもスモールブロックユニットとして受け継がれていくこととなる。トランスミッションボルグワーナー製の3速MTが選べるようになり、いよいよ本格的なスポーツカーとしての認知を得るに至る。以降、ドーピングのごとくパワー至上主義路線を貫くようになり、200馬力前半だったパワーは、最後期には300馬力オーバーに達するまでになった。

C1型コルベットは、本格的にレースにも参戦し、そのテストベッドとして1954年Mule(雑種の意)と呼ばれる、レーシングチューンの施されたV8エンジンを搭載したモデルがあった。Muleは最高速トライアルやデイトナに参戦し、このモデルの活躍がコルベットの名声を高めるきっかけとなった。その後、1956年のセブリング12時間レースに参戦するために手直しされたコルベットSR(セブリング・レーサー)が出走し、クラス優勝に輝く活躍を見せ、1957年以降には数々のレースでアマチュアレーサーの手で走らされるコルベットを見るようになった。また、SRが活躍したとほぼ同時期に、更なるパフォーマンスアップを図ったSR2に発展し、1957年のデイトナでル・マン24時間レースの王者であるジャガー・Dタイプに続く2位に食い込み、その実力を示した。しかし、コルベットのレース活動の指揮を執っていたゾーラ・ダントフの意向により、SR2の現役としての期間は短く、その活動はコルベットの名を冠した、しかしオリジナルとは関連性のない新たなレーシングカーであるコルベットSSに委ねられた。 テンプレート:-

2代目 C2型(1963年-1967年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 スティングレイレーサーのスタイルを基礎にしてデザインされたC2型コルベットは、原型となったレーサーモデルの名を取ってコルベットスティングレイ(綴りはSting Ray)と呼ばれた。スティングレイとは赤エイの意である。名付け親は開発担当者の一人であるビル・ミッチェルで、これは彼が釣りを嗜んでいたことに由来するといわれている。なお、両車の間には構造的共通点はないに等しく、市販にあたって新たにボディ設計がなされている。販売が開始されたのは1963年から。オープンモデルのみのラインナップだったC1型と違い、クーペをメインに据えることとなった。

大きく変貌したスタイリングは、ダイナミックだった先代に対し、先鋭的でエッジの立った独特なスタイリングで、何物にも似ていない。特に1963年に生産されたもののみが有する、「スプリット・ウインドウ」と呼ばれる、ルーフからリアエンドに向かって走るフレームによって二つに寸断されるリアウインドウを持ったモデルは、現在でも人気と、付随するプレミアを獲得している。またC5型まで伝統となった、本来とは逆方向から回転する構造を持つリトラクタブル・ヘッドライトが採用されたのは、C2型が最初で、このヘッドライトを備えたモデルは1964年に登場した。

エンジンは基本的に先代に採用されていたものが継承され、それに更にチューニングを加えたもの。排気量は大幅に拡大され5,358ccの水冷V8OHVエンジンで、キャブレターの違いで300馬力、340馬力、インジェクション仕様の360馬力のものが設定された。特に360馬力仕様は事実上のレーシング仕様で、足回りがレースでの出走を前提にして硬く引き締められており、とてもではないが公道での使用に使おうと思わせるものではなかった。デビューから2年後の1965年には、レーシングスペックのZ06が登場。6,489ccという排気量を持つ、通称ビッグブロックユニットが搭載され、425馬力、約64kgmというハイパワーを誇った。後にビッグブロックは更なる排気量拡大を受け、427立方インチ (6,997cc) までスープアップされている。 初期C1型で犯してしまったミスを払拭するかのごとく、トランスミッションには力が入り、標準装備の3速MT、オプションで3速AT、ギアレシオをクロスさせた4速MTが設定された。このことからも、コルベットは2代目にして、シボレーの旗持ちを務めるほどのイメージリーダーとなっていた。

ボディは完全な新設計で、堅牢なラダーフレーム構造を採っていた。車高は低くなり、重心も下がっていた。C2型コルベットは、フロントエンジン車でありながらリアヘビーという、かなりユニークな前後重量配分を有していた。これは燃料タンクが最も後ろに配置されていたためで、通説では前後47:53の重量配分といわれている。足回りは前ダブルウィッシュボーン式、後トレーリングアーム式で、後輪にリジッドアクスルを採用していた先代と比較し、前後輪とも独立懸架によって支持されるという進化を遂げた。フロントはコイルスプリングだが、後輪には本来縦に置くはずのリーフスプリングを横置きにしていた。これは後々のコルベットにも受け継がれることとなるが、実はこのスプリングには設計の妙が込められており、バネ下重量を理論上0に抑えることができる利点があった。ブレーキは当初4輪ドラムブレーキだったが、1965年からは4輪ディスクブレーキに改められている。

L88型

L88型と呼ばれるC2型末期の1967年に追加されたエンジンは、レーシングカー用エンジンをデチューンしたものである。燃料には103オクタン以上のレース用ガソリンを使用しなければ動かないという、日常的な公道での使用などにはとても堪えられる仕様のものではなく、あくまでGTレースを出走するためのホモロゲーションを取得するためのモデルだった。また、L88型は430馬力と公表されたが、監督官庁の懸念や保険料の問題等で伏せていただけで、実際は500馬力以上だったと言われる。L88型エンジンを積んだコルベットは、20台が市販されるに留まっている。L88型を搭載したC2は約7,600万円の値が付けられオークションで落札された。 テンプレート:-

3代目 C3型(1968年-1982年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 1968年、早いタイミングでバトンタッチされたのが、通称コークボトルと呼ばれるボディラインを持つC3型コルベットである。大胆に膨らんだ前後フェンダーとくびれたように見えるボディ中央部がコーラのビンを連想させたことから名づけられた。このデザインは、このモデルを最後にデザイナーを引退したビル・ミッチェルと日系人ラリー・シノダがデザイン・スタディとして生み出したMako Sharkが原型で、そのデザインをほぼ踏襲している。また、ネーミングにも変化が生じ、1968年型は単にコルベットの名で販売されたが1969年型からスティングレイの呼称が復活(ただし綴りはStingray)。しかし、1978年のマイナーチェンジでは単にコルベットの名に改称された。

その独特なスタイルと、バリエーションにコンバーチブルと量産車初のTバールーフのタルガトップを採用しながらも、シャシーやサスペンションは基本的にC2型のそれを引き継いでいる。しかし、リトラクタブル・ヘッドライトは少々違い、C3型のそれは回転式ではなく、カバーを上へ持ち上げるオーソドックスなメカを採用している。これは歴代コルベットの中では唯一である。エンジンは基本的にキャリーオーバーで、1969年にはビッグブロックユニットが排気量拡大の変更を受けて、7,440ccまで引き上げられた。標準エンジンであるスモールブロックユニットには基本的に変更はなく、ビッグブロックユニットと同じ年に排気量5,358ccから5,738ccにまで拡大しているが、額面上は同じ300馬力と変更はない。また同エンジンを基本にチューニングを施したLT1ユニットは350馬力仕様に加え、1971年までは高圧縮比によりパワーを稼ぎ、370馬力にまでチューニングされたものが設定されていた。

C3型登場の翌年、総生産数3台、市販車両に搭載されたものは僅かに2台という幻のパワーユニット、ZL1ユニットが1969年の期間のみ追加される。これはC2型コルベットに載っていたL88ユニットの発展型で、エンジンヘッドのみならずエンジンブロックまでもアルミ化されたスペシャルエンジンである。このエンジンはオプション設定という形でカタログに記載されることとなったが、車1両に匹敵するほどの高額の追加費用が必要だったため、ごく少数の生産に留まることとなった。しかし、1971年にはマスキー法が全面施行され、プレミアからレギュラーガソリンに対応、三元触媒の取り付けなど排ガス対策に追われたため、全てのパワーユニットが軒並み20~30馬力ほどダウンすることとなる。その対策として、ビッグブロックユニットを425馬力にまでチューンしたエンジンが追加されるが、環境問題が叫ばれる逆境などを理由に1972年に廃止された。クロームメッキバンパーを捨てた1973年、エンジンラインナップが大幅に整理され、ボアφ101.6×ストローク88.4mmで5,733ccのV8 OHVエンジン一本となり、標準仕様は190馬力、オプションで210馬力、更に排ガス規制の厳しいカリフォルニア州専用に、コンピュータ制御の排ガスコントロール装置を取り付けた仕様が存在し、180馬力を発生した。1972年からエンジン性能表示が変更され、グロス値からネット値に移行したため、従来よりも低い馬力換算がされていたものの、このエンジンは従来のものより確実にパワーダウンを強いられていた。

C3型の最も大きなマイナーチェンジは1978年のことである。大きな変更点として、それまで垂直に降り立つリアウインドウが、ルーフからボディ後端までを繋ぐ湾曲した一枚ガラスに変化し、規制によって5マイルバンパーが装着された。オプション設定にはグラストップが追加されるが、これはコルベットがスポーツカーというより、長距離を高速で移動することに主眼を置いたGTカー的な方向に寄ったものであることを示していた。1981年にはオプション設定されていたエンジンが姿を消したが、C3型最後の年1982年には、キャブレターからインジェクションとなり、10馬力上乗せの200馬力を計上した。

トランスミッションは4速MTと3速ATが用意され、1982年には4速ATが設定されたが、この年にはマニュアルトランスミッションの設定がなく、このことからも後期のC3型はGTカーとしての位置づけを与えられていたことを裏付けている。

C3型コルベットは1982年型がラストイヤーだったが、同年に予定されていた新型コルベットへの移行が翌年にずれたため、一時は「コルベットはC3が最期」と騒がれてしまった。 テンプレート:-

4代目 C4型(1983年11月-1996年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表

1983年の前中期をテスト期間として43台ものテストカーを費やし、満を持して1983年末にC4型コルベットが登場する。ただし予定より開発がずれこんでしまったため、1984年型と銘打って生産を開始しているため、事実上1983年型のモデルは存在していない。マニアの間では「テストカーとして製作された43台」を1983年型と呼称することもあるが、これはGM側が正式にアナウンスしたものではない。ちなみにテストカーのほとんどはクラッシュテストのために破壊されているが、一台のみはアメリカ・ケンタッキー州ボウリンググリーンに存在するコルベットの生産工場に併設されたコルベット博物館に保管され、現存している。

これまでのコルベットは、ダイナミックで力強いスタイルを特徴としたアメリカニズムを押し出したデザインが特徴だった。しかし国内、世界的情勢を意識して大きく路線変更することとなり、ロングノーズは踏襲されているものの、大きく盛り上がったフェンダーなどはなだらかに整形され、全体的に洗練されたスタイルを纏った。これは開発関係者にヨーロピアンデザインに造詣の深い人物がいたためといわれている。

構造的にも、特徴の多くを先代から受け継いでいたC3型とは違い、エンジン以外のほぼ全てを新規設計した。足回りは前不等長ダブルウィッシュボーン式、後5リンク式へと進化、アームには市販車初の軽合金を採用し、バネ下重量の低減を狙っている。また、前後とも伝統の横置きリーフスプリングを使用しているが、それはFRP製であり、軽量化が徹底されている。ボディ構造は角断面鋼管フレームとセミモノコックを組み合わせたユニフレームとなり、旋回性能を上げるためにショートホイールベース化され、前後トレッドを広げて操縦安定性を確保している。また、洗練されたスタイリングは空力にも十分な配慮がされ、Cd値0.34と当時のスポーツカーとしては最高水準の値をはじき出している。なお、ボディバリエーションはクーペとTバールーフを廃止したタルガトップを用意していたが、C3後期に安全性の問題でラインナップから落ちたコンバーチブルが1986年型から復活している。

デビュー当初、1983年11月エンジンはC2型と同じボアφ101.6×ストローク88.4mmで5,733ccのクロスファイアを搭載し、205馬力と少々控えめの数値だったが、Z51と呼ばれるハイパフォーマンスモデルに注目が集まり、人気を呼んだ。これはハードなスプリングレート、デルコビルシュタインショックアブソーバー、ワイドタイヤなどを組み込んだ仕様で、ノーマルでは4速ATが選択できたが、4速MTしか設定されていない硬派な仕様だった。このモデルの登場で、コルベットが優秀なハンドリング性能を有していることを世界に知らしめることとなった。

  • 1985年 - エンジンが変更される。排気量に変わりはないが、ボッシュ・ジェトロニックをベースに改良を施したチューンド・ポート・インジェクション (TPI) 仕様のL98型となり、最高出力は230PSに引き上げられた。
  • 1986年 - アルミブロックの採用で230PSを達成、そしてコンバーチブルのみがボディー剛性を踏まえクロスメンバーというフレームが追加され復活した。
  • 1987年 - アルミヘッドを採用。
  • 1988年 - にはエンジンがチューンドポートインジェクションの245PS、トルク47.5kgにホイールはF.Rとも9.5j、タイヤは27-40-17が標準となった。
  • 1989年 - マニュアルミッションの変更を受け、4速+電磁式オーバードライブから独ZF製6速MTにアップデートされた。C4型コルベット最強のグレードZR-1が追加された。
  • 1991年 - リアフェイスがZR-1を基本にしたものとなり、またハードセッティングのZ51が、よりハードなZ07にチェンジ。
  • 1992年 - エンジンがL98からLT1に変更、基本スペックは引き継ぐものの、数々の改良を受けて最高出力が大幅に向上し、300馬力となる。トラクションコントロールを標準装備、タイヤも太いものにグレードアップされた。
  • 1993年 - コルベットは生誕40周年を迎え、それを記念するアニバーサリーモデルをZR-1/LT1ともに設定。このモデルは外装がルビーレッドに塗られ、同色の本皮スポーツシートを装備した上級装備モデルだった。ZR-1は405馬力までパワーアップ。
  • 1994年 - コンバーチブルのリアのスクリーンがビニール製からガラス製に変更されオートロックのリモコンが標準装備になり、助手席のエアバッグが標準になった(1991年から1993年まで助手席ダッシュボードの小物入れとしていた部分にエアバッグが搭載される)
  • 1995年 - ZR-1はこの年で生産が打ち切られた。
  • 1996年 - 最終年となったこのモデルには2種類の特別仕様が投入された、一つは記念モデル内装が記念モデル様になっているのとホイルがちがっていたコレクターエディションともう一つがZR-1から受け継いだ基本メカニズム、ブルーのボディカラーにノーズからテールにかけて太いストライプを中央に配しリアフェンダーにオーバーフェンダーをつけた335psのLT4エンジン搭載グランスポーツこのエンジンを搭載したモデルにマニュアルミッション以外の選択肢はなかった。(日本には99%クーペが輸入されているが本国ではごく少数のコンバーチブルが存在する)ラストイヤーを記念した2種類が設定され、C4型最後の年を飾った。

スレッジハンマー

テンプレート:節stub 1988年にチューニングメーカーキャラウェイがC4を改造。フロント、サイド、リア、ボンネットに独自のエアロパーツを装着しクーペとスピードスター(コンバーチブルではない)があり搭載されているエンジンをツインターボ化し900馬力を叩き出し、0-100㎞/hを3.9秒、最高速度409km/hを記録。後にブガッティ・ヴェイロンに抜かれるまでは、当時の市販車の世界最速車であった。

C4・ZR1

1989年モデルから追加された。キング・オブ・ヒルというニックネームがつくほどのパフォーマンスを持ち、1989年は63台のみが生産された。これに搭載されるLT5型エンジンは、当時GM傘下にあったロータスによって設計[1]・開発されたもので、スクエアに近くされたボアφ99.0×ストローク93.0mmで5,727cc[2]と排気量そのものはほぼそのままだがブロックもアルミニウム化したオールアルミニウム製のエンジン[3]、圧縮比11.0:1[4]DOHC32バルブ[5]という画期的なエンジンで、標準モデルより100PS以上高い375PS/5,800rpm、51.3kgm/4,800rpmを発生した。ヘッドの大型化を防ぐためバルブ挟角は22度に小さくしてある[6]ATは設定されず、ZF製6速MT[7]が組み合わせられた。ブレーキは大径化され、フロントはホイール9.5J17にタイヤP275/40ZR17、リアはホイール11J17にP315/40ZR-17[8]にサイズアップ、オーディオの左脇に安全対策としてECUのマップ切り替え用の鍵が装着されている。タイヤを収めるためにリアの造形に変化が生じ、丸みを帯びていたリアフェイスは角張り、フェンダーが外側に拡大されていた。その高性能振りを物語るエピソードとして、各地で行なわれていた24時間スピード競技で数々の世界記録を打ち立てるなどの快挙がある。当時の記録は0-60mph/h(約97km/h)を4.2秒、0-400mは12.2秒、最高速度は289.5km/h[9]。ちなみにZR-1はZ06やZ51と同様にベースグレードのパッケージオプションである。当時オプション価格は20,000ドルでコンバーチブルは選べなかった。 テンプレート:-

5代目 C5型(1997年-2004年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表

1997年にフルモデルチェンジされ5世代目となった通称C5は先代のC4の直線的だったデザインから空気抵抗を減らすためにイメージを保ちつつも流線型のデザインに変更され、シャシーやミッション、内装に至るまで細部を見直すことで、居住性や快適性を劇的に向上した。

C4の構造は角断面鋼管フレームとセミモノコックを組み合わせたユニフレームだったため部品点数が多く、どうしてもボディのゆがみがでてしまっていたが、C5では一体成型シャシーとなり高剛性を実現し、ゆがみを減らした。また、旋回性能を上げるためにC4からさらにショートホイールベース化、ワイドトレッド化されたことに加え、操縦安定性を確保するため、トーイン、トーアウト、キャンバー角も見直されている。そして何より特筆すべきは、トランスアクスル レイアウトを採用したことで前後重量配分を50:50に近づけ、鋭く素直なステアリング応答性を実現したことである。

しかし、リトラクタブル式のヘッドライトや楕円(真円)の4連テールランプ、ダブルウィッシュボーンにリーフスプリングを組み合わせた足回り等の伝統は引き継がれている。 また、C5コルベットは21世紀最後のリトラクタブルヘッドライト搭載車(2004年まで生産)でもある。

コルベットはアメリカンスポーツカーで、パワーはあるが曲がらない止まらない、の直線番長な面があった。 しかしそれはC4までであるというのが正しく、C5コルベットからはスムーズに速く、しなやかに曲がり、確実に止まることのできる車となった。C5のデリバリーを契機にコルベットレーシングも復活し、ルマン24時間耐久レースやアメリカンルマンズ耐久レース等のレースシーンで1-2フィニッシュを飾るなど華やかな結果を残している。

また、マイナーチェンジでダンパーに磁気流体機構を付けた、マグネティックセレクティブライドを採用。これはセレクトスイッチでショックの硬さを変化させるもので、ツアーモード、スポーツモードがある。 前者はロングドライブ向けの仕様で、ダンパーを柔らかめに設定し、高級車のような乗り心地を得るためのモード、後者はサーキットや高速道路上でダンパーを固めに設定し、ロールを抑えて操縦安定性を得るモードになっている。

内装は依然としてプラスチックオンレザーを多用しているなど、目に見えるアメリカらしさこそ残るが、ツインコックピットスタイルと呼ばれる独特の内装や、使いやすくまとまった計器類にフロントウィンドーに速度などを映し出すヘッドアップディスプレイなど充実した装備で、世界に対抗できる「アメリカンスポーツカー」に仕上がっている。

2005年でC6コルベットにフルモデルチェンジした。 テンプレート:-

6代目 C6型(2005年-)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 2005年型から生産を開始したC6型コルベットは、「Power, Passion, Precision(よりパワフルに、情熱的に、精緻に)」をコンセプトに掲げ、C5型に存在した欠点を洗い出し、改善した正常進化モデルである。そのため、メカニズムに共通点は多いものの、そのほとんどは新しく設計されている。実際の生産は秋頃から開始され、日本での販売は2005年2月11日から行なわれている。また衝突安全性や軽量化の視点からリトラクタブル・ヘッドライトは廃止され、吊り目型の固定式ヘッドライトが採用された。C5型にも密接に関わり、その後GMハイパフォーマンスカー設計グループのチーフを務めたデイブ・ヒルが開発リーダーを務めた。

曲面で構成されていたC5型と比較し、よりエッジの利いたラインで構成された力強いスタイリングとなった。また、運動性能向上のためダウンサイジングを敢行し、先代より全長100mm, 全幅10mm, 全高20mmそれぞれ短縮されたが、逆にホイールベースは30mm延長され、オーバーハングを縮小することで安定性を高めている。足回りは前後ダブルウィッシュボーン式、コンポジット材を使用した横置きリーフスプリングという組み合わせは不変であるものの、C5型末期に採用された、路面状況に合わせて減衰力をオートマチックに制御するマグネティック・セレクティブ・ライド・コントロールを装備している。

歴代コルベットからフレーム構造を引き継ぎ、C5型で採用されたハイドロフォームによって成型される、フロアの周囲にフレームを巡らせたスチール製ペリメーターフレームを基本に、ボックス断面のセンタートンネルなどを組み合わせたフレーム構造を有する。フロアパネルにはコンポジット材を用いるなど、軽量化にも配慮がなされている。

基本的にはキャデラック・XLRとプラットフォームを共有しており、この車の開発にはデイブ・ヒルが指揮を執った経緯が存在する。また、細部形状の適正化により、先代のCD値0.29を更に上回り、0.28と優秀な空力特性を実現している。

パワートレインは先代からの流用で、新型に合わせて改良を施されている。LS2と銘打たれた、5,967ccにボアアップされたスモールブロックユニットは404馬力を発生する。トランスアクスルも引き継がれており、前51:後49という、スポーツカーとして理想的な前後重量配分を保っている。トランスミッションのバリエーションは2種類で、日本仕様ではクーペにのみ設定される6速マニュアルミッションと4速オートマチックが用意される。また、2006年モデルではオートマチックが6速・パドルシフト付きに変更される。

2008年モデルでは、エンジンのシリンダーブロックの改良を受けると同時に排気量が6,156ccに上げられ、最高出力も436馬力に上げられた。また、パドルシフト付き6速ATも反応速度が上がり、同時に6速MTもギアレイアウトが改善され、さらに高いパフォーマンスを発揮することとなった。

なお、ハイパフォーマンス版である「Z06」も用意される。軽量化のためにチタニウム製のコネクティングロッドとインテークバルブを奢られた、6,997ccに排気量が上げられ、511馬力を発揮する、ドライサンプのLS7型スモールブロックエンジンが搭載された。タイヤサイズもパワーの向上に合わせてより大型のフロントP275/35ZR18、リアP325/30ZR19となると同時に、ブレーキシステムも大型化されたベンチレーテッドクロスドリルローターに、フロント6ピストン、リア4ピストンキャリパーを組み合わせものとなった。なおトランスミッションは、トランスミッションオイルクーラーを備えた6速マニュアルミッションのみとなる。

C6・ZR1

限定モデルではあるがZR1が販売された。エンジンはイートンスーパーチャージャー付き6.2LのLS9型となった。最高出力は647馬力を発生し、シボレー・コルベットとしてついに600馬力を超えるに至った。エンジンはLS7のドライサンプチタンコンロッド、チタンインテークバルブを踏襲し、ブレーキはブレンボカーボンセラミックローター(フロント6ピストン、リア4ピストン)となり、ローターサイズもフロントφ394mm、リアφ380mmとZ06から拡大されたため、これに合わせてタイヤサイズもフロントP285/30ZR-19, リアP335/25ZR-20となった。またルーフやフロントスポイラーなどに積極的に炭素繊維強化プラスチックを採用するなど、内容的には同世代のフェラーリ・599GTBフィオラノランボルギーニ・ムルシエラゴなどスーパースポーツに並ぶものとなり、価格も10万ドルを超えるに至った。

発売当初、アメリカではガイ・リッチーが監督したテレビコマーシャルが放映されたが、「子供がクルマを運転するのは危険」だと指摘され、すぐに放送中止となった。 テンプレート:-

7代目 C7型(2014年-)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表

2013年1月13日(現地時間)、ゼネラルモーターズが新型モデルとなるC7型を発表した。トランスミッションは7速MTと、6速ATを搭載する。別名はC2型、C3型でも呼ばれていたスティングレイ。

新たに設計されたフレーム構造とシャシー、パワートレーンを採用。インテリアにはカーボンファイバーとアルミニウム、ハンドメイドのレザー素材を使用した。エクステリアでは大幅な変更があり、クーペモデルではC3形後期から採用されていたラップアラウンド形のリアウィンドウが廃止され、通常のノッチバック式となった。またテールランプでは歴代モデル史上初の角型が採用されている。

サポート性に優れた軽量マグネシウムフレームを持つ2種類の新型シートが用意された。8インチ・デュアルドライバー・インフォテイメント・スクリーンは設定可変可能。

新しいエンジンは先端技術を採用した新型6.2リッターLT1型V8エンジン。直噴システムとアクティブフューエルマネージメント、連続可変バルブタイミング、パワーと低燃費を両立させた先進的燃焼システムを採用し、最大トルク610N・mと最高出力335kW(450hp)を発揮する予定で、0-60mph加速は4秒以下、コーナリング時の最大横Gは、1Gを超える性能を備えている。

日本市場においては、同年7月6日より受注を開始した。初期受注分は「カスタムプレオーダーキャンペーン」として、ボディカラーなどを本国で設定されている限り自由に選択できる。デリバリーは2014年上半期が予定されている[10]テンプレート:-

レーシングプロトタイプ

スティングレイレーサー

C2型コルベットの直接的なデザインスタディとなったのが、スティングレイレーサーと呼ばれる車である。しかし、この車は紆余曲折の末にようやく生まれた車だった。当時のAMA(自動車工業会)は、1957年NASCARで起こった事故を契機に神経質になり、自動車企業に対し一切のワークスによるレース活動を事実上禁ずる処置を申し合わせていた。そのためシャシーを完全新設計し、コルベットの名を借りたレーシングカーとしてサーキットでの活躍を確約されていたコルベットSSは、大きな舞台をほとんど経験することなく、テストカーとして生涯を終える運命にあった。

それを阻止したのが、C3型コルベットまで開発の中枢メンバーの一人だったビル・ミッチェルである。彼はコルベットSSのフレームを流用したMule(C1型ベースのものではなく、コルベットSSの計画が立ち上がる際に新規製作されたもの)をわずか1ドルで引き取り、新たなデザインに仕立て直した。デザインを手がけたのは、シェルビー・デイトナの設計を担当したこともあるピート・ブロックである。彼は当初、クーペスタイルを主張したが、いくつかの変遷を経てオープンカーとすることになった。

フレームには鋼管スペースフレーム構造が採用され、オープンカーながら剛性の高いシャシーを実現した。サスペンションは、前ダブルウィッシュボーン式、後ドディオン・アクスル+トレーリングアームが採用された。しかし、デフにLSDを採用せず、ブレーキはレーシングカーとしては性能不足な4輪ドラムブレーキだったため、ハードなコーナーリングをすると内側のタイヤがホイールスピンし、レースを走り終えると必ずフェードを起こす、レーシングカーとしてあるまじき事態を引き起こした。ブレーキに関してはディスクブレーキの性能に懐疑的だったGM首脳陣が採用を認めなかったことが原因と言われている。

参考文献

注釈

  1. 『ワールドカーガイド8ロータス』p.158。
  2. 『ワールドカーガイド8ロータス』p.158。
  3. 『ワールドカーガイド8ロータス』p.158。
  4. 『ワールドカーガイド8ロータス』p.158。
  5. 『ワールドカーガイド8ロータス』p.158。
  6. 『ワールドカーガイド8ロータス』p.158。
  7. 『ワールドカーガイド8ロータス』p.158。
  8. 『ワールドカーガイド8ロータス』p.158。
  9. 『ワールドカーガイド8ロータス』p.158。
  10. 新型「シボレー・コルベット」国内受注始まる | webCG

関連項目

外部リンク

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